蛇山 散策:2025年02月14日(金)
散策情報 [cn766] 蛇山
概 要 蛇山は丹波市山南町にある標高358mの山です。 山頂付近は岩尾城跡になっていて、曲輪跡や石垣などが見られます。 小学校コース・だるま岩コース・親縁寺コース・和田下町コースがあるようですが、 今回はだるま岩コースから蛇山へ登り、東へ延びる尾根を狭宮神社へ降るルートを周回します。
起 点 丹波市山南町 和田地区
終 点 丹波市山南町 和田地区
ルート図 和田地区…登山口…達磨岩…蛇山(岩尾城跡)…258m峰…下町稲荷分岐…法性寺分岐…狭宮神社…和田地区
所要時間 3時間20分
歩いて... 麓から山頂まで登山道が整備され、標識やテープが続いていて分かり易いものの、急坂があって汗が滲んできました。 山頂や途中の尾根からは眺めが広がります。 降りの尾根にも木や岩に手を掛けながら降る急坂があります。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介 マップ類】 【スライドショー
和田地区
丹波市を通る国道175号の草部交差点から県道109号に入り、和田大橋交差点と小新屋橋交差点を過ぎていくいと、 「認定こども園 わだ」の看板が出る分岐があります。 右折していくと和田地域づくりセンターの駐車場があります。
建物の窓には「岩尾城跡登山者用駐車場」「なんぼなと停めてね」と掲げられているので、 ここに車を停めさせて頂きます。 外から入れるトイレも設置されています。 右の道路側にパンフレットが置かれているので、ひとつ貰っていきます。 「岩尾城址イラストマップ」や「岩尾城縄張り図」が載っています。
郷関を守る復興の城 岩尾城址 県指定文化財
岩尾城は、標高358mの蛇山の山頂にあり、和田日向守斉頼が永正13年(1516)に築城したと伝えられています。 その子、作右衛門師季が跡を継ぎましたが、明智光秀の丹波攻略によって天正7年(1579)に落城しました。 その後、天正14年(1586)になって近江から佐野下総守栄有が入封して城郭を改修しました。 やがて豊臣秀吉の命によって廃城となり、慶長元年(1596)に破却されました。 ゆえに和田氏が築いた戦国時代の実戦用の山城遺構の上に、佐野氏によって小さいながらも天守台を築き、 幾重にも石塁をめぐらせた近世城郭へと修築されているのです。 このように城郭様式が混在した城址は日本城郭史上貴重な遺構です。 また、山腹の井戸は往時のままの姿をとどめており、山城の堀井戸として全国的にも珍しく貴重な遺構です。 本丸からは領内を眼下に見おろし、遠く穂壺城、後山城、霧山城、高山寺城、黒井城の出城千丈寺砦、 また播磨への街道筋も一望できます。
(1)和田小学校登山ルート(所要時間約40分)
小学校を通るルートのため、平日は職員室へ連絡が必要。 校舎裏手の、校山園の石段をあがると裏山へ行く道がある。 動物避けの金網の扉を開けて入る。(必ず閉めること) 急斜面をジグザグに登ると南側からの親縁寺ルートと合流する。 そのまま尾根伝いに進み下知殿丸曲輪を経て天守台へと向かう。
(2)だるま岩《郵便局》登山ルート(所要時間約40分)
郵便局東側からだるま岩を経て岩尾城へ向かうルート。 裏山に動物避けの金網の扉があるので開けて入る。(必ず閉めること) 右から登ってくる親縁寺ルートと合流し、だるま岩の家の道を登って南曲輪・下知殿曲輪を経て天守台へ向かう。
(3)親縁寺《大手筋》登山ルート(所要時間約40分)
親縁寺の境内からだるま岩を経て岩尾城へ向かうルート。 かつての大手道。 境内の南端に動物避けの金網の扉があるので開けて入る。(必ず閉めること) 左から登ってくる郵便局ルートと和田小学校ルートと合流し、視界が開けた尾根を北に登り、天守台へ向かう。
