大徳山
概 要 大徳山は養父市に聳える標高555.8mの山です。 二等三角点のある山頂からの眺めは良くありませんが、 山頂の近くまで続く林道の途中からは、山並みなどを見渡せる良い眺めが広がります。 今回は「米里・大徳の森」から林道を経て大徳山へ登り、十二所地区と米里地区を結ぶ峠越えの道に降るルートを歩きます。
起 点 養父市八鹿町 米里地区
終 点 養父市八鹿町 米里地区
米里地区…見晴らしの丘分岐…林道分岐…林道分岐…峠道降り口…林道終点…大徳山…峠道降り口…小ピーク…峠…墓地…防護柵…米里地区
所要時間 3時間00分
歩いて... 林道終点から大徳山へ登る南ルートは傾斜も緩やかで歩き易くなっていましたが、 大徳山から林道へ降る北ルートはかなりの急坂になっていて、踏み固められた道はなく木などに掴まりながらの降りになりました。 林道から峠越えの道に降るルートはそれよりはマシな状況で、途中から現れる防護網に沿って降っていきました。
関連メモ 高柳ふれあいの森
コース紹介
米里地区
国道312号の宮越交差点から県道6号に入って西進していきます。 つるぎが丘交差点を過ぎて国道9号を200mほど西進して信号機の設置された交差点を左折し、 八木川に架かる橋を渡って南下していきます。 米里地区の集落に続く狭い坂道を「大徳霊園」の標識に従って登っていきます。 突き当たりの建物の周囲にあるブロック塀に沿って右から巻くように登っていくと、有害鳥獣のがあります。 扉を開けていくと左へ道が分かれていますが、正面の道を登っていきます。 曲がりながら更に登っていくと、米里・大徳の森に着きます。 脇には「米里・大徳の森 案内」と題したがあります。 見晴らしの丘・やすらぎの森・つどいの広場などがあるようですが、散策するのは省略して、 朝霧に包まれた大徳山を目指して正面の舗装路を登って行きました。
後日に米里・大徳の森と隣接する高柳ふれあいの森を歩きました。 (「高柳ふれあいの森」を参照)
お願い
この先に有害鳥獣の防護(扉)柵があります。 開けてお通りのあとは必ず閉めてください。
 (高柳地区有害鳥獣防護柵管理組合)
米里・大徳の森 案内
米里地区には、400年以上前の戦国時代から地区の神社を住民が当番制で守ってきたという歴史があり、 その時代・その年の出来事などが記された『当状記』が残されています。 米里・大徳の森は、人々がこの地の自然を利用してきた歴史を物語る森です。 森を散策して、太古の時代の息吹を感じて下さい。 また、米里・大徳の森には米里古墳群があり、多くは6世紀中頃から7世紀前半頃のものと考えられています。 中にはさらに古い時代の古墳も存在し、およそ1500年前からこの地の自然の恵みを受けて、 人々が生活してきたことがしのばれます。
 (〜平成19年度 里山ふれあい森づくり事業〜 兵庫県、養父市、(社)兵庫みどり公社)
穂を出し始めたススキを愛でながら、を曲がりながら登っていきます。 3分半ほど登っていくと、道端に車一台分のがありました。 5分ほど登った所から振り返ると、山頂付近を朝霧に包まれたが見えました。 何度も振り返りながら少しずつ見える角度が変わってくる山並みを眺めながら舗装路を登っていきます。 次第に低くなってくるをヘアピン状に右へ曲がっていくと、 「米里の地質 〜蛇紋岩〜」のが立っていました。 駐車場から7分半ほどの所になります。 周囲には露出した岩が幾つもありましたが、それらがでしょうか。
米里の地質 〜蛇紋岩〜
駐車場からこの場所に登ってくる途中に、岩の斜面がありませんでしたか? それが蛇紋岩です。
【蛇紋岩の特徴】 マグマが地下深くで固まった深成岩の一種で、ヘビのような模様や光沢があります。 蛇紋岩は強アルカリ性の岩で、風化作用を受けやすく、もろくて崩れやすい性質があります。
