花咲山
概 要 花咲山は、宍粟市一宮町にある標高637.6m(点名:下野田)の山です。 山頂や手前の尾根には電波塔が幾つか立っていて、山並みを見渡せる眺めが広がります。 今回は、南の三軒屋地区にある生涯学習の館を起終点とし、 磐座を経て山頂へ登り、北へ延びる電波塔の保守路を通って嵯峨山地区へ降るルートを周回します。
起 点 宍粟市一宮町 三軒屋地区
終 点 宍粟市一宮町 三軒屋地区
三軒屋地区…登山口…磐座…緩斜地…保守路終点…花咲山…防護扉…車道出合…出雲大社(安積分祀)…三軒屋地区
所要時間 3時間20分
歩いて... 登りルートには標識や桃テープがあって導いてくれますが、尾根の背に出るまでは急な斜面が続きます。 作業道が幾つか分れている保守路は長くて単調ですが、樹間から山並みを眺めながら淡々と降っていきます。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
三軒屋地区
養父市から富士野トンネルを抜けて県道6号を南下していきます。 国道429号に出て4kmほど進んだ所から再び県道6号に入って南下していくと、国道29号の安積橋交差点に出ます。 まで来て、左に分れていく道を登っていきます。 緩やかな所に出て左へ戻るように曲がると、生涯学習の館の前に広い駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
情報によると、以前には「センターいちのみや」という建物もあったようですが、 2020年に閉館となり、この時には解体されて広い更地になっていました。
登山口
へ進んでいきます。 四角くコンクリート打ちされた所の先に「宍粟50名山 花咲山 登山口」の標柱が立っています。 ここが今回の登山口になります。
宍粟50名山 花咲山 登山口
登山者の皆様へ
「みんなで守ろう!宍粟50名山」事業を展開しています。 登山道の倒木・崩壊、案内看板の破損などお気付きになられた事がありましたら、 下記まで情報をお願いします。
公益財団法人 しそう森林王国観光協会
山道に入って少し右へ曲がり、植林地と雑木林を分けるを登っていきます。 程なくして「花咲山」のが見えてくると、左へ曲がって植林地の斜面に入っていきます。 僅かな踏み跡が斜面に続いていて、ルートを示すようにが点々と取り付けられています。 桃テープを辿りながら登っていくと、切株に標識が取り付けられていて、 左へ曲がっていく道は「花咲山」、今来た道は「登山口」となっています。 には窪んだ道が見られますが、 伐採木が散乱していて歩き難そうなので、その右側に続く踏み跡を通っていきます。
窪んだ道と並行するように登っていくと、「花咲山」のが立っていて左を指しています。 ここで踏み跡は途切れています。 窪んだ道は歩き難そうなので、左側のを登っていきます。 少し登っていくと、窪んだ道として踏み跡が現れます。 植林地の斜面を登っていくと、先の方にが見えてきます。 少し登っていくと、「花咲山」の標識が立っていて、右へ曲がっていく道を指しています。 登山口から9分ほどの所になります。 傍には「」があります。 詳細な道は分かりませんが、目指す花咲山の名前が載っています。
右へ曲がっていくを登っていきます。 程なくして、が幾つも見られる斜面になります。 思いのほか傾斜が急な斜面を息を弾ませながら登っていくと、先の方にが見えてきます。 僅かな涸れ沢にあるの脇を過ぎていきます。 すぐに左へ曲がって、引き続き小岩が見られる斜面を登っていきます。
赤頭の白い標柱まで来ると、またが見えてきます。 ここでも、僅かな涸れ沢にあるの脇を過ぎていきます。 左へ曲がって、まだが見られる斜面を登っていきます。 黄緑色の○印が描かれて青テープが巻かれたを過ぎていきます。 少し登っていくと、また黄緑色の○印が描かれたがあります。 右側の少し先には石積みがありますが、窯の跡でしょうか。
黄緑色の○印が描かれた樹木の先を曲がっていきます。 程なくして、先ほどのの上を過ぎていきます。 引き続き見られる桃テープを辿りながら、剥き出すの脇を登っていきます。 が剥き出す斜面を更に登っていきます。 少し左へ曲がって、また涸れ沢に架かる木橋の脇を過ぎていきます。
磐座
