烏帽子山
概 要 烏帽子山は福知山市と丹波市の境にある標高512.4mの山で、かつて山城があった所です。 傾斜のある所もありますが、小牧地区から明瞭な山道が続いています。 分岐も幾つかありますが、要所には道標が設置されて分かり易くなっています。 今回は小牧地区から市境尾根に出て山頂へ登り、北西にある477mの手前から東側の谷筋へ降っていきます。
起 点 福知山市 小牧地区
終 点 福知山市 小牧地区
小牧地区…登山口…鞍部…尾根の肩…368m峰…市境尾根…烏帽子山…降り口…谷筋…林道終点…谷筋…下戸配水池…下戸地区…小牧地区
所要時間 2時間50分
歩いて... 山頂に着くまでには傾斜の急な所があって、木などに掴まりながら登る場面もありました。 477m峰へ向かう途中から東側の谷筋へ降ると道が不明瞭になりましたが、 左側の尾根に登ってみると明瞭な道が現れて、林道終点まで続いていました。 林道はあまり使われていないのか、かなり荒れていて、車での通行は不可能な状態でした。
関連メモ 烏帽子山
コース紹介
小牧地区
朝来市から国道9号を東進していきます。 JR下夜久野駅を過ぎた所の額田交差点を右折して、府道707号に入っていきます。 丘を越えて府道526号に出て左へ進んでいきます。 ゆずりトンネルを抜け、神上川に架かる下戸橋を渡って小牧地区の集落を進んでいくと、 路肩が広がった駐車スペースが幾つかあるので、その中のひとつに車を止めさせて頂きました。
登山口
府道526号をその先へ進んで、右側に谷筋が現れる所まで来ると、 ガードレールの先から右へ続く山道が始まっています。 入口には「烏帽子山登山道」のが立っていてを指しています。 今回はここから烏帽子山へ登っていきます。
ここから数10m先にあるY字路の手前からもが始まっています。 入口にはが彫られた石碑があります。 「烏帽子山 是ヨリ拾八町」と刻まれているので、山頂まで続く登山道のように思えますが、 情報によると墓地へ続く道のようです。
沢沿いに続く道を進んでいくとになります。 小石が散乱していたりもしますが、道は明瞭に続いています。 次第に狭まってくるの植林地を登っていきます。 やがてU字形に窪んで枯れた小枝などが積もった道を登っていきます。 正面の樹間からが見えてくると、道は右へ曲がっていきます。 少し明るくなった所を進んで左へ折れ曲がっていくと、右側になだらかでが現れました。 地形図に掘っている標高210mほどの所になるようです。 正面に近づいてくる稜線に向かって、広い所の左側を回り込むようにして登っていきます。
右へ曲がりながらを進んでいくと、先の方に僅かなが見えてきます。 地形図によると、312m峰の西400m辺りにある標高250mほどの高みになるようです。 その右斜面に斜めに続く道を登っていくと、右側にが見えるようになってきます。
鞍部
少し左へ曲がりながら登っていくと、左右に通る稜線に出ました。 ここは312m峰から368m峰へと続く尾根の標高240mほどの浅い鞍部になるようです。 登山口から19分ほどで登って来られました。 左側すぐの所には先ほどの標高250mほどの僅かながあって、歩き易そうな尾根が続いていました。 その左奥に見えているのは312m峰でしょうか。 ここでひと息入れてから、を進んでいきました。
緩やかで広めのを軽く登っていきます。 左側にはが広がっていますが、手前の樹木が邪魔をしているのが残念でした。 振り返ってと思われる高みを眺めたりしながら登っていくと、 道は尾根の背を外れてを進むようになります。 程なくして、右側の尾根が低くなって僅かな鞍部に着きます。 道は尾根の左斜面の先へと更に続いていますが、南側の谷筋に通る林道へ降りてしまいそうに思えたので、 右の尾根に出て、尾根の背を登っていきました。
歩き易いを登っていきます。 手前の樹木に邪魔されながらも、左側に広がる山並みを眺めながら登っていきました。
僅かなに着くと、 一錢硬貨が置かれたがありました。 その先へ僅かに降っていくと浅い鞍部のような所に着きます。 左側の樹木が少なくなっていて、を見渡せました。
尾根の肩
傾斜が増してくると、ジグザグに曲がりながら登るようになります。 尾根のから回り込むようにして登っていくと、緩やかになった尾根の肩に出ました。 鞍部から12分ほどの所になります。 左側が開けていて、山並みを見渡すことができました。
368m峰
