大屋457m峰
概 要 養父市大屋町にある457.6m峰(点名:ロクロ谷)へ登ります。 大杉地区を起終点とし、二宮神社・大福寺の背後から尾根に取り付き、大杉城跡を経て山頂へ至るルートを往復します。 かつて大杉城の詰城である高城があった山頂からは、樹木に邪魔されながらも山並みが眺められます。
起 点 養父市大屋町 大杉地区
終 点 養父市大屋町 大杉地区
大杉地区…二宮神社…大福寺…登山口…大杉城跡…457.6m峰…大杉城跡…登山口…大福寺…二宮神社…大杉地区
所要時間 2時間10分
歩いて... 標識は少なめですが、テープが適度な間隔で取り付けられ境界杭も続いてルートを示しています。 しかし、思いのほか傾斜が急な所が多く、呼吸を整えながらの遅い登りとなりました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
大杉地区
養父市大屋町を通る県道6号から分かれて、県道48号を西進していきます。 大杉公民館が近づいてくると、「二宮神社」「大杉ざんざこ踊り」のが立っていて右の道を指しています。 標識の先の十字路を右折していくとが架かっています。 橋を渡った左側に木彫展示館の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
脇にある「国選定 養父市大屋町大杉伝統的建造物群保存地区」のに載っているに描かれている二宮神社大福寺へ向っていきます。
国選定 養父市大屋町大杉伝統的建造物群保存地区
所在地養父市大屋町大杉時大杉ほか
面 積約5.8ヘクタール
種 別山村・養蚕集落
選定日平成29年7月31日
概要  養父市大屋町大杉地区は兵庫県北部に位置し、氷ノ山に源を発する大屋川沿いにある国指定の重要伝統的建造物群保存地区(5.8ha)です。 その外に養父市条例による景観形成重点地区の大屋町大杉地区(11.1ha)が広がっています。 養父市には約500戸の三階建養蚕住宅があります。 三階建の養蚕住宅は全国的には珍しく、養父市では明治中期(1890年頃)から昭和中期(1965年頃)にかけて養蚕の近代化とともに普及し、 日本一の数が建てられました。 大杉地区は、谷川に沿って養蚕住宅や社寺建築、石垣が広がり、養蚕業の最盛期の景観を良く伝えています。 養蚕農家の主屋は切妻造の瓦葺屋根に抜気とよぶ換気装置があり、 二階と三階の外壁は柱が見えない大壁造とし、長方形の掃き出し窓を採用しています。 建物群の中心は二階建てや三階建ての養蚕住宅です。 三階建養蚕農家の主屋群を特徴とする但馬地域の山村集落であると評価されています。 大杉地区の主屋27棟のうち12棟が三階建の養蚕住宅です。 養父市は兵庫県において最も養蚕業と製糸業が盛行した地域です。 大屋は養蚕業の中心地であり、大杉地区の集落景観には養蚕を巡る人々の生活と歴史が刻まれています。 そして生活の中で、伝統芸能の大杉ざんざこ踊りが受け継がれています。
養父市・養父市教育委員会
駐車場のへ続く道を進んでいきます。 すぐに架かる奥山橋を渡って右へ曲がっていくと、左へ登っていくがあります。 脇には「御案内」のがあって、正面の道を指しています。 傍には「大杉城・高城跡 登山口」の標識があります。 「二ノ宮神社」「大杉ざんざこ踊」の石柱が立つを登っていきます。 杜へ入っていくと、「二宮大明神」の扁額が掲げられた鳥居をくぐっていきます。
二宮神社
石段を登り終えて境内に出ると、一段高い所に二宮神社があります。 駐車場から5分ほどの所になります。 由緒などを記したものは見かけません。 右側には「但馬の巨木100選 シラカシ」のがあります。 太い幹はになっていて、空を見上げることが出来ます。 正面には「大杉ざんざこ踊」の解説板があります。 短い石段を登っていくと、社殿の左側にが幾つか並んでいて、 愛宕大権現・大山祇命・青面金剛・塞ノ神・稲荷大明神・加持屋大明神・火之迦倶土神などが祀られています。
大杉ざんざこ踊
この踊りは、慶安2年(1649)時の庄屋が村の疲弊を憂いて伊勢に参宮し、 帰途奈良の春日神社に参詣した時に見習い、氏子繁栄のため踊ったのが始まりと伝えられている。 歌詞には室町風の門賞めるや、因幡うた、京うた、らしきもの、 また「梁塵秘抄」の中にも見られるような古いものもあり、踊りぶりにも風流の型が見られる。 踊りの構成は、一人の新発意が指揮し、四人の中踊りが大シデ(唐ウチワ)を背負い、その周囲を数十人の側踊が輪舞する。 新発意は陣笠、麻裃、白衣に草履ばき、軍配を持つ。 中踊と側踊は、赫熊をかぶり、筒袖、腹掛、軽衫、手甲脚絆に草鞋をはき、腰太鼓をつけて踊る。 毎年八月十六日に二宮神社に奉納される。
兵庫県指定民俗文化財(昭和41年3月22日)
文化庁選択芸能(昭和48年11月5日)
昭和62年3月 大屋町教育委員会、大杉ざんざこ踊保存会
大福寺