(4)和田下町《稲荷神社》登山ルート(所要時間約100分)
和田東側の稲荷神社(釼光稲荷大明神)の赤い鳥居を潜って登る。 眼下に加古川を眺めながら尾根伝いに登り、岩尾城の古城北側堀切へ出るルート。 登山道の距離も長く整備があまり出来ておらずブッシュを進む上級者向き。
登山口
和田小学校の前を右折していきます。 程なくして、左の山に剥き出す大きな露岩が見えてきます。 その右の方にあるしめ縄の張られた岩が達磨岩のようです。 和田郵便局前バス停を過ぎていくと、「トミタ20」「ワカバヤシ10」の小札が取り付けられた電柱の立つ分岐があります。 左折して、山へ向かって進んでいきます。 山際まで来て石段を登り始めると防護扉があります。 「有害鳥獣防除事業」の標柱が立つばかりですが、ここがだるま岩コース登山口になります。 駐車場から7分ほどの所になります。 三ヶ所に掛けられた針金を外せば扉を開けられます。
防護扉を通過して植林地の斜面を登り始めると、また防護扉があります。 ここは上下に設けられた小レバーを回せば開けられます。 防護扉を通過したすぐ先には「だるま岩コース1/12」の標識が立っています。 少し先を左へ曲がって石段を登っていくと、「だるま岩コース2/12」の標識の所を右へ曲がっていきます。 擬木の階段を登り始めるとロープが垂らされていますが、掴まらなくても登っていけます。 傾斜が緩やかになると朱色の鳥居が立っています。 前方から登ってくる道が合流してきますが、手前に立つ標識によると親縁寺コースでしょうか。 左へ曲がって鳥居をくぐっていくと、東屋が建つ小広い所に出ます。 正面にあるのが大福稲荷神社のようです。 登山口から6分ほどの所になります。
達磨岩
神社と東屋の間から登山道が続いています。 入口には「だるま岩コース3/12」の標識が立っています。 これまでは神社の参道だったようで歩きやすい道でしたが、この先は普通の山道になります。 岩が剥き出すようになる急な道を登っていくと、正面が明るくなってきます。 明るい所に出ると、「達磨岩」の標識が立っています。 登山口から13分ほどの所になります。 しめ縄が張られた達磨岩の袂や上側は、眺めの広がる展望地になってます。 画像群
車を停めてきた和田地域づくりセンターも良く見えます。 スイングパノラマでも写しながら、ひと息入れていきます。
落ち着いたところで、両側にシダ類が茂る道を登っていきます。 「岩尾城跡/親縁寺・だるま岩」の標識を過ぎていきます。 傾斜が緩やかになると「休憩所」の標識があります。 丸太のベンチの先には眺めが広がります。 両側にシダ類が茂る道を更に登っていきます。
少し登っていくと緩やかな所に出ます。 左側に眺めが広がる展望地になっています。 軽い降り坂になる尾根を進んでいきます。 傾斜が緩やかになると分岐があります。 登山口から26分ほどの所になります。 左から登ってくる道は小学校コースのようです。 右側には小学校コースから登ってくる向きに標識が二つ並んでいて、 この先の道は「岩尾城跡」「左 南曲輪、下知殿丸曲輪を経て岩尾城にいたる」、 今来た道は「親縁寺」「右 大手門曲輪を経て下屋敷親縁寺にいたる」となっています。
登り坂になる尾根を進んでいくと、右の高みに「休憩所」の標識が見えます。 登山道は正面へ続いていますが、気になるので休憩所に立ち寄っていきます。 右の道をひと登りすると、丸太のベンチが設置された小広い所に出ます。 右側に山並みを見渡せる展望地になっています。 真っ直ぐ進んできた道に出て進んでいくと、程なくして登り坂になります。 「(蛇山)6/12」の標識まで来ると、尾根の背を外れて左斜面を進むようになります。