【蛇紋岩の植生】 この看板の正面の斜面は特に崩れやすく、土壌にニッケルを多く含むため、樹木が生えにくい状態になっています。 土が蛇紋岩少ないの岩場では、イブキシモツケやオトギリソウなどがはえています。 この蛇紋岩地は、いにしえの森から西側の養父市関宮付近まで広がっていて、同じような森林が見られます。
 (〜平成19年度 里山ふれあい森づくり事業〜 兵庫県、養父市、(社)兵庫みどり公社)
見晴らしの丘分岐
蛇紋岩を過ぎて1分ほど進んだ所にもがありました。 周囲をロープ柵で囲い、奥の方に車輪止めのある共通の形をしていました。 ミニ駐車場を過ぎて曲がりながら舗装路を更に登っていくと、傾斜が緩やかになった所に分岐があります。 車を止めてきた駐車場から14分ほどの所になります。 角にはが立っていて、 右へ分かれていく小径は「展望地290m」、今来た道は「駐車場800m」となっています。 左へ曲がっていく広い道には何も示されていません。 右の道の先にはベンチがひとつ設置されていました。 傍には「米里の植物」のが立っていました。 ここにもがありました。 最初の駐車場にあった案内図によると、右の道は「見晴らしの丘」へ続いていますが、 大徳山に向かって、左へ曲がっていくを進んでいきます。
後日に見晴らしの丘への道を歩きました。 (「高柳ふれあいの森」を参照)
米里の植物
蛇紋岩地では樹木が生えにくいことから、かつてはよく放牧地に利用されていました。 米里・大徳の森の中でも、樹木がまばらに生えている場所は放牧地であったところです。 放牧地は草原として維持するために、草刈りや火入れなどの管理が行われていました。 火入れによって多くの植物は焼けてしまいますが、カシワの木は火入れに強いため焼けずに残ります。 この周辺には、放牧地の名残とも言えるカシワの木がたくさん残っています。 カシワの葉は大きく、かしわもちに使われます。 放牧地跡にはカシワのほかに草原の草花が残っています。 じっくり観察してください。
 (〜平成19年度 里山ふれあい森づくり事業〜 兵庫県、養父市、(社)兵庫みどり公社)
林道分岐
舗装路はすぐに終わって、この先からは傾斜が急な所を除いてになります。 緩やかな林道を進み始めて1分ほどの所で、道が二股に分かれています。 辺りには道標類は見かけないし、どちらの道を進んだものかと暫く思案しました。 右側の道は緩やかに続いていますが、大徳山から離れていくように思えたので、 ここは正面に続く登り坂になった道を進んでいきました。
関係者以外車両の通行を禁止します。
 ((社)兵庫県森と緑の公社)
林道分岐
左・右と曲がりながら林道を4分ほど登っていくと、コンクリート舗装された分岐があります。 ここでも道標類は見かけませんでした。 は未舗装路で、舗装路は右へ続いています。 暫く愚考した後で、を進んでいきました。
曲がりながら続く林道を更に登っていくと、右側にが少し見える所がありました。 尾根の先端を回り込んだりしながら続く林道を淡々と登っていくと、崖崩れしている所がありました。 先ほどの分岐から15分ほどの所になります。 崩れ落ちた角ばった石を避けながら、足元に注意して通過していきました。
崖を過ぎて尾根の先端を回り込むように進んでいくと、山側にが暫く続くようになりました。 左側にを眺めながら進んでいくと、次第に夏草が茂るようになりました。 この先は更に茂ってくるのかと心配しながら登っていきましたが、程なくして歩き易くなってきました。 もあって、心地よい水音が響いていました
峠道降り口
次第に右側の尾根が低くなって先端まで来ると、道は鋭角に右へ曲がっていきます。 見晴らしの丘分岐から33分ほど登った所になります。 その角から左の尾根へが分かれていました。 方角からすると、十二所地区米里地区を結ぶ峠道に続いているように思えました。 下山時にはこの道を降ってみようかと思いながら、を道なりに右へ曲がっていきました。