紐製の防護柵が設置された馬の背のようなを登っていきます。 左側に広がるを眺めながら登っていきます。 次第にが増してくると、再びジグザグに曲がりながら登るようになります。 何度か曲がりながら急な尾根を登っていくと、僅かな高みの左肩に着きました。 この先は少し左へ曲がって軽く降っているので、ここが地形図に載っている368m峰になるようです。 鞍部から22分ほどの所になります。 周囲は樹木に囲まれていて展望は良くありません。
軽く降って、その先に続く緩やかな尾根を進んでいきます。 僅かな起伏があったりアセビが茂っていたりもしますが、緩やかで快適なが暫く続きます。 正面の右奥に見えてくるのは、目指す烏帽子山でしょうか。 少し進んでいくと右側が開けてきて、北東へ延びるが見えてきました。 と思われる山も見えました。 そんな山並みを眺めながら、馬の背気味の尾根を登っていきます。
尾根を更に登っていくと、尾根のに分かれていく道があります。 このまま正面の尾根も登れそうでしたが、を進んでみました。 右斜面を少し進んで左へ戻るようにして曲がっていくと、2分ほどでに出ました。 その先へ登っていくと、先ほど来の尾根が右側に良く見えました。 右下の方には送電線のも見えました。
引き続き、馬の背気味のを登っていきます。 少し登ってが広くなってくると、次第に傾斜が増してきます。 樹木などに掴まりながら登っていきました。 振り返ると、山並みが綺麗に見えました。 手前にある稜線は477m峰から北東へ延びる尾根で、 その一番低い所はゆずりトンネルの上にあるのようです。 地形図では「千原峠」となっていますが、ゆずり峠というのが正しいとする情報もあります。 その奥に連なっているのは、国道9号の北にある龍ヶ城方面の山々でしょうか。
次第に樹木に隠れていくを振り返りながら急坂を登っていくと、 尾根の肩にある僅かな高みに着きました。 鞍部から40分ほどの所になります。 高みには「二十六」と「四四」のがありました。 ここは市境尾根の少し北側になります。 ここで道が二手に分かれています。 両方には真新しい道標が立っていて、 は「梨木峠」、は「烏帽子山」となっています。 今登ってきた道には何も示されていません。 ここは右へ続く緩やかになった道を進んでいきます。
市境尾根
緩やかな尾根を1分ほど進んでいくと、少し降るようになります。 浅い鞍部に着いて、登り返していきます。 僅かなを越えて少し降っていくと、 左側にはごく浅いが広がってきます。 その右側に続くを登っていくと、左右に続く尾根が迫ってきます。
尾根に向かって真っ直ぐ登っていっても良いのでしょうが、 傾斜が急だったので手前から右へ曲がり、斜面を横切るように登っていきました。 アセビが生えるようになった辺りから尾根に出ると、傍の樹木には桃テープが巻かれていました。 ここが福知山市と丹波市の市境尾根になります。 鞍部から52分ほどで登って来られました。 (*)は、手前の分岐から分かれてきた道と合流して、梨木峠へ降っていくようでした。
*後日に左の尾根を歩きました。 (「烏帽子山」を参照)
に山並みを眺めながら、歩き易い尾根を進んでいきます。 僅かに降ってから登っていきます。 次第に傾斜が増してくる尾根を右・左と曲がりながら登っていくと、少し傾斜がに出ます。 そこから再び傾斜が増した尾根を登っていくと、なだらかになった尾根に着きます。 市境尾根に出た所から8分ほど、鞍部から1時間ほどで登って来られました。 登り着いた所は烏帽子山の山頂部の南東端で、分岐になっています。 脇にはが立っていて、 左へ降っていく急坂(*)は「青垣いきものふれあいの里」、 右の緩やかな尾根は「烏帽子山山頂」、今登ってきた尾根は「梨木峠」となっています。 道標の袂には赤プラ杭2本と石杭がありました。 ここは右へ続くを進んでいきます。
*後日に左の尾根を歩きました。 (「烏帽子山」を参照)
烏帽子山 (標高512.4m)
なだらかな山頂部を進んでいくと、のような所が2ヶ所あります。 そられを過ぎていくと、手前の分岐から2分ほどで烏帽子山の山頂に着きます。 中ほどには「烏帽子山山頂」のが立っていて、その袂には角の取れた三角点があります。 等級は確認できませんでしたが三等三角点「烏帽子山」で、地形図に載っている512.4m峰になるようです。 丹波市側から見るとその名が示す烏帽子の形をしていますが、 福知山市側からは富士山の形をしているので、丹波富士の愛称でも呼ばれているようです。 傍には「烏帽子山古城跡」と刻まれたもありました。 かつて山城があった所のようです。
