明治山
概 要 明治山は丹波市氷上町にある標高153.6m(点名:明治山)の山です。 麓から歩道が整備されていて、分かり易くなっています。 山には古墳や城跡もあります。 今回は東登山口から登って、西登山口に降るルートを歩きます。
起 点 丹波市氷上町 犬岡地区
終 点 丹波市氷上町 犬岡地区
犬岡地区…東登山口…明治山…展望台…分岐…展望地…城跡…犬岡愛宕神社…西登山口…犬岡地区
所要時間 1時間10分
歩いて... 道には笹などが目立ちますが、疲労困憊するような急坂が長く続くことはありません。 「里山の道」の標識が点々と設置されていて、迷う心配はありません。 山頂は樹木が茂っていて眺めは良くありませんが、南の尾根を降ると眺めが広がります。
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コース紹介
犬岡地区
北近畿豊岡自動車を氷上ICで降りて、県道8号を北上していきます。 市辺南交差点を左折して北近畿豊岡自動車の下をくぐり、犬岡橋を渡っていきます。 すぐにある十字路を右折して山際まで進み、道なりに左へ曲がって犬岡公民館まで来ると、 右側に「普門寺 駐車場」の標識が出ているので、ここに車を止めさせて頂きました。
東登山口
車道に出ると、すぐ右側に「曹洞宗 大慈山 普門禅寺」のが立っています。 石柱の手前には「明治山(いぬか山)」「東登山口」のが立っています。 今回登る明治山は「いぬか山」とも呼ばれるようです。 真っ直ぐ続く石段を登っていくとに着きます。 境内に入ってすぐに左へ曲がると、「地蔵尊」の扁額が掲げられたがあります。 お堂を過ぎたすぐの所に東登山口があります。 駐車場から2分ほどの所になります。 「明治山登山口 寺上コース」「里山の道」のが立っています。 傍には「つえおきば」があって、竹の杖が沢山置かれています。 今回はここから登っていきます。
山道を登り始めると、すぐの所にがあります。 中には「久呉兵衛守」と刻まれた石碑や仏像が安置されています。 振り返ると、犬岡地区のが広がります。 が張られた道を登り始めると、「里山の道」の標識が取り付けられています。 笹が茂り気味の道をロープに沿って登っていくと、また「里山の道」のがあります。 傾斜が緩やかになると、笹が茂る小広い所に出ます。
久呉兵衛守ハ久呉氏ノ先祖ニシテ凡ソ三百有余年ヲ経タリ 往時ヨリ部落南隅ニ祭祀セリシモ 今回此ノ勝地ニ一宇ヲ創シ供養ス 是一趣旨ヲ録シテ後代ニ傳ヘントス
昭和二十八年十月二日
すぐにある「お寺の上」「里山の道」のを過ぎていきます。 右側にが続くようになると、笹や細い樹木が煩わしくなってきます。 点々と続く「里山の道」のを確認しながら登っていきます。 傾斜が増してくる道を防護網に沿って登っていくと、「里山の道」「下水処場上」のを過ぎていきます。 正面が明るくなって尾根が近づいてくると、トラロープが垂らされるようになります。
トラロープが終って次第に傾斜が緩んで来る道を、に沿って登っていきます。 程なくして左右に延びる尾根に登り着きます。 東登山口から9分ほどで登って来られました。 右側には「ひと休み」「東登山口」のがあります。 袂には「普門寺」「きつい坂みち お寺まで10分」のもあります。 正面には「標高153.7m」「里山の道」などのが立っていて、 右の道は「終点」、左の道は「愛宕神社15分」となっています。
来たときよりも美しく
動植物を大切に
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火の用心
明治山 (標高153.6m)
右へ10mほど進んでいくと標識が幾つかあります。 「明治山」があるので、地形図に載っている153.6m峰になるようです。 「古墳 明治山石棺」のもあります。 「東 市辺展望 霧山371.7m」の標識が指す方角にある山がのようですが、手前の樹木が邪魔をしています。 北側には「西中箱森神社」「里山の道おわり」のが立っています。 北へ降っていくと西中箱森神社へ降りられるようですが、尾根には樹木が茂っていて、あまり歩かれていない様子です。
古墳 明治山石棺
昭和44年6月、国土地理院の三角点設置の時発見される。 県教委の詳しく調査できなかったが、箱式石棺で中に人骨の一部があり頭骨は砕けていた。 副葬品は長さ11cmほどの鉈1本(大工道具)のみであった。 時代は明確でないが、古墳後期(500年マエ)のものでないかと言われている。
氷上町文化財誌より
里山事業 記念して平成20年4月建
展望台
