たかのすの森
概 要 たかのすの森は香美町香住区の余部地区と鎧地区に広がる森です。 余部地区と鎧地区を結ぶかつての生活道路が遊歩道として整備され、要所に道標や解説板が設置されて、分かり易くなっています。 今回は余部地区から尾根を越えて鎧地区へと降るルートを歩きます。
起 点 香美町香住区 餘部駅
終 点 香美町香住区 鎧駅
餘部駅…余部地区…五反畑展望所…切通…展望地…峠…たかのす展望台…60m峰…サワリ鼻展望所…60m峰…たかのす展望台…峠…切通…鎧地区…鎧駅
所要時間 1時間30分
歩いて... 砕石が敷かれた広い道が続いていました。 それほど傾斜もなくて、かつての生活道路として使われていた往時を想いながら歩いていきました。 幾つかある展望地からは余部橋梁や日本海の海岸線などを眺めることが出来ました。 朝方は青空も覗いていましたが、時折霧雨が落ちてくる生憎の天気となったのが少し残念でした。
関連メモ 余部284m峰
コース紹介
餘部駅
餘部駅(JR山陰本線)から歩いていきます。
駅ホームの隣りには余部鉄橋「空の駅」があります。 架け替えられるまでのの一部が残された展望施設になっていて、 まで歩くことができます。 この時の利用時間は「午前8:00〜午後7:00」となっていましたが、季節等によって変わるのか、 差し込み式の数字板で表示されていました。
これより先は空の駅です。
 (兵庫県、香美町)
余部鉄橋「空の駅」展望施設のご利用にあたって(お願い、禁止事項)
展望施設をご利用される方は以下のことに留意、または厳守してください。
1. 展望施設のご利用時間(開門時間)は、入口門扉の表示をご覧ください。
2. 展望施設は、気象条件および現場状況により、閉鎖することがあります。
3. 閉鎖が間に合わない場合があります。強風等の悪天候時は展望施設への立ち入りを控えてください。
4. 展望施設内での飲食、大声で騒ぐ等の行為は禁止します。
5. 空き缶やゴミ等を捨てたり、絶対に物を投げたりしないでください。
6. 門扉や柵等には絶対に手をかけたり上ったりしないでください。
7. 施設を破壊したり、落書き等をしないでください。
8. 突風の恐れがありますので、帽子・ストール・傘などは飛ばされないように留めるか使用しないでください。
9. 路面が滑る恐れがありますので、展望施設内で走らないでください。
10. その他、近隣住民や他の利用者に迷惑のかかる行為一切を禁止します。
上記に違反したとき、違反するおそれがあると認められたときは、展望施設の利用を制限または禁止します。 上記に違反し、第三者に被害を与えた場合、また利用者に損害が生じても、責任は一切負いません。
 (「空の駅」展望施設管理者 香美町)
駅ホームから斜面に続くコンクリート舗装路を降っていきます。 左・右と折れ曲がりながら降っていくとがあります。 脇にある標識によると、正面の道は「鉄橋下・P」、左へ戻るようにして降っていく道は「西区方面」、 今降ってきた道は「余部駅へはこちらの通路をお通り下さい」となっています。 傍には「ありがとう余部鉄橋 余部観光協会 観光マップ」と題したもあって、 今回歩く道が「鷹の巣の森遊歩道」として載っていました。 正面の道を進んで坂道に出て、左へ曲がって間隔の広い階段を降っていきます。 次の分岐を右へ曲がっての下を過ぎていくと、 「開設記念」と刻まれた石柱と「餘部駅の開設」と題した解説板がありました。
餘部駅の開設
余部鉄橋が完成しても、余部地区の住民には恩恵がなかった。 三方を山で囲まれた"陸の孤島"余部。 外部との行き来は、相変わらず車も通らない山越え道。 余部には駅がなかったのである。 人々は汽車に乗るため、高く長い鉄橋を歩いて渡り、4つのトンネルを抜けて鎧駅にたどり着くという状況であった。 不便な生活を解消するため、余部地区の住民は昭和30年頃から国鉄総裁などに駅の設置を強く陳情。 余部小の児童も当時の阪本勝知事に手紙を書いた。 その結果、33年9月に知事が現場を視察、ついに餘部駅の設置が承認された。 駅の建設工事が始まると、余部の子供たちも海岸から岩石を運び上げ、ホームなどを作る手伝いに精を出した。 余部鉄橋完成から実に47年目の昭和34年4月、立派な餘部駅が誕生した。