少し先を右へ曲がっていくと、先の方に大きなが見えてきます。 岩壁へ向かって、を辿りながら植林地を横切るように進んでいきます。 岩壁の傍まで来て左へ曲がり、に沿って登っていきます。 しばらく登っていくと、岩壁の傍にが見えてきます。 手前には標識が立っていて、この場所は「磐座」、この先の道は「花咲山」となっています。 小祠が二つあるこの場所が磐座のようです。 登山口から33ほどの所になります。
緩斜地
磐座を過ぎて、左へ続くを登っていきます。 程なくしてが近づいてきます。 右へ曲がって、を横切るように登っていきます。 桃テープやマーキングを辿りながら登っていくとに出ます。 正面には標識が立っていて、 左へ続く道は「花咲山」、今来た道は「センターいちのみや」となっています。 左へ曲がって登っていくと、岩が剥き出す緩斜地に出ます。 登山口から40ほどの所になります。 思いのほか傾斜が急な斜面を登ってきて疲れたので、水分補給をしながらひと息入れていきます。
気を取り直して、先へ続くを進んでいきます。 登り坂になると、文字が刻まれたと「国土調査」の赤頭短杭があります。 右の樹間にを眺めながら登っていきます。 が幾つか見られる尾根を登っていきます。 少し登っていくと、また文字が刻まれた石杭と「国土調査」の赤頭短杭があります。
次第に広がってくるを登っていきます。 二つ並んだ石杭を過ぎていくと、右側にのようなものがあります。 右へ曲がって、を更に登っていきます。 が散乱する尾根を登っていきます。 周囲が明るくなってくると、正面にが見えてきます。 少し登っていくと、尾根の肩のような緩やかな尾根に出ます。 緩斜地から15分ほどの所になります。 中ほどには標識が立っていて、 左へ続く尾根は「花咲山」、今来た道は「センターいちのみや」となっています。 振り返ると、が少し見えます。
左へ続くを進んでいきます。 少し進んでいくとになります。 松の木が見られるようになると、先の方がなってきます。 明るい所に出ると、NHKの一宮安積デジタルテレビ中継放送所があります。 緩斜地から20分ほどの所になります。 左側に広がる山並みを眺めながらひと息入れていきます。
石垣の上にある平坦地を過ぎていくと、またがありますが、銘板などは見かけません。 振り返ると、手前のが見えます。 が続く尾根を登っていきます。 少し登っていくと、トタン張りのがあります。 この時には風に吹かれて扉が動き、バタンバタンと音を立てていました。 傾斜が増してくると、アンテナ残骸のようなものの脇を過ぎていきます。
少しが剥き出す尾根を登っていきます。 左側にはが見えます。 が少し茂る所を進んでいきます。 少し降って撓んだ所を過ぎ、尾根を登っていきます。
保守路終点
に続く尾根を登っていきます。 「山火事注意」と書かれたを過ぎていきます。 数段の硬質プラスチック製の階段を過ぎて先へ登っていくと、緩やかなに出ます。 手前の樹木には標識が取り付けられていて、今来た道は「センター一宮」となっています。 小広い所には西はりま消防組合の安積基地局があります。 緩斜地から37分ほどの所になります。 ここは電波塔の保守路終点になっています。 麓からここまで自動車で登って来られるようで、この時にはワゴン車や重機を見かけました。 振り返ると、樹間に少しが見えます。
保守路の右側には、建設中と思われるが出来ています。 作業道を見送っていくと、すぐの所から左の尾根に登っていくがあります。 入口には「花咲山」の標識が立っていて、左の道を指しています。 保守路と分れて、を登っていきます。 明るい所に出ると、NHKの一宮安積FM中継放送所が立っています。 保守路終点から3分ほどの所になります。
花咲山 (標高637.6m)
曲がって降っていきます。 浅い鞍部を過ぎて登り始めると、が右前方へ分れていきます。 保守路へ降りて行けそうに思えますが見送っていきます。 正面の尾根を登っていくとになります。 傾斜が増してくる尾根を登っていくと、花咲山の山頂に着きます。 保守路終点から8分ほど、登山口から1時間30分ほどで登って来られました。 中ほどには「花咲山(683m)No,42 宍粟50名山」のが立っています。 傍には頂部が補修された三等三角点「下野田」があるので、地形図に載っている637.6m峰になるようです。 右下には兵庫県のがあります。 丁度昼時になったので、三角点の傍にあるに腰かけて、東側に広がる山並みを眺めながら昼食タイムにしました。
