寺前城跡
概 要 寺前城跡は神河町の寺前地区にある城跡です。 100m×75mほどの規模で、口ノ城と奥ノ城から成っています。 今回は南側にある最明寺から寺前城跡へ登り、497m峰を経て林道に出て、 大瀬の滝に立ち寄るルートを周回します。
起 点 神河町 寺前地区
終 点 神河町 寺前地区
寺前地区…最明寺…奥ノ院…寺前城跡(口ノ城)…小峰(奥ノ城)…497m峰…林道終点…大瀬の滝…車道出合…寺前地区
所要時間 3時間50分
歩いて... 寺前城跡が近づくと、棘のある植物が見られる夏草・細木の藪漕ぎになります。 寺前城跡は笹のプチ藪漕ぎになり、防護網が並行するようになると細木のプチ藪漕ぎになります。 疲労困憊するような急坂が長く続くことはありませんが、猛暑でかなりバテて、 想定していたよりも多くの時間を要しました。 歩き易くなると思われる冬枯れの季節に訪ねるのをお勧めします。
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コース紹介
寺前地区
播但連絡道路を神崎南ランプで降りて、県道8号を西進していきます。 新寺前橋東交差点を直進して寺前橋を渡り、踏切を渡った先を右折していきます。 寺前駅前交差点を直進して大河内郵便局を過ぎていくと、太陽光パネルが設置された所にがあります。 左折した先の十字路を直進し、S字形に曲がりながら登って緩やかになると、 最明寺への道を分けた先に広い草地があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
最明寺
車でを引き返していきます。 小さな墓地を過ぎていくと、左へ登っていく道とのがあります。 左の坂道を登り始めると、すぐに道がに分れていますが、真ん中の石段を登っていきます。 石段の先のをくぐっていきます。 最明寺の境内に着くと、左側にお堂が二つ並んでいます。 の前には「最明寺詠歌」を刻んだ石碑があります。 の前には「一番」の石仏があって、 八十八ヶ所の石仏巡りの起点になっているようです。 が並ぶ脇には「高野山真言宗来留山最明寺」と題して、最明寺の由緒が書かれています。
最明寺詠歌
ふる雪も いとはでまいる 最明寺 一樹の縁と やどるもろびと
平成16年8月吉日 第23世 井上智博 代
高野山真言宗来留山最明寺
由緒  当山はその起源を人皇第36代皇極帝の大化年中に発し、法相宗の学問精舎として興起されたのですが、 星霜を経る内に伽藍焼失し小堂一宇を残すだけの荒廃ぶりでしたが、 後に人皇第88代後嵯峨院の頃に鎌倉の執権北条時頼入道がこの地に逗留されました。 丁度6月23日の夜、深くそびえる清嶺に五色の瑞雲が立ちのぼり、円光のうちに薬師瑠璃光如来の尊像を拝され、 後にこの地に一宇の霊堂を移し建て、行基菩薩御作の薬師如来を安置して、 山を来留山、寺を最明寺と改め、円頭止観の霊場として幾世祖先の菩提を祈られました。 しかしながら豊太閤秀吉の天正の兵火に逢い荒廃その極に達しました。 このようにして時を数え徳川家綱将軍の寛文元年再興して真言瑜伽三密の教風を仰ぎ、 疾病即除の祈祷道場となり、以来世代を重ねる事22代300有余年に亘り、 信仰の燈明耿々として絶えず、祈願の香煙尽きる事なく、 子々孫の安寧幸福を司る信仰の中心道場として今日に至って居ります。
昭和46年11月吉日
二つのお堂の間を進み始めると、すぐの所に「」の石仏があります。 左へ曲がったすぐ先には「」の石仏があり、 隣の鬼瓦に「入山禁止」の貼り紙がありますが、登山は大丈夫のようです。 右へ曲がって坂道を登っていくと、森へ入る所に「」の解説板があります。 すぐ先には「」の看板があり、 右側に「四番」と「八十八番」の石仏が並んでいます。 正面の道を登り始めると防護扉(*)があります。 左右に柵は続いておらず、なぜ扉だけがポツンとあるのかは不明です。 小さなレバーを回せば扉を開けられるようですが、面倒なので脇を抜けていきます。
