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阿金谷地区
竹野駅(JR山陰本線)から県道1号を南下し、すぐに左折して竹野川に架かる松本橋を渡って県道9号を南下していくと、
「阿故の朝市」の板が掲げられたがあります。
今回はここを起点とします。
脇には「古墳遺跡の碑」と刻まれたがありました。
小屋の右側から奥へ続くがあり、道標「古墳群」がその道を指しています。
傍にはもありました。
右側の一段高い所には「阿故の森」の標識も立っていました。
ここから正面に見える尾根へ登っていきます。
小屋には「販売日は火曜日・金曜日です」と書かれた札が掲げられていました。
この日は金曜日でしたが、時刻が昼前だったこともあるのか、扉は閉ざされていました。
横には小さな駐車スペースがありますが、朝市の販売者や利用者向けのように思えました。
このあたりの尾根上には40基あまりの古墳があり、谷口古墳群・山崎山古墳群などが広がっています。
これらは墓穴の中に木の棺を置いて、元通りに土をかぶせた木棺直葬墳がほとんどです。
築造されたのは4〜5世紀頃と思われます。
またここには、山の斜面に横穴を掘って造る、北但馬にしかみられない横穴墳がありましたが、
半壊した1基しか残されていません。
阿金谷横穴墓群といい、副葬品だけが今でも大切に守られています。
(里山林整備事業)
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広めの道をひと登りしてに出ると、途端に道は不明瞭になります。
『歩き易い遊歩道が続いていれば良いが』という期待は早くも消え去りました。
どこを歩けば良いのかと思いながらも、正面のすぐ上に見えている尾根に向かって、小さな沢の脇の踏み跡を進んでいきました。
少し登っていくと、小さな沢にが架けられていました。
丸太を渡り、戻るようにして左側の斜面を斜めに登っていきます。
左側には竹野川に架かる阿金谷橋や川向こうのが広がっています。
平成25年ど 緑のふるさとづくり事業
平成25年11月25日
豊岡市竹野町阿金谷区 阿故の森を守る会
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阿故の森
付近まで来ると踏み跡は右へ曲がり、
へ向かって登っていきます。
不明瞭になる所もある踏み跡を辿りながら、何度か曲がって登っていくと、左右に通る尾根に着きました。
小屋から8分ほどで登って来られました。
傍にはオブジェのようながありました。
振り返るとが広がっていました。
右側の高みは312.0m峰の城山、その左は城山の南東300m辺りにある標高310mほどの高み、
その左奥にあるのは城山の南西800m辺りにある361m峰でしょうか。
麓にあった「阿故の森」の範囲はよく判りませんでしたが、この尾根の西側から南側にかけての範囲でしょうか。
尾根は左へも続いていますが、右へ向かって進んでいきます。
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右へ続くを緩やかに登っていきます。
登り着いた所は歩き易くなっていましたが、次第に細い木などが目立つようになりました。
笹竹が少し茂る所まで来ると、大きなが尾根を塞いでいました。
振り返ると、先ほど登ってきた斜面に続く踏み跡が良く見えました。
地形図には、東側の谷筋からこの辺りへ登ってくる破線の道が描かれていますが、この時には気が付きませんでした。
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倒木を過ぎていくとになります。
もはや踏み跡も見かけなくなりますが、尾根が分岐している訳ではないので、迷うことはありません。
尾根の上には古墳群があるとのことでしたが、何処が古墳なのかは良く判りませんでした。
少し段差のある所を左側から登って緩やかな尾根の背に出るとが生えていました。
その先へ続くには細い木や笹竹などが少し生えていて煩わしくありますが、
進路を妨げるほどではないのは幸いでした。
尾根には赤や黄の短杭が点々と設置されていました。
雑木林に変わると、細い木などが減って少し歩き易くなりました。
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分岐
の尾根を快調に進んでいきます。
少し登り坂になってくると、尾根のから巻くようにして進んでいきます。
尾根の背に出て進んでいくと、再びになります。
細い木などが少し生える尾根を進んでいきます。
樹木が少なくなった少し明るい所に出ると、右側に木製のがありました。
尾根に登り着いた所から11分ほどの所になります。
標識類は見かけませんが、右の階段を登ってきて正面の尾根に続く道は、
石原神社から続く地形図に載っている破線の道のようです。
石原神社は最後に訪ねるとして、先ずは正面に続く明瞭になった道を進んでいきました。