お腹が満ちたところで、花咲山から下山していきます。 保守路に出るべく、北へ続く尾根を降っていきます。 すぐの所にが立っていて、 この先の道は「嵯峨山」、今来た道は「センターいちのみや」となっています。 少し降っていくとが現れます。 道なりに右へ折れ曲がって横木の階段を降っていくと、斜めに通るに出ます。 右前方へ進んで保守路が見えてくると、が道を塞いでいます。 倒木の脇を過ぎて横木の階段を降っていくと、手前で分れてきた保守路に降り立ちます。 花咲山から3分ほどの所になります。 こちらには「花咲山」を指す標識は立っていません。
「嵯峨山」というのは山の名前ではなくて、地域の名前のようです。
左へ続くを進んでいきます。 右の樹間にを眺めながら軽く降っていきます。 左へ曲がりながら降っていくと、ヘアピン状に曲がっていきます。 曲がり角の左側には「花咲山」の標識が立っていて、今来た道を指しています。 左の樹間にを眺めながら降っていきます。 ヘアピン状に左へ曲がる所まで来ると、建設中と思われる作業道が右から合流してきます。
ヘアピン状に右へ曲がる手前まで来るとになります。 この先にかけて、曲がり角の前後を中心にして所々が舗装されています。 曲がり角から作業道が分れていきますが、道なりに曲がっていきます。 左の樹間にを眺めながら降っていきます。 右へ曲がっていくと、した所を過ぎていきます。 左に広がる山並みを眺めながら、保守路を更に降っていきます。
が見られる山を遠望しながら降っていきます。 谷筋を回り込む所まで来ると、が右前方へ分れていきます。 作業道は見送って、を左へ曲がりながら進んでいきます。 左にはが広がってきます。 削られて広くなったヘアピン状の曲がり角まで来ると、右側に「水源林をつくる公団造林」の看板があります。 保守路に降り立った所から26分ほどの所になります。
水源林をつくる公団造林
安積本谷 造林地
契約面積6.94ヘクタール
契約期間平成4年度から80年間
造林地所有者一宮町
造林者同上
火気に注意しましょう
森林開発公団 神戸出張所
道なりに曲がっていきます。 右の樹間にを眺めながら降っていきます。 しばらく降っていくと、僅かなを回り込んでいきます。 地形図に実線で載っている保守路はこの辺りで右へ曲がっていきますが、現地では更に斜面に沿って続いています。 舗装路になった道を降っていくと、ヘアピン状に曲がっていきます。 曲がり角から作業道が分れていきますが、見送っていきます。 地道になった先ですぐに舗装路になる道を降っていきます。
地道になった保守路を降っていくと、山際に小さなが続くようになります。 樹木が減って明るい所まで来ると、水の流れは消えて、左の谷筋へ延びるへ流れ込んでいるようです。 程なくして、左から登ってくるが合流してきます。 ヘアピン状に左へ曲がる所まで来ると、作業道が右へ分れていきます。 保守路に降り立った所から38ほどの所になります。 左右には嵯峨山生産森林組合が立っています。 右のの入口には鎖が張られていて閉ざされています。
右の作業道は見送って、左へ曲がっていくを降っていきます。 しばらく降っていくと、右への曲がり角の手前からが分れていきます。 作業道は見送って、道なりに曲がっていきます。 左の樹間にを眺めながら、保守路を淡々と降っていきます。 舗装路になった道を降っていくと、左右に通る道に出ます。 保守路に降り立った所から47ほどの所になります。 右側には「花咲山」のが立っていて、今来た道を指しています。
ヘアピン状に左へ曲がっていくを降っていきます。 右へのまでくると作業道が分れていきますが、右へ曲がっていく保守路を降っていきます。 左へ曲がりながらを降っていきます。 谷筋を回り込む所まで来ると、水音を響かせるを横切っていきます。 植林地を降っていくと、右側の谷筋に砂防ダムがあります。
防護扉