右の石碑は、阪本勝知事が駅の開設を記念して揮毫したものである。
戻るようにして坂を降っていくと、が立ち並ぶ所に降り立ちます。 「余部鉄橋「空の駅」展望施設」のや「余部橋りょう」の解説板などがあって、 「空の駅」展望施設は延長82m、高さ約40mとなっていました。 道路を横切っていくと、壁面に「わたしたちのふるさと「あまるべ」」と題した香美町立余部幼稚園児・小学校児童によるがずらりと掲示されていました。 それらを眺めながら進んでいくと、壁が途切れた所に「山陰海岸ジオパーク あまるべ」と題したがあり、 今回歩くたかのすの森も載っていました。 国道178号まで出ると、右側に道の駅あまるべがあります。
余部鉄橋「空の駅」展望施設
明治45年の完成から約100年間、JR山陰本線の運行を支えてきた余部鉄橋。 平成22年8月、新しくコンクリート橋に架け替えられましたが、JR餘部駅側から3本の橋脚は現地保存され、 余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わりました。 地上高約40mの浮遊感や日本海の美し眺めをお楽しみください。
餘部鉄橋
この鉄橋は明治45年(1912)3月1日開通で、建築様式はトレッスル式、2年の歳月と33万1千円の巨費、 延べ25万人の人夫を投じて完成されました。 (鉄橋の試運転日は明治45年1月28日) 高さ41.50m、長さ309.41mの規模は当時東洋一のデビューで、現在トレッスル式鉄橋では日本一の規模を誇っている。
土木学会田中賞受賞 余部橋りょう
明治45年(1912)の完成から約100年間、山陰地方の鉄道輸送を支えてきた旧余部橋りょう(鋼トレッスル橋)に代わり、 平成22年(2010)に現在の余部橋りょうが完成しました。 「直線で構成されたシンプルな美しさ」「風景に溶け込む透明感」をコンセプトとした景観美や、 厳しい自然条件に対する耐久性と安全性を両立させた設計、さらには今回用いられた過去に例を見ない施工方法が、 今後の橋梁光学に発展に大きく寄与すると認められ、平成22年度土木学会田中賞(作品部門)を受賞しました。 田中賞は昭和41年(1966)に創設され、橋梁工学に関する優秀な業績に対し、 土木学会の学会賞として授与されているものです。 賞の名称は、関東大震災の首都復興に際し 帝都復興院初代橋梁課長として隅田川にかかる名橋を生み出した故田中豊博士(1888〜1964)に由来しています。 田中賞の記念プレートを、余部橋りょうの2P橋脚(この看板の背後)の地上約5mの位置に取り付けてあります。
 (JR西日本旅客鉄道株式会社)
余部地区
長谷川に沿って国道178号を南下していくと、すぐの所にが架かっています。 傍には「余部・鎧 たかのすの森 案内図」と題したがあります。 今回はこの図に載っている遊歩道を歩きます。 「散策ルートと所要時間」によると、サワリ鼻展望所にも立ち寄るとして、ここから鎧駅まで1時間20分ほどかかるようです。 橋を渡ってすぐに右折していきます。 白いガードレールが途切れる所まで来ると道がに分かれていますが、 左側のコンクリート舗装された道を登っていきます。 民家の間の坂道を登って突き当たりまで行くと「たかのすの森の植生」と題したがあります。 その左にある車止めの先からが始まります。 『使って下さい』ということなのか、脇には木製や竹製の杖が何本も置かれていました。
余部・鎧 たかのすの森 案内図
現在地〜鎧駅まで約2.75km(約60分)
みどころ
◇遊歩道 鎧駅へつづくこの道は、かつては生活道として使用されていた道です。 途中には、日本海や余部橋梁を見渡せる箇所があり、景色を楽しみながら散策できます。