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分岐
正面のの尾根に続く道を軽く登っていきます。
1分ほど進んでいくと分岐があります。
脇にはが立っていて、
左前方へ登っていく道は「愛宕さん」、左へ緩やかに続く道は「金亀院・両界院」、
今来た道は「石原神社」となっています。
どちらの道を進んでも良いのですが、愛宕さんへ向かって、を登っていきました。
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植林地の斜面を登っていきます。
右・左・右と曲がりながら登って次の左への曲がり角まで来ると、
冬枯れの樹間からが見えました。
左・右と曲がりながら更に登っていくと尾根の背に出ます。
右からはが登ってきていましたが、何処から登ってくるのかは判りませんでした。
標識類は見かけないので、今回のルートを降る時には、登ってきた道を見逃してその踏み跡を降っていきそうに思えました。
道なりに左へ曲がって、雑木林になったを登っていきます。
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次第に広がってくる雑木林のを登っていきます。
松の木が混じるようになると、正面にが近づいてきます。
尾根の幅が更に広がって斜面状になった所を登っていくと、正面に鳥居や東屋が見えてきました。
右へ曲がりながら、少し不明瞭になってきた道を辿りながら登っていくと、
右から登ってくるに出ました。
出た所には標識類は見かけないので、ここでも今回のルートを降る時には、登ってきた道を見逃して、
右の明瞭な道を降っていきそうに思えました。
ここは左のすぐ先に見えているへ向かっていきます。
右へ降っていく道の行く末を確かめるべく、試しに歩いてみました。
かなり傾斜の急な道が曲がりながら続いていました。
植林地の谷筋を降るようになると踏み跡程度になりましたが、
ここから10分ほどで鋳物師戻峠へ続く県道9号のに降り立ちました。
同じ道を息を弾ませながら14分ほどで登ってきました。
ルート図には緑色の線で示しておきます。
(この時間は所要時間に含めず)
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東屋
坂道を僅かに登っていくと、左右に通るに出ます。
金亀院・両界院への分岐から10分ほどで登って来られました。
登り着いた所にはが立っていて、右の道は「山頂あずまや・奇岩・鋳物師戻の道」、
左の道は「金亀院・両界院」、今来た道は「石原神社」となっています。
出た所に建つ東屋からは、竹野の街並みや猫崎半島などを見渡せるが広がっていました。
東屋には、里山林整備事業の解説板が立て掛けられていました。
このあたりは、植物社会学的にはスダジイ−トキワイカリソウ群集、スダジイ林に区分されます。
スダジイは葉の裏が灰褐色の常緑の高木で、果実は秋頃に成熟し生で食べることができます。
また、草本植物のトキワイカリソウは春なるとその名の由来にもなっている船のいかりに似た、
紅紫色もしくは白色のかわいらしい花をつけます。
(里山林整備事業)
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愛宕さん
右側に立つ石製のをくぐっていくと、すぐ先の所に神社があります。
ここが愛宕さんになるようですが、扁額は掲げられておらず、由緒を記したものも見かけませんでした。
社殿の左右からその先へと道が続いています。
には「山頂あずまや・奇岩・鋳物師戻の道」、
には「鋳物師戻の道」の道標が立っています。
右の道は鋳物師戻峠へ続き、左の道は鋳物師戻の道の途中へ降りて行かれますが、
今回は引き返して、北西にある観音寺へ降ることにしました。
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まで引き返してきて、道標「金亀院・両界院」に従って、
東屋の先に続くを降っていきます。
右側になどを眺めながら降っていくと、程なくして枕木の階段が現れます。
枕木がなくなって土が階段状に削られたような所も結構あり、自然石の階段も所々にあります。
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途切れながら続く枕木の階段は愛宕さんのになっているようで、しっかりとして歩き易くなっています。
右・左と何度か曲がりながら降っていくと、
やがて下の方に金亀院・観音寺・両界院のが見えてきます。
が見える角を曲がり、
間近に見えてくるへ向かって降っていきます。
両側に生える大木に渡された注連縄を過ぎると、境内に降り立ちます。
愛宕さんから10分ほどで降りて来られました。
脇には道標「愛宕さん」が立っていて、今降ってきた道を指しています。
