概 要 |
譲葉山は丹波市の柏原町と春日町の境にある標高594mの山で、かつて譲葉山城があった所のようです。
今回はJR福知山線の柏原駅の近くにある観光者用駐車場を起終点とし、
大安寺コースから峠に出て山頂へ登り、峠まで引き返して大内山コースを降るルートを歩きます。
山頂からの眺めは広がりませんが、途中には山並みを見渡せる展望地があります。
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起 点 |
丹波市柏原町 柏原地区
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終 点 |
丹波市柏原町 柏原地区
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柏原地区…登山口…大安寺跡…峠…展望地…譲葉山…展望地…峠…351m峰…下山地…柏原地区
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所要時間 |
3時間50分
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歩いて... |
道には桃テープが続き、要所には標識や地図もあって、分かり易くなっています。
山頂が近づくと僅かに残雪が見られましたが、歩くのに問題はありませんでした。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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柏原地区
北近畿豊岡自動車道を氷上ICで降りて、県道7号を南下していきます。
稲継交差点から国道176号に入って更に南下し、JRの線路を跨いでいくとがあります。
「柏原八幡神社」「木の根橋」の道路標識が指す左の道に入っていきます。
道なりに真っ直ぐ進んで山際まで来ると、観光トイレが併設された観光者用駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
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先へ続く道路を進み始めると、すぐの所にがあります。
振り返って見ると、解説板にあるように川を跨ぐ形でが伸びています。
すぐ先に架かるを渡っていきます。
道なりに真っ直ぐ進んでいくと、の前に出ます。
左折していくとすぐの所に分岐があります。
脇には標識が立っています。
県指定文化財 大けやき(木の根橋)
指定年月日 昭和45年3月30日
所有者・管理者 柏原町
樹高22メートル、目通幹囲6メートルのけやきの根が、幅6メートルの奥村川をまたいで自然の橋を形づくっている。
けやきの大樹の奇形は珍しく、その形状から「木の根橋」と呼ばれ、四季の変化の美しさとともの柏原のシンボルとして親しまれている。
最近の調査で推定樹令千年と称されるようになったが、現在でも樹勢は極めて盛んである。
平成4年11月 兵庫県教育委員会
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登山口
右折していくと、すぐの所にがあります。
脇には「譲葉山」の標識が立っていて、左の道を指しています。
左折して柏原高校の傍までいくとがあります。
脇には標識が立っていて、「譲葉山登山口」の標識が右の道を指しています。
標識に従って右の小橋を渡っていきます。
織田家廟所への道を左に分けていくとがあります。
赤いホース格納箱の上に設置されている「大安寺観音堂・譲葉山」の標識に従って左の道を進んでいきます。
川沿いに進んで最奥の家屋まで来るとがあります。
長い落し棒を持ち上げれば容易に開けることが出来ます。
脇には「」の案内図が貼り出してあります。
防護扉を過ぎていくと、すぐの所にがあります。
角に立つ「大安寺観音堂・譲葉山登山口」の標識に従って右の道を進んでいきます。
川沿いの地道を進んでいくと、右に小橋が架かっています。
ここが今回の登山口になります。
駐車場から17分ほどの所になります。
小橋を渡った所には「大安寺跡観音堂」「譲葉山登山口」のが立っています。
このゲートは、イノシシや鹿が郷に出てくるのを防ぐ役目をしています。
ゲートを開けましたら必ず、すぐに、閉めてください。
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大安寺跡
小橋を渡って、谷筋に続くを軽く登っていきます。
程なくして丹波柏原教会のがあります。
墓苑を過ぎると、沢に架かる鉄製のを渡っていきます。
を少し右へ曲がりながら登っていきます。