境内社が並ぶを登っていきます。 真っ直ぐ登っていくと大福寺に着きます。 両側の柱には「大杉山大福寺」「本尊十一面観世音菩薩」の表札が掲げられています。 謂れなどを記したものは見かけませんが、駐車場の傍にある看板によると「但馬西国33霊場26番札所」になっているようです。 左にあるの先に続く石段を更に登っていきます。 苔生した石段を登り切ると、「妙見堂」の扁額が掲げられたがあります。 左手前の樹木の袂には「大杉城址登山道」のがあります。
登山口
の左側を進んでいきます。 すぐにに入っていきます。 狭い道を軽く登っていくと防護扉があります。 駐車所から11分ほどの所になります。 ここが今回の登山口になります。 上下に設けられた小さなレバーを回せば扉を開けられます。 扉にはが取り付けられています。 「大杉城跡まで10分」「高城跡まで50分」「一の段頂上まで150分」となっていて、 「扉は必ず閉めて下さい」と添えられています。
防護扉を過ぎた少し先を曲がっていきます。 「地籍調査」のが巻かれた樹木の所を左へ曲がっていきます。 斜面には細いが続いています。 杣道は何度か分岐していますが、所々に巻かれたを辿りながら植林地の斜面を登っていきます。 何度か曲がりながら登っていくと平坦地に出ます。 登山口から5分ほどの所になります。
大杉城跡
平坦地の先まで進んで右へ曲がり、を登っていきます。 アセビが見られる尾根を登っていくと、「国土調査」のを見かけるようになります。 傾斜が緩やかになった尾根を進んでいくとがあります。 堀切を過ぎて緩やかな尾根になると、「地籍調査」のも見かけるようになります。 緩やかで小広い所まで来ると、中ほどに「大杉城跡」の標識が立っています。 登山口から11分ほどの所になります。 解説板などは見かけません。 周囲には樹木が茂っていて眺めは良くありません。
降り坂になる尾根を進んでいくと、程なくして深いがあります。 堀切から登り返していくと、またすぐにがあります。 堀切から登り返していくと、樹木に「高城跡」のが取り付けられていて正面の尾根を指しています。 「国土調査」の青頭短杭が続く歩き易いを登っていきます。 程なくして金属箱がありますが、アンテナ残骸のようです。 登山口から16分ほどの所になります。
傾斜が緩やかになると、の脇に「国土調査」の青頭短杭があります。 僅かにを過ぎて登っていきます。 次第にが増してくる尾根を登っていきます。 少し左へ曲がって、脇の樹木に手を掛けながらを登っていきます。 次第に傾斜が緩んでくると緩斜地に着きます。 登山口から27分ほどの所になります。 左側には少しが見えます。
また傾斜が増してくるを、少し右へ曲がりながら登っていきます。 を脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 汗を拭き拭き登っていくと、次第に傾斜がきます。 少し曲がりながら登っていきます。 程なくして、アンテナ残骸や金属箱があります。 登山口から39分ほどの所になります。
アンテナ残骸を過ぎていくとになります。 右の樹間にを眺めながら進んでいきます。 次第にが増してくる尾根を登っていきます。 左の樹間にを眺めながら登っていきます。 益々傾斜が増してくる尾根を、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。
喘ぎながら登っていくと、が垂らされています。 登山口から47分ほどの所になります。 垂らされたトラロープに掴まりながらを登っていきます。 倒木の手前まで来るとは終わりになります。 トラロープが終ってもが続くので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 近づいてくる山頂に向って、頑張って登っていきます。
457.6m峰 (点名:ロクロ谷)
脇の樹木に手を掛けながら登っていくとが見えてきます。 左側には、手前の樹木に「大杉城」、少し先の樹木に「丸部城」のが取り付けられています。 茂るの先に標識が見えてきます。 アセビを抜けていくと、アンテナ残骸がある小広い山頂に着きます。 登山口から58分ほどで登って来られました。 中ほどには「高城跡458m」のが立っていますが、解説板などは見かけません。 傍に四等三角点「ロクロ谷」があるので、地形図に載っている457.6m峰になるようです。 少し樹木が邪魔をしていますが、周囲に広がるを眺めながら休憩していきます。
北西へ延びる尾根には「一の段」のが取り付けられて気になります。 登山口にあった標識によると、ここから一の段まで100分(150分-50分)となっていて、私の足では2時間以上はかかりそうです。 一の段まで歩きたい気持ちはありますが、 ここまで思いのほか急坂があって疲れたし、出発時刻が遅くて時間的にも無理そうなので、ここで引き返すことにします。