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観音寺
降り立った所の右側にある広いを降っていくと、
右側にはなどが並んでいました。
左側には「但馬西国第丗三番 荊木山観音寺」の表札が掛かる観音寺があります。
かなり年期の入ったお堂ですが、謂われなどを記したものは見かけませんでした。
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右にあるコンクリート道を降って舗装路に降り立つと、右側にがありました。
傍には「長寿の水」と刻まれた石柱もありました。
左側はになっていて、
奥の方に「荊木山アメニティロード案内図」と題したがありました。
その先へ進んでいくと、右側にがあります。
謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、
山門には「高野山真言宗 荊木山 両界院」、「但馬西国第三十二番 納経所」の表札が掛かっていました。
左の石段の上にがあります。
こちらも謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、
入口には「高野山真言宗 荊木山 金亀院」の表札が掛かっていました。
観音寺・両界院・金亀院と寄り添うように建っていますが、これらの関連はよく判りませんでした。
荊木山アメニティロード案内図
面積約51haを有するこの森林は、アカマツ林、スギ林、ヒノキ林、スダジイ林、コナラ林、竹林など、
古くより薪炭林や植林地として人々に利用されてきた「里山林」が広くみられます。
一方、金亀院、愛宕さん、石原神社といった社寺の周辺を中心にスダジイ林が残されているなど、
多様な植生を観察することが出来ます。
また、この森林は最高標高が325mであり、場所によっては日本海や羽入の街並みが一望でき、豊かな景観を楽しめます。
竹林では、まっすぐに生長した竹の神秘的な美しさを鑑賞するとともに、
春にはたけのこ刈りを楽しむこともできます。
また、金亀院までの車道沿いには、ヤマザクラ、ヤマボウシが植栽されており、
春から夏にかけて美しい花を観賞することができます。
この森林周辺には7本の遊歩道が整備されていて、このように多様な自然を身近に感じていただくことができます。
【”ひょうご豊かな森づくり構想”に基づく里山林整備事業】
この区域は、地域の皆さん方のご協力のもと、景観や多様な動植物を保全し、保健や森林学習の場に活用するため、
県内の林地を開発した方々の協力金により、森林の整備や歩道の開設などを行いました。
(平成11年3月 兵庫県・竹野町・兵庫県森と緑の公社)
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観音寺の右側にはがあります。
入口には「鋳物師戻峠 大岩 但馬のお宝百選」と書かれた真新しいが立っています。
どちらを指しているのかよく判りませんが、愛宕さんへ続く左側の石段を指しているものと思われます。
今回は右側の小径を進んでいきます。
三つ並んだを過ぎていくと、
を過ぎた所に「町指定文化財 石造宝篋印塔」の標識が立っています。
そこから戻るようにして左へ進んでいくと、すぐの所に宝篋印塔などが並んでいました。
刻まれた文字などによると、先ほどの寺院の住職やご家族の墓のようでした。
町指定文化財 石造宝篋印塔
所有者 観音寺
指定年月日 昭和56年…
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元の小径に戻ってその先へ進んでいくと、すぐにがあります。
右側にはがあって、その周りを多くの墓石が取り囲んでいました。
管理する人が居なくなった墓石を供養する所なのでしょうか。
左側の墓地の脇から続く山道を進んでいきます。
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分岐
の斜面を横切るように進んでいくと、軽く登るようになります。
に変わった斜面を進んでいきます。
僅かに降ってから登り坂になった道を進んでいくと、先ほど愛宕さんへ登っていった分岐に出ます。
脇に立つ道標「石原神社」に従って、を緩やかに降っていきます。
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分岐
に続く道を緩やかに1分ほど降っていくと分岐に出ます。
観音寺から10分ほどの所になります。
左側には木製のがあり、
は阿故の森から来た道になります。
左の樹間からはが少し見えました。
標識類は見かけませんが、正面の尾根は踏み跡程度なので、降ってきても誤って直進することはないように思われます。
ここは左の階段を降っていきます。
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10数段の階段を降って、続く道を進んでいきます。
