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かぶと山公園
北近畿タンゴ鉄道の甲山駅付近から北へ続く国道178号を進んでいくと、
甲山橋を渡った先に点滅式信号の交差点があります。
標識「かぶと山公園1.6km」や看板「1km先 かぶと山キャンプ場入口」に従って左折し、
1.5車線のかぶと山一周道路を進んでいくと、東屋やトイレのあるかぶと山公園の端の駐車場に着きます。
東屋の傍には「」の案内図や
「」があって、兜山までの道が載っています。
正面の斜面はアスレチック施設などがあるになっています。
その先には久美浜湾も見えていますが、手前の樹木が邪魔をして眺めは今ひとつです。
来る時に北近畿タンゴ鉄道の久美浜駅の近くにある久美浜公園に立ち寄ってみると、
朝日を浴びて湖面に山容を映し出すの綺麗な姿を眺めることができました。
(北近畿タンゴ鉄道は2015年4月に京都丹後鉄道になりました)
(甲山駅は2015年4月にかぶと山駅になりました)
ふるさとの自然観察路 久美浜湾 −多様な海岸地形と生き物たち−
久美浜は、京都府の西北端にあり、西は兵庫県豊岡市に接し、北は日本海に面しています。
久美浜湾は、小天橋と呼ばれる東の方から長く突き出した砂嘴で日本海とへだてられた奥深いワンで、
海岸線の出入りが多く、複雑な地形でいろいろな環境があります。
このため、鳥類が豊富で、特に冬は、越冬の海鳥がよく観察できます。
湾の東南には、美しい円すい形の兜山(標高192m)があり、この山は湾内のどこからでもよく見えます。
小天橋は、東の浜詰から続いた砂丘と連なっています。
ここでは、海岸の動植物コース()と
兜山の地質と植物()の二つの観察コースが設定されています。
【観察ポイントB-1】 |
大師堂北側には、算盤玉石(石英)を含んだ白っぽい岩石の露頭があります。
これは、溶岩の流出の際、固結した流紋岩と考えられています。
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【観察ポイントB-2】 |
神社の周辺には小規模な照葉樹林が残されています。
また、社のすぐ東側には国土地理院の三等三角点(海抜191.7m)が設けられています。
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【観察ポイントC-1】 |
突堤の沖合い100m程度のところに干潮時には現れる砂州があり、サギ・カモメ・カモの類が見られます。
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【観察ポイントC-2】 |
神崎の西300m沖には岩礁が現れていて、ウミウ・カモ・カモメの類が見られます。
このあたりから兜山の北側にかけてコハクチョウも見られます。
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【観察ポイントC-3】 |
川上谷川の河口付近は、波の静かな湾の奥部で、水鳥の数や種類の最も多いところです。
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(京都府)
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登り口
駐車場に愛車を止めて、をその先へ進んでいくと、
程なくして広場へ降っていく石段が左へ分かれていきます。
その石段を見送って幅が少し狭まった道を進んでいくと、
降り坂になってきた所からが右へ分かれています。
駐車場から150mほどの所になります。
角には近畿自然歩道「」の道標が立っていて、
右の道は「かぶと山展望台0.8km」、正面の道は「かぶと山公園0.2km」、今来た道は「甲山駅2.1km」となっています。
その傍には「山頂展望台」「人喰岩」の道標もあって右の道を指しています。
ここが兜山へ続く探勝歩道の登り口になります。
登り口を見送って2分ほど進んでいくと、への道が分かれています。
園内にもがあるので、上記の駐車場が満車の場合には確認してみると良さそうです。
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探勝歩道は広めで、登り口付近はコンクリート舗装されて歩き易くなっていました。
右・左と曲がりながら、かなり傾斜のある坂道を登っていきます。
両側に熊笹が茂るようになった坂道を登っていくと、道は鋭く右へ曲がっていきます。
登り口から4分ほどの所になります。
左側にはや山並みなどが僅かに見えていました。
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少し傾斜が緩んだ道を登っていくと、次第に右側が開けてきて、
の街並みなどが見えるようになってきます。
登り口から7分半ほど登ってくると、手摺の設置された石段が現れます。
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石段を1分ほどで登り切ると道標が立っていて、この先の道は「山頂展望台」「人喰岩」、
