概 要 |
養父市八鹿町の宿南地区にある166.2m峰(点名:宿南)へ登ります。
東側の峠付近から尾根に取り付いて166.2m峰に登り、北東側にある青谿書院へ降るミニルートを周回します。
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起 点 |
養父市八鹿町 宿南地区
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終 点 |
養父市八鹿町 宿南地区
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宿南地区…尾根取付…166.2m峰…青谿書院…宿南地区
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所要時間 |
1時間20分
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歩いて... |
一般的な登山道ではないので標識類はなく、明瞭な道もありませんが、行く手を阻むような藪漕ぎはありません。
樹木に囲まれた尾根が続き、残念ながら眺めはあまり広がりません。
青谿書院は休館日で開いていませんでした。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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宿南地区
豊岡の市街地から国道312号を南下し、を過ぎた所から右へ分かれていく道に入っていきます。
すぐに右にS字形に曲がって真っ直ぐ進み、を渡っていきます。
十字路を直進した先の「青谿書院」の標識の出るを直進していきます。
左や右にある墓地を過ぎて峠の手前まで来ると、宿南減菌室の先の路肩が広がっているので、ここに車を停めさせて頂きます。
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尾根取付
峠へ向かってを軽く登っていきます。
峠の手前まで来ると尾根の先端があります。
明瞭な道は見かけませんが、ここから尾根に取り付くことにします。
写真ではよく分かりませんが、は思いのほか傾斜が急なので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。
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樹木が少し煩わしくなるを登っていきます。
しばらく登って傾斜が緩んでくると、左側にがあります。
なだらかな所に出てみると、手前の樹木に邪魔されながらもを見渡せます。
先へ登っていくと、のような所に着きます。
右へ曲がって、緩やかになった尾根を進んでいきます。
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次第に軽いになります。
が茂る所もありますが、登る妨げにはなりません。
のようになる尾根を登っていくと、所々に桃テープが見られます。
少し右へ曲がりながらを登っていきます。
手前の樹木が邪魔をしていますが、山並みが見えてきます。
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茂るの脇を過ぎたりしながら登っていきます。
が近づいてくると、次第に傾斜が緩んできます。
気を取り直して登っていくと、アセビが少し見られる尾根の肩のような緩やかな稜線に着きます。
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166.2m峰
左へ曲がって軽く降り、を進んでいきます。
程なくして軽いになります。
真っ直ぐ登っていくと緩やかなに着きます。
中ほどには三等三角点「宿南」があるので、地形図に載っている166.2m峰になるようです。
尾根取付から23分ほどで登って来られました。
周囲には樹木が茂っていて、樹間に少しが見える程度です。
花を咲かせたを眺めたりしながらひと息入れていきます。
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山頂の様子を確認したら、を引き返していきます。
軽く降っていくとになります。
軽く登り返していくと、南東から稜線に登り着いたのような所に出ます。
を降っていきます。
少し降っていくと尾根が二俣に分かれていますが、右の尾根を降っていきます。
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正面の樹間にを眺めながら降っていきます。
樹木が茂り気味の尾根を降っていくとになります。
少し進んだ所を曲がりながら降っていきます。
左の樹間にを眺めながら降っていきます。
緩やかになってくる尾根を進んでいきます。
樹木が茂り気味ですが、行く手を阻むほどではありません。
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次第に降り坂になるとへ入っていきます。
右の樹間にが見えてきます。
右側は浅い谷筋になっていて、容易に降りていけそうです。
車を停めてきた駐車地には近道になりそうですが、青谿書院へ降るべく正面の尾根を進んでいきます。
何度も墓地を眺めながら降っていくと、広くてになります。
植林地が終わると、倒木が見られる明るいになります。
程なくして、左側に赤テープが巻かれた樹木があります。