*一時期、「超芸術トマソン」という言葉が流行りましたが、この扉もトマソンの類いでしょうか。
入山禁止
城山古墳、八十八ヵ所がある森は、枯れ木がたおれたり枯れ枝が落ちてきたりしてとても危ないので森の中に入れません。 城山には登れます。
最明寺
城山古墳群
神河町寺前に所在。 城山の南山麓に位置し、4基の古墳からなる。 北から南に張り出す尾根の北側に1号墳、尾根上に2号墳、尾根の南斜面に3号墳と4号墳がある。 いずれも横穴式石室を埋葬施設とする円墳であり、古墳時代後期に属する。 墳丘の規模は、それぞれ1号墳と2号墳が長径13m、短径8m前後、3号墳と4号墳が長径16m、短径10m前後である。 これら4基の古墳のうち、4号墳の横穴式石室は、玄室(奥の埋葬のための部屋)の部分が観察でき、 天井が羨道(墓室に続く通路)の天井よりもかなり高く、 側壁が天井に近づくにつれてせり出す形態をとっているなど、古い横穴式石室の特徴をもつ。 3号墳も同様と推測される。 一方、1号墳は、無袖の横穴式石室で、石材も平滑であり、より新しい石室の特徴を示している。 2号墳の横穴式石室は破壊が激しいために不明であるが、両者の中間の形状と推測される。 これらの特徴から、4号墳と3号墳が6世紀後半にまず築造され、 2号墳が遅れて6世紀末から7世紀初頭に造られ、最後に1号墳が7世紀前半に造られたと推測することができる。 これらの古墳の石室の規模から判断して、 この地域の有力者の歴代の墓と推測できると同時に、石室の変遷が追える貴重な古墳群である。
神河町教育委員会
環境緑地保全地域 来留山最明寺
指定区域神崎郡神崎町寺前の一部の地域
指定面積1.2ヘクタール
指定年月日昭和58年3月4日
植生上価値の高い、コジイおよびシラカシの樹林を有し、良好な緑地環境を形成しています。
兵庫県
防護扉の先には、両側に張られた白紐に導かれるようにしてが続いています。 すぐの所の樹木の傍には「城山こちら→」の標識が取り付けられています。 今回登る山は「城山」と呼ばれているようです。 寺前城がある山という意味でしょうか。 右へ曲がって登り始めると、白紐が途切れた先の樹木に「←城山こちら」のが取り付けられています。 少し不明瞭になる道を辿って、の斜面を登っていきます。 左側に石仏が並んでいて道も見られますが、正面に続く道を登っていきます。
奥ノ院
左へ曲がりながら、植林地のを横切るように登っていきます。 程なくして夏草が茂るに出ると、 右上に「城山こちら→」の標識が取り付けられた樹木があります。 左下を見るとがあって気になるので、ちょいと立ち寄っていくことにします。 伐採木が目立つ小尾根を降っていくと、程なくして下側を向いたに着きます。 最明寺から10分ほどの所になります。 正面へ回り込んでいくと、小祠には大小の石像が三つ並んでいます。 真ん中の石像のには「不動明王」と刻まれていて「奥ノ院」の文字も見られますが、 最明寺奥ノ院ということでしょうか。
往復3分ほどで小尾根に出た所まで引き返してきて、「城山こちら→」のが指す植林地を登っていきます。 所々に取り付けられたなどを辿りながら植林地を登っていきます。 が少し見られる斜面を登っていきます。 少し右へ曲がって、桃テープを辿りながらを横切るように登っていきます。 剥き出すの間を過ぎていきます。 やがて、鋭角に左へ曲がっていきます。 最明寺から20分ほどの所になります。 曲がり角には「団」の黄プラ杭がありますが、文字は判読出来ませんでした。
踏み跡を辿って、の斜面を小刻みに曲がりながら登っていきます。 が少し生える所を右へ曲がっていきます。 見えてくる稜線に向って、を横切るように進んでいきます。 切断されたを過ぎていきます。 左右に続く尾根に出ると、「団」の黄プラ杭「10」があります。 最明寺から24分ほどの所になります。
