概 要 |
牛ヶ峰山は新温泉町と岩美町の境にある標高712.8mの山です。
登山口から山頂手前の牛ヶ峰神社まではしっかりとした道が続いています。
山頂からの展望は得られませんが、途中の尾根からは山並みを眺められます。
今回は県道262号から内山地区を経て越坂地区へ向かい、集落の奥から始まる登山道を往復するルートを歩きます。
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起 点 |
新温泉町 越坂地区
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終 点 |
新温泉町 越坂地区
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越坂地区…登山口…鳥居…展望地…牛ヶ峰神社…牛ヶ峰山…牛ヶ峰神社…展望地…鳥居…登山口…越坂地区
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所要時間 |
1時間30分
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歩いて... |
かつては牛も登ったという道はしっかりと続いていました。
蒸し暑い季節とあって止め処もなく汗が噴き出てくるので、
何度も立ち止まって汗を拭い呼吸を整えながら、ゆっくりと登っていきました。
牛ヶ峰神社から山頂までの道には笹竹が少し生えていましたが、歩き難くはなくて、迷うこともなく歩けました。
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関連メモ |
牛ヶ峰山
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越坂地区
新温泉町を通る国道9号の出合橋交差点から南西に進み、千谷大橋を渡った所から南へ分かれていく県道262号に入っていきます。
角にあるの前には
「」がありました。
この図に載っている「越坂」へ向かっていきます。
まで来ると、右へ分かれていく坂道があります。
電柱に取り付けられた「内山→越坂→」が指す右の坂道を登っていきます。
狭い坂道を曲がりながら登って内山地区の集落を過ぎていきます。
越坂地区にあるの所を曲がり、最後の民家を過ぎて更に登っていきます。
竹林が現れると道幅が広がって、車数台は止められる駐車スペースになっていたので、ここに車を止めました。
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登山口
歩く準備をして、先へ数10m進んでいくと、左へ戻るようにして分かれていく広めの道があります。
入口にはまだ新しそうなが立っていて、左の道は「牛ヶ峰山・牛ヶ峰神社 1,000m 温泉町」となっています。
ここが牛ヶ峰山へのになります。
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鳥居
に続く広めの道を緩やかに登っていきます。
1分ほど登っていくと、「」の扁額が掲げられた木製の四脚鳥居が立っています。
その手前から右へ分かれていくもありますが、石段を登って鳥居をくぐっていきます。
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鳥居をくぐっていくと、細木なども生える植林地になります。
U字形にになってきますが、それほど歩き難くはありません。
鳥居を過ぎて4分ほど登っていくと、少し窪んで樹木が疎らな広い斜面に出ます。
道はそのを回るようにして続いています。
土で滑りやすい所には「切れ込み」が入れてあって、歩きやすくなっていました。
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窪みがなくなったを進んでいきます。
が茂る前を左へ曲がっていくと、程なくして植林地から雑木林に変わります。
尾根の左肩に続く広めの道を緩やかに登っていきます。
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登るにつれて、が次第に低くなってきます。
尾根の背に出ると、樹木が低くなって日射しが入る所がありました。
その右側の樹間からはが見えました。
登山口から20分ほど登った所になります。
起伏の激しい山々が連なっていましたが、名前は分かりませんでした。
眺めを確認してから、その先へ進んでいきます。
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展望地
広めの道を緩やかに登っていくと、樹木が低くなって明るいに着きました。
登山口から22分ほど登った所になります。
雲に隠れ気味でしたが、左側には山並みが広がっていました。
