薮崎189m峰
概 要 養父市の薮崎地区と小城地区の境にある189.9m峰(点名:上薮崎)へ登ります。 地形図に破線で載っている道を歩きます。 北側にある大師堂から稜線に出て、189.9m峰と25番鉄塔を訪ねてから小城地区へ降っていきます。 眺めはあまり広がりませんが、所々から山並みが見えます。
起 点 養父市 薮崎地区
終 点 養父市 薮崎地区
薮崎地区…登山口…大師堂…稜線…小峰A…189.9m峰…小峰A…小峰B…小峰C…25番鉄塔…小峰C…小峰B…下山口…谷筋…下山地…観音堂…粟島神社…薮崎地区
所要時間 2時間50分
歩いて... 大師堂から稜線に出るまでと、小峰A〜小峰Cの稜線には採番された石仏が点々と続いていて導いてくれます。 急傾斜の所はありませんが、雨後の気温が高い日とあって蒸し暑く、止め処もなく汗が噴き出してくるのには参りました。 稜線から小城地区へ降る道は、踏み跡程度で荒れ気味になっています。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
薮崎地区
養父市を通る国道312号の大屋橋交差点から県道2号を東進していきます。 大屋橋を渡ってJR山陰本線の踏切の手前まで来ると、 「養父神社」の標識が出るがあります。 右折して集落の中を進んで線路沿いに出ると、路肩の広がった所があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
登山口
東へ続く車道を100mほど進んでいくと、夏草が茂るが右側にあります。 入口には赤い「ホース格納箱」と「大師堂へのお参りに注意」のが出ています。 ここからも大師堂へ登れますが、今回は見送っていきます。 線路沿いに続くを進んでいきます。 民家を過ぎていくと、水路沿いに右へ入っていく路地があります。 ここが今回の登山口になります。 入口に立つ電柱には「上薮崎22D」の標識が取り付けられています。
大師堂へのお参りに注意
建物が老朽化しており危険です。 お参りには細心の注意をして下さい。 大師堂の敷地に揚がらないようにご協力下さい。
上薮崎区長
大師堂
民家の間に続く路地を水路沿いに進んでいくとが現れます。 石段を登っていくと、程なくしてがあります。 扉は紐で括られているだけなので、容易に開けて通過出来ます。 右へ曲がっていく石段を登っていくと、小さなに出ます。 墓地を過ぎて、の袂を右へ登っていきます。 なだらかな境内に出て振り返ると大師堂があります。 駐車地から8分ほどの所になります。 柱には「真言宗醍醐教會上薮崎分教會」と「養父郡西国八十八ヶ番霊場」の表札が掲げられています。 建物の前にはが並んでいます。 「一番」か「八十八番」だろうと思って確認しますが、番号は分かりませんでした。
を抜けていきます。 右へ曲がって、上に見えてくるに向って登っていきます。 左へ分れていく踏み跡を分けていくと、左へ曲がった所の石積みの上に「」の石仏があります。 点々と佇む石仏を辿りながら、尾根のを軽く登っていきます。 道を塞ぐ倒木を避けたりしながら進んでいくと、を回り込んでいきます。 「八十ばん」の石仏まで来ると右へ曲がって、次第に谷筋から離れていきます。
に曲がりながら続く道を登っていきます。 「七十七ばん」の石仏を過ぎると、曲がっていきます。 左・右と曲がりながら登っていくと、「」の石仏があります。 が少し増してくる道を登っていきます。 尾根の背に出て左へ曲がると、頭上が明るくなってきます。 大師堂から14分ほどの所になります。
「七十三ばん」の石仏を過ぎて、を軽く登っていきます。 右・左と何度か曲がりながらを登っていきます。 「七十ばん」の石仏を過ぎていくと右側にが見えてきますが、 方角からすると光明山でしょうか。 尾根のを通ったりしながら登っていきます。 「六十七ばん」の石仏を過ぎると緩やかな尾根になります。
「六十六ばん」の石仏を過ぎていくとがあります。 脇には「六十四ばん」の石仏があります。 を少し降った所には「六十五ばん」の石仏があります。 少し愚考の末、ここはを登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになると、「」の石仏を過ぎていきます。 少し進んだ所の「六十一ばん」の石仏がある辺りが、地形図に載っている標高180mほどの高みのように思えますが、 緩やかな尾根が続くばかりでピーク感はありません。 大師堂から28分ほどの所になります。
「五十九ばん」の石仏を過ぎていくと、軽いになります。 「」の石仏まで来ると、少し右へ曲がって軽く降るようになります。 すぐにになる広い道を進んでいきます。 「五十五ばん」の石仏を過ぎていくと、尾根の背を外れてを登るようになります。 狭くなってくる道を登っていきます。