左へ曲がって、が少し茂る尾根を登っていきます。 少しを登っていきます。 引き続き巻かれているを辿りながら、植林地を登っていきます。 少し曲がりながら、に続く道を登っていきます。 次第に傾斜が弛んでくると、標高340mほどの緩斜地に出ます。 最明寺から33分ほどの所になります。 蒸し暑くて大汗を掻いたので、立ち止まって水分補給をしながらひと休みしていきます。
気を取り直して進んでいくと、程なくしてが増してきます。 まだ続くを辿りながら、植林地を登っていきます。 が見られる所を少し曲がりながら登っていきます。 傾斜が更に増してくると、正面がなってきます。 小さく曲がりながら登って植林地から出ると、夏草や細木が茂る標高400mほどの明るい所に出ます。 最明寺から50分ほどの所になります。 ここでも立ち止まって水分補給をしながらひと休みしていきます。
落ち着いたところで、などが茂る薮へ入っていきます。 入口の辺りに棘のある植物が幾つも生えていて、行く手を遮ります。 持ち合わせていた小型ノコギリで切り払いながら、時間をかけて登っていきます。 曲がっていくと、草の丈が低くなって歩き易くなります。 右を振り返るとが広がります。 谷向かいには電波塔の立つ山が見えますが、 方角からすると、寺前駅の東側にあるでしょうか。 左へ曲がって笹が茂る斜面を登り始めると、トラロープが張られています。
寺前城跡(口ノ城)
ロープに掴まりながら笹が茂る尾根を登っていくとに出ます。 振り返ると、山並みなどを見渡せる展望地になっています。
生い茂る笹の中を進んでいくと、少し窪んだのような所があります。 堀切を過ぎていくと、標高440mほどの緩やかな所に「寺前城跡」の標柱が立っています。 最明寺から1時間10分ほどで登って来られました。 解説板などは見かけませんが、情報によると、 この辺りから北側が口ノ城奥ノ城の二ヵ所に分れている寺前城跡になるようで、 この場所はその中の口ノ城になるようです。 辺りには笹が茂るばかりで休憩するような雰囲気ではないので、水分補給をしたら通過していきます。
寺前城跡
設置 平成15年度 大河内町教育委員会
が茂る緩やかな尾根を進んでいきます。 降り坂になると、深いがあります。 右側にはのようなものが倒れています。 堀切を過ぎると、になります。 程なくして、登り坂になります。
小峰(奥ノ城)
しばらく登っていくとになります。 生い茂る笹を漕ぎながら進んでいくとになります。 少し登っていくとになります。 僅かな高みが近づいてくると、のような急な所が現れます。 切岸を登っていくと、標高470mほどの小峰に着きます。 口ノ城から14分ほどの所になります。 標識類や解説板などは見かけませんが、情報によると、ここが寺前城の本丸があった奥ノ城になるようです。 周囲には樹木が茂っていて、眺めは広がりません。 ここも笹が茂るばかりで居心地は良くないので、水分補給をしたら通過していきます。
緩やかな尾根を進んでになると、笹が減って歩き易くなります。 すぐに緩やかになる尾根を進んでいくと深いがあります。 真っ直ぐ降りていけそうにないので、回り込むように堀切へ降りていきます。 急な崖のような所をよじ登っていくとになります。 すぐに軽い降り坂になります。
少し降って緩やかになると、僅かなを過ぎていきます。 軽く降って左へ曲がり始めると、口ノ城の手前から茂っていた笹が減ってになります。 情報によると、この辺りまでが寺前城の縄張りだったようです。 軽いになる尾根を進んでいきます。 僅かにが茂る所もありますが、すぐに終ります。 笹が減った尾根を軽く登っていくと、標高460mほどの僅かな高みに着きます。 奥ノ城から14分ほどの所になります。