景色を眺めながら、ひと息入れていきました。
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展望地から1分ほど進んだ所も左側が開けていて、先ほどと同じようなを見渡せました。
眺めを確認して、その先に続く広めの道を登っていきます。
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の脇を過ぎて、次第に傾斜が増してくる雑木林のを登っていきます。
が目立つようになると、尾根の背に出たり右肩を進んだりしながら登るようになります。
蒸し暑い季節とあって止め処もなく汗が噴き出てくるので、何度も立ち止まって汗を拭い呼吸を整えながら、ゆっくりと登っていきました。
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やがて、雑木林からに変わります。
次第に上の方が明るくなってきて、山頂が近づいた気配を感じながら登っていくとが現れます。
苔生している所もあるので滑らないよう注意しながら登っていくと、緩やかで広い所に着きました。
登山口から37分ほどで登って来られました。
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先の方へ進んでいくと、左側に六角柱を円筒状に刳り抜いたがありました。
「昭和十年三月 八田村越坂…」と刻まれていたので、それほど古いものではないようでした。
周囲には少し水が溜まっていて、ぬかるんでいました。
そこを過ぎていくと、正面に高床式の建物がありました。
脇にはのようなものが並んでいました。
建物の手前から左へ登っていくがあります。
登り口には、石を刳り抜いた手水鉢とが佇んでいました。
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牛ヶ峰神社
一旦途切れて再び現れる石段を登っていきます。
踊り場に着くと、大きなが立っていました。
そこを右へ曲がって更に石段を登っていくとがありました。
登山口から43分ほどで到着しました。
中を覗って見ると、牛の絵が描かれた「牛ヶ峯神社」のが格子戸に架けられていました。
には「牛ヶ峰▲712.8m 昭和60年11月3日丑年 十二支登山 京都熊笹会」と書かれた板が取り付けられていました。
格子戸の奥に本殿があるようでした。
神社の由緒などを記したものは見かけませんでしたが、但馬牛の守り神を祀る神社のようです。
後日に来てみると、東側の樹木が伐採されて、山並みを眺められるようになっています。
(「 牛ヶ峰山」を参照)
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ひと息入れてから、社殿の右側の奥に続くを登っていきます。
入口の樹木の袂には五輪塔がありました。
植林地からすぐ雑木林に変わるには背の低い笹竹が茂っていましたが、
踏み跡は明瞭に続いていて、問題なく歩いていけました。
坂道を登っていくと、少し傾斜が緩んだ尾根の背を進むようになります。
次第に笹竹の背が伸びてきますが、道を覆い隠すほどではなく、まだまだ余裕がありました。
後日に来てみると、笹竹はすべて枯れてなくなっています。
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牛ヶ峰山 (標高712.8m)
傾斜が増してきたを登っていくと、樹木に赤テープが取り付けられていました。
何箇所かに取り付けられた赤テープを確認しながら笹竹の茂るを登っていくと、
植林地になった緩やかなに着きました。
牛ヶ峰神社から3分ほどで着きました。
ここが牛ヶ峰山の山頂になります。
地形図に載っている712.8m峰で、三角点があるはずだがと左右に茂る笹竹の中を探してみますが見当たりません。
それではと、僅かに降るようにして続く踏み跡を少し先へ進んでいくと、道端にがありました。
標柱の傍には「牛ヶ峰山 712.8m 北摂探検隊H22.10.15」と書かれたもありました。
周囲は樹木に囲まれて展望は得られないので、三角点を確認したら牛ヶ峰神社へ引き返すことにしました。
二等三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
建設省国土地理院
後日に海上地区で牛ヶ峰山に関する解説板を見かけたので、参考までに載せておきます。
牛ヶ峰山 標高712.8m
役の行者(全国を修行して回っておられる偉いお坊様)が牛ヶ峰山に登られ、但馬と因幡の国が一望に見渡せ、
朝日を一番に拝める最高の山であることに驚き、
牛ヶ峰山として一宇を建て蔵王権現を安置し修験道の本尊として信仰を集めた。
この蔵王大権現は、香美町香住区の三川山・鳥取県三朝町の三徳山のものと同体で、