また両側にシダ類が茂るようになる道を登っていきます。 右から左へ曲がりながら登って尾根の背に復帰すると緩やかな道になります。 緩やかな尾根を進んでいくと、「(蛇山)7/12」の標識を過ぎていきます。 程なくして、間隔の広い横木の階段を登るようになります。 振り返って山並みを眺めながら進んでいきます。 程なくして「休憩所」の標識が立っています。 登山口から41分ほどの所になります。 振り返って景色を眺めながらひと休みしていきます。
気を取り直して、更に続く尾根を登っていきます。 石が剥き出す所もある尾根を登っていきます。 程なくして僅かな高みに着きます。 登山口から47分ほどの所になります。 脇には「(蛇山)8/12」の標識が立っています。 傍に「南曲輪」の解説板があって、この辺りから岩尾城の縄張りになるようです。 軽く降るようになると、石垣のある山が正面に見えてきます。 これから向かう蛇山岩尾城跡天守台になります。
南曲輪
傾斜地をけずり平らにして造った広場です。 周りを急傾斜にし敵兵が侵入しにくく造ってあります。 戦時はここにも兵をおき城を守りました。 この所を曲輪と言います。
登り坂になる尾根を進んでいきます。 少し登っていくと、「休憩所」の標識が立つ高みに着きます。 脇には「下知殿丸曲輪」の解説板もあります。 丸太のベンチも設置されていて、山並みが見える展望地になっています。 軽い降り坂になる尾根を進んでいきます。 降り傾斜が増してくると堀切に着きます。 登山口から51分ほどの所になります。 中ほどには「(蛇山)9/12」や「天守台へ」の標識があって左を指しています。 「堀切と掘井戸」の解説板もあります。
下知殿丸曲輪
この曲輪は、東・南・西の三方面のふもとから尾根があつまり、敵兵を防ぐのに重要な位置にあります。 南北に約60m、東西に15mの長靴状の曲輪です。
堀切と掘井戸
ここは、堀切といって、ふもとから攻めてきた敵兵を防ぐために人工的に掘って造った深い谷です。 ここから少し左に行くと堀井戸があります。 標高300m近い山上にあるめずらしい井戸です。 深さが約7mあるとされています。
標識に従って、左へ続く道を進んでいきます。 軽く降って、木の束が柵のように置かれた所を過ぎていきます。 登り坂になると、鉄格子で囲まれた掘井戸があります。 井戸を覗いてみると、水が結構溜まっています。 斜面を斜めに登っていくと分岐があります。 ここは「天守台」や「(蛇山)10/12」の標識が指す右の道を登っていきます。
石ゴロ道を登っていきます。 程なくして右側に眺めが広がってきます。 「登山道」の標識が立つ分岐まで来て、左へ進んでいきます。 岩が剥き出す斜面を横切るように登っていきます。 狭くなる道をしばらく登っていくと「(蛇山)11/12」の標識が立っています。 右へ曲がって石段を登っていくと、「(蛇山)12/12」の標識を過ぎていきます。
石垣の手前まで来て、右へ進んでいきます。 石垣の間にある石段を登り始めると、左側のなだらかな所に「西の丸」の標識と解説板が立っています。 右へ続く石垣に沿って進んでいきます。 今来た道を指す「西の丸」の標識まで来ると、蛇山天守台が見えてきます。 標識の脇から中ほどに出て右の高みへ登ると、「史跡 岩屋城跡(天守台)」の標柱が立っています。 登山口から1時間5分ほどで登って来られました。
西の丸
修築によって、古城本丸の西がわに張り出した曲輪で、高さが4mの石垣で三方をがっちりと固めています。 丹波の山城の石垣遺構の中でも最もすぐれたものと言われています。
振り返ると、すぐ先に蛇山の高みがあります。 標柱の反対側にも同じ文字が書かれています。 東側の一段低い所に降りると、「和田地域周辺図」と「岩尾城中心部の縄張り図」が載っている解説板があります。 振り返ると、石垣の傍に「天守台」の解説板があります。 お昼には少し早い時刻でしたが、ベンチに腰掛けて、目の前に広がる景色を眺めながら昼食タイムにしました。 画像群