次第に窪みが少なくなってくる道を登っていくと、左側に「大安寺跡」のが立っています。
少し先にも標識が立っていて、
正面の道は「譲葉山」、右の道は「大安寺観音堂」となっています。
右の小広い所の奥に観音堂があります。
登山口から6分ほどの所になります。
前には「大安寺十一面観世音像」と題した解説板があります。
大安寺十一面観世音像
大安寺は平安時代の後期、柏原八幡神社の神宮寺として創建された寺院であるが、
天正の兵乱によって焼失し廃寺となった。
大安寺の跡地には、正徳2年(1712)建立の棟札がある観音堂が建ち、
堂中には本尊として藤原時代の作風を示す木彫漆箔造の十一面観音菩薩像が安置されている。
昭和41年 町してい文化財
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元に戻って、樹木に巻かれた桃テープが点々と続くを軽く登っていきます。
程なくして、沿いに出ます。
小沢に架かるを渡っていきます。
狭まってくるを登っていきます。
倒木などもあって次第にになりますが、何とか歩いて行けます。
右へ曲がって谷筋から離れて斜面を斜めに登っていくと、左への曲がり角に「譲葉山」の標識が立っています。
登山口から20分ほどの所になります。
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左へ曲がって、の斜面を斜めに登っていきます。
しばらく登って、道なりに曲がっていきます。
少し先を曲がって更に登っていきます。
左側にが続くようになる谷筋を進んでいきます。
程なくして道が途切れます。
登山口から28分ほどの所になります。
沢の向かい側には「譲葉山」の標識が立っているので、沢に降りて渡っていきます。
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標識を過ぎた少し先を曲がっていきます。
左・右・左・右と曲がりながらの斜面を登っていきます。
左へ曲がっていくとがあります。
登山口から33分ほどの所になります。
標識類はなくて迷いますが、今回は左の道を進むことにします。
少し登っていくと、曲がっていきます。
程なくして、手前で分れてきた道が右から合流してきて安心します。
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峠
桃テープが巻かれた小さな木まで来て、曲がっていきます。
右・左・右・左と曲がりながら、の斜面を更に登っていきます。
右へ曲がってしばらく登っていくと、が近づいてきます。
少し左へ曲がっていくと、尾根にある峠に着きます。
登山口から45分ほどの所になります。
正面にが立っていて、
左の道は「譲葉山」、右の道は「崇広小」、今来た道は「東奥」となっています。
手前の樹木にもが取り付けられていて、
左の道は「譲葉山」、右の道は「崇広小(大内山)・東奥(天満宮/総合庁舎近く)」、今来た道は「東奥(大安寺跡経由/総合庁舎)」となっています。
周囲の様子を確認しながらひと息入れていきます。
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落ち着いたところで、左へ続くを進んでいきます。
程なくして、尾根のを登るようになります。
少し登っていくと、緩やかなに出ます。
引き続き巻かれているを確認しながら進んでいきます。
右の樹間に山並みが見える所を過ぎていきます。
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軽い登り坂になる道を進んで467.3m峰の手前まで来ると、道は尾根の背を外れてに続くようになります。
しばらく進んでいくと、次第にが低くなってきます。
まだ続く桃テープを辿りながら登っていくと、に復帰します。
緩やかで歩き易くなるを進んでいきます。
登り傾斜が少し増してくると、の脇を過ぎていきます。
少し右へ曲がって、また尾根の右斜面を進むようになります。
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剥き出す小岩の脇を登っていくと、に復帰します。
次第にが増してくる尾根を登っていきます。
が幾つも見られる所を過ぎていきます。
になる尾根を進んでいきます。
所々の樹木には「走る栄養研究所 R/N」の白テープが巻かれています。
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展望地
尾根の左斜面を進むようになると、僅かにを過ぎていきます。
少し登っていくとに復帰します。
少し進んでいくと、また尾根のを進むようになります。
道なりに曲がって登っていきます。