烏帽子山古城跡
悠遠の 荒れ果つ城跡や 夕日秋
えぼし城 へいげい山河 春浅く
昭和四十七年句 芦田弘夫
山頂の右側の樹間からはが見えました。 左側は雑木が邪魔をして眺めは今ひとつでしたが、山並みが広がっていました。
残雪のある山も見えましたが、 電波塔が幾つか立っていて山腹を横切る道路も見えるので、方角からするとでしょうか。 丁度昼時になったので、手頃な切り株に腰掛けて昼食タイムにしました。
お腹も満ちたところで、烏帽子山から下山していきます。 同じ道を引き返すのは面白くないので、この北西にある鞍部の辺りから東側の谷筋に通る林道へ降りることにしました。 緩やかな山頂部の先へ進んで、その先に続く急なを降っていきます。 段差になったのような所を過ぎていくと、少し傾斜が緩んで歩き易い尾根になってきました。 正面に477m峰の左右に延びる稜線が見えてくると、降り傾斜が少し増してきます。
ひと降りすると傾斜が少し緩んできます。 先ほど来のを右に眺めながら降っていきます。 緩やかなを進んでいくと登り坂になってきます。 尾根をひと登りすると高みに着きます。 標識類は見かけませんでしたが、地形図によると、烏帽子山の西北西200m辺りにある標高460mほどの高みになるようです。 烏帽子山から8分ほどの所になります。 周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
降り口
高みを越えて降っていきます。 大きなを乗り越えたりしながら降っていくと、 傾斜が緩んで歩き易いになります。 少し傾斜が増してきた尾根を更に降って、一段と降り傾斜が増す手前の尾根の肩のような所まで来ると、 尾根の中ほどに黄テープが取り付けられていました。 烏帽子山から12分ほどの所になります。 周囲を覗っていると、黄テープの所から右へ戻るようにが続いていて、支尾根も延びているようでした。 黄テープの傍には「山頂」のがあって、今降ってきた尾根を指していました。 右から登ってくると正面に見える向きに設置されていました。 このまま尾根を真っ直ぐ進んでいくと477m峰に着くようですが、ここで右へ曲がっていきました。
支尾根のを横切るようにして降っていくと、すぐにに出ます。 軽く登ってから降っていくと、僅かな鞍部に着きます。 先ほどの道標から3分ほどの所になります。 中ほどには「烏帽子ヶ岳」のが立っていて、今降ってきた尾根を指しています。 ここから右前方へが分かれて降っています。 道標は右の踏み跡から見えるように立っているし、踏み跡の先に桃テープも見えたので、右に分かれていく踏み跡を降っていきました。
谷筋
雑木林から植林地へ入っていくと、踏み跡の分岐があります。 左右を覗っていると、右へ戻るようにして続く踏み跡に桃テープが取り付けられていたので、 ここはを降っていきました。 植林地を抜けての斜面を横切るようにして降っていくと、 細い沢が流れる浅いに出ました。 脇の樹木には桃テープが巻かれていました。 左へ曲がって、谷筋を流れる沢沿いに降っていきます。
踏み跡が消えて、どこを歩けば良いのか分からなくなりましたが、谷筋は浅くて谷幅も広くはないので、 沢に添って中ほどを降っていきました。 を渡って左岸を進み始めると植林地に入っていきます。 そのまま谷筋を進むと窮地になりそうなので、左側にある僅かなへ登っていきました。 尾根の背に出て僅かなを越えていくと、尾根の左側へ降っていく明瞭な道が現れました。
林道終点
尾根の左側に続く明瞭な道を降っていきます。 少し左へ降りて植林地のを降っていくと、 はっきりした雑木林のに出ました。 尾根の背を真っ直ぐ進んでいくと、戻るようにして降っていく道が現れます。 その道に入って植林地の斜面を降っていくと、林道終点に降り立ちました。 降り立った所には「烏帽子ヶ岳」のがあって、今降ってきた道を指していました。 降り口から16分ほどで降りて来られました。
右にある埋設された土管の上を過ぎて、その先へ続くを降っていきます。 崩落していたりU字形に窪んでいたりする所を過ぎていくと、 右・左とに曲がりながら降るようになります。 僅かに水が流れるを右へ曲がっていくと、 水の流れで深いが入っていたり倒木もあって、今ではあまり使われていない様子でした。 建設された当初はいざ知らず、現状では車の通行は不可能な状態です。 歩くのにも注意が必要な所がありました。 そんな所を過ぎていくと、落ち着いた道になります。