今来た道は「野営場」となっていました。
右下へ分かれていく鉄パイプの手摺付きの階段もあって、
この右側の斜面は大文字の送り火が催される所のようでした。
右側が開けていて、や山並みなどを見渡すことができました。
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緩やかになった手摺付きの道を進んでいくと、程なくして横木の階段が現れます。
真っ直ぐに登っていくと、道の真ん中にがあります。
道はここで左へ曲がり、石段を真っ直ぐ登るようになります。
石段を10段ほど登っていくと、右側へ小径が分かれていきます。
登り口から13分ほどの所になります。
脇にはが立っていて、右の道は「人喰岩」、
正面の階段は「山頂展望台」、今登ってきた階段は「野営場」となっています。
兜山へは正面の石段を登っていくのですが、その前に人喰岩まで往復することにしました。
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人喰岩
数段の石段を降っていくと、その先は狭い坂道になります。
岩が剥き出していたりするので、足元に注意しながら降っていきます。
正面が開けてくると、探勝歩道から1分半ほどで人喰岩がありました。
へっぴり腰になりながら慎重に岩の上に出てみると、
街並みや山並みを一望できるが広がっていました。
右側には久美浜湾に注ぐの河口付近も見えていました。
何枚も写真を撮りながら、岩の上や手前からの眺めを楽しんでいきました。
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往復11分ほどで引き返してきて、幅の広いを真っ直ぐに登っていきます。
次第に息が切れてくるので、立ち止まって呼吸を整えながらゆっくりと登っていきました。
石段を1分ほど登っていくと、間隔の開いたになります。
両側に松の幼木が植えられた道を登っていくと、人喰岩への分岐から3分半ほどで、左右に通る舗装路に出ました。
かぶと山公園にあった案内図によると、
登り着いた舗装路は兜山の北側から東側へ続くになります。
出口には道標が立っていて、今登ってきた横木の階段は「人喰岩」となっていました。
それ以外の道標は見かけませんでしたが、兜山の頂上へは右へ進んでいきます。
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熊野神社
左へ曲がりながら続く舗装路を30秒ほど進んでいくと、兜山の山頂部に着きます。
人喰岩への立ち寄りも含めて、登り口から28分ほどで登って来られました。
左側の一段高い所にはがあります。
中にはが納められていました。
熊野神社
熊野神社は、『延喜式』神名帳に記載され、熊野郡の名称の由来にもなった神社と伝えられています。
平安時代の歴史書『日本三代実録』貞観十年(868)九月二十一日条に
「丹後国正六位上熊野神社」に「従五位下」を授ける記事があり、これは当社のことと思われます。
そもそも鎮座している甲山には祭祀遺跡もあり、「甲山」は「神山」が転じたものという説もあることから、
山全体が信仰の対象となっていたのではないかと考えられています。
『丹後旧事記』など江戸時代の地誌類には、丹波道主命の勧請、川上麻須郎の造立と伝えられています。
また『熊野神社』には、養蚕農家が境内の小石を借り受け、
家に祀るとネズミの害を逃れるという風習があったことが記されています。
現在の社殿の建立年代は不詳ですが、
昭和二年(1927)の丹後大震災により被害を受け上屋を再建した際の棟札が残されています。
(京丹後市教育委員会)
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兜山 (標高191.7m)
熊野神社の右へ10mほど進んだ所にがあります。
地形図に載っている191.7m峰になるようです。
三角点を過ぎていくと、「山陰海岸国立公園」と刻まれた石碑の先に展望台があります。
その傍には「兜山」や「京都府選定文化的景観」と題した解説板が設置されていました。
後日に来てみると 展望台はなくなっていて、
その代わりに、山頂を半周するようにしてが作られていました。
(「 兜山」を参照)
三等三角点
基本測量。
大切にしましょう三角点。
(建設省国土地理院)
兜山
久美浜町の兜山は久美浜湾の南東部に位置する、標高191.7mの独立した山です。
この山は硬くて風化しにくい岩石(流紋岩)できているため、周囲の侵食から取り残されたものと考えられます。
山頂部の展望台からは、久美浜湾や小天橋の姿が一望でき、市内でも有数の景勝地となっています。
久美浜公園から見えるきれいな円錐形の山体は、この地域のランドマークとして親しまれており、
毎年8月9日の千日絵には南斜面で大文字焼きが行われています。
ジオパーク
ユネスコが支援する、科学的に見て特別に重要である貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園のこと。
現在、鳥取県から京都府北部までにわたる山陰海岸をジオパークにしようとする取り組みが行われており、
