舞狂山
概 要 舞狂山は養父市八鹿町にある標高410mほどの山です。 山頂に幾つか立っている電波塔用の保守路が麓から続いていて、容易に登ることができます。 山頂は樹木に囲まれていて展望は良くありませんが、途中からは山並みなどを眺めることが出来ます。 今回は、上小田地区から保守路を通って山頂へ登り、南西側の谷筋を降るルートを歩きます。
起 点 養父市八鹿町 上小田地区
終 点 養父市八鹿町 上小田地区
上小田地区…鞍部…381.1m峰…舞狂山…下山口…分岐…谷筋…大岩…住吉川堰堤…白山神社…社・祠…住吉神社…公園…上小田地区
所要時間 2時間50分
歩いて... 保守路は山頂まで舗装されていましたが、かなりの傾斜があって、休み休み登っていきました。 三角点は一番高い所よりも少し低い高みにありました。 南西の谷筋へ降る道は最初は明瞭でしたが、谷筋に着く頃には不明瞭になりました。 大きめの石がゴロゴロしているものの歩き難くはない谷筋だったので、問題なく車道へ出られました。
関連メモ 舞狂山
コース紹介
上小田地区
豊岡の市街地から国道312号を南下していきます。 上小田北交差点から県道2号に入り、上小田橋を渡って坂本交差点を過ぎていくと、路肩が広がって自販機が設置された所があります。 車を何台も置ける駐車スペースになっていたので、ここに車を止めさせてもらいました。
手前の坂本交差点まで引き返していきます。 茅葺きの店舗「」を過ぎていくとに着きます。 ここから右の小川沿いに分かれていく簡易舗装された道を登っていきます。
右の畑に続く小径が幾つかありますが見送って、小川沿いに続く坂道を登っていくと、 これから向かうが正面に見えてきます。 両側に笹竹が茂るようになった坂道を登っていきます。 道の真ん中にもが生えている所が2カ所ほどありますが、1mほどで終わりになります。 川に架かるコンクリート橋を見送って坂道を更に登っていくと、坂本交差点から7分ほどで、山頂へ向かう舗装路に出ます。 出口にはが設置されていますが、扉は針金で留められているだけなので、簡単に通過できました。 振り返ると、上小田橋の奥に、進美寺山から須留岐山にかけてのが見えました。
舗装路を1分ほど進んでいくと、建物の先で道がしています。 角には「全但ゴルフ」の標識が立っていて、右へ降っていく道を指しています。 右の道のすぐ先にはが見えていますが、左側の坂道を登っていきます。 曲がりながら続くかなり傾斜のある舗装路を登っていきます。 全但ゴルフへの分岐から7分ほど登って右へ曲がるまで来ると、左側が開けて山並みを見渡すことが出来ました。 奥に聳えているのは須留岐山になるようです。
道々に咲いているを愛でながら、小型車なら通っていける舗装路を登っていきます。 の脇を過ぎてを右へ曲がっていくと、尾根の背に乗ります。 真っ直ぐ進んでいくとが切り崩されたような所から、再び斜面を横切るように登っていきます。 先端まで行った所の急カーブまで来ると、右側の樹間からが見えました。
次のを右へ曲がって登っていくと、 進美寺山から須留岐山にかけてのが見えてきます。 前方に八鹿町方面のを眺めながら進んでいくと、路肩が少し崩落している所がありました。 その前後には「危険箇所」の標識が出ていましたが、歩く分には何の問題もありません。 右側には、また進美寺山から須留岐山にかけてのが見えました。 来る時に渡ってきたも良く見えました。
すぐ先にある角が広がったを左へ曲がっていくと、 道端に「No.100 2000M」と書かれたがありました。 同様の標識はこの道で何回か見かけました。 何の標識かは分かりませんでしたが、ここにあるのは切りの良い数字だったので記憶に残っていました。 道なりに右へ曲がっていくと、「水源かん養 保安林」の標識を過ぎた所に白い標柱が立っていました。 消えていて読めない文字もありましたが、旧八鹿町の町道の起点になるようです。 延長も書かれているようでしたが、穴の中に埋まっていて読めませんでした。 そのすぐ先に立つ電柱には「この先急坂有り」の紙が貼り付けられていて、この先の道を指していました。
