概 要 |
城嶋は京丹後市丹後町の間人地区にある周囲4kmほどの小島で、陸地とは橋で繋がっています。
天正元年(1573)に荒川武蔵守が居城を構えた所と伝えられています。
島の周囲には遊歩道が設置され、磯浜や日本海などを見渡せる眺めが広がります。
中ほどの山の上には、円形の池の中に弁財天の大きな石像があります。
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起 点 |
京丹後市丹後町 間人地区
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終 点 |
京丹後市丹後町 間人地区
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間人地区…城嶋…間人地区
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所要時間 |
0時間40分
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歩いて... |
島には建物もありますが改修中でした。
遊歩道の所々から岩礁へ出られる小径が分れていて、眺めが広がります。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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間人地区
京丹後市網野町から国道178号を北東へ進んでいきます。
京丹後市丹後町に入っていくと、新間人トンネルの手前に「間人長浜」の標識が出るがあります。
手前からは今回訪ねるが良く見えます。
左へ曲がって間人地区を進んでいくと、退色した近畿自然歩道の標識が立つがあります。
手前からはを間近に見下ろせます。
左へ曲がって降っていくと、の入口があります。
手前を右折するとすぐの所に細長い駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
(少し先にはトイレが設置されています)
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城嶋の入口まで引き返すと、小岩に「城嶋」と題したがあります。
すぐ先にが架かっています。
橋を渡っていくと、石段と坂道のがあります。
石段は山頂へ続いていますが、左の坂道を降っていきます。
左側にあるを眺めながら降っていきます。
すぐに「三嶋神社・水天宮」の扁額の掛かるがあります。
鳥居をくぐっていくと、建物が幾つかあります。
扁額は掲げられておらず、由緒などを記したものも見かけません。
城嶋(しろしま)
城嶋は、間人小間港にあり、周囲4kmで松におおわれた風光明媚な小島です。
ここには、三嶋神社・水天宮の神社があり、東は犬ヶ岬、西は遠く但馬の山々を眺め、
日本海の紺碧の海と調和した景観を見ることができます。
この城嶋は、その名の示すとおり天正元年(1573)に居城を構えた荒川武蔵守の城址として伝えられています。
荒川武蔵守は、室町時代の丹後の守護職、一色氏の武将で当時の間人周辺を治めました。
住民に漁業を奨励し、古くから続く漁業を大きく発展させました。
天正6年(1578)、織田信長は細川藤孝・忠興に命じて、丹後の一色氏に対し兵を挙げました。
細川氏は吉原山城(京丹後市峰山町)を落城させ最後に弓木城(与謝野町弓木)を攻めて、一色氏を滅ぼし丹後を治めました。
このとき、荒川氏も一色氏について戦ったと伝えられています。
京丹後市教育委員会
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神社を過ぎて、海辺のを進んでいきます。
突堤を過ぎて、を進んでいきます。
建物の下まで来ると、コンクリート道はになります。
右にあるを登っていきます。
改修中と思われる右側の建物に入ってみると、背後に入江が見えます。
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左へ折れ曲がって、を更に登っていきます。
すぐに小広い所に出ると、改修中のがあります。
建物の左側にがあるので歩いてみます。
少し降っていくと磯浜に出ます。
目の前に広がる景色を眺めていきます。
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建物があるまで引き返して来ると、道が分岐しています。
右前方にはが見えます。
には道が二つありますが、左の遊歩道を進んでいきます。
右へ回り込むように進んでいくとがあります。
左の小径を少し降っていくと磯辺に出ます。
目の前には岩礁になった磯辺が広がります。
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に戻って、先へ進んでいきます。
曲がりながら降っていきます。
緩やかになると、左側にが見えます。
左へ回り込むように登っていくとがあります。
ここでも左にあるを歩いてみます。
少し降っていくと磯辺に出ます。
ここでも岩礁になった海岸を眺めていきます。
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を登って遊歩道まで引き返してきます。
左へ曲がって、右へ回り込むように続くを進んでいきます。
僅かな登り坂を過ぎるとになります。