◇森林 かつての生活道路の周囲にあるため、過去に伐採等により利用されてきた森です。 但馬地域の海岸付近の自然林として典型的なスダジイの林と、伐採等の人為の影響を受けて成立した、コナラやケヤキ、アカマツの林があります。
「新ひょうごの森づくり」に基づく里山ふれあいの森づくり
この森では、地域のみなさまのご協力のもと、自然とふれあう里山林として活用できるように整備を行いました。 人が入りやすいように、不要な木の伐採や草刈を行って明るい森にし、遊歩道を整備しました。 また、ベンチ・案内ひゅおしき・展望台を設置して、散策や環境学習などに利用できるようにしました。 手入れされた明るい森林は、さまざまな生物の生息の場にもなります。
 (平成22年3月 兵庫県 香美町)
たかのすの森の植生
ここから展望所へ至る道沿いの植生は、ふもと付近はスダジイ主体の常緑広葉樹の林、 途中からはヒノキ(針葉樹)の人工林となっています。 坂道を登りきると、ケヤキなどの落葉広葉樹の林になります。 広葉樹は根元で幹が分かれているものが多くみられますが、 これは、かつて人によって伐採されたときに、株から新たに生えたいくつかの芽がそのまま伸びて大きくなったためです。 主要な樹木には名札を付けていますので、確認してみてください。
遊歩道には砕石が敷かれ、広くて緩やかな道になっていました。 1分ほど登っていくとがあります。 角にはが立っていて、右へ折れ曲がっていく道は「五反畑展望所0.65km・鎧駅2.5km」、 今来た道は「余部集落0.15m・餘部駅0.6km」となっています。 正面にも踏み跡が続いていますが、地形図に載っている破線の道のようでした。 道標の脇にはベンチが設置され、左側には余部橋梁などを眺められる景色が広がっていました。
右へ折れ曲がって、山側を削ったようなを登っていきます。 が少し茂る所を曲がっていくと植林地になってきます。 に左へ折れ曲がって登っていくと、 の下に「ヤマザクラ バラ科」の小板が設置されていました。 この先にかけても点々と見かけましたが、 先ほどの解説板に「主要な樹木には名札を付けていますので…」と書かれていた名札のようです。 先ほどの道標から5分ほど進んでいくと、道は右へ折れ曲がっていきます。 角にはが立っていて、右へ折れ曲がっていく道は「五反畑展望所0.45km・鎧駅2.3km」、 今来た道は「余部集落0.35m・餘部駅0.8km」となっています。
道標に従って、折れ曲がって登っていきます。 が露出した脇を過ぎて、も混じる植林地の斜面を緩やかに登っていきます。 かつての生活道路とのことで、これなら大八車も通れたであろうと思いながら進んでいきました。 折れ曲がって更に登っていくと、また右への曲がり角があります。
五反畑展望所
道なりに折れ曲がり、展望の利かない植林地の斜面を登っていきます。 「ヤマナシ バラ科」の名札のある角を折れ曲がっていきます。 斜面を横切るようにして続く道を登っていくと、右へ折れ曲がる所にベンチが設置されています。 脇に設置された解説板によると、ここが五反畑展望所になるようです。 五反畑橋から18分ほど登った所になります。 左の樹木が少し切り払われていて、を眺めることができました。 も良く見えました。
五反畑展望所
眼下に見える余部橋梁(余部鉄橋)は、明治45年に完成しました。 これにより、当時計画されていた、山陰本線 京都〜出雲今市(現在の出雲市)間が全通しました。 なお現在の山陰本線(京都〜幡生間)が全通したのは昭和8年のことでした。 余部橋梁はこれより先の、サワリ鼻展望所(約0.95km・30分)においても見ることができます。
切通
道なりに右へ折れ曲がっていきます。 地中から頭を出したを過ぎていくと、 左側のが次第に低くなってきます。 正面が明るくなってくると、少し左へ曲がった所にがあります。 尾根を越えて左斜面に出るとベンチが設置されていました。 五反畑展望所から3分ほどの所になります。 正面の山並みの先には僅かにが見えました。 ベンチの傍には道標が立っていて、右へ続く道は「たかのす展望台0.55km・鎧駅1.75km」、 今来た道は「余部集落0.9m・餘部駅1.35km」となっています。 左の僅かな高みへ続く踏み跡もあるようですが、道標に従って右の広い道を進んでいきます。