丸い石が乗せられたを過ぎていくと、正面にが現れます。 峠道降り口から2分ほどの所で、大徳山の150mほど北側の地点になるようです。 林道は尾根の右側に延びていますが、僅かな踏み跡が正面の尾根へ続いているように見えました。 登っていけそうな様子もありましたが、右側に続く林道を進んでいきました。
大徳山からの下山時に正面の尾根を降ってきましたが、 踏み固められた道はない上にかなりの急坂になっていて、木などに掴まりながらの降りになりました。
尾根の右側に続く林道を4分ほど進んでいくと、右側が開けてきてが広がるようになりました。 植林地を抜けていくと、更に良い眺めの展望地に出ました。 峠道降り口から8分ほどの所になります。 右側の樹木が切り払われていて、朝霧がまだ少し棚引いているが広がっていました。 景色を眺めながらひと息入れていきました。
暫くは良い眺めが続き、本コースのハイライトを快適に進んでいきます。 少しずつ見える角度が変わってくるを眺めながら、緩やかになった林道を進んでいきます。 景色を愛でながら進んでいくと、程なくして背の高いが続くようになります。 松林の間からも、山並みを見渡せる眺めが広がっていました。
林道終点
松林から杉林に変わっていく林道を更に進んでいきます。 左側の尾根が次第に低くなってくると、少しになってきます。 シダ類も生えてきますが、歩くのに邪魔になるほどではありません。 坂を登り切ってなだらかなに着くと、尾根とほぼ同じ高さになります。 林道はこの先へ20mほど降った所でになっています。 峠道降り口から25分ほど、米里・大徳の森の駐車場から1時間15分ほどで着きました。 ここで汗を拭きながらひと休みしていきました。
林道終点の手前の曲がり角から、を選んで森に入っていきます。 ここは大徳山から南へ延びる緩やかな尾根の西側になるようです。 になった森に明瞭な道はついていませんが、下草は生えておらず、歩き易くなっていました。 真っ直ぐ進んでいくと左右に延びる尾根が迫ってくるので、歩き易そうな左側へ曲がりながら進んでいきました。 そのまま植林地を進んでも仕方がないので、樹木が疎らな所を選んで尾根へ登っていきました。 標高差は僅かなので、すぐに雑木林の尾根の背に出ました。 登り着いた所のには大きな岩がありましたが、 山頂に向かって左へ続く緩やかなを進んでいきます。
大徳山 (標高555.8m)
植林地と雑木林が混じったようなを緩やかに登っていきます。 明瞭な道はありませんが、尾根の背を真っ直ぐに登っていけば大丈夫です。 細い木が生えていたり倒木があったりもしますが、歩いていくのに支障はありません。 登り傾斜が僅かに増してきた尾根を登っていくと大徳山に着きました。 林道から8分ほどで登って来られました。 山頂にはがあるので、地形図に載っている555.8峰になるようです。 三角点の標柱は壊れて倒れていました。 地図によると、ここは米里地区十二所地区左近山地区の境界に位置しているようです。 山頂には、浅野小学校や広谷小学校の登頂記念のが三枚設置されていて、 左近山区の生涯教育登山記念のもありました。 山頂の周囲には樹木が茂っていて展望はほとんど得られませんが、 樹木が少し低くなっている右側からは、茂る青葉の向こうにが僅かに見えていたので、 葉が落ちる冬場には少しは山並みを眺められそうに思えました。
二等三角点
基本測量
たいせつにしましょう三角点
 (国土地理院)
ひと息入れたところで、大徳山から下山していきます。 登ってきた道を引き返して林道を降っていっても良いのですが、 石碑の裏手から北に延びるの降り口に生える樹木に赤テープが巻かれていて、 その下の方を窺ってみると更に赤テープがありました。 どうやら降りて行けそうに思えたので、明瞭な道はありませんが近道でもあるので、意を決して降っていくことにしました。