岩尾城中心部の縄張り図
蛇山岩尾城の歴史と文化的特色
歴史  戦国時代永正13年(1516)、和田日向守斉頼(3750石)が築城する。 天正7年(1579)、織田軍(明智光秀)の丹波攻めにより落城する。 豊臣秀吉の時代、天正14年(1586)、佐野下総守栄有が再建する。 慶長元年(1596)、秀吉の城取り壊しの命により廃城となる。
特色  和田氏が築いた中世戦国時代の山城(土塁使用)ち、佐野氏によって改修された近世初頭の新しい城郭様式(石垣使用)とが混在した城郭であり、 日本城郭史上非常に貴重とされている。
天守台
ここは、岩尾城の心臓部で天守閣のあった所です。 縦9m・横6mの長方形でさほど大きくはありませんが、高さ3mの石垣で築かれ本城の最高所に位置しています。
蛇山(標高358m)
天守台の反対側の高みに「蛇山358m」の標柱が立っています。 袂には「蛇山358m」と書かれた可愛らしい丸い石があります。 ここでも広がる山並みを眺めていきます。 東の方角には下山時に歩く稜線が見えますが、かなり起伏がありそうです。 振り返って、天守台のある高みを眺めていきます。
しばらく居た蛇山の山頂部を後にして、北から東へ延びる尾根を通って下山していきます。 高みの手前から「縦走コース」や「稲荷山登山口」の標識が立つ登山道を降っていきます。 すぐにロープが張られた急坂になります。 ロープに掴まりながら慎重に降っていくと、緩やかな尾根になります。 先ほどの縄張り図によると曲輪があった所のようです。 振り返って、蛇山を眺めていきます。
少し右へ曲がりながら進んでいくと降り坂になります。 すぐに緩やかになる尾根を進んでいくと、程なくして降り傾斜が増してきます。 少し降っていくと分岐がありますが、 標識類がなくてどちらの道を進めば良いのか良くわかりません。 しばらく愚考しても分からないので、テープが巻かれた樹木のある左の道を降っていきます。 少し降っていくと、降ってきた道を指す「登山道」の標識があります。 ここは、導くように巻かれている黄テープに従って、右へ曲がっていきます。
斜面を横切るように降っていくと、「岩尾城 和田下町(稲荷神社)登山ルート19/20」の標識があります。 この先にかけて幾つも見かけるようになりますが、登り方向から見易いようになっているのか、半分ほどは見落とすことになります。 程なくして尾根の背に出ます。 右から踏み跡が降ってきますが、手前の分岐から分かれてきた道のようです。 次第に緩やかになる尾根を降っていくと、 「岩尾城17/20」の標識を過ぎていきます。 軽い登り坂になると、シダ類が少し生える僅かな高みを過ぎていきます。 軽く降っていくと、標高280mほどの緩やかな尾根になります。
またシダ類が茂るようになる尾根を登っていきます。 次第にシダ類が増えてきますが、歩く部分は確保されているので大丈夫です。 高みの手前まで来ると、樹木の袂に「下町稲荷/城山」の標識がありますが、 「城山」とは先ほどの蛇山のことでしょうか。 同じ木には「岩尾城15/20」の標識も取り付けられています。 すぐに標高310mほどの小峰Aに着きます。 蛇山から17分ほどの所になります。 手前には「登山口/岩尾城跡440m」、奥には「登山道」の標識があります。
両側にシダ類が茂る尾根を降っていきます。 緩やかになった所を過ぎると、また降り坂になります。 しばらく降っていくと浅い鞍部に着きます。 小岩が剥き出す所もある尾根を登り返していきます。 緩やかになると、「岩尾城13/20」の標識があります。
軽く降っていくと緩やかな尾根になります。 少し登って僅かな高みに着くと、「界 和田下町」の標石があります。 軽く降っていくと、右側の樹木が少なくなって明るい所に出ます。 右側には山並みが見えます。 少し降っていくと、標高280mほどの鞍部に出ます。