展望地
左側の樹木が疎らになってきて、樹間から日本海を眺められるようになります。 の海岸線などを眺めながら進んでいくと、 「余部地域について」と題したが立っていました。 左側が開けていて、日本海を望む眺めが広がる展望地になっていました。 先ほど来のも綺麗に見えました。 解説板にある余部埼灯台も僅かに見えました。 脇にはが立っていて、この先の道は「たかのす展望台0.35km・鎧駅1.55km」、 今来た道は「余部集落1.1m・餘部駅1.55km」となっています。
余部地域について
餘部駅と鎧駅周辺の地区は、昭和中期までは城崎郡余部村と呼ばれていました。 この中には、余部橋梁周辺と鎧駅周辺の集落のほか、ここから見える御崎地区も含まれていました。 御崎地区は平家伝説の地であり、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一員が日本海を漂流してこの地に土着したと言われています。 御崎地区には、伊笹岬という岬に余部埼灯台があります。 この灯台は光点までの海抜が日本一と言われています。 余部集落と鎧駅を結ぶこの歩道は、鉄道が敷設される以前は、生活道路として、余部〜鎧の間をつないでいました。 鉄道ができた当初は現在の餘部駅はなく、余部の人々は鎧駅まで歩いて行き、列車に乗っていたとのことです。 そのころは、この道よりも鉄道のレールに沿って歩いた方が早かったようです。
左に広がるなどを眺めながら、緩やかに続く道を登っていきます。 次第に右側の尾根が低くなってくると、ベンチが設置されたに着きました。 先ほどの展望地から5分ほど、五反畑展望所から16分ほどで登って来られました。 脇にはが立っていて、左の緩やかなな尾根に続く道は「たかのす展望台 もうすぐ・サワリ鼻展望所0.35km」、 峠の先へ続く道は「鎧駅1.25km」、今来た道は「余部集落1.4km・餘部駅1.85km」となっています。 別の道標「丹生野三角点0.9km」もあって、右の尾根に続くを指していますが、 すぐ先に見えるたかのす展望台へ向かってを進んでいきました。
一般的に「」とは道が稜線を越えていく場所を指し、 山頂を越えていく峠・鞍部を越えていく峠・斜面を越えていく峠などがあるようですが、 この場所は「斜面を越えていく峠」になるでしょうか。
たかのす展望台
緩やかな尾根に続く広い道を1分ほど進んでいくとたかのす展望台に着きます。 五反畑橋から36分ほどで登って来られました。 傍には「松ヶ崎百層崖」と題した解説板も設置されていました。 木組みの展望台に登ってみると、山並みなどをぐるりと見渡せる眺めが広がっていました。 曇っていたのが少し残念ですが、北から時計回りに写した写真を載せておきます。
や、 解説板にあるも良く見えました。
松ヶ崎百層崖(まつがさきひゃくそうがい)
ここから見える要塞のような岩壁は、松ヶ崎百層崖と呼ばれています。 これは地殻変動により地盤が上昇した陸地が、波によって浸食されて形成された崖で、海食崖と呼ばれています。 この百層崖の岩盤は、堆積物によって形成されたもので、特に砂岩層の白と泥岩層の黒の地層が、 交互に幾十にも重なり合って形成されていることが特徴です。
60m峰
サワリ鼻展望所に向かって、解説板の先に続くを進んでいきます。 これまでの広い道から若干狭くなりますが、一般の山道よりは広めの道が続いていました。 道の両側にが茂る道を軽く登っていくと、ベンチが設置された僅かな高みに着きます。 左側には緩やかなが広がっていました。 この場所を示す標識類は見かけませんでしたが、地形図に載っている60m峰になるようです。 ベンチの脇にはが立っていて、この先へ降っていく道は「サワリ鼻展望所(この先 足元にご注意)」、 今来た道は「鎧駅1.4km・余部集落1.55km」となっています。