しばらく登っていくと、岩が剥き出す開けた所に出ます。
峠から29分ほどの所になります。
眺めの広がる展望地になっているので、しばらく歩みを止めて眺めていきます。
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眺めを確認したら、左へ続くを登っていきます。
軽く登っていくとになります。
程なくして、が幾つか見られる尾根を登るようになります。
傾斜が緩やかになると、扉が撤去されたがあります。
展望地から9分ほどの所になります。
防護柵の中へ入っていくと、以前には樹木のない平坦地だった様子が覗える所に出ます。
左側の樹木が茂る中には「見長無給電中継所 反射板跡地」の標識があり、
傍に「譲葉山→」の標識もあります。
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譲葉山 (標高594m)
反射板跡地を過ぎていくと、すぐの所にがありますが、ここでも扉は撤去されています。
程なくして尾根のに続くようになる道を進んでいます。
次第に残雪が見られるようになりますが、道を覆うほどではないので助かります。
まだ続いている桃テープを辿りながら軽く登っていくとになります。
左の尾根が次第に低くなってくると、広くてなだらかな所に出ます。
展望地から16分ほどで登って来られました。
登り着いた所には「譲葉山594m」のが立っていて、
この先の尾根は「瓶割峠/金山」、左へ戻るように続く尾根は「清水山/向山」、今来た道は「崇広小」となっています。
ここが地形図に載っている594m峰の譲葉山になるようです。
少し先には「譲葉山」の標識が取り付けられたが建っていて、
手前には「秋葉神社」の標識があります。
情報によると、この辺りにはかつて譲葉山城があったようですが、なだらかになっている他にはそれらしい遺構は見かけません。
周囲にはを幾つか見かけます。
周囲は植林地になっていて残念ながら眺めは広がりませんが、神社の前に腰を降ろして早めの昼食タイムにしました。
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お腹が満ちたところで、を引き返していきます。
尾根のに続く緩やかな所もある道を降っていきます。
しばらく降っていくとに出ます。
程なくして、扉が撤去されたがあります。
防護柵を抜けると、「見長無給電中継所 反射板跡地」の標識や「譲葉山→」の標識のある反射板跡地に出ます。
譲葉山から4分ほどの所になります。
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展望地
降り傾斜が少し増してくると、が幾つか見られるようになります。
小岩群を過ぎると、になります。
また傾斜が増してくるを降っていきます。
正面が開けてくると、岩が剥き出す展望地に出ます。
譲葉山から9分ほどの所になります。
しばらく歩みを止めて、前に広がるを再度眺めていきます。
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曲がって、剥き出す岩の先へ降っていきます。
少し降った所を左へ曲がって、尾根のに続く道を降っていきます。
程なくして尾根の背に出ますが、またを進むようになります。
僅かに撓んだ所を過ぎて軽く登っていくと、緩やかなに出ます。
軽い降り坂になると、尾根の左肩を進むようになります。
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尾根の背に出て、剥き出すの脇を降っていきます。
傾斜が緩やかになると、尾根のを進んでいきます。
しばらく進んでいくと、緩やかなに復帰します。
467.3m峰の手前まで来ると、道は尾根の背を外れてに続くようになります。
467.3m峰を巻くように続く道を降っていきます。
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峠
少しを降っていきます。
次第に傾斜がになる道を進んでいきます。
程なくして、左の樹間にの見える所があります。
登り時には気が付きませんでしたが、樹木に「鬼の架橋」のが取り付けられています。
尾根の右斜面に続くようになる道を降っていくと、標識の立つ峠に戻ってきます。
譲葉山から30分ほどの所になります。
登ってきたのはになります。
戻るように続くもありますが、地形図に破線で載っている道のようです。
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登ってきた右の道を降っても良いのですが、少しでも違う道を歩くべく、を進んでいきます。
