| 概 要 |
養父市・豊岡市・朝来市の境にある555.0m峰(点名:川見)へ登ります。
豊岡市と養父市の市境にある出石街道峠の南側から作業道を進み、
途中で支尾根に取り付いて市境尾根に出て山頂へ登り、北側を通る林道へ降るルートを周回します。
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| 起 点 |
養父市 高中地区
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| 終 点 |
養父市 高中地区
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高中地区…(作業道)…尾根取付…555.0m峰…林道出合…(林道)…車道出合…(車道)…出石街道峠…高中地区
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| 所要時間 |
2時間00分
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| 歩いて... |
市境尾根までの支尾根や山頂から林道に降る尾根に明瞭な道はなく、
アセビなどが少し茂る所もありますが、薮漕ぎするほどではありません。
市境尾根には境界杭が点々と続いて歩き易くなっています。
山頂は樹木に囲まれていて眺めは広がりません。
林道には半分ほど崩落した所があり、道を塞ぐ倒木が何ヶ所もあるので、車では走行できない状況です。
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| 関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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高中地区
豊岡市の出石町を通る国道426号のほたる橋交差点から県道10号を南下していきます。
奥山川に架かる和屋橋を渡った所にあるから県道255号(*)に入っていきます。
出石街道峠を越えて養父市の高中地区へ入ると、すぐの所に広場があります。
上下二段になった駐車場のような所が左側にあるので、ここに車を止めさせて頂きます。
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には「出石街道峠」の石碑や石仏が並んでいます。
奥のには「仙石候 駕籠置石」があります。
*途中で「林道上村・米地線」の看板を見かけますが、峠の前後は「林道」なのかも知れません。
出石街道峠
その昔、山陰道から分かれて出石郷、三江庄へと向かう旅人は、米地谷を行くこの峠道を越えた。
米地を三江路と記した中世の文書がこのさまを物語っていよう。
江戸時代、出石の仙石候も江戸参勤の往き還りにこの峠を登り、
ここに復元の台場にしばしかごを休め領内の眺望を楽しんだ。
米地の人々の出石への生活の道でもあった。
年に一度は出石たんぼへ出稼ぎに行く耕牛の群が越えた。
今日面目改まったこの峠道に「出石街道峠」の碑を呈し、ふるさとの昔をしのぶよすがとするものである。
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山際に続くを進んでいきます。
入口に「関係者以外車両の通行を禁止します」の看板が出ていますが、歩くのは問題なさそうです。
車止めと思われるロープを跨いでいくと、すぐにがありますが、
降り坂の右の道は見送って左の道を登っていきます。
を左へ回り込むように進んでいきます。
何処かに登れそうな所はないか探しながら進みますが、法面が高くて取り付けそうな所はありません。
少し進んで、を右へ回り込んでいきます。
傾斜が増した道を登って支尾根に着くと分岐があります。
ここは戻るように続く道を登っていきます。
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尾根取付
が少し茂る道を登っていきます。
傾斜が緩やかになると、を左へ回り込むように進んでいきます。
程なくして、作業道が分岐している支尾根に出ます。
駐車地から8分ほどの所になります。
法面が低くて登れそうなので、ここで作業道と別れて右側のに取り付きます。
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思いのほか傾斜が急なを登っていきます。
明瞭な道は無くなどが茂る所もありますが、登るのに支障はありません。
近づいてくるに向かって、息を弾ませながら登っていきます。
脇の樹木に手を掛けたりしながら登っていくと、傾斜が少しきます。
右へ曲がりながら登っていくと、東西に延びる市境尾根に出ます。
尾根取付から9分ほどの所になります。
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歩き易くなったを登っていきます。
養父市と豊岡市の境界になっている尾根には、「国土調査」の白頭短杭や「兵公施界」の赤頭短杭などの境界杭が点々と続いています。
少し傾斜が増してくるを登っていきます。
樹間に僅かになどが見える所もありますが、総じて眺めは広がりません。
が巻かれた樹木を所々で見かけますが、傍にある橙プラ杭の場所を示しているようです。
曲がりながら続く尾根を登っていきます。
「地籍図根」のも時々見かける尾根を登っていきます。
しばらく登っていくと、標高470mほどの緩斜地に出ます。
尾根取付から17分ほどの所になります。
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左を振り返って、樹間にを眺めながら進んでいきます。
少し登っていくとになります。
点々と続く境界杭を眺めながら進んでいくと、が増してきます。
振り返るとがある山並みが見えますが、方角からすると蘇武岳のある稜線でしょうか。
しばらく登っていくと傾斜がます。
少し右へ曲がりながら登って緩やかになると、標高510mほどの尾根の肩のような所に出ます。
尾根取付から26分ほどの所になります。
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僅かな起伏で続くを進んでいきます。
少し傾斜が増したり緩やかになったりするの尾根を進んでいきます。
しばらく進んでいくと、曲がりながら登るようになります。
まだ続いているを眺めながら登っていきます。
やがて見えてくる山頂へ向かって登っていきます。
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555.0m峰
広がってくる尾根を登っていくと、が増してきます。
山頂の手前まで来ると、が煩わしくなります。
細い木々をプチ薮漕ぎしながら抜けていくと、伐採された跡に松の幼木が茂り始めた山頂に着きます。
尾根取付から37分ほどで登って来られました。
中ほどには「川見」があるので、地形図に載っている555.0m峰になるようです。
ここは養父市・豊岡市・朝来市の境界になっているようです。
周囲には樹木が茂っていて残念ながら眺めは広がりませんが、