ルートを外れないよう磁石で方角を確認しながら、北へ向かってを降っていきます。 所々には赤テープが巻かれていてルートを示しているようでした。 かなりの傾斜があって、周囲の樹木に掴まりながらの降りになります。 踏み固められた道ではないので、滑り落ちるようにして降っていく所もありました。 7分ほど降っていくと大きな岩がありました。 赤テープはその少し手前から左側へ巻くように続いていました。
を過ぎていくと、少し傾斜が緩んで歩き易くなってきました。 やがての左下に林道が見えてくると、が見える所もありました。 の袂を過ぎて右側から降りていくと林道に降り立ちました。 山頂から13分ほどで降りて来られました。 林道に出て振り返ってみると、登ってくる時にあったでした。 登ってきた時にはここから山頂まで35分ほどを要したので、時間的にも距離的にも短かったものの、かなりの急坂で疲れました。 時間がかかるものの、登りルートには展望の開ける林道を選んだ方が良さそうに思いました。
峠道降り口
林道を2分ほど進んでいくと、左へ曲がっていくヘアピンカーブの角に着きます。 登ってくる時に目星を付けておいた北側の尾根のになります。 このまま林道を降っても良いのですが、先ほどの急坂よりは歩き易そうな様子だったので、 道標類は見かけませんが初志貫徹して、林道から分かれて降っていくことにしました。
雑木混じりの植林地を降り始めると背の低いが道を覆っていました。 この先は大丈夫だろうかと心配しながら降っていくと、すぐに樹木は少なくなってきました。 かなり傾斜があるものの、先ほどの急坂よりは歩き易い尾根が続きます。 5分ほど降っていくと、正面が少し開けてが広がる所がありました。
更に2分半ほど降っていくと、再びが広がる所がありました。 手前の樹木が少し邪魔しているのが難点ですが展望地になっていました。 正面は急斜面になっていて降りて行けそうにもないので、その左側の尾根を降っていきました。 この辺りからが続くようになるので、その右側に沿って降っていきます。
小ピーク
かなり傾斜のある尾根を9分ほど降っていくと緩やかになったに着きます。 そこから正面に見えるへ向かって軽く登り返していくと小ピークに着きました。 峠道降り口から20分ほどの所になります。 地形図によると、大徳山の北側600m辺りにある標高310mほどの高みになるようです。 周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。 正面にはが続いているので、それに沿うようにして右へ曲がって降っていきます。
雑木林になってきた尾根を降っていくと、僅かに窪んだが現れます。 引き続きに沿って降っていきます。 小ピークから12分ほど降っていくと防護網は左へ曲がっていきますが、 そのまま網沿いに降っていくとあらぬ方向へ行ってしまいそうに思えたので、 ここで防護網から離れて、正面に続く尾根を降っていきました。
傾斜が緩んで踏み跡も明瞭になってきたを快適に降っていくと、 程なくして正面にが見えてきます。 そこへ向かって、少し左へ曲がりながら降っていくと、鞍部になったに降り立ちました。 峠道降り口から36分ほどで降りて来られました。 降り立った舗装路は、十二所地区米里地区を結ぶ峠越えの道で、地形図に載っている破線の道になるようです。
正面の一段高い所が気になったので登ってみると、50cmほどのが二つありました。 手前にある石はのようで、「右…」「左…」と刻まれているようでしたが判読できませんでした。 奥にある石にはが彫られていて「米里村」と刻まれていました。 建立した人の名前なのか「…ヱ門」の文字もありましたが、名前の全体は分かりませんでした。 これらの道標や石仏が以前からこの位置にあったとすると、 舗装されるまでの峠道はその高さを通っていたように思えます。 舗装路を右へ8分ほど降っていくと満福寺がありますが、元の駐車場へ向かって左へ降っていきます。