稜線
「五十四ばん」の石仏があるに出ると、稜線が見えてきます。 谷筋を回り込むように、曲がりながら登っていきます。 「」の石仏を過ぎると、稜線が近づいてきます。 傾斜が緩やかになると、左右に延びる稜線に出ます。 大師堂から38分ほどで登って来られました。
小峰A
ひと息入れてから、右へ続くを進んでいきます。 浅い鞍部を過ぎるとになります。 広がって来る尾根を登っていくと、「」の石仏を過ぎていきます。 傾斜が緩やかになると、標高200mほどの小峰Aに着きます。 稜線に登り着いた所から2分ほどの所になります。 中ほどには「」の石仏があります。 周囲には樹木が茂っていて眺めは広がりません。
189.9m峰 (点名:上薮崎)
少し北側にある三角点へ向って、を降っていきます。 これまでの石仏が続く道とは違って、に明瞭な道はありませんが、藪漕ぎすることはありません。 程なくして、僅かにが現れます。 少し降っていくと道がになります。 『この辺りに三角点があるはずだが』と思いながら探していると、 アセビが茂る中に四等三角点「上薮崎」があります。 稜線に登り着いた所から9分ほどの所になります。 ピークではありませんが、ここが地形図に載っている189.9m峰になるようです。 右側の樹間には、光明山と思われるが見えます。
小峰A
三角点を確認したら、降ってきた尾根に続くを引き返していきます。 道がになる所もありますが、上を目指して登っていきます。 またはっきりしてくるを登っていきます。 傾斜が緩やかになると、「五十一ばん」の石仏がある標高200mほどの小峰Aに戻ってきます。 189.9m峰から5分ほどの所になります。 右側の樹間には僅かにが見えます。
小峰B
軽く降っていくと、大師堂から登り着いたに戻ってきます。 松の幼木に中にある「四十九ばん」の石仏を過ぎていくとになります。 しばらく進んで軽い登り坂になると、脇に「」の石仏があります。 今回はここから小城地区へ向って右の尾根を降っていくのですが、その前にこの先にある送電線の鉄塔まで往復してきます。 緩やかになった道を進んで軽い登り坂になるとがあります。 脇には向こう側を向いたが立っていて、「42」〜「46」の数字が書かれています。 前後関係からすると、数字は石仏の番号のようで、左の道が石仏巡りの道になっているように思えます。 左の道は見送って正面の道を軽く登っていくと、標高210mほどの小峰Bに着きます。 小峰Aから8分ほどの所になります。 脇には「四十三ばん」の石仏があります。 右前方の樹間には僅かにが見えます。
小峰C
僅かなになる尾根を進んでいきます。 「四十四ばん」の石仏を過ぎていくとになります。 程なくしてになります。 少し窪んだ道になるとが道を塞いでいるので、脇を登っていきます。 傾斜が緩やかになると、標高210mほどの小峰Cに着きます。 小峰Aから12分ほどの所になります。 脇には「四十五ばん」の石仏があります。
25番鉄塔
石仏を見かけなくなる尾根を軽く降って緩やかになると、になります。 程なくしてになります。 松の幼木が茂る所を過ぎると、送電線の鉄塔「竹田養父線二五」の袂に出ます。 小峰Aから16分ほどで到着しました。 右の方角にはが延びています。 少し角度を変えると、と思われる山も見えます。 少し先のに入って、水分補給をしながら休憩していきます。
小峰C
落ち着いたところで、を引き返していきます。 松の幼木が茂る所を過ぎて、を軽く降っていきます。 傾斜が緩やかになると、を進んでいきます。 程なくしてになります。 傾斜が緩やかになると、標高210mほどの小峰Cに着きます。 25番鉄塔から3分ほどの所になります。 大きな倒木の先には「」の石仏があります。
小峰B
倒木が見られる少しを降っていきます。 脇を通ったりしながら降っていくとになります。 になると、「四十四ばん」の石仏を過ぎていきます。 傾斜が緩やかになると、標高210mほどの小峰Bに着きます。 25番鉄塔から7分ほどの所になります。 脇には「」の石仏があります。
下山口
軽く降って緩やかになると、「42」〜「46」の数字が書かれた標識が立つがあります。 へ入った所には「四十二ばん」の石仏があります。 右の道は見送って、緩やかなを進んでいきます。 軽い降り坂になる所まで来ると、不明瞭ながら左へ尾根が降っていきます。 25番鉄塔から8分ほどの所になります。 左脇には「」の石仏があります。 地形図には、この辺りから南西へ続く破線の道が描かれています。 松の幼木が見られるに明瞭な道はなくてしばらく愚考しますが、 破線の道が続いていると信じて、ここから小城地区へ向って降っていきます。