の先へ軽く降っていきます。 少し左へ曲がりながら降り始めると、右からが近づいてきます。 網が少し開いていて両側を通れるようですが、網をくぐるの避けて左側(*)を進んでいくことにします。 僅かに降って緩やかになると、程なくしてになります。 尾根には細木が茂っていてプチ藪漕ぎが続き、 『防護網の右側を歩いた方が良かったかも知れない』と思いながら進んでいきます。 右側に出られそうな所を探しながら進んでいきますが、手頃な所は見つけられませんでした。 少し笹が生えている所もありますが、防護網から離れないようにしながら、歩き易い所を選びながら尾根の背を登っていきます。
*この先にかけて網の左側(西側)には細木が茂っていてプチ藪漕ぎになります。 網の右側(東側)の状況は分かりませんが、この先の防護網が遠ざかる所にも開いている所があるので、 右側(東側)を歩く方が良いのかも知れません。(未確認です)
497m峰
しばらく登っていくとになります。 煩わしい細木を払いながら進んでになると、アセビやアオキなどが見られます。 近づいてくるへ向って登っていきます。 傾斜が緩やかになると高みに着きます。 高みには「団」の黄プラ杭「3」があるばかりですが、ここが地形図に載っているになるようです。 奥ノ城から32分ほどの所になります。 ここも休憩する雰囲気ではないので、水分補給をしたら通過していきます。
煩わしい細木を払いながら尾根を降っていくとになります。 程なくしてになります。 次第にが増してきます。 枯れた樹木を過ぎていくと緩やかな尾根になります。
林道終点
細木を払いながら降っていくと、の袂を過ぎていきます。 アオキが見られるを降っていきます。 これまで続いてきたが右へ遠ざかっていきます。 防護網の曲がり角には開いた所があって、網の右側(東側)も歩けたようです。 僅かに撓んだ所を過ぎるとになります。 少し左へ曲がりながら降っていくと、樹間にが見えてきます。 気を取り直して降っていくと、林道終点に降り立ちます。 奥ノ城から56分ほどで降りて来られました。 手頃な休憩場所を見つけられないまま、遅速ながら口ノ城の手前から歩き続けてきてかなり疲れました。 リュックを降ろして水分補給しながら休憩し、長く続いたプチ藪漕ぎからの解放感に浸っていきます。
落ち着いたところで、緩やかな地道のを進んでいきます。 これまでの煩わしい尾根から解放されて、歩き易い道が続きます。 少し降り坂になると、曲がっていきます。 僅かなを左へ回り込んでいきます。 小さく曲がりながら続くを淡々と降っていきます。 涸れ沢がある谷筋まで来て、ヘアピン状に左へ曲がっていきます。 林道終点から10分ほどの所になります。
小さく曲がりながら続くを更に降っていきます。 左へ曲がりながらへ降っていくと、ヘアピン状に右へ回り込んでいきます。 次の谷筋まで来ると、水が流れるを過ぎて左へ曲がっていきます。 少し右・左と曲がりながら降っていくと、左下すぐの所に広いが並行するようになります。 並行する地道を眺めながら林道を降っていくと鎖柵があります。 林道終点から25分ほどの所になります。 脇には向こう側を向いた「一般車通行禁止」の看板が立っています。 看板によると歩くのも禁止のようですが、ここまで来て引き返す訳にはいきません。
保安林
森林を大切に
火気に注意
設置 平成27年度 兵庫県
一般車通行禁止
これから先は、許可なく車両や歩行者の通行を禁止します。 無断で通行して事故等が発生しても一切の責任は負いません。
管理者 中はりま森林組合
鎖柵を過ぎると、すぐの所から夏草が茂るが右へ分かれていきますが、見送っていきます。 林道を左へ曲がっていくと、すぐの所にもがあります。 標識類は見かけませんが、の先に大瀬の滝があるようなので、立ち寄っていきます。 夏草が茂る広い地道を軽く登っていくと、すぐにに出ます。 中ほどには、石灯籠小祠が並んでいます。
