宮山
概 要 宮山(みやま)は宍粟市一宮町にある標高514.4m(点名:東市場)の山です。 岡山城や宮山城とも呼ばれる岡城があった所です。 市民の森を起終点として、登山口から山頂へ至るルートを往復します。 途中の岩尾根には、21年周期で執り行われる「一つ山大祭」の祠が安置された磐座があります。
起 点 宍粟市一宮町 須行名地区
終 点 宍粟市一宮町 須行名地区
須行名地区…登山口…尾根の背…磐座口A…磐座…磐座口B…展望岩…宮山…磐座口B…磐座口A…尾根の背…登山口…産霊神社…須行名地区…(伊和神社)
所要時間 2時間00分
歩いて... 標識類は少なめですが、麓の市民の森から山頂まで広くて明瞭な道が続いています。 疲労困憊するような傾斜ではありませんが、登り時にはかなり汗を掻きました。 樹木が少し邪魔をしていますが、山頂や尾根からは山並みを眺められます。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
須行名地区
養父市から富士野トンネルを抜けて県道6号を南下していきます。 国道429号に出て4kmほど進んだ所から再び県道6号に入って南下していくと、国道29号の安積橋交差点に出ます。 国道29号を南下して東市場交差点を過ぎていくと、「道の駅 播磨いちのみや」があるがあります。 左折していくと、「200m スポニックパーク一宮」の標識が立つがあります。 左折して坂道を登っていくと、スポニックパーク一宮の手前のに出ます。 右折した先の「」があるを直進していきます。 すぐ先の左側に市民の森の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
駐車場の端に立つ石灯籠から、産霊神社の参道になっているが続いていますが、 下山後に訪ねることにして見送っていきます。 右への道を分けていくと、左へ戻るようにして登っていく道とのがあります。 角には「宍粟50名山 宮山(一宮)登山口」のが立っています。 へ入っていくと、 すぐの所に「」があります。 この図の左上に描かれている配水池へ向かっていきます。 採番された双体の石仏が見られる舗装路を少し登っていくと、道は右へ曲がっていきます。 曲がり角から正面へ入った所に産霊神社がありますが、下山後に訪ねることにして見送っていきます。
登山口
すぐの所にあるを過ぎていきます。 道なりに左へ曲がっていくと、右上にがあります。 道の左側や右上にあるを過ぎていきます。 坂道を登っていくと円形のが見えてきます。 建物の前まで来ると、舗装路は終点になります。 駐車場から9分ほどの所になります。 正面には「宍粟50名山 宮山(一宮)登山口」の標柱が立っています。 ここが今回の登山口になります。
終点は車数台分の広さがあって、ここまで車で登って来て駐車しておけそうです。
優良保全林
宍粟郡 一宮町 東市場 宮山 2.92ha
この山は県内の林地を開発した方々の協力金により公益林整備事業で造成したものです。 みんなで大切に育てましょう。
植栽樹種  そめいよしのさくら・ひらどつつじ・やまもも・くらがねもち・どうだんつつじ・ やまつばき・さるすべり・はくもくれん・きんもくせい・なつつばき・やまもみじ・さざんか・ やまざくら・けやき・さんごじゅ・はなずおう・うつぎ・れんぎょう・こぶし・あべりあ
実施年度 昭和58年度
兵庫県・一宮町・兵庫県造林緑化公社
標柱の先へ続く広くて明瞭なを進んでいきます。 一般の登山道にしては幅が広く、この先にある磐座への参道になっているのでしょうか。 植林地に続く道を少し右へ曲がりながら登っていくとがあります。 登山口から4分ほどの所になります。 横に渡された閂をずらし、上下の小さなレバーを回すと扉は開けられます。 防護扉を過ぎて右へ曲がり、の斜面を斜めに登っていきます。 程なくして、「東市場生産森林組合所有地」のを過ぎていきます。 少し先の「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立つ所を曲がっていきます。 右への曲がり角まで来ると「」があります。 登山口から10分ほどの所になります。 鳥居記号の描かれた所が磐座で、「岡城山」と書かれた所が目指す宮山でしょうか。
開けたら、必ず閉めて下さい。
東市場自治会
お願い
通用の祭には都度、必ず閉めて下さい
右へ曲がって更に登っていくと、樹木が減ってを過ぎていきます。 が散乱する所を過ぎていきます。 程なくして、「須行名」のが立っていて、袂には石杭もあります。 少し登って、「国土調査」の黄頭短杭の傍に立つ「東市場生産森林組合所有地」の標柱の所を曲がっていきます。 右への曲がり角まで来ると、また「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立っています。 正面に踏み跡が分れていきますが見送っていきます。
尾根の背