最初はが不明瞭ですが、少し降っていくと明瞭になってきます。 また松の幼木が茂る所を過ぎていくと、左前方にが広がってきます。 標高190m辺りまで来ると尾根が二股に分れていますが、を降っていきます。 尾根に明瞭な道はありませんが、樹木が少し茂り気味ながら藪漕ぎするような所はありません。 少し右へ曲がりながら降っていくと、標高170mほどの緩やかな尾根になります。
僅かな降り坂で続くを進んでいきます。 松の幼木が生える所まで来ると、樹間にが少し見えます。 軽く降って尾根が広がった標高160m辺りまで来ると、尾根の中ほどが少し窪んできて二股に分れています。 下山口から9分ほどの所になります。 標識類は見かけず、どちらの尾根を降れば良いか迷います。 松の幼木が茂るの先には山並みが少し見えますが、すぐに歩き難くなります。 ここは、少し樹木が茂り気味のを降っていきます。
右前方の樹間にを眺めながら進んでいきます。 少し左へ曲がりながら尾根を軽く降っていくと、標高140m辺りのになります。 には、谷向かいの稜線に立つ送電線の鉄塔が見えます。 が茂るようになる尾根を降っていきます。 シダ類を過ぎて標高110m辺りまで来ると、左へ曲がっていく明瞭な踏み跡が現れます。 下山口から18分ほどの所になります。
谷筋
戻るように左へ曲がって、植林地になった斜面を横切るように続く明瞭なを降っていきます。 谷筋が近づいてくると、踏み跡は次第にになります。 水が流れた跡のようなを横切っていきます。 程なくして、僅かに水が流れる谷筋に降り立ちます。 下山口から24分ほどの所になります。
右へ曲がって、谷の右側に続くを進んでいきます。 程なくしてに出ます。 ダムの右側を越えて沢沿いに降りていくと、が茂って倒木が道を塞いでいます。 倒木を過ぎていくと、があります。 大岩の袂を過ぎていくと、二つ目の砂防ダムに出ます。 谷筋に降り立った所から4分ほどの所になります。
下山地
を越えていきます。 が茂る谷筋を進んでいきます。 伐採木が目立つ所を過ぎていくと、護岸された沢にが架かっています。 鉄板橋を見送って沢の左側を更に降っていくと、またあるの先にお堂が見えてきます。 鉄板橋を見送って少し先に架かる小橋を渡ると、の脇に出ます。 谷筋に降り立った所から9分ほど、下山口から34分ほどで降りて来られました。 お堂の正面には鐘が吊されていて扁額も掲げられていますが、文字は判読出来ませんでした。
この時は工事が行われていたようで、簡易トイレを載せた軽トラが二台止められていました。
お堂を過ぎると、すぐにに出ます。 左へ登っていくと大庄屋記念館があるようですが、工事中で閉館しているようなので立ち寄るのは省略します。 麓にある木の香る小城交流促進センターにある案内板の内容を参考までに載せておきます。 右へ曲がって降っていくと、正面に扉付きのがあります。 角には六地蔵が安置されたがあります。 道なりに左へ曲がっていくとがありますが、この時は扉が開放されていました。 少し先を左へ曲がって、石垣沿いに降っていきます。
養父市立 大庄屋記念館(長島家住宅)
大庄屋記念館は、江戸時代に出石藩の大庄屋を務め、 明治・大正・昭和初期にかけて豪農として栄えた長島家の住宅を活用した歴史民俗資料館です。 高い石垣の上には主屋・客殿・土蔵などの歴史的な建物が群として建ち並び、 石垣で雛壇状に整備された優れた景観があります。
当館は昭和49年に養父町民俗資料館として開館し、平成16年に養父市立大庄屋記念館に名称を変更しました。 館内には池田草庵の書、北垣国道の扁額、小林礫川の襖絵などがあり、 数多くの民俗資料とともに養父市の先人や農村生活を学ぶことができる農村文化の資料館です。 また、現在まで伝わる風格ある建物群は、養父市の歴史や文化を伝える貴重な文化財であることから、 「長島家住宅」として養父市指定文化財となっています。
「大庄屋記念館」のが出る所を右へ曲がっていきます。 すぐ先にあるを右前方へ進んでいきます。 水路に架かるまで来て、右折して水路沿いに進んでいきます。 少し右へ曲がって水路から離れ、墓地を過ぎてを進んでいきます。 左へ分れていく道との分岐まで来るとになります。 山際に続く地道を進んでいくと、円山川水系簡易水道の上薮崎浄水場があります。 下山地のお堂から13分ほどの所になります。
になった道を、山沿いに進んでいきます。 正面に電波塔が立つ山が見えていますが、方角からすると舞狂山のようです。 上薮崎地区の集落に入った先にあるを右前方へ進んでいきます。 に沿って続く道を進んでいきます。 十字路を直進していくと、左右に通るに出ます。 下山地のお堂から21分ほどの所になります。 左側にはコミュニティー消防センターがあります。