平成20年12月に「山陰海岸ジオパーク」が「日本ジオパーク」に認定され、
平成22年10月に「世界ジオパークネットワーク」の加盟地域に認定されました。
(京丹後市観光協会)
(「できている」は「でできている」の誤記かと思われますが、そのまま載せておきます)
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展望台からは久美浜湾などを一望できる眺めが広がりますが、
鉄製の階段から屋上に出ると、更にになります。
久美浜湾と日本海を隔てる小天橋もよく見えていました。
左側の奥には久美浜町のも見えていました。
解説板に載っているはどこかと探していると、
湾に突き出す大明神岬の付近に筏が沢山浮かんでいましたが、
解説板に載っているとは少し様子が違っているようでした。
景色を楽しみながら、しばらく時を過ごしていきました。
京都府選定文化的景観
文化財の名称 |
京丹後市久美浜湾カキの養殖景観
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選定年月日 |
平成二十年三月二十一日
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所在地 |
京丹後市久美浜町
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区域 |
京丹後市久美浜町河内、湊宮、久美浜一区の各一部
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面積 |
約四七〇ヘクタール
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久美浜湾は日本海の内湾にあたり、湾の周囲は約二十八キロメートルに及ぶ。
久美浜町を流れる多くの河川を受け入れ、水戸口と呼ばれる部分で日本海に注いでいる。
この湾口は幅三十メートル、深さ三メートル、長さ三百メートルと狭小であることから
湾内は日本海の荒波を受けにくく、一年中波は穏やかである。
日本海に面した潟湖は、原始・古代を通じて、
大陸からの文物や高度な技術の導入をはかる上で欠かせない天然の良港であったため海上交通の基点となった。
隣接している函石浜遺跡から中国「新」の時代の鋳造された「貨泉」が出土していることから当時の交流の様子がうかがえる。
その後、こうした潟湖は、河川による土砂堆積により姿を消したものが多いが、
久美浜湾は現在まで潟湖が残る数少ない事例であり、現代では新たな生業の場として活用されている。
湾内の波が穏やかなことに注目した地元有志は、昭和十二年に試験養殖に成功し、
昭和二十五年頃からカキ棚を作って養殖を開始した。
その後養殖拡大方法の研究がなされ、昭和三十四年には久美浜湾に適した養殖技術が完成した。
現在湾内四箇所でカキ棚が敷設され総数は合計三百基を超える。
特に河内湾は海底までの深さが数メートルと浅いこともあり、
海面から杭を打ち込み、それに棚を敷設する昔ながらの方法が残っており、
当地の文化的景観を特徴づける大きな構成要素となっている。
波穏やかな久美浜湾内にカキの養殖筏が列をなして浮かぶ風景は、
京都府北部を特徴づける良好な文化的景観となっている。
(京丹後市教育委員会)
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登ってきた横木の階段の分岐まで引き返してくると、
その少し先に「」と題した案内図がありました。
内容的には麓の駐車場にあったのと同様ですが、少し古いバージョンのようでした。
登ってきた道を引き返すのも何なので、舗装路を通って甲山寺へ降っていくことにしました。
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兜山の北側から東側へ続く登山道は舗装されています。
小型車なら通っていけるだけの幅がありますが、かなり狭いので、対向車が来るとすれ違うのに難儀しそうな様子でした。
この時も登って降りてくる軽自動車を一台見かけました。
山頂の北側を進むようになると、道にまだが見受けられました。
大きく左から右へと曲がりながら降っていくと、
左側の樹木が低くなってが見える所がありました。
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大師堂
次第に右へ曲がって南へ降るようになります。
東向きに曲がる所まで来ると、右側の開けた所にお堂が建っていました。
兜山の山頂から12分ほど降った所になります。
名前を記したものは見かけませんでしたが、これまでに見かけた案内図によると大師堂というようです。
「西国八十八ヶ所新霊場」の板が掲げられていて何やら書かれているようでしたが、ほとんど消えていて判読できませんでした。
周囲には番号が刻まれた小振りのが沢山ありました。
ほとんどは野晒しの状態でしたが、中には簡単なに納められたのもありました。
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車幅ゲート
大師堂を後にして2分ほど降っていくと、道の左右にH型鋼の柵が設置されていました。