166.2m峰から26分ほどの所になります。
尾根は正面へ続いていますが、小径が見られるので、左の斜面を降っていくことにします。
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青谿書院
少し降って緩やかな所に出ると、鉄柵で囲まれたがあります。
柵には「青谿書院のモミ」と題した小札が取り付けられています。
小径を探しながら、松の幼木などが茂る斜面を進んでいきます。
赤テープを辿って右・左と曲がりながら、樹木や半枯れの笹などが茂り気味のを降っていきます。
程なくしてに出て、右へ曲がっていきます。
少し先を左へ曲がっていくと、またに出ます。
右へ曲がって進んでいくと、青谿書院の端に出ます。
166.2m峰から32分ほどで降りて来られました。
青谿書院のモミ
弘化4年(1847)池田草庵先生と塾生達が青谿書院の開塾を記念してモミを植えました。
平成30年(2018)に枯死したことから伐採しましたが、つぎ木による苗の増殖が成功し、
令和4年(2022)3月3日植樹し、里帰りを果たしました。
つぎ木苗増殖:森林総合研究所材木育種センター関西育種場
令和4年3月 宿南小学校・宿南地区自治協議会・養父市
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白壁の蔵の横を過ぎて石段を降っていくと、青谿書院のの脇に出ます。
手前には「青谿書院記」と題したがあります。
開講時に植えられたモミと思われる大きなもあります。
建物の正面に回ると玄関がありますが、この時は休館日で開いていませんでした。
壁には解説板が掲げられています。
建物の先にがあって、
先ほどと同様の「青谿書院のモミ」の小札が取り付けられたモミの幼木があります。
近くには「県指定文化財 青谿書院」の解説板があります。
青谿書院は弘化4年(1847)から明治11年(1878)までの32年間、池田草庵先生が門人と寝食を共にして学んだ漢学塾である。
昭和45年に兵庫県指定文化財となった。
草庵先生の門人は673人に及び、京都府知事北垣国道、横浜正金銀行頭取原六郎、文部大臣久保田譲など、多くが近代日本の発展に貢献した。
現存する塾舎は、松下村塾や藤樹書院と並ぶ貴重な建物である。
草庵先生の教えは肄業餘稿に490条にわたって示されている。
19条 志は高遠を期し、効は切近を貴ぶ
93条 学ぶものは事を厭い、労を辞すべからず
143条 人は欺くべくも、自らは欺くべからず
172条 読書は精を貴び、用功は実を貴ぶ
草庵先生を学ぶ本には次のものがある。
『肄業餘稿・但馬聖人・池田草庵』(平成10年)、
『青谿書院−明治・大正・昭和・平成−』(平成10年)、
『池田草庵先生遺墨集』(昭和60年)、青谿書院保存会発行。
『草庵先生と青谿書院』(平成24年)、青谿書院保存会発行。
主な建物 |
二階建の青谿書院、平屋建の便所と物置の3棟が当時の建物。
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門人の便所 |
夜10時の消灯後に門人が便所で学ぶために使ったローソクのこげ跡が板戸の内側に残る。
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記念樹 |
弘化4年、開塾を記念して樅・松・樫を植樹した。
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石碑 |
明治13年、草庵先生没後「三年祭」に青谿書院記を石碑に刻み建立、文は草庵先生、書は長三州による。
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県指定文化財 青谿書院
指定年月日 昭和45年3月30日
所有者・管理者 青谿書院保存会
青谿書院は但馬聖人といわれる池田草庵の私塾で、草庵が35歳の弘化4年(1847)から明治11年(1878)まで開講していた。
建物は二階建ての茅葺で、一階の山側奥の6帖間が草庵の居室で、ふたつの8帖間は客室と講堂を兼ねていた。
草庵は、朱子学と陽明学を融合させた「慎独」を重んじた学問を教え、ここで66歳の生涯を閉じている。
関東から九州に及ぶ各地からの門弟673人が学び、
その中には北垣国道(京都府知事)、久保田譲(文部大臣)、浜尾新(第2代東京帝大総長・文部大臣)等の多くの人材を輩出している。
平成2年11月 兵庫県教育委員会
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を降りていきます。
少し降っていくと「兵庫県史跡 青谿書院」と題したがあります。
右へ曲がって更に降っていくとに出ます。
左のすぐ先には、と青谿書院駐車場があります。
振り返って、青谿書院を眺めていきます。
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宿南地区
正面に進美寺山を眺めながら北東へ続く道を進んでいくと、「青谿書院」の看板が立つに出ます。
右へ曲がって登っていくと、左側にがあります。
石碑などによると、宗恩寺の霊園で「泰廣苑」というようです。
少し左から右へ曲がりながら登っていくと、右側にもがあります。
尾根から見えていた墓地のようです。
真っ直ぐ登って宿南減菌室を過ぎると、車を停めておいた駐車地に着きます。
青谿書院から10分ほどで到着しました。
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