尾根に登り着いた所まで引き返して、南西に延びるを進んでいきます。 左・右と少し曲がりながら軽く降っていくと、「里山の道」のを過ぎていきます。 生い茂る笹を掻き分けながら降っていくと、また「里山の道」のがあります。 登り坂になる道を進んでいくと、緩やかで小広い所に出ます。 明治山から3分ほどの所になります。 左側には「ひと休み」「道の駅 SA 売店休み サービスエリア」のがあります。 右側には「展望台」や「見える所」のが立っています。 甲賀山安全山などが見えるようですが、手前の樹木が育っていて見えません。
分岐
緩やかになった道を進んでいくと、「犬岡字宮の谷 お宮さんの上」のを過ぎていきます。 笹が茂る尾根を進んでいくと、また「里山の道」のがあります。 赤プラ杭や桃テープが巻かれた木がある所まで来ると分岐があります。 明治山から5分ほどの所になります。 右の道の先には「里山の道」、 左の道の先には「大歳神社 1組へ下の道」のがあります。 しばらく愚考した末、を歩いてみることにします。
展望地
小さく曲がりながら、の尾根を降っていきます。 「里山の道」のを過ぎていきます。 正面が明るくなって尾根の先端の傍まで降りていくと、「里山の道」のが立っています。 分岐から4分ほどの所になります。 尾根の先は治山工事が行なわれていて降りられなくなっていますが、 左側や右側へ出てみると、眺めが広がる展望地になっています。
往復15分ほどでまで引き返してきます。 左へ曲がって、「里山の道」のを過ぎていきます。 降り坂になる尾根を進んで緩やかになると、また「里山の道」のがあります。 尾根の背を外れて左斜面を進んでいくと、また「里山の道」のがあります。 高みを回り込むように進んでいくと、またがあります。 分岐から3分ほどの所になります。 「城あと」の板が右の斜面を指していて気になるので、登ってみることにします。
城跡
道はありませんが、の斜面を登っていきます。 少し登っていくと、広い道のようなに出ます。 斜面を更に登っていくと、笹が生い茂る高みに着きます。 左の先にが見えるので向っていきます。 傍まで行くと、城山に関するです。 この辺りはかつての城跡のようです。
ふるさと 犬岡の歴史を知ろう、学ぼう タイムスリップ
豊臣秀吉の時代に久呉兵衛(本名松井氏)なる豪族がいた。 秀吉の朝鮮出兵で手柄をあげたという。 領地は明治山の尾根通りで、平地と段々が多く、東まで城山という。 ここ西に城の本丸があったのではないか。 住居は平地で、今井に住んでいたという。 もう一人、鑑内氏も朝鮮にじゅうぐんし、斑文竹を持ちかえる。 柏原篠山慈に移植したとある。 先祖の弓矢が神社に納めおりとある。
応永7年(1400) 丹波志
※秀吉の時代 関白1585年 死亡1598年
※城山は東西4丁(436m)長い岡山なり
※山に登ること50間(90m)
※7間4面の平地(現在地)
高みのが歩き易くなっているので降ってみます。 「里山の道」のを過ぎると緩やかになります。 少し降り坂になると、向こう側を向いた「里山の道」のを過ぎていきます。 笹が茂るようになった尾根の左斜面を降っていくと、また「里山の道」のがあります。 笹や細い木が茂る所を抜けると、緩やかな尾根に出ます。
元来たには「里山の道」の標識が立っています。 右へ曲がって、先ほど通った尾根のに続く道を進んでいきます。 緩やかな道を進んでいくと、「里山の道」のを過ぎていきます。 城跡の高みを巻くように進んでいくと、「城あと」の標識が立つ所に出ます。 城跡へ登り始めてから8分ほどで戻って来られました。
城跡の高みを巻くように進んで竹が混じるようになると、「里山の道」のがあります。 竹が混じる所を過ぎていくとが立っています。 「城とりで跡」「しろあと 里山の道 きついみち」のが右の斜面を指していますが、先ほどの城跡へ出られるようです。 今来た道は「里山の道 右 ゆるやかな道」となっています。 すぐ先に立つ「里山の道」のがある所を左へ曲がっていきます。 竹が混じる植林地を斜めに降っていくと、左右に通る道に出ます。 左へも道が続いているようですが、「×」のが出ています。
右へ曲がって降っていくと、「里山の道」のが立っています。 少し先を左へ曲がって降っていくと、次第に傾斜がになります。 緩やかになった道を進んでいくと分岐があります。 城跡へ登っていった所から7分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「愛宕神社」、今来た道は「里山の道→東終点まで→15分」となっています。 左前方へ降ると西登山口に出られますが、 正面のすぐ先に見えているに立ち寄っていきます。
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犬岡愛宕神社