すぐに道幅が広がった所に出ると、右側にブロック製のがあります。 僅かな沢を横切る所まで来るとが分れていきます。 ここまでは所々舗装された地道でしたが、この辺りからが続くようになります。 植林地を出ると、右側にが見えてきます。 左へ分れていくを見送っていきます。 すぐの所に防護扉があります。 保守路に降り立った所から58分ほどの所になります。 少し固い長めのレバーを持ち上げれば、扉を開けられます。
お願い
通用の際には都度、必ず閉めて下さい
防護扉を過ぎると、右から地道がしてきます。 角には「登山口」の標識が立っています。 右側にあるを過ぎていきます。 程なくしてが見えてきます。 山際にある「」の看板を過ぎるとの脇に出ます。 墓地の脇を進んでいくと、右から来て前方へ続く道路に出ます。 振り返ると、角には「ここは本谷です」「登山道」のが立っています。 防護扉から4分ほどの所になります。
水源かん養保安林
所在場所 宍粟郡一宮町安積字本谷ほか
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する等の行為をしてはなりません。
=山火事注意= 兵庫県
車道出合
山並みを眺めながら、に続く道を降っていきます。 民家が見られるようになると、左側にがあります。 を回り込むように曲がりながら降っていきます。 民家の脇を過ぎていくと、左右に通る県道6号に出ます。 防護扉から10分ほど、花咲山から1時間12分ほどで降りて来られました。 出口には「宍粟50名山 花咲山 登山口」のと「聚楽ひろば」の石標があります。 道路に出て、を眺めていきます。
宍粟50名山 花咲山 登山口
登山者の皆様へ
「みんなで守ろう!宍粟50名山」事業を展開しています。 登山道の倒木・崩壊、案内看板の破損などお気付きになられた事がありましたら、 下記まで情報をお願いします。
公益財団法人 しそう森林王国観光協会
出雲大社(安積分祀)
川沿いに続くを進んでいきます。 しばらく進んでいくと、国道29号のに出ます。 国道29号を南下して曲里バス停を過ぎた所から、左へ分れていくに入っていきます。 右への曲がり角にあるの左側に鳥居が見えるので立ち寄っていきます。 石段を登って鳥居をくぐると、正面に出雲大社(安積分祀)の社殿があります。 車道出合から13分ほどの所になります。 扁額は掲げられていませんが、柱に「出雲大社安積教会」の板が取り付けられています。 右側にはがあり、「出雲大社 安積分祀 由緒」の板が取り付けられています。
出雲大社 安積分祀 由緒
鎮座地宍粟郡一宮町安積一 249番地
創立明治21年11月30日
祭神大国主之命
境内面積190坪
伝記  明治19年5月、出雲大社教初代管長、出雲国造(故正二位勲一等男爵)千家尊福公の各地巡教のみぎり、 当地へお立ち寄りになり、親しく御神徳を拝聴して、御神恩の高大さに諭され、 宍粟郡北部、当時の神戸村、染河内村、下三方村、三方村、繁盛村、西谷村、奥谷村、七ヶ村の神官、村長、信仰者有志各位の合議の基に、 上は皇室の御隆盛を祈念、下は、お互いの幸福を祈るため、当地に神殿造営の協議を重ねて、同年9月建設に着手、 明治21年11月19日御分霊を奉迎して、国幣中社、伊和神社内仮殿に奉祀す。 同年11月30日神殿落成、遷座祭奉仕、同年12月4日〜5日竣工祭施工する。 以来、出雲大社の分祀として、福の神様、幸の神様と親しみをもって地域の皆様の信仰により維持奉祭され、 地元の方々の協力により今日に至る。
御分霊奉迎  明治21年11月10日御分霊奉迎のため、教師及び役員計5名は、各々の人力車を頼み安積村を発し、 引原村戸倉峠を越えて鳥取、米子を経て松江に至り、船を雇い宍道湖を渡り、14日杵築町に到着、 翌15日大社本院に出頭し御分霊を拝載して、帰途。 津山、作用、山崎を経て19日伊和村に着き、伊和神社内仮殿に御分霊を奉安する。
三軒屋地区
ふれあい交流センターまで引き返して、南へ続くを進んでいきます。 道なりに真っ直ぐ進んでいくと、山際にがあります。 手前には地蔵堂や石碑などが並び、右には観音堂があります。 右側が開けてくると、の裏側を過ぎていきます。 国道29号が近づいてくると、の傍に出ます。 左へ続く坂道を登っていくと、センターいちのみや跡の広いに出ます。 左へ戻るようにして曲がっていくと、生涯学習の館の前にある広い駐車場に着きます。 車道出合から27分ほどで到着しました。