笹竹の茂る所を軽く降って、緩やかなの尾根を進んでいきます。 60m峰から1分半ほど進んでいくと、降り傾斜が増してきます。 が張られていましたが、特にロープに掴まらなくても楽に降れました。 ベンチが設置された所まで来るとが立っていて、 少し左へ曲がって降っていく幅の広い横木の階段は「サワリ鼻展望所 もうすぐ(足元にご注意ください)」、 今来た道は「鎧駅1.55km・余部集落1.7km」となっています。
サワリ鼻展望所
かなり傾斜のあるを降っていきます。 大きなが生えた大木の間を抜けて更に降っていくと、 ベンチが設置された所で行き止まりになっています。 脇には「サワリ鼻展望所」と題した解説板が設置されていました。 ここがサワリ鼻展望所になるようです。 たかのす展望台から6分ほどで着きました。 正面が開けていて、を見下ろせる眺めが広がっていました。 も良く見えました。
サワリ鼻展望所
余部橋梁を含む、山陰本線香住〜浜坂間の鉄道敷設工事の難所となったのが、ここから見える余部橋梁と、 その奥の町境にある桃観トンネルの工事でした。 このトンネル宇は当時の山陰本線の中では最も長いものでした。 現在の山陰本線の中で最後に開通した須佐〜宇田郷間(山口県)においても、 余部橋梁と同じく海岸近くに作られた惣郷川橋梁があり、また長いトンネルも作られています。 山陰特有の厳しい地形を克服した難工事を経て、山陰本線は開通しました。 余部橋梁が鉄橋であったのに対し、惣郷川橋梁は鉄筋コンクリート橋となりました。 余部橋梁の着工の時代は、まだ鉄筋コンクリートの技術が発達していなかったとのことです。
60m峰
を引き返してきます。 を登り終えて、が張られた尾根を登っていきます。 緩やかになった雑木林を進んでいくと、笹竹の茂る60m峰に着きます。
たかのす展望台
軽く降って緩やかに登り返していくとたかのす展望台に着きます。 先ほどよりも雲が厚くなってきて、時折霧雨も落ちてくるので、展望台からの眺めは確認せずに通過しました。
広くて緩やかな尾根を真っ直ぐ進んでいくと、余部地区鎧地区を結ぶ遊歩道が通るに戻ってきました。 往復20分ほどで戻って来られました。 正面に続く山道は見送って、左へ続く広いを進んでいきます。
五反畑橋の傍で見かけた案内板では、ここから丹生野三角点への道が描かれています。 道標も立っていることだし、遊歩道のように広くはないとしても普通の山道が明瞭に続いているものと思って探ってみました。 しかし、を抜けていくと、 すぐにが茂って藪漕ぎ状態になったので引き返してきました。 (これに要した時間は所要時間に含めず)
後日に丹生野三角点のある284.1m峰に登りました。(「余部284m峰」を参照)
切通
樹間から方面の海岸線を眺めながら、 緩やかに続くを進んでいきます。 少し左へ曲がりながら軽く登っていくと切通があります。 から2分ほどの所になります。 手前にはベンチがありました。 切通を過ぎた所にはが立っていて、 この先の道は「鎧駅1.1km」、今来た道は「たかのす展望台0.2km・余部集落1.55km」となっています。
に続く道を緩やかに降っていきます。 植林地を抜けて僅かな谷筋に差し掛かるとが立っていて、 この先の道は「鎧駅0.95km」、今来た道は「たかのす展望台0.35km・余部集落1.7km」となっています。 山側にはが流れていて、心地よい水音を響かせていました。
道なりに左へ曲がって、その先へ緩やかに続くを進んでいきます。 樹間から僅かにを眺めながら進んでいくと、右への曲がり角にベンチが設置されています。 から8分ほどの所になりますが、眺めはそれほど開けませんでした。 この時には倒木が道を塞いでいて、傍にあるに倒れかかっていました。 取り除こうと試みましたが、重くて動かなかったので、そのままにしておきました。 この先の道は「鎧駅0.75km」、今来た道は「たかのす展望台0.55km・余部集落1.9km」となっています。