すぐの所の樹木に「」と題した案内図が貼り付けられています。
傍の樹木には「見長・新町(岡寺墓地)・東奥(天満宮)・崇広小学校」の小片も取り付けられています。
軽い降り坂になると、少し曲がっていきます。
少し左へ曲がっていくと、緩やかなに出ます。
尾根にはこれまでのような桃テープは少なくなりますが、
「丹波市」と書かれたが見られるようになります。
軽い降り坂になったり緩やかになったりする尾根を快調に進んでいきます。
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351m峰
程なくしてになります。
尾根の左肩から回り込むように登っていくとに出ます。
尾根の右肩に出て左へ回り込むように登っていくと、またに出ます。
高みが近づいてくるとがあります。
明瞭な道はに続いていますが、標識類は見かけません。
高みの様子を知りたくて正面の尾根をひと登りすると、緩やかになった所に出ます。
標識類は見かけませんが、この辺りが地形図に載っている351m峰になるようです。
峠から17分ほどの所になります。
中ほどには「丹波市」の赤頭短杭があります。
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高みの先に明瞭な道はなく、になっています。
脇の樹木の幹や切り株などに手を掛けながら降っていくと、右から来る明瞭なに出ます。
は手前の分岐から分れてきた巻き道のように思えますが、確かめた訳ではありません。
に出て降っていきます。
程なくして、左から来る広めの道に出ます。
出口には桃テープが巻かれていて、逆向きに歩いてくる時には目印になりそうです。
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が剥き出す所を過ぎていきます。
しばらく降っていくとの尾根になります。
時折倒木を見かけますが、歩き易い尾根が続きます。
小さく右・左と曲がりながら、を降りていきます。
雑木が混じる尾根の背に出るとになります。
僅かな高みが近づいてくると、樹木に小片が取り付けられています。
峠から33分ほどの所になります。
「この頂上を下る・約5分」となっていて、この先にある分岐のの標識のようです。
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真っ直ぐ登っていくと、標高230mほどの僅かなに着きます。
軽く降っていくとになります。
軽い登り坂になると、標高220mほどの僅かなに着きます。
曲がって、傾斜が増してくる尾根を降っていきます。
緩やかな所もある植林地の尾根を降っていくと分岐があります。
峠から42分ほどの所になります。
先ほどの小片に書かれていた分岐のようです。
樹木にはが二つ取り付けられていて、
右の道は「崇広小学校・東奥(天満宮)」「崇広小(大内山)・東奥(天満宮)」、
正面の道は「見長・新町(岡寺墓地)」「見長(ふれあい広場)・新町(岡寺墓地)」、
今来た道は「譲葉山」となっています。
どちらの道でも良さそうですが、今回は右を道を降ることにします。
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植林地の斜面を降り始めると、程なくして剥き出すの脇を過ぎていきます。
緩やかな尾根の背に出ると、またが取り付けられていて、
右の道は「東奥(天満宮/総合庁舎)」、
正面の道は「崇広小(大内山)・新町(岡寺墓地入口・納税協会へ)」となっています。
すぐ先の樹木にも同様の標識が取り付けられています。
簡単なも取り付けられています。
小片には「小学校校庭に下りますので平日は避けて下さい」と書き添えられていますが、
『今日は週末なので良かろう』と思って、を進んでいきます。
軽く登っていくと、先ほどのルート図に描かれていた金網柵で囲まれた共聴アンテナがあります。
峠から49分ほどの所になります。
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共聴アンテナを過ぎて降っていくと、程なくしてがあります。
上下に設けられた小レバーを回せば開けられます。
防護柵にはが取り付けられていて、防護柵に沿って左へ進むように書かれています。
指示に従って、左へ続くに沿って進んでいきます。
防護柵には同様の小片が点々と取り付けられています。
軽い登り坂になると、また防護扉があります。
峠から57分ほどの所になります。
ここでも上下に設けられた小レバーを回せば開けられます。
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これより大内山・東奥天満宮・譲葉山への登山道になります。ゲートは必ず閉めて下さい。
