風致・土砂流出防備 保安林
この森林は、天橋立を望む美しい景観と豊かな自然を保全し、
また、土砂災害などから私たちのくらしを守るため、特に指定された保安林です。
たばこの吸い殻やゴミを投げ捨てたりせず、自然とふれあう憩いの場として、みんなで樹木を大切にし、緑の森を守り育てましょう。
京都府丹後広域振興局 農林商工部
大谷寺・今熊野
真言宗の古刹。
山号は天蓋山。
籠神社の神宮寺として広大な寺域を誇り、かつては多くの子院を擁した。
図中には「不動」(不動明王を祀る祠?)の墨書や宝塔が描かれている。
山中の「今熊野」は熊野権現と考えられ、一色氏はここに今熊野城を築いた。
一色氏は室町幕府の四職家の一つとして権勢を奮っていたが、
一色義直が応仁の乱で正軍に味方して丹後守護職を解かれて以降、劣勢が続くこととなる。
文明6年(1474)足利義政の赦免により丹後守護は嫡男の義春に還付されたが若くして病死。
禁裏御料所小浜代官職も若狭武田氏に奪われ、義直は屈辱を胸に丹後に下国。
本格的な守護所の整備を始める。
天橋立図の風景は、都人であった義直が丹後に作り上げて"小京都"の姿といえるようだ。
義直は和歌・絵画にも通じ、智恩寺の『九世戸縁起』を書いた歌僧正徹の弟子・正広と親交があった。
歌集『松下集』には、正広が府中に「招月庵」を営み、義直の館などで歌会を開いた様子が記されている。
府中をよくする地域会議
宮津市指定文化財(歴史資料) 智海の板碑(室町時代)
宮津市字大垣 大谷寺
大谷寺は、建武2年(1335)の「大谷寺衆徒等申状写」(『成相寺旧記』所載))において、
大谷寺衆徒並びに一の宮供僧等が本寺を「大円上人三密修練之霊場」と称しているように、真言密教の修行道場であったが、
一報で平安時代中期の丹後先徳「寛印供奉」の極楽荘厳の儀を顕わす迎講以来浄土教の影響も色濃く受けていた。
この板碑は、正面上部左右に金剛界大日如来種字
《バーンク》と胎蔵界大日如来種字
《アーンク》を、
中央下方に阿弥陀如来種字
《キリーク》を刻む。
「権少僧都智海」「文正二年丁亥三月廿一日」の銘が刻まれていることから、
丹後國一の宮の別当寺である大谷寺本坊大聖印の不動明王信仰の持主である智海という供僧の作であることがわかる。
同寺の木造府道明坐像(市指定文化財)とともに室町時代後期の丹後地域における智海の初期の活動を物語る遺品であり、
「東寺流大阿(大阿闍梨の略称)」と称する真言僧であった智海の密教信仰のなかに、
大谷寺の伝統的な天台浄土教思想があったことが垣間見える資料として価値が高い。
※文正二年は三月五日に応仁に改元されている。
宮津市教育委員会