になった道を緩やかに降っていきます。 右側の尾根が次第に低くなってくると、右への曲がり角にベンチが設置されています。 から12分ほどの所になります。 傍には「たかのすの森の植生」と題したが設置されていました。 またも設置されていて、この先の道は「鎧駅0.55km」、 今来た道は「たかのす展望台0.75km・余部集落2.1km」となっています。 ここからはされた道になります。
たかのすの森の植生
ここから展望台へ至る道沿いの植生は、この周辺に見られるアカマツの林とコナラやケヤキが主体となった落葉広葉樹の林が見られます。 ところどころにヒノキやスギの人工林が見られます。 人の手が全く入らなくなった場合は、落葉広葉樹やアカマツの林にはならず、 シイの木(スダジイ)を主体とした常緑広葉樹の林になります。 この道沿いはかつては人々が行き来していたことから、薪などの採取のために木々が伐採されてきたため、 伐採跡の荒れ地に生育しやすいアカマツや、伐採により明るくなった林に生育しやすい落葉広葉樹が優占してきているものと考えられます。 主要な樹木には名札を付けていますので、確認してみてください。
舗装されて、これまで以上に歩き易くなったを降っていきます。 少し明るくなった所まで来ると、道はヘアピン状に左へ曲がっていきます。 先ほどの道標から2分ほどの所になります。 その曲がり角の林の中にはが建っていました。
鎧地区
道なりに左へ曲がって、の斜面を降っていきます。 に右へ曲がって更に降っていくと、正面が開けてきて、 が見えてきます。 そのまま降って車止めを過ぎると、鎧地区の道路に降り立ちました。 から20分ほどで降りて来られました。 脇にはが立っていて、右の道は「鎧駅0.15km」、 今来た道は「たかのす展望台1.15km・余部集落2.5km」となっています。 ブロック製の祠に佇むお地蔵さんの隣には「余部・鎧 たかのすの森 案内図」と題したがありました。 内容的には五反畑橋の傍にあったのと同様ですが、案内図は180度回転した形になっていました。
余部・鎧 たかのすの森 案内図
現在地〜余部集落まで約2.6km(約55分)
みどころ
◇遊歩道 鎧駅へつづくこの道は、かつては生活道として使用されていた道です。 途中には、日本海や余部橋梁を見渡せる箇所があり、景色を楽しみながら散策できます。
◇森林 かつての生活道路の周囲にあるため、過去に伐採等により利用されてきた森です。 但馬地域の海岸付近の自然林として典型的なスダジイの林と、 伐採等の人為の影響を受けて成立した、コナラやケヤキ、アカマツの林があります。
「新ひょうごの森づくり」に基づく里山ふれあいの森づくり
この森では、地域のみなさまのご協力のもと、自然とふれあう里山林として活用できるように整備を行いました。 人が入りやすいように、不要な木の伐採や草刈を行って明るい森にし、遊歩道を整備しました。 また、ベンチ・案内ひゅおしき・展望台を設置して、散策や環境学習などに利用できるようにしました。 手入れされた明るい森林は、さまざまな生物の生息の場にもなります。
 (平成22年3月 兵庫県 香美町)
鎧駅へつづくこの道は…」の部分は五反畑橋の傍にあったのと同じ表記になっていますが、 こちら側では「余部集落へつづくこの道は…」とすべきところだと思われます。
鎧駅
右へ続くを進んでいくと、の集落に入っていきます。 集落は左側を通るJRの線路の下側にも広がっていて、線路で分断された形になっています。 民家の間を過ぎていくと鎧駅(JR山陰本線)があります。 車止めの所から3分ほどで着きました。
駅舎に掲示された「のんびりと海を見下ろす小さな町」と題したチラシによると、 毎年、端午の節句の頃、鎧漁港に約200mにわたって鯉のぼりが飾られ、 青い海をバックに潮風を受けて泳ぐ姿は爽快とのことです。 ホームに出ると、線路が撤去されて未使用になっている対面のホームへ続くがあります。 入口には「鎧港 絶景へのちかみち(地下道)」と書かれていたので、ちょいと行ってみました。 階段を降ってコの字に曲がり、階段を登って対面のホームに出ると、 眼下には鎧漁港鎧地区の集落を見下ろせる眺めが広がっていました。