起点 平成11年度町道坂本・・山線 道路災害復旧事・
着工 平成11年8月5日
完成 平成11年8月31日
延長・・・
八鹿・
標柱を過ぎていくと、左へ曲がってを登っていきますが、 これまでの道と比べて、それほど「急坂」という雰囲気でもありませんでした。 の脇を進んでいくと、右から降りてくるパイプがありましたが、水路でしょうか。 右側に続く石垣が次第に低くなってくると、急カーブを右へ曲がって、傾斜が増してきた坂道を登っていきます。
左側に続く石垣が次第に低くなった所にあるを左へ曲がっていくと、 左側の梢越しに山並みが見えました。 右側の奥に見えるのは進美寺山になるようです。 少し右へ曲がる所までくると、脇に立つに「この先急坂有り」の紙が貼り付けられていて、 これまで登ってきた道を指していました。 先ほどの貼り紙があった所からここまでが「急坂」の範囲になるようです。 貼り紙には「走行注意」とも書かれていたので、この道を通る自動車に対する注意喚起のようでした。
鞍部
電柱を過ぎていくと、正面にが見えてきました。 もう少しで頂上だと分かって、気を取り直して登っていきました。 電波塔に着くと、「株式会社 ツーカーホン関西 八鹿ベースステーション」の銘板が取り付けられていました。 全但ゴルフへの分岐から45分ほどで登って来られました。 登り着いた所は、381.1m峰とその南東にある標高410mほどの高みの間にある鞍部でした。
381.1m峰
鞍部の先で舗装路が左右に分かれています。 いずれも電波塔へ続いていますが、それらを訪ねる前にへ登っていきました。 「兵庫県 舞狂山中継所」の銘板のある小振りのを過ぎてを登っていくと、 1分もかからずに小広くなった山頂に着きました。 中ほどにはがあるので、地形図に載っている381.1m峰になるようです。 山頂は樹木に囲まれていて展望は良くありませんが、振り返ると、南東にあるが樹間から見えました。
四島三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
「舞狂山中継所」という名前からすると、この高みが舞狂山のようにも思えますが、 ここでは南東にある標高410mほどの高みを舞狂山としておきます。
手前のまで引き返してきて、南東に続く舗装路を登っていきます。 2分半ほど登っていくと、道がに分かれています。 いずれも電波塔へ通じていますが、まずは左側の道を登っていきました。 すぐに、右側の道の先にあるの上に出ます。 右側には山並みが広がっていました。
舞狂山
道なりに左へ曲がっていくと、すぐの所にがありましたが、銘板は見かけませんでした。 その塔を過ぎていくと、一番高い所に着きました。 ここが舞狂山の山頂になります。 鞍部から6分ほどで登って来られました。 山頂にはがありました。 周囲には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、僅かにを眺めることが出来ました。
NHK八鹿テレビ中継放送所
この放送所はNHK神戸放送局の放送を送り出しています。 ここの設備は自動化されていて機械の状況を定期的に点検しています。 受信できる世帯は約4,900世帯です。 どうかここの設備をいためないようにお願いいたします。
【施設のあらまし】
総合テレビ教育テレビF M
空中線形式4ヶ双ループ1段3面総合と共用3素子八木1段2面
送信チャンネル44チャンネル46チャンネル82.4MHz
送信出力30ワット30ワット100ワット
非常用電源自家発電装置10KVA自家発電装置10KVA自家発電装置10KVA
開局年月日昭和40年12月昭和40年12月昭和45年12月
■お気付きの点はNHK神戸放送局へご連絡下さい。