鞍部を過ぎて登り返していくと、僅かな高みの右肩を過ぎていきます。 傾斜が緩やかになった尾根を進んでいくと、「界 和田下町」の標石が倒れています。 小岩が見られる尾根を軽く登っていきます。 次第に傾斜が増してくると、「岩尾城11/20」の標識があります。 傾斜が緩やかになると、標高290mほどの小峰Bに着きます。 蛇山から32分ほどの所になります。 脇には「登山道」の標識があります。
右へ曲がって降り始めると、「岩尾城10/20」の標識があります。 両側にシダ類が茂る尾根を少し曲がりながら降っていきます。 更に降っていくと、正面に眺めが広がってきます。 画像群
次第に小岩が剥き出す急坂になってきます。 写真では良く分かりませんが、かなり急なので、岩に手をつきながら慎重に降っていきます。 急坂をクリアすると、標高240mほどの緩やかな尾根になります。
少し登って、両側にシダ類が茂る僅かな高みを過ぎていきます。 これから向かう258m峰を正面に眺めながら降っていきます。 両側にシダ類が茂る尾根を降っていきます。 しばらく降っていくと、標高210mほどの鞍部に着きます。 中ほどには「山を美しく ゴミを捨てないでね」の標識があります。
258m峰
鞍部を過ぎて、尾根を登り返していきます。 文字が判読出来ない凸凹の標石を過ぎていきます。 近づいてくる高みへ向かって登っていきます。 傾斜が緩やかになると、地形図に載っている258m峰と思われる高みに着きます。 蛇山から50分ほどの所になります。 中ほどにはテレビ共同受信用アンテナが立っています。 周囲には樹木が茂っていて、南東の方角に僅かに山並みが見えるばかりです。
両側にシダ類が茂る尾根を降っていくと、「岩尾城8/20」の標識を過ぎていきます。 しばらく降っていくと緩やかな尾根になります。 軽く登って、僅かな高みを過ぎていきます。 少し右へ曲がりながら降っていくと、樹間に山並みが見えてきます。 更に降って標高200m辺りまで来ると分岐に出ます。 蛇山から1時間ほどの所になります。 角には「登山道」の標識があって、今降ってきた道を指しています。
降ってきた尾根の西側の斜面に続く右の道もしっかりしていて気になりますが、方角が違うので見送っていきます。 ここは左の道を降っていきます。 傾斜が緩やかになるとすぐに分岐があります。 左の道には「岩尾城跡/下町稲荷山」の標識が立っています。 正面から右へ曲がりながら続く尾根は、標高200mほどの小峰Cに続いているようです。 ここは標識が立ってテープが巻かれた樹木のある左の道を降っていきます。
斜面を横切るように降っていくと、程なくして尾根の背に出ます。 しばらく降っていくと緩やかな尾根になります。 軽く登るようになると、小岩が剥き出す僅かな高みを過ぎていきます。 軽く降って、僅かな起伏で続く尾根を進んでいきます。 軽く登っていくと、僅かな高みを過ぎていきます。
下町稲荷分岐
軽い降り坂になる尾根を進んでいきます。 少し右へ曲がりながら降っていくと、「岩尾城6/20」の標識があります。 緩やかになってくる尾根を進んでいきます。 「岩尾城5/20」の標識を過ぎていくと、防護柵が尾根を塞いでいます。 蛇山から1時間11分ほどの所になります。 防護柵の先には「城山/下町稲荷」の標識が落ちていて、 防護扉を開けて正面の尾根を降っていくと下町稲荷に出られそうです。 今回は「法性寺」「狭宮神社」の標識が指す右の道を降っていきます。
法性寺分岐