車止めのように道を閉ざす仕組みにはなっていないので、通行する車輛の幅を制限する目的で設置されているようでした。
この登山道は大きめの車が通るには幅が狭いので、その対策のように思えました。
正確な幅は分かりませんが、靴の何個分かを測っておいて、帰宅後に靴のサイズを掛けてみると、幅は約210cmとなりました。
側面を擦らないよう余裕をみると、小型車なら何とか通り抜けられそうでした。
後日に来てみると、「車での進入はご遠慮ください」の旨の立て看板がありました。
お願い
道幅狭し
車での進入はご遠慮ください。
山頂展望台へは、キャンプ場側からの登山道をご利用ください。
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車幅ゲートを過ぎて3分ほど進んでいくと、登山道は左へ曲がっていきます。
兜山の山頂から20分ほど降った所になります。
正面には舗装路が降っていて、右側のマウンドの先にもが続いていました。
これまでに見かけた案内図によると、正面と右側の道は甲山寺へ続いているように思えました。
正面の舗装路も気になりましたが、舗装路よりも山道を歩く方が風情がありそうだと思って、
入口に小振りの石仏が佇む山道に入っていきました。
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山道には大師堂で見かけたのと同様のが、短い間隔で点々と佇んでいました。
舗装路の部分では見かけませんでしたが、舗装路が出来るまでは、大師堂まで続く巡礼の道だったのでしょうか。
右・左と曲がりながら、山道にしては広めの道を降っていきます。
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やがて正面が開けてお堂が見えてくると、左側から降ってくるに出ました。
舗装路の曲がり角から正面に分かれてきた道のように思えましたが、確かめた訳ではありません。
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甲山寺
大きなモミの木の袂を過ぎていくと甲山寺の境内に降り立ちました。
舗装路と分かれてから4分ほど、兜山の山頂から25分ほどで降りて来られました。
本堂に向かって右側にはお堂や庫裡があり、左側にはがありました。
更に左側にはのお堂があって、「南無不動明王」の幟が立っていました。
その左側は墓地になっていました。
本堂との間に流れる小川の傍にはの祠があって、「南無辨財天」の幟が立っていました。
熊野山 甲山寺 真言宗
本尊 阿弥陀如来(阿弥陀三尊佛)
当寺は天平八年四月行基の開山による創立と伝えられ、
甲山(兜山)山上、式内熊野神社の別当寺である。
本堂本尊は熊野神社の本地佛阿弥陀如来を安置し、
庫裏には天正年間兵火により焼失した利剣山大盤寺の本尊石造不動明王(秘仏)を祀っている。
庫裏及前庭や後の庭は宝暦年間の造営である。
当寺と熊野神社の中間に山上での祭祀に用いた閼伽の井(升池)がある。
(京丹後市教育委員会)
真言宗宗歌
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
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甲山寺のから出ていくと、すぐに国道178号の点滅式信号の交差点に出ます。
その右側すぐの所からは、かぶと山公園の駐車場へ向かう時に通ったかぶと山一周道路が分かれています。
その道を通って、最初の駐車場へ向かっていきます。
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登り坂になった道路を進んでいきます。
甲山寺の墓地の脇を登っていくとを過ぎていきます。
坂を登り切って傾斜が緩やかになってくると、右側には家が数件建っていました。
名前などを記したものは見かけませんでしたが、最初の駐車場で見かけた「兜山鳥獣保護区区域図」には
「陶寺」と記されている辺りになります。
趣のあるもありました。
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人喰岩ビューポイント
門の前を過ぎていくと、道端に「」の標識が立っていました。
そこを過ぎて降り坂になってくると、右上には先ほど登った人喰岩がよく見えていました。
しばらく眺めていると、大きな口を開けている人の顔のようにも思えてきます。
口の辺りに赤土のようなものが見えますが、一番嫌いなものを聞き出して、
もう人を喰わないようにと、赤土を岩の口に詰めたという民話が残っているようです。
そのやにも大きめの岩が露出していました。
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かぶと山公園
坂道を降って、その先へ軽い登り降りを繰り返しながら進んでいくと、
愛車の待つかぶと山公園の駐車場に戻ってきました。
甲山寺から19分ほどで到着しました。
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