手前のまで引き返して、一段低い所にある電波塔を訪ねました。 広い未舗装路を1分ほど進んでいくと、鉄柵で囲まれた電波塔がありました。 柵には「株式会社 エヌ・ティ・ティ・ドコモ関西 舞狂無線中継所」の銘板が取り付けられていました。 鉄塔の形からすると、この南東900m辺りにある大藪城跡(191m峰)から見えるのは、この電波塔になるようです。
まで引き返してきて、もう一つの電波塔を訪ねます。 道を塞ぐ倒木を抜けて軽く降っていくと、正面にが見えてきます。 鞍部から1分ほど降っていくと、右側に階段があります。 ちょいと登ってみましたが、伐採された木などが散乱していて、歩けなくなっていました。 左側にガードレールが途切れた所があって、その先へ道が降っています。 ここが今回の下山口になりますが、下山する前に、すぐ先に見えている電波塔を訪ねていきました。
僅かに登り坂になった舗装路を進んでいくと、すぐに電波塔があります。 取り付けられた銘板によると「KDDI株式会社 八鹿基地局」というようです。
下山口
手前にあったまで引き返してくると、 ガードレールが途切れた所の先にはが広がっていました。 眺めを確認してから、右にあるを降りていきました。 階段はすぐに終わって、その先には荒れ気味ながらも広めの道が続いていました。 単なる山道にしては広すぎるので、以前に使われていた林道でしょうか。 地形図では破線で示されている道になるようですが、途中で途切れるように描かれているので、 先行きに不安を感じながら降っていきました。
分岐
かなり傾斜のある斜面に、が折れ曲がりながら続いています。 があったりがゴロゴロしていたりして現状では難くなっていますが、 現役で使われていた頃には荷車も通って行けたと思えるほどの傾斜になっていました。 右・左と折れ曲がって5回目の曲がり角まで降りてくると、道が分岐しているような所がありました。 下山口から8分ほど降った所になります。 も広くて明瞭でしたが、木が生え石などが目立って歩き難そうだったので、 それよりは歩きやすそうに見えた左へ曲がっていく道を降っていきました。
谷筋
広い道は次第にはっきりしなくなり、崩れたが覆っていたりもして、 歩き難くなってきますが、形跡を何とか辿りながら降っていきました。 やはり、地形図の破線の道が途切れているのは実情通りのようでした。 右・左と曲がりながら降っていくと、下山口から12分ほどで谷筋に降り立ちました。 浅いU字形の広い谷筋に沢は流れていませんでした。
後日に確認したところ、谷筋に降り立った所にあるドラム缶の脇から右斜面を少し進んでいくと広い道が現れ、 この先にある住吉川堰堤の傍まで続いています。 (「舞狂山」を参照)
大岩
次第にが目立つようになる谷筋の中程を降っていきます。 もはや踏み跡も分からなくなりましたが、歩いて行く分には支障はありませんでした。 最初は少なかった樹木も、降るにつれて少し増えてきました。 谷筋に降り立った所から9分ほど降ってくると、谷の真ん中に大岩がありました。 その左側を過ぎていくと、岩の下がのようになっていて、一時的な雨宿りも出来そうな様子でした。
住吉川堰堤
大岩を過ぎていくと、や細い竹などが目立つようになりました。 谷筋の幅も益々広がってきて、何処を歩いたものかと思案しながら降っていきました。 歩きやすそうな所を選びながら進んでいくと、いつの間にか谷筋の右端寄りを歩いていました。 やがて樹木が疎らになってくると正面が明るくなって、樹間からが見えてきました。 林を抜けていくと、大きなダムの右端に出ました。 大岩から11分ほどで着きました。 ダムに取り付けられた銘板によると、幅が151mある住吉川堰堤というようです。 左右を確認していると、舗装路が見えたので、そちらへ向かっていきました。
通常砂防工事 住吉川堰堤
竣工平成22年1月
形状H=7.5m L=151.0m
貯砂量V=5,353立方m
 (兵庫県)