右へ曲がりながら降っていくと、城嶋橋を渡った所から分れてくる石段の途中に出ます。
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右へ続く石段を登っていくとすぐにに分れています。
どちらでも良いのですが、右の石段を登っていきます。
すぐにあるを過ぎていきます。
石段が終って緩やかになると、赤い鳥居の先に小祠があります。
扁額は掲げられていませんが、施錠された格子戸からを覗ってみると小さなキツネ像があるので稲荷社のようです。
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右へ続く緩やかなを進んでいきます。
程なくして、円い池の中に大きな弁財天の石像が立っています。
手前には「城嶋の弁財天」と題した解説板があります。
までは石橋が掛けられていて、傍まで行くことができます。
池にはの石像があります。
弁財天の左側にはがあります。
解説板によると『弓・刀・斧・箭・三鈷杵・独鈷杵、輪がきざまれ、織物の絹糸・抒も乗せている』とのことですが、良く分かりませんでした。
城嶋の弁財天
梵語で(Sarasvati)サラスパティーで、音楽・弁才・福智・延寿・除災・得勝を司どる。
天妙音天・美音天とも称する。
二臂或いは八臂で左手に弓、刀・斧・羂索を、右手に箭・三鈷杵・独鈷杵・輪を持つものもあり琵琶を弾する。
もともと下線を神格化したもので吉祥天とともにインドで最も尊崇された女神である。
後世吉祥天と混同し、福徳賦与の神として弁財天と称され我が国では七福神の一つとして信仰された。
古来、安芸の宮島、大和の天の川、近江の竹生島・相模の江ノ島、陸前の金華山を五弁天と称する。
この城嶋の弁財天は、この五弁天につぐ立派な意義のある弁財天といわれております。
この弁財天の像は、昭和11年 古間両区民の農業・漁業・林業・商業の繁栄と、除災・得勝・福智・延寿・弁才・芸能の上達等を願って時の区長の音頭により、
青年を先頭に区民の大変な努力で建立されました。
作者は峰山待ち鱒留 田中作治氏、弁天像の首飾りは、朝鮮王国から伝えられた最高の飾りで、
日本海の弁財天として意義を表しています。
弁財天像の左の池の船には、法臂(八の腕)が持ったとされている弓・刀・斧・箭・三鈷杵・独鈷杵、輪がきざまれ、
更に織物の絹糸・抒ものせています。
よくご覧ください。
羂索 | : |
五色線をよった索で、戦闘に使用、または鳥獣をとる罠網であり、のちに仏、菩薩が衆生を救った象徴となった。
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箭 | : |
矢の一端に鷹などの羽をつけ、先端に矢尻をつけたもの。
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輪 | : |
鍬・鋤を意味する。
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三鈷杵 | : |
古代インドの武器。形は杵に似ている。銅や鉄でつくる。両端に鈷が三つある。
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独古杵 | : |
古代インドの武器。銛が両端に一つあるもの。
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令和2年8月 古間区
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池の右側にはがあります。
池を反時計回りに巡っていくと、左側のコの字形に囲まれた所に、赤や青の前掛けをしたが並んでいます。
採番されたものと番号が見られないものがあります。
池を一周すると、先ほどのの横に戻ってきます。
右へ曲がって、緩やかな松林に続く広いを進んでいきます。
真っ直ぐ進んでいくと、広いが現れます。
石段を降り終えると、改修中の建物がある小広い所に戻ってきます。
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右側には道が二つありますが、今度は右のを登っていきます。
少し右へ曲がりながら登っていくと、なだらかなに出ます。
右側のに石碑があるので登っていきます。
滑り易い所を登っていくと、すぐに石碑の前に出ます。
刻まれている文字によるとでしょうか。
かぎりある 命と知れよ 正と邪の 道を見分けて 人世生きませ
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石碑の先へ続くを進んでいきます。
程なくして、先ほど通った広いに出ます。
稲荷社の横を過ぎるとが始まります。
二列ある石段のいずれを降っても、キツネの石像の先でします。
正面に小間漁港を眺めながら石段を降っていきます。
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間人地区
島を巡ってきた遊歩道とのを過ぎていきます。
石段を降り切るとの傍に出ます。
を渡っていきます。
橋を渡った正面には、道路の曲がり角に「丹後天橋立大江山国定公園 城嶋」のがあります。
傍には近畿自然歩道の標識がありますが、文字は退色していて判読できません。
標識の左へ続く道を進んでいくと、すぐに所に車を止めておいた駐車場があります。
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