斜面を横切るように続く緩やかな小径を防護柵に沿って進んでいきます。 道にはコンクリートや石積みの祠に入った石仏が点々と続きます。 情報によると、この下の法性寺を起終点とする八十八ヶ所石仏巡りの道の一部のようです。 石仏は採番されいるようですが、風化して判読できないものがかなりあります。 離れていく防護柵を見送って小径を進んでいくと、左へ折れ曲がっていきます。 再び防護柵の傍に出ると、右へ折れ曲がっていきます。 石仏が続く小径を防護柵に沿って進んで右への曲がり角まで来ると、防護柵に扉があります。 下町稲荷分岐から7分ほどの所になります。 石仏巡りの道は、防護扉を抜けて左へ曲がって法性寺へ向かうようです。
狭宮神社
法性寺への道は見送って、今までよりも狭くて樹木が茂り気味になる小径を進んでいきます。 石仏を見かけなくなった小径を進んでいくと、防護柵の左側が竹林になってきます。 左側が明るくなってくると防護扉があります。 この先には歩けそうな小径がないので、上下に設けられた小レバーを回して扉を開けて出ていきます。 倒竹が散乱し笹が茂って歩き難い踏み跡を降り始めると狭宮神社が見えてきます。 足元に気をつけながら降っていくと狭宮神社の境内に出ます。 下町稲荷分岐から10分ほど、蛇山から1時間22分ほどで降りて来られました。 振り返って、出口を確認していきます。 出た所には「狭宮神社社叢」の解説板があります。
開放厳禁
出入り後は必ず留め金をかける事
和田自治会
市指定文化財 狭宮神社社叢
指定年月日昭和54年3月13日
所 有 者狭宮神社
狭宮神社の裏山は古い植生の様相をよく示している。 第1層はツブラジイが優先し、なかにスギ・ヒノキ・アカマツが多少混じっており、 第2層はアラカシ・アカメガシワ・コシアブラ・タカノツメ・ヨソゴ・ツバキが混生し、 第3層はタラヨウ・アセビ・シャシャンボ、コバノミツバツツジ・ナツハゼ・ツブラジイ・アラカシ・ネジギ等が生え、 第4層の下草にはベニシダ・ウラジロ・コシダ・シシガシラ等のシダ類が生えている。 この森は原生林ではなく、一度荒廃したのが再び回復したものと思われるが、 暖地の原植生をよく示しており、たいへん貴重な森林である。
平成25年3月 丹波市教育委員会
正面に狭宮神社の社殿があります。 本殿は拝殿に背後にあって、全体がよく見えません。 拝殿の前にパンフレットが置かれているので、ひとつ貰っていきます。 社殿の周囲に七つの境内社が取り巻いていて、 「ご利益七宮めぐり」が出来るようです。
延喜式内社 狭宮神社
御祭神 若沙那売命・誉田別命
御利益 健康長寿・厄除開運・安産・子供の成長・交通安全
御由緒 薬草の里山南町和田に鎮座する古社で、既に平安時代には国から幣帛を頂く延喜式内社に列格し、 古来より通称「さみやさん」で親しまれています。 主祭神に若沙那売命、相殿神に八幡大神を奉斎し、若沙那売命は稲(いね即ちいのちの根)を司っておられ、 早乙女の様にお若くて清らかな少女神様で、八幡神と共に、 健康長寿を始め五穀豊穣・厄除・交通安全・心願成就の守護神として広く崇敬されています。 特に正月の初詣、1月第3土・日の厄除大祭、7月25日の天神祭(夏祭り)は多数の参拝者で賑わいます。
御本殿【兵庫県指定文化財】  御本殿は、宝暦8年(1758)の再建で、屋根は入母屋造り檜皮葺に千鳥破風が組まれ、 随所に巧みな技術が取り入れられており、古社にふさわしく誠に優美な姿であります。 また、御本殿の彫刻は、江戸期に代々活躍した中川利兵衛の作品であり、 18世紀前後にしか見られない素晴らしいもので、現在も職人の間で「彫聖」として語り継がれております。
和田地区
南へ続く石段混じりの参道を降っていきます。 鳥居をくぐっていくと車道に出ます。 振り返って参道を眺めていきます。 右折して和田地区をしばらく進んで和田駐在所を過ぎていくと、最初の登山口への道を見送っていきます。 和田小学校の前にある和田地域づくりセンターまで来ると、車を停めておいた駐車場が左の道の先にあります。 狭宮神社から20分ほどで到着しました。