詳細は省略しますが、満福寺まで降ってみました。 降りてきた道を見送って左へ曲がりながら舗装路を降っていきます。 往時の峠道と思われる踏み跡を左に分けて墓地を過ぎていくと、林道との分岐に満福寺があります。 縁起によると、かつてはかなり大規模な寺院だったようです。 境内には不動明王を祀る祠や修行大師御像があり、白壁の蔵や鐘楼や庫裡もありました。 本堂の前の広い石段を曲がりながら降っていくと立派な仁王門がありました。 (所要時間には含めず)
満福寺縁起
新宮山満福寺は、聖武天皇の天平年間に、行基菩薩によって開基された。 本尊は、行基自ら刻んだと伝えられる等身大の秘佛、千住観世音菩薩である。 創建時一人の翁、即ち新宮権現が現れ、山の守護神となる。 この山を新宮山とよぶようになり、熊野信仰の霊場にもなった。 盛時には、七堂伽藍一九坊があった。 弘仁年間、弘法大師来錫を契機に、真言密教の道場となり、安産の秘符を留め置かれた。 天正年間、豊臣秀吉の山陰攻めの際、伽藍はほとんど焼失した。 当山では、多くの出家者が修行したが、明治の初期まで、一般の人も、弟子と一緒に勉学した。 但馬聖人・池田草庵も少年時代、約十年間弟子入りし、修養を積んだ。 天平以来幾多の興亡を繰り返すも、但馬高野として法灯連綿として、今日に至っている。
 (新宮山 満福寺)
正面にを眺めながら舗装路を降っていきます。 何度かを跨くようにして道が続いています。 曲がりながら続く舗装路を降っていくと、流れのすぐ傍を通る所がありました。 茂る笹を踏みしめて流れに近づいて手を入れてみると、ヒンヤリとして心地よく感じました。
墓地
舗装路を更に降っていくと墓地に出ました。 から11分ほど降った所になります。 墓地の中への道を右に分けて、道なりに左へ曲がっていくを進んでいきます。 曲がったすぐ先にがありました。 ちょいと手に受けて飲んでみると、冷たくて美味しい水でした。
谷筋を流れる小川に架かるコンクリート製のを渡っていきます。 橋を渡った所から広めの未舗装路が左に分かれて上流へ延びていましたが、道なりに右へ曲がっていきます。 右へ曲がった少し先の右側にが架かっていて道が分かれていきますが、そのまま正面へ進んでいきます。 坂道を登っていくと道が二股に分かれていますが、 右側の道にはロープが張られていたので左側の道を登っていきました。
防護柵
坂を登り切ると、幅の広いが左へ分かれていきます。 道標類は見かけませんでしたが大徳霊園へ続いているようです。 石段を見送って坂を少し降っていくと、来る時に自動車で通過したのある道路に出ました。 から18分ほどで着きました。 この時には扉の片方が開け放たれていました。 左角には「八鹿町墓地 大徳霊園」のがあって左の道を指しています。 そのすぐ先には「ミニ里山公園200m」のが立っていて、同じく左の道を指しています。
道標「ミニ里山公園」に従って、最初に自動車で来た道路を登っていきます。 左へ曲がっていく角まで来るとがあり、その脇から遊歩道が分かれていきます。 角にはが立っていて、分かれていく遊歩道は「展望地270m」、 左へ曲がっていく道路は「駐車場300m」となっています。 右側にはが広がっていて、 やその先をなどが見えました。
後日に展望地への道を歩きました。 (「高柳ふれあいの森」を参照)
米里地区
道路を曲がりながら更に登っていくと、への道が左に分かれていきます。 その道を見送っていくと、最初の米里・大徳の森駐車場に戻ってきました。 防護柵から9分ほどで着きました。 歩き始めの時は朝霧に霞んでいましたが、大徳山へ登って戻ってくると綺麗に晴れ渡っていました。