少しぬかるんだ所もある砂防ダムの上流側を横切っていき、 左端にあるを登ると舗装路の終点に出ました。 下山口から37分ほどで降りて来られました。 堰堤をから眺めてから舗装路を降っていきました。
後日に来てみると、堰堤の左側にはススキなどが密生して歩くのはお勧め出来ない状況になっています。 堰堤の右側の雑木林の縁を進んでいくと堰堤の脇の伐採地に出られ、 その先の森から住吉川堰堤の下の舗装路まで明瞭な道が続いているので、右側を歩くのをお勧めします。 (「舞狂山」を参照)
大きくS字形に曲がって降っていくとの下に出ます。 正面に山並みを眺めながら真っ直ぐ降っていくと、向こう側を向いた看板が二つ立っていました。 それらを過ぎていくと「住吉川」の標柱もありました。
砂防指定地
住吉川砂防堰堤
砂防ダムに立ち入ったり、貯水池で遊んではいけません。
あぶない
 (兵庫県)
砂防指定地 住吉川
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は兵庫県知事の許可が必要ですから、 養父土木事務所にご相談下さい。
住吉川
砂防指定地
この地域内において土地の掘さく等の行為をする場合は許可が必要です。 養父土木事務所に御相談下さい。
 (兵庫県)
白山神社
まで来て民家が見えてくると、右へ分かれていく小径があります。 車道へは道なりに左へ曲がっていくのですが、右の小径の先にが見えたのて、ちょいと立ち寄っていきました。 僅かな水路を渡って石段を登っていくと、祠の中には白木の社が納められていました。 壁に掲げられた木簡によると白山神社というようです。 「舞狂区氏子一同建之」となっているので、この地区の氏神様でしょうか。
社・祠
元の道に戻って進んでいくと、左側の石垣の上に神社などがありました。 右側のの中には小社が納められていました。 左側のの中には五輪塔や丸まった石などが納められていましたが、 いずれも名前は分かりませんでした。
住吉神社
右へ降っていく道を見送って民家の間を進んで左右に通る坂道に出ると、 左側に幟旗を立てる柱があり、その奥の上にが見えたので立ち寄っていくことにしました。 石垣沿いの坂の先にある石段を登って「住吉神社」の扁額が架かる鳥居をくぐると、小広くなった境内に着きました。 右側の小さい方の祠にはが納められていて、「有子山稲荷神社祈祷神璽」と書かれた札がありました。 左側の大きい方の建物の中にはがありましたが、それが住吉神社でしょうか。 由緒などを記したものは見かけませんでした。
神社から引き返して坂道を降っていきます。 を立てる柱を過ぎて、道なりに左へ曲がりながら降っていきます。 右へ分かれる道からに出て右折していきます。 正面の坂道を見送って左折していくと、県道2号の舞狂橋交差点に出ます。 交差点を右折して、車を止めておいた駐車スペースへ向かって車道を歩いていきます。
公園
車道を150mほど進んでいくと、広い道がしています。 県道と変わらない2車線の道ですが、どこかへ行く訳ではなく、この先で再び合流します。 これらの道路の間に何か施設でも造ろうという計画だったのでしょうか。 300mほど進んで右へ分かれた道が合流してくると、道路の左側にがあります。 公園へ入る道も広くて駐車スペースのようになっていました。 左の一段高い所には、ベンチが設置されたがありました。 公園の名前は分かりませんでしたが、 道路向かいにある「養父市衛生公園」の標識が立つの一部なのでしょうか。 すぐ脇を流れるの向こう岸の奥の方には山並みが広がっていました。 景色を眺めながらひと息入れていきました。
上小田地区
養父市シルバー人材センターや採石場を過ぎて車道をひたすら歩いていきます。 右に分かれていく階段が幾つかあって行く末が気になりましたが、すべて見送っていきました。 「かぐや姫700m先」の看板が取り付けられたを過ぎていくと、 車を止めておいた駐車スペースに戻ってきました。 舞狂橋交差点から26分ほどで到着しました。