観音堂
右折して車道を進んでいくとがあります。 右側の奥まった所にはがあります。 集落に続く車道を更に進んでいくと、背の高いで囲まれた一角があります。 金網には「但馬六十六地蔵尊霊場第四十八番札所」の標識が取り付けられています。 中へ入っていくと、「観音堂」の扁額が掲げられたお堂があります。 下山地のお堂から26分ほどの所になります。 日陰に腰かけて、水分補給をしながらひと息入れていきます。 左側にはが沢山並んでいます。 右側にはがあって、 「」や「」の看板があります。
上薮崎(1)地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意) この区域内で土地の形状変更をする場合は知事の許可が必要ですから 養父土木寺務所管理課にご相談下さい。
災害に強い森づくり(緊急防災林整備)
〜県民緑税の活用〜
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、 県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、 県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、 防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を早期・確実に進めています。
整備内容
・人家に被害を及ぼす危険な樹木の伐採。
・簡易な防災施設(床固工・木柵工)の設置。
平成22年3月 兵庫県・養父市・(社)兵庫みどり公社
但馬六十六地蔵尊
但馬地方を巡る総延長約175kmの道に祀られているお地蔵さんです。 新羅の王子の天日槍(あめのひぼこ)が但馬に渡来し、当時は泥海だった土地を開拓した際に、 泥が早く乾いて地面が固まるようにと祈願して祀られたようです。
1 香美町香住区七日市
2 新温泉町福富
3 新温泉町三谷
4 新温泉町井土
5 新温泉町金屋
6 新温泉町久斗山
7 香美町香住区大野
8 香美町香住区下岡
9 香美町香住区奥安木
10 香美町香住区相谷
11 豊岡市竹野町奥須井
12 豊岡市竹野町松本
13 豊岡市竹野町羽入
14 豊岡市竹野町林
15 豊岡市竹野町御又
16 豊岡市竹野町床瀬
17 豊岡市日高町太田
18 豊岡市日高町山宮
19 豊岡市日高町羽尻
20 豊岡市日高町田口
21 豊岡市日高町名色
22 豊岡市日高町稲葉
23 豊岡市日高町山田
24 香美町村岡区長瀬
25 香美町村岡区味取
26 香美町村岡区和田
27 香美町村岡区村岡
28 香美町村岡区福岡
29 養父市関宮町福定
30 養父市関宮町関宮
31 養父市八鹿町高柳
32 養父市八鹿町馬瀬
33 養父市八鹿町天子
34 養父市稲津
35 養父市伊豆
36 養父市大屋町山路
37 養父市内山
38 朝来市桑市
39 朝来市生野町円山
40 朝来市柴
41 朝来市和田山町筒江
42 朝来市和田山町殿
43 朝来市和田山町枚田
44 朝来市和田山町玉置
45 朝来市和田山町岡田
46 朝来市和田山町林垣
47 朝来市和田山町高田
48 養父市上薮崎
49 養父市八鹿町伊佐
50 養父市八鹿町浅間
51 豊岡市日高町浅倉
52 豊岡市日高町藤井
53 豊岡市佐野
54 豊岡市滝
55 豊岡市城崎町来日
56 豊岡市城崎町湯島
57 豊岡市津居山
58 豊岡市城崎町楽々浦
59 豊岡市城崎町結
60 豊岡市金剛寺
61 豊岡市下宮
62 豊岡市出石町奥小野
63 豊岡市但東町木村
64 豊岡市出石町寺坂
65 豊岡市出石町出石
66 豊岡市出石町奥山
粟島神社
落ち着いたところで、背後にある粟島神社を訪ねていきます。 お堂の左側にがありますが、扉は紐で括られているだけなので、容易に開けて通過出来ます。 防護柵を過ぎると、石段が二手に分れています。 角には「流水記」と刻まれた石碑があります。 墓地へ続く左の石段は見送って、を登っていきます。 石段を登っていくと、正面に粟島神社があります。 由緒などを記したものは見かけません。 左右にはがありますが、名前は分かりませんでした。 右側の先にはが広がります。
薮崎地区
を引き返していきます。 防護柵を過ぎると、お地蔵さんが並ぶの境内に出ます。 境内を出て右折し、を進んでいきます。 JR山陰本線の線路沿いに出て進んでいくと、車を止めておいた駐車地があります。 粟島神社から4分ほどで到着しました。