谷筋
左へ曲がって小さな谷筋に着いて、道なりに曲がりながら進んでいきます。 の傍を過ぎていくと、大きめの谷筋に降り立ちます。 降り立った所も道が崩れていました。 辺りにはのある木が幾本か生えていました。 うっかりしていて服に刺さってしまい、痛い思いをしながらやっとの思いで外しました。 腕で安易に枝を払い除けたりしないよう、要注意であります。
左へ曲がって、沢沿いに続くを降っていきます。 には心地よい音を響かせながら水が流れていました。 神上川の源流域の流れになります。 歩き易くなった道を進んでいくと、次第にが広がってきます。 沢の向かい側にはの所がありますが、耕作されくなった棚田でしょうか。 薪が積まれた所まで来ると、道端に「烏帽子ヶ岳」のが立っていて、今降ってきた林道を指していました。
下戸配水池
護岸された神上川沿いに続くを進んでいくと、 福知山市上豊富簡易水道の下戸配水池があります。 林道終点から34分ほどで降りて来られました。 ここから先はになります。
下戸地区
埋設された太い鉄管を通って道の左側を流れるようになった神上川に沿って、 に続く舗装路を緩やかに降っていきます。 神上川が左へ遠退いていくとが現れます。 手元の地図によると、この辺りは小牧地区の中でも下戸地区というようです。 左へ分かれていく道を見送っていくと、民家の傍に「烏帽子山古城の記」と題した石碑がありました。 読み間違いしている文字があるかも知れませんが、碑文を載せておきます。 今回登った烏帽子山の山頂にあった山城に関する石碑のようです。
烏帽子山古城の記
この山城の歴史は室町初期と察するが古書に見えるのは後屋城主越前守
時家「蘆田荻野赤井一族」の持城として内藤氏との烏帽子山城攻防激戦
の頃である。その後、丹波を制覇した時家の子、黒井保月城々主赤井直
政に受継がれ保月城々砦群の一環として四方を睥睨し天然の秀麗と要害
要路に位置した極めて高い戦略重要拠点として戦国の世に備えられてい
た。おそらく戦乱急を告げた一時期、山頂では烽火天に舞い立ち城兵騎
武士、この細き山道を駆け往き陣馬蹄の響きがやまの谷間に活きづきし
を想う。然かして時は流れ天正四年、丹波攻略の秀光軍 中略
遂に天正七年、四年越の攻防に保月城とその傘下城砦命運盡き果て一族
郎党掃党され土着や四散した。茲に於て烏帽子山城も栄枯の歴史を秘め
て閉じ、爾来五百有幾星霜、風雪に荒れたれど山頂には二重の空濠を鮮
明に残し中腹より麓の渓流岩山一帯、城主の尾泉水にして五段弾き千両
の滝、三十尺城峰の滝、秘境に懸かりて景勝壮大な古城の山庭に昔日が
偲び見られる。そしてこの奥山や村里には馬隠し、陣庄、水の手、下城
戸等の地名を残し城主赤井直政秘伝の名薬、蓮翹湯を始め古物古文状の
数々を伝え、人、おとないもまばらなるこの幾山河の奥里野辺に源氏一
族郎党の興亡幾百年の流れたる深き由緒ゆかりを物語るものである。又
栄光の日は去り落城についえ去らんとする哀歌を残していつまでも私達
の心の奥の胸深く、黄金に輝く夢を奏で美しく彩り伝えんとしている。
    朝日さし夕日のあたる烏帽子根の
       み山うつぎ木の花かげに黄金千両埋めたり
           昭和四十七年文 施主 蘆田弘夫
左から道が合流してくる所まで来ると、角に「烏帽子山城跡へ一五粁」のがあります。 碑文からすると、今回降ってきた道はかつて山頂にあった山城への登城路だったようです。 石碑を過ぎていくと、左右に通る府道526号に出ます。 左側すぐの所を流れるようになった神上川には下戸橋が架かっています。 出口にはゆずりトンネル開通のがありました。
烏帽子山城跡へ一五粁
ものヽふの かよい路ふりて つヽじ燃ゆ
室町時代葦田五郎時家構築
蓮翹湯本家建之
あめつちの この行き止まり奥 地開かずば 吾は死ねずや 吾は死なずや
平成元年作 ゆずりトンネル貫通へ
推進委員長 芦田弘夫
貫き通さん 道は命なり
半世紀の願望完成
ゆずりトンネル 談夜久野線改修委員長 芦田弘夫
感謝永遠
京都府国土省
福知山氏夜久野町当局殿
大橋建府議関係者殿
平成十四年十一月
府道談役の線改修委員長
トンネル交流ふれあい推進会議議長
小牧地区
を東進していきます。 左へ分かれていく道を見送って、下戸小牧の境界を示すを過ぎていくと、 車を止めておいた駐車スペースがあります。 下戸配水池から18分ほどで到着しました。