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これより(崇広小学校)・納税協会近くの岡寺墓地への下山道になります。なお、崇広小学校へは、平日も休日も避け、左のフェンス沿いに下りて、墓地を横切り、納税協会方面にお進み下さい。ゲートは必ず閉めて下さい。
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これより納税協会近くの岡寺墓地への下山道になります。墓地を横切り、納税協会方面にお進み下さい。ゲートは必ず閉めて。
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左・右と曲がりながらを降っていきます。
左へ曲がりながら降っていくと、の脇に出ます。
右へ曲がっていくと、またの脇に出ます。
墓地の先へ続くを降っていきます。
左へ曲がって更に降っていくと、また墓地の脇に出ます。
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下山地
右へ曲がって降っていくとが近づいてきます。
道なりに左へ曲がっていくと山道は終わりになります。
峠から1時間2分ほどで降りて来られました。
植え込みには登山道を示す小片が取り付けられています。
右側には岡寺の墓参の為の用具などが置かれたなどがあります。
山際にはが並んでいます。
正面に続くを真っ直ぐ進んでいきます。
車道に出て右へ曲がったすぐの所に、小片に書かれていたがあります。
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柏原地区
崇広小学校への入口を過ぎていくと、右側にがあります。
隣にはがあります。
の入口まで来て左折していきます。
道なりに真っ直ぐ進んで大神橋を渡ると、木の根橋になっているがあります。
車道に出た正面にがあります。
右へ進んだすぐの所に、車を止めておいた観光者用駐車場があります。
下山地から15分ほどで到着しました。
国指定史跡 柏原藩陣屋跡
陣屋は、元禄8年(1695)に、大和国松山藩(奈良県宇陀市)から2万石で柏原に国替えとなった織田信長の次男・信雄の子孫にあたる信林が、
正徳3年(1713)に造営に着手し、翌4年に完成した柏原藩の藩庁・屋敷で、明治4年(1871)まで存続していました。
当時の規模は、東西130m、南北158mで、現在の崇広小学校、兵庫県柏原総合庁舎の範囲にまで及び、
御殿のほか庭園や土蔵、馬場、稲荷神社、幕末には藩校も設けられていました。
しかし、文政元年(1818)に火災がおき、長屋門など一部の建物を残し焼失しました。
現存する表御殿は、文政3年(1820)の再建時のもので、焼失をまぬがれた表御門にあたる長屋門とともに往時の姿を今に伝えています。
このように大名の陣屋で、建物が江戸時代と変わらず当時の場所に現存するのは、全国にもわずかしかなく、
近世陣屋史上貴重な遺構として、昭和46年(1971)に国の史跡に指定されました。
県指定文化財 旧氷上高等小学校校舎
指定年月日 平成21年3月24日
所有者・管理者 丹波市
明治18年(1885)に現在地で建設された。
その後氷上第一高等小学校、郡立柏原病院の建物となり、同42年(1909)郡立(大正11年に県立)柏原高等女学校校舎として使用された。
その間、多くの卒業生や著名な人物を輩出した。
校舎は木造2階建であり、屋根は寄棟造で桟瓦葺き、外壁は下見板張りで、壁には銅蛇腹、軒蛇腹をつけ、
外に面する窓は硝子の上下窓で、窓台とモールディング付き窓枠からなっている。
玄関ポーチは2階建で西正面中央に位置し、1階は吹放しのポーチ、2階は室内である。
屋根は切妻造で、正面側をペディメントとする。
柱は石造の柱礎の上にたち、円柱で中間部に繊細なフルーディングをつける。
柱頭はイオニア風の形態である。
明治初期に建設された擬洋風建築にみられる形式がよく保存され、
近代初等教育施設の建築物として兵庫県下では最古の部類に属する貴重な校舎である。
平成27年3月 丹波市教育委員会
織田神社
織田神社は、前期柏原藩三代目の藩主織田信勝を祭神として、彼の死後旧居館跡に創建されたが、
後期柏原藩再興後に東奥大谷を経て現在地に移され、「織田権現」とも称して織田家の庇護と町衆の厚い信仰を受けるようになった。
信勝は織田信長の弟信包の孫で、寛永7年(1630)藩主となり、新田開発や堤防を築造するなど善政を敷いたが、
慶安3年(1650)死去し継嗣がなかったため前期柏原藩は絶家となった。
丹波市・丹波市教育委員会
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