尾根を軽く登っていくと、石灯籠の先に犬岡愛宕神社があります。 展望地への立ち寄りや城跡への一周も含めて、明治山から40分ほどで到着しました。 正面には「犬岡愛宕神社」の板が掲げられ、「犬岡愛宕神社 防火鎮火の神様」のもあります。 建物の中には「愛宕神社」と刻まれたがあります。 左脇には「」があります。
犬岡愛宕神社 防火鎮火の神様 火事をふせぎ火を消す
宝暦13年(1763)、犬岡の東川岸に祀ってあったが、 天明7年(1787)、世話人彦右エ門と又八によってこの地に移された。 犬岡の愛宕さんは、参道と本殿前の石灯籠が歴然と歴史を語っている。 昔京都の愛宕さんから分社されたのか不明なり。 成松の愛宕さんは江戸中期宝永元年(1704)に祀られたもの。 8月24日盆は有名なり。 愛宕さんは防火と鎮火の神様として山に祀ってある所が多い。 犬岡1組では愛宕講があり、昭和初期に京都の愛宕さんに参拝、帰路福知山で泊まった記録もある。 正面の石灯籠は当時田中清右エ門、宝暦13年12月寄進、参道と左の灯籠は念仏同行世話人彦右エ門・又八の寄進。
ご神木 なぎの木
10年苗
平和、縁結び、家内安全
和歌山県新宮市 那智速玉大社
手前のまで引き返してきます。 右へ曲がって、になっている道を降っていきます。 左へ曲がって、を更に降っていきます。 落ち葉に埋もれたが現れると、右・左と曲がって降っていきます。 更に右へ曲がって谷筋を降っていくと、左右に石灯籠が立っています。 犬岡愛宕神社から4分ほどの所になります。 脇には「愛宕神社まで88メートル」のがあって、杖置場もあります。
西登山口
石灯籠を過ぎていくと、右側にがあります。 入口に設置された案内板によると、長さ5.5mの通路の先に、横9m・奥行き1.2m・高さ1.8mの部屋があるようです。 防空壕跡を過ぎていくと、西登山口になっている車道に出ます。 犬岡愛宕神社から6分ほどで降りて来られました。 右側には「西登山口」のや「環境体験事業」や「明治山 犬岡山」の解説板があります。 左側には「災害に強い森づくり」のがあって、 今回歩いた道がに載っています。
防空壕跡
戦争が残した地下室です。
空から爆弾を落とされるとき逃げるために地下を掘ってつくられた穴倉。 戦争(昭和18年12月8日〜昭和20年8月15日)のときに1組の勢志菊太郎さん家に掘る人が泊まり、 長い時間をかけてほられたものです。 勢志爺さんが頼まれたのでしょう。 使われないまま終りましたよかった。 戦争は反対、平和を考えましょう。
立ち入り禁止
ヘビ、ムシに注意しましょう。 おとなの人とならはいれます。
明治山 犬岡山
標高153.7メートル 国土地理院 明治山 4等3角点設置
犬岡の地名(成松町史)
明治山が犬が寝た形に似ているところから犬岡と呼ぶようになったと言われる説?と、 この地に始めて移り住んだ民俗が古代の犬飼部(番犬猟犬飼育倉番)族と関係があったともいわれている?
山はこび物語-あらすじ-
いちべのキリ山に大五郎ちゅう気のええ鬼がいました。 成松が大雨のたび荒れて沼となり固まってしまったので、 沼をうめるためキリ山の土をかついでいたが、足をとられ土を落としたのが犬岡山と甲賀山になったとさ。
キリ山 霧山371.7m
丹波の森協会 丹波のむかしばなし5集
環境体験事業
明治山の自然に学ぶ
地球温暖化防止の輪が広がることを願って
SRIスポーツ(株)住友ゴム市島工場では、 未来を植えるどんぐりプロジェクト森づくりで地域の輪を広げたい。 種から育てた苗木を無償で頂きました。 環境体験事業では中央小3年生62名と犬岡区の人で植えました。
平成21.6月〜22.3月
〜県民緑税の活用〜 災害に強い森づくり(里山防災林整備)
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、 県民共通の山三である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、 県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、 防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を進めています。
整備内容
集落の浦山を対象にした森林整備に併せて、簡易な防災施設(木柵工など)の設置を行い、里山の防災機能を高めます。
兵庫県・丹波市・(社)兵庫みどり公社
犬岡地区
左へ続くを進んでいきます。 「児童集合場所」になっているを直進していきます。 治山工事が行なわれているを左に眺めながら進んでいきます。 大歳神社跡へ続くを左に分けていきます。 普門寺の参道の入口にある「曹洞宗 大慈山 普門禅寺」のが見えてきます。 犬岡公民館まで来ると、車を止めておいた駐車場が左側にあります。 西登山口から7分ほどで到着しました。