曲がって、植林地の斜面に続く道を更に登っていきます。 次第に傾斜がになってくる道を登っていきます。 程なくして、左右に延びる尾根の背に出ます。 登山口から23分ほどの所になります。 尾根にはベンチが二つ並んでいます。 登り坂が続いて汗を掻いたので、水分補給をしながらひと息入れていきます。
左へ曲がって、に続く道を登っていきます。 少し登って両側にが茂るようになると、傾斜が弛んできます。 植林地と雑木林を分けるを登っていくと、再び傾斜が増してます。 右側には樹木に邪魔されながらもが見えます。 「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立つ所まで来ると、尾根の背を離れて左斜面を進むようになります。
磐座口A
尾根のに続く道を登っていきます。 しばらく登っていくと、右上にが見えてきます。 次第に傾斜がくる道を登っていきます。 右上にある石垣を眺めながら進んでいくと「磐座」の標識が立っています。 尾根の背に出た所から8分ほどの所になります。 宮山へは正面の道を登っていくのですが、磐座を訪ねるべく、右にあるを登っていきます。
磐座
伊和神社が21年の周期で執り行う「一つ山大祭」の祠が安置されている
磐座
石垣を過ぎると、は不明瞭になります。 少し右へ曲がりながら登っていくと、なだらかなに出ます。 左へ曲がって、大小の岩が剥き出すを登っていきます。 岩の間を通ったりしながら登っていくと、一際があります。 岩の袂まで行くと小祠があります。 標識類は見かけませんが、ここが磐座だと思われます。 磐座口Aから5分ほどの所になります。
の左側を進んでいきます。 引き続きを登っていきます。 眺めが広がりそうなが右上にあるので向かっていきます。 岩に手を掛けたりしながら登っていくと、幾つか集まった岩の上に出ます。 右側にが見えますが、手前の樹木が邪魔をしているのが残念です。
磐座口B
の先へ進んでいきます。 軽く降っていくと、岩の少ないになります。 再びになると登り坂になります。 岩の間を登っていくと、次第に傾斜がになります。 岩が減ってくると、手前で分れてきた登山道に出ます。 磐座口Aから12分ほどの所になります。
展望岩
尾根の背に続く広いを登っていきます。 尾根の背を外れてに続くようになる道を登っていきます。 程なくして、右側に眺めが広がりそうなが見えるので、登山道を離れて立ち寄っていきます。 少し登っていくと、大きな岩が二つ並んだ所に着きます。 磐座口Bから3分ほどの所になります。 岩の間には「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立っています。 岩の上に登る勇気はありませんが、脇からは手前の樹木に少し邪魔されながらも眺めが広がる展望岩になっています。
に戻って、更に登っていきます。 右へ曲がりながら登っていくと、に出ます。 左へ曲がって、を登っていきます。 程なくして見えていくるの前を右へ登っていきます。 尾根の右肩に出て、更に登っていきます。
宮山 (標高514.4m)
山頂が近づいてくると、左へ少し入った所に「」のがあります。 尾根を更に登っていくと、岩が幾つか剥き出すに着きます。 展望岩から6分ほど、登山口から58分ほどで登って来られました。 中ほどには「宍粟50名山 宮山(514m)No,44」の標柱が立っています。 傍には「東市場」があるので、地形図に載っている514.4m峰になるようです。 標石の上面はコンクリートで補修されています。 手前の樹木が少し邪魔をしていますが、北側にはを見渡せる眺めが広がります。 景色を眺めながら休憩していきます。
には雪を頂いた山が見えます。 にも雪のある山が見えます。
岡城跡
岡城は、岡山城・宮山城とも呼ばれ、播磨国一宮伊和神社を眼下に望む宮山の山頂に築かれています。 「播磨鑑」などの古記録によれば、七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘が、明徳3年(1392)ここに初めて城を築いたとされますが、 嘉吉の変(1441)の時に一旦落城したものと見られています。 その後、天文年間(1532〜54)にいたり、岡城豊前守吉政が再びこの地に城を築いて居城としましたが、 天正8年(1580)羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって宇野氏の居城である長水城が攻め落とされた際に、 岡城も落城したものと伝えられています。 山頂武から三方の尾根にかけては、主郭跡と見られる石塁を備えた東西約12m・南北約15mの平坦地を中心に、 それを取り巻く帯郭跡や階段状に連なる郭跡、防御のための堀跡などが残されており、昔日の姿を偲ぶことができます。 また、山頂からの眺望はすばらしく、この城の軍事的な重要性をよく物語っています。
一宮町・一宮町教育委員会
磐座口B
落ち着いたところで、を引き返していきます。 少し降った所を右へ曲がると、の袂に出ます。 すぐに左へ曲がって、尾根のを降っていきます。 右・左・右・左と小さく曲がりながら降っていくと、の傍を過ぎていきます。 尾根の背に出て降っていくと、岩尾根から登山道に復帰した磐座口Bに着きます。 宮山から7分ほどの所になります。