石灯籠の左側の奥へ続く夏草が茂るを軽く登っていきます。 程なくして、夏草が減ったに出ます。 右側のから水音が聞こえてくるので、ちょいと立ち寄っていきます。 斜面を斜めに降っていくと、水利設備から引かれたパイプから水が勢い良く流れ落ちる水場になっています。
往復4分ほどでに戻って、先へ登っていきます。 石がゴロゴロする地道を登っていくと、が巻かれた樹木の所から右の谷筋へ降りていく小径があります。 標識類は見かけませんが、ここから右のを降っていきます。 少し降っていくと、河川敷のようになった沢筋に降り立ちます。 右側にはがあります。
大瀬の滝
正面にあるが巻かれた樹木の所へ向っていきます。 上流へ向って谷筋の右側を軽く登っていくと、半壊した「大瀬の瀧」のがあります。 解説板を過ぎて、少し水が流れる沢を進んでいくと、二段・二条になって岩壁を流れ落ちる大瀬の滝の前に出ます。 鎖柵から13分ほどの所になります。 は発達していません。 左右の岩壁を眺めていると、右の岩壁に一体、左の岩壁に二体のが彫られていますが、名前は良く分かりません。
大瀬の瀧
今からおよそ746年前、建長8年(1256)北条時頼この地に来り、 七堂伽藍を建立し、行基菩薩御作の薬師如来を安置されたのが最明寺の開基と傳えられています。 この瀧は最明寺参道の霊地として、瑜伽三密(身語意三修の秘法)の教風を仰ぎ、 疾病悉除雨乞う等祈祷の道場として、歴世の村人が崇敬の帰信を捧げた信仰の道場であると伝えられています。
2002年4月再建
大瀬の滝を確認したら、を引き返していきます。 解説板を過ぎていくと、の上流に出ます。 谷筋を横切って、を登っていきます。 斜面を横切るように登っていくと、広いに出ます。 石がゴロゴロしたり夏草が茂る地道を降っていくと、石灯籠小祠が並ぶに出ます。 夏草が茂る道を更に進んでいくと林道に出ます。 大瀬の滝から8分ほどで戻って来られました。
左へ曲がって、地道のを軽く降っていきます。 右側の奥にはが少し見えます。 右へ曲がり始めると、の終点に出ます。 右へ入った所にはがあります。 正面へ続く舗装路を進み始めると、すぐの所の路肩が広がっていて、車数台を止められそうです。
尾根の傍に続くを軽く降っていきます。 ガードレールが途切れた所から右へ入っていくがあります。 脇には「大池」の看板が出ていますが、立入禁止のようです。 覗いてみると堰の上流に水面が見えるので、この上流側にがあるようです。 小径を見送っていくと、左側の谷筋にのようなものがあります。 道なりに右へ曲がっていくと、沢の上を過ぎた先で左へ曲がっていきます。
兵庫県条例ため池 大池
管理者 寺前区区長
あぶない!! 入るな!!
土砂災害警戒区域管理者
沢の右側に続くようになるを降っていきます。 を流れる水の心地良い音を聞きながら淡々と降っていきます。 反射標識が見られるようになると、を通過していきます。 左に続くに沿って降っていきます。 程なくして、正面が明るくなってきます。
車道出合
開けた所に出るとがあります。 舗装路の終点からから16分ほどの所になります。 左にある小扉の脇が空いているので、そこを抜けていきます。 振り返ってを眺めると、小さなレバーを横にずらせば扉を開けられるようです。 車止め柵を過ぎたすぐ右側にはがあります。 正面へ進んでいくと、すぐに車道の曲がり角に出ます。
車止め柵は施錠されておらず、「通行禁止」の旨の看板も見かけないので、 大瀬の滝を訪ねるだけなら、舗装路の終点まで車で行っても良さそうに思えます。 1車線の狭い道ですが、路面は荒れておらず所々に車の交換場所も見られるので、それほど苦労することもなく通れそうです。
寺前地区
左前方へ続くを登っていきます。 少し登って緩やかになると、が広がってきます。 右から登ってくる道を合わせて左へ曲がっていくと、街並みの向こうにが広がってきます。 が設置された所を過ぎていきます。 少し降り坂になると、車を止めておいた広い草地に着きます。 舗装路の終点からから23分ほどで到着しました。