当時『山陰の三大権現』と称えられ信仰されたようである。
観音堂も本社の下に建てられて源信僧都の彫刻による十一面観世音を祀る。
平城天皇の大同年間の建立で、普門院を建ててこれを本坊とした。
次第に拡充され、一時は42ヶ寺を数えた時期もあったが大蛇の大事件の後、牛ヶ峰寺の修行者が激減して行った。
その頃、修行僧であった坊さん(後に比叡山に登り天台宗座主となられた慈覚大師さん)がワラ人形にもぐさを包み大蛇を退治して、
再度、1寺12坊を建てて天祥、永久、国豊、民安を祈る霊場として多くのお坊様と夜通し火をともし、
沢山の修行僧と共に修行に励んだことも確かなことの様である。
時代の変わりも激しく、羽柴秀吉の命による寺領奉還にそむき敵対したため戦場となり焼き討ちされる。
その後、末類寺の寺院を興して明治の時代に至った。
その後、越坂村・内山村を経て寛文12年(1672)海上村に、小柄ながら良質の材を使って、田舎であるが壮麗見事なお寺を建て3集落の信仰も集め栄えていた。
宝物什器もそれなりの物があったが、162年目の明治43年、殿村の火事で類焼し貴重な宝物什器類等を焼失してしまった。
当時の檀家皆様の悲しみも大きかったが寺の元屋敷に南無阿弥陀仏の石碑を建て、
明治44年現在の屋敷にその規模を小さくして牛峰寺を寄進建立した。
時代の急速な流れと風雪に耐え、現在、90数年を迎えています。
中でも、蔵王権現像は戦国時代の宝物とされていて平成17年に町指定有形文化財となりました。
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牛ヶ峰神社
笹竹が次第に少なくなってくるを引き返していくと、
3分ほどで牛ヶ峰神社に戻ってきました。
社殿の脇に腰掛けて、水分補給などをしながら、しばらく休憩していきました。
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落ち着いたところで、元来た道を降っていきます。
左へ曲がっていくを降っていくと、高床式の建物のあるに降り立ちます。
右へ曲がって広い所の先に続くを降っていきます。
石段が終わって、植林地に続く広めの道を降っていきます。
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植林地からに変わった尾根を降っていきます。
が目立つようになった所を過ぎていきます。
喘ぎながら登ってきた道ですが、降る時は快調であります。
淡々と降っていくと、大木の脇を過ぎていきます。
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展望地
傾斜が少し緩んでくると、右側にが広がる所があります。
そこを過ぎて1分ほど降っていくと、右側が開けたに着きます。
牛ヶ峰神社から12分ほど降った所になります。
登ってきた時よりも少し雲が高くなって、稜線が見えるようになっていました。
展望地を過ぎて更に1分ほど降っていくと、左側の樹間から眺めが広がりました。
登ってくる時は西側が見えましたが、この時は北側の日本海方面が見えました。
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尾根の右肩に続くを緩やかに降っていきます。
やがて少し傾斜が増してきた道を降っていくとになります。
右へ曲がっていくと、少し窪んで樹木が疎らな広い斜面を降るようになります。
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鳥居
程なくしてU字形にを降るようになります。
竹林になると木製の四脚鳥居に着きます。
その先の石段を降って左へ曲がるとがありますが、
左の道は見送って、正面の道を降っていきます。
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登山口
正面が明るくなって舗装路が見えてくると、登山口に降り立ちました。
牛ヶ峰神社から31分ほどで降りて来られました。
登る時には気が付きませんでしたが、脇に立つは2枚重ねになっていて、
裏側にも表と同じ内容「牛ヶ峰山・牛ヶ峰神社 1,000m 温泉町」が書かれていました。
その方向には山があるばかりで誰が見るのだろうと思ったりしますが、
元々はもう少し道路側に立っていて、左側から来る人向けだったのかも知れません。
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越坂地区
舗装路に出て右へ数10m降っていくと、車を止めておいた駐車スペースに着きます。
靴を履き替えたり水分補給したりして落ち着いてから、車で来た狭い道を降っていきました。
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