磐座口A
右・左と曲がりながら、尾根のを降っていきます。 剥き出すを過ぎていきます。 少し先を更に曲がりながら降っていきます。 尾根のに続く道を真っ直ぐ降っていきます。 次第に傾斜が緩やかになると、「磐座」の標識が立つ磐座口Aに着きます。 宮山から12分ほどの所になります。
磐座
伊和神社が21年の周期で執り行う「一つ山大祭」の祠が安置されている
尾根の背
再び傾斜が増してくる尾根のに続く道を降っていきます。 左の尾根が低くなってくるとに出ます。 左側にを眺めながら降っていきます。 道の両側に茂るが見えてくると、傾斜が少し弛んできます。 また傾斜が増してくる尾根を降っていくと、ベンチが二つ並んだ所に着きます。 宮山から18分ほどの所になります。
右へ曲がって、植林地のを斜めに降っていきます。 「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立つ所まで来ると、右へ分れていく踏み跡を見送って曲がっていきます。 少し降って、「国土調査」の黄頭短杭の傍に立つ「東市場生産森林組合所有地」の標柱の所を曲がっていきます。 石杭と「須行名」のを過ぎていきます。 が散乱する所を過ぎていきます。 樹木が減って明るい所を過ぎていくと、「東市場生産森林組合所有地見取図」が設置されています。 宮山から27分ほどの所になります。
登山口
道なりに左へ曲がって降っていくと、「東市場生産森林組合所有地」の標柱が立つ所を曲がっていきます。 傾斜が緩やかになると、また「東市場生産森林組合所有地」のが立っています。 道なりに左へ曲がりながら降っていくとがあります。 横に渡された閂をずらし、上下の小さなレバーを回して扉を開けて通過していきます。 緩やかな所もあるを降っていきます。 少し傾斜が増してくる道を降っていくと、神戸配水池がある登山口に戻ってきます。 宮山から36分ほどで降りて来られました。
産霊神社
正面に広がる山並みを眺めながらを降っていきます。 左上にある東屋を眺めながら降っていくと、右下にがあります。 左上にあるの下を過ぎて、道なりに右へ曲がっていきます。 程なくしてを過ぎていきます。 少し降っていくとがあります。 右にある境内に入っていくと、すぐの所に神社があります。 登山口から5分ほどの所になります。 扁額は掲げられていませんが、脇に「」と刻まれた石碑があるので産霊神社のようです。 誤読している所もあるかも知れませんが、碑文を載せておきます。
産霊神社御由緒
御主神 磐裂神
合祀御祭神 須佐之男神・大山祇神・少彦名神・八衢姫神・火魂神・誉田別神・市杵島姫神
御主神磐裂神は磐を刺し裂く程の御稜威ましまし、産霊とは万物を産み成す霊徳の意を表はします。
当社の創祀は古く明徳の頃赤松氏宮山に岡城を築きし以前と伝へ、 後明治41年の東市場村居ノ元山野神社・上ノ山粟神社・井ノ口山野神社・荒神社・賽神社・北垣内荒神社・三軒家山野神社・南垣内荒神社の八社を合祀。 然ると井ノ口山野神社真意に触れしか災禍続き再び元に奉斎す。 明治43年には須行名村岡城山神社・名畑市杵島神社・ 賽神社・小林八幡神社・小畑荒神社・小瀬火魂神社の六社を合祀。 更にこの地方一円に伝染病流行のとき神慮を伺ふに伊和村大清水の火魂神社を宮山に祀れとの神託あり、 大正6年直ちに遷座奉るに以後悪疫は忽ちに鎮まれりと伝ふ。
俗に宮山の秋葉さんとも申し上げ火難除け・災難除け・五穀豊穣・産業隆盛・無病息災・心願成就の願掛けに広く御加護を賜う。 御霊験あらたな神様として人々の崇敬篤き神社であります。
祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐み白す
神拝詞
掛けまくも畏き 秋葉の大神の大前を 拝み奉りて白さく 大神の高き尊き恩頼を 蒙り奉りて 火の災は申すも更なり 八十禍津日の禍事有らしめず 夜の守日の守に守護り幸へ給へと 恐み恐みも乞祈奉らくと白す
須行名地区
正面にある幅の広いを降っていきます。 道路の手前まで来るとが立っています。 向こう側には「産霊神社」の扁額が掲げられています。 右へ曲がって、手摺りが設置されたを降っていきます。 両脇に立つ石灯籠まで来ると、車を止めておいた駐車場があります。 登山口から10分ほどで到着しました。
伊和神社
帰路の途中で、国道29号の傍にある伊和神社に立ち寄りました。 「道の駅 播磨いちのみや」の道路向かいから表参道へ入り、「正一位 伊和大明神」の扁額が掲げられたをくぐっていきます。 すぐにをくぐっていきます。 を記したの前を左へ進んでいきます。 垣根で囲われた中へ入っていくと、拝殿・弊殿・本殿から成る社殿があります。 播磨国の一の宮というだけあって、境内は広くて荘厳な神社です。 右側には神輿庫や神楽殿、左側には社務所や神饌所などがあり、社殿の左右には境内社が並んでいます。 社殿の前には「」と題した紙が貼り出してあります。 紙には境内のが載っています。 は修繕中なのか、周りに足場が組まれていました。 (所要時間に含めず)