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
落ち着いたところで、登ってきたを引き返していきます。 アセビが茂る所を抜けると「大杉城」のを過ぎていきます。 すぐにが増してきます。 ズリ落ちないよう脇の樹木に手を掛けながら降っていくと、見覚えのあるが見えてきます。 倒木を過ぎるとトラロープが垂らされています。 457.6m峰から6分ほどの所になります。
に掴まりながら急坂を降っていくとロープが終ります。 脇の樹木に手を掛けながら降っていくと、次第に傾斜がになって歩き易くなります。 右の樹間にを眺めながら進んでいきます。 緩やかな尾根を進んでいくと、登り時には気が付かなかったがあります。 少し進んでいくと、見覚えのある金属箱とアンテナ残骸があります。 457.6m峰から12分ほどの所になります。
少し右へ曲がって、次第に傾斜が増してくるを降っていきます。 脇の樹木に手を掛けながら降っていくと、次第に傾斜が歩き易くなります。 降り傾斜が増し始めるまで来ます。 457.6m峰から20分ほどの所になります。 右の樹間にを眺めながら降っていきます。 次第に傾斜が増してくるので、また脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。
次第に傾斜になって、樹木に手を掛けなくても降れるようになります。 僅かに撓んだ所まで来ると、軽いになります。 丸い石の脇にある「国土調査」の青頭短杭まで来ると、僅かなに着きます。 少し右へ曲がりながら降っていくと、次第に傾斜がになります。 程なくして、アンテナ残骸と思われる見覚えのある金属箱があります。 457.6m峰から29分ほどの所になります。
大杉城跡
右の樹間にを眺めながら、歩き易い尾根を降っていきます。 傾斜が緩やかになった尾根を進んで「高城跡」の標識が取り付けられた樹木まで来るとがあります。 堀切から登り返していくと、またすぐに深いがあります。 堀切から登り返していくとになります。 小広くなった所まで来ると、中ほどに「大杉城跡」の標識が立っています。 457.6m峰から34分ほどの所になります。
緩やかな尾根を進んでいくとがあります。 が見られる尾根を降っていきます。 雑木林が終るとに入っていきます。 傾斜が増してくるを降っていきます。 程なくして平坦地に降り立ちます。 457.6m峰から38分ほどの所になります。
登山口
左へ曲がって平坦地を横切り、が巻かれた木の所から植林地の斜面を降っていきます。 テープを確認しながら細いを降っていきます。 何度か曲がりながら降っていきますが、登ってきたと同じかどうかは自信がありません。 テープを確認しながら降っていくと、の屋根が見えてきます。 防護柵の手前を右へ進み、少し進んだ所を左へ曲がっていくと防護扉があります。 457.6m峰から43分ほどで降りて来られました。 上下に設けられた小さなレバーを回して通過していきます。
大福寺
狭い道を進んでいくと、すぐにの脇に出ます。 お堂の前に続く苔生したを降っていきます。 石段を降り終えるとの脇に出ます。 左へ曲がると大福寺があります。
二宮神社
が続く石段を降っていきます。 石段を降り終えて左へ曲がると、一段高い所に二宮神社があります。 登山口から5分ほどの所になります。 社殿の前に続くを降っていきます。 「二宮大明神」の扁額が掲げられたをくぐっていきます。 神社の杜を抜けて「二ノ宮神社」「大杉ざんざこ踊」の石柱を過ぎていくと、左右に通るに出ます。
大杉地区
右へ続くを降っていきます。 すぐにある分岐を、半円周状に設置されているに沿って左へ曲がっていきます。 奥山川に架かるを渡っていきます。 木彫展示館がある分岐まで来ると、車を止めておいた駐車場があります。 登山口から11分ほどで到着しました。
ちょいとに立ち寄ってみると、 近くにあるも紹介されています。
木彫フォークアートとは
フォークアートのフォークは「人びと」の意で、 フォークソング(民謡)とかフォークロウ(民俗学)とかいったように用いられる。 したがってフォークアートは人びとの生活に密着し、その喜怒哀楽を表現する芸術である。 とくにわが国は木の文化を特徴とするから木彫が発達した。 その「木彫フォークアート」が十数年を経て、今やわが国の多くの美術コンクールなかで、最もユニークな美術展として定着し、 過去の入賞作品を展示する館もつくられた。 但馬の一隅に蒔かれた一粒の種が芽生え、生長して巨木となりつつある。
美術評論家 木村重信
この周辺は三階建ての養蚕農家が多く、兵庫県の景観形成地区に指定されています。 現在、12戸の三階建て農家が残っていて、全国でも珍しい所です。 ここから徒歩2分のところに三階建て養蚕農家が改修したギャラリー養蚕農家があります。 ぜひお立ち寄り下さい。 入場無料