冬枯れの樹間に少し見えるを眺めたりしながら休憩していきます。
あと数年して松の幼木が今以上に育つと、三角点の標石が分かり難くなりそうです。
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降り口が明瞭ではありませんが、方角を良く確認してを降っていきます。
曲がって、傾斜が増してくる斜面を降っていきます。
この尾根には市境尾根にあったような境界杭は見かけませんが、行く手を阻まれるような所はありません。
右の樹間に谷向かいのを眺めながら降っていきます。
次第に尾根の背がはっきりしてくると、背丈の低いが茂る所を過ぎていきます。
少し曲がりながら降って雑木林と植林地を分ける尾根になると、標高500mほどの緩斜地に出ます。
555.0m峰から9分ほどの所になります。
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を避けたりしながら進んでいきます。
降り坂になると、少し曲がっていきます。
程なくしてが続くようになりますが、
支線だけになったり地面を這ったりしていて役目を終えているようです。
が少し茂る所もありますが、歩く妨げにはなりません。
アセビがしばらく見られる尾根を降っていきます。
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林道出合
しばらく降っていくと、が増してきます。
程なくして、左右と正面にが見えてきます。
真っ直ぐ降っていくと、三叉路になった林道に降り立ちます。
555.0m峰から21分ほどで降りて来られました。
振り返って、降ってきたを眺めていきます。
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正面の尾根の左斜面に続くを進んでいきます。
林道には石がゴロゴロしていて、半分ほどした所もあります。
少し曲がりながら続く軽い降り基調のを淡々と進んでいきます。
道を塞ぐを跨いだりくぐったりしながら進んでいきます。
支尾根の先端を回り込んでいきます。
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幾つもあるを跨いだりしながら進んでいきます。
正面に山が見えてくると、が少し増してきます。
右へ曲がりながら降っていくと、車ののようなものが落ちています。
錆び付いているので、かなり前に捨てられたようです。
傾斜が緩やかになると、またあるを跨いでいきます。
切断された倒木もありますが、何故だか道を塞ぐ形で残されています。
傾斜が増して正面が開けてくるとヘアピンカーブに出ます。
林道出合から18分ほどの所になります。
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道なりに折れ曲がるように降っていきます。
が茂って石がゴロゴロする林道を軽く降っていきます。
を回り込むように進んでいきます。
何度もあるを跨いだりしながら進んでいきます。
登っていけそうなを回り込んでいきます。
僅かに水が流れる谷筋を回り込んでいきます。
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が剥き出す法面に沿って進んでいきます。
が茂るようになる所を左へ回り込んでいきます。
ススキを見かけなくなるとになります。
軽く降っていくと、またを回り込んでいきます。
これまで降り基調で続いてきた林道は、谷筋を回り込むと登り坂になります。
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車道出合
林道にが見られるようになりますが、先ほどの谷筋の辺りまでは車で入って来られるようです。
緩やかな所を過ぎて、またになる林道を進んでいきます。
明るくなってくる正面へ向かって登っていくと、コンクリート補強されたを過ぎていきます。
程なくして左右に通る車道に出ます。
林道出合から35分ほどの所になります。
振り返ってを確認していきます。
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出石街道峠
左へ続くを登っていきます。
少し進んでいくと、を回り込んでいきます。
右側にを眺めながら登っていきます。
曲がりながら登っていきます。
やがて切通のようになったが見えてきます。
傾斜が緩やかになると、豊岡市と養父市の境になっている出石街道峠(*)に着きます。
*高中そばで見かけたイメージ画によると高中峠とも呼ぶようです。
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高中地区
峠を越えて降り始めると、すぐに「出石街道峠」の石碑や駐車場のような所があるに着きます。
石碑や石仏が並んでいるのはの駐車地の脇になります。
左へ少し登っていくと、車を止めておいた上段の駐車地に着きます。
車道出合から11分ほどで到着しました。
正面に広がるを眺めてから家路につきます。
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お昼を過ぎた時刻になったので、養父市側にある高中そばに立ち寄って食事をしていきました。
にはテーブル席と座敷席があります。
のイメージ画も掲載されています。
を見て、を注文しました。
(所要時間に含めず)
優良蕎麦処 高中 元気溌刺 親切第一 品質第一
| (1)水とそば粉を用意します |
(2)水を数回に分けて加えます |
(3)つなぎの山芋を加えます |
| (4)まぜこみます |
(5)小さな固まりができてきます |
(6)大きな固まりになってきます |
| (7)くくった生地をねります |
(8)どんどんねります |
(9)打ち粉をふって生地をのせます |
| (10)手をうまく使って円盤状に |
(11)のし棒で生地を延ばします |
(12)角出しをしていきます |
| (13)延ばして |
(14)正方形状にします |
(15)たたんで |
| (16)切っていきます |
(17)多めのお湯でゆでます |
(18)おいしい高中そばの完成! |
出石藩参勤交代の絵ではありません。(参勤交代のイメージ画です)
参勤交代制度は、大名が隔年、あるいは数年ごとに江戸へ出向き、将軍に謁見したものである。
それは諸大名に服従を誓わせるためであった。
◎行き 寺坂〜但東町久畑を経て福知山〜山陰道へ
◎帰り 山陰道より和田山〜養父市場本陣(現石田石氏宅)午前9時頃着、正午出石藩へ出発した
養父本陣に着くと、先達が高中地区へ走り出石藩の行列が高中峠にさしかかることを告げ、地区民の強勤者を要請した。
江戸〜出石間 4月〜6月期に、短期行程日22〜23日間 長期行程日28〜29日間
出石藩主の乗った駕籠を谷川に沿って横向きに担ぎ、急な山道を登った。
頂上には藩主と駕籠を置いた平らな石が今も残っている。
江戸からの帰りで一番の難所と思われる高中峠を無事に越えるためには、高中部落は重要な地区であった。
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