左前方の樹間からは、が見えていました。
緩やかに続く道を3分ほど進んでが少し茂る所まで来ると、道は左へ折れ曲がっていきます。
広めながらも倒木があって、少し荒れ気味の道を降っていきます。
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右へ折れ曲がっていくと、再びがありました。
越えたりくぐったりして通過して左下にが見えてくると、道は左へ折れ曲がっていきます。
程なくしての真上に出ますが、道は神社から離れるようにして真っ直ぐ降っていきます。
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石原神社
再びなどが茂るようになって幅も少し狭くなった道を降っていきます。
道なりに右へ折れ曲がって、の所を慎重に通過していきます。
幅が広がって歩き易くなった道を降っていくと、小広くなったに降り立ちました。
右側には、先ほどから見えていた本殿と拝殿から成る神社があります。
扁額は掲げられておらず由緒を記したものも見かけませんでしたが、これが石原神社になるようです。
観音寺から18分ほどで降りて来られました。
降り立った所には道標が立っていて、今降ってきた道は「愛宕さん」となっていました。
脇には小社を祀ったがありました。
名札が4つ掲げられていて、左から稲荷社・権現社・三宝荒神社・十二社権現となっていました。
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社殿の左側を過ぎていくと、幅の広いが左へ降っていきます。
左・右とクランク型に折れ曲がって石段を降っていくと、石原神社から1分ほどで鋳物師戻峠へ続く県道9号に降り立ちます。
その手前には大きながありました。
表面には「式内神社 阿古谷神社 由来之碑」と刻まれ、裏面にはが刻まれているようでした。
誤読している文字があるかも知れませんが、碑文を載せておきます。
無学のため良くは理解できませんが、現在の石原神社はかつて阿故谷神社という名前だったようです。
今回歩いた阿故の森も、かつての記憶を今に残す名前なのでしょうか。
側面にはのようなものが刻まれていましたが、達筆すぎて読めませんでした。
式内神社 阿故谷神社 由来之碑
太古出雲国土師連祖吾笥命之部■阿古氏人率部■来干美含
郡阿故谷作清器氏人杞阿居王「吾笥」於阿故谷丘申阿故谷神社
美含郡司日下部良氏祖彦湯支命祀阿故谷丘
阿故谷神社神殿為二社造
旧阿故谷村有志再建
聖武帝発見金鉱注進国司命郡司矢田部連守柄
採掘故改阿故谷云阿金谷
阿故谷神社於阿故谷大明神−妙見大権現−今云石原神社
古来近郷有崇敬者多田畑奉納者
(「■」は「尸」に「虫」と書きます)
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道路の右前方に、丸まったがあり、そこから下へと石段が降っていました。
狛犬を過ぎて石段を降っていくと、広いのような所に降り立ちました。
石灯籠の先には「石原神社」の扁額の掛かる真新しい石製の鳥居があり、
傍には「奉納 石原神社 氏子中」の幟がはためいていました。
かつてはここが神社の参道の入口で、上の社殿まで石段が続いていたのが、
県道9号の建設によって分断されたように思えました。
傍には「災害に強い森づくり」のがありました。
載っていた地図によると、石原神社の周辺の森も対象になっているようでした。
災害に強い森づくり(里山防災林整備)
〜県民緑税の活用〜 豊岡市竹野町阿金谷地区
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、
県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、
県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、
防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を進めています。
整備内容
集落の裏山を対象に広葉樹林などの森林整備を行い、里山防災機能を高めます。
また、森林の管理歩道は県道へ上がる近道になります。
(兵庫県・豊岡市・(公社)兵庫みどり公社)
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阿金谷地区
阿金谷川沿いに右へ進んでいきます。
左右に通る車道に出て右折すると、すぐにに出ます。
角には「羽入荊木山観音寺 両界院、金亀院 至」などのが立っています。
左を流れる竹野川に架かる阿金谷橋を見送って、県道9号沿いのを北上していきます。
歩道が終わる所にある横断歩道を渡って道路の右側を進んでいくと、最初の「阿故の朝市」の小屋がある所に着きます。
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