概 要 |
豊岡市出石町の入佐山にある入佐山公園を歩きます。
入佐山は古代や中世の歌集にも登場していて、三つの古墳がある山です。
擬木の階段混じりの散策路が整備されていて、石仏や歌碑が佇んでいます。
沢庵和尚が再興した宗鏡寺(沢庵寺)も近くにあり、少し離れた所にある茶臼山古墳も訪ねます。
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起 点 |
豊岡市出石町 東條地区
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終 点 |
豊岡市出石町 東條地区
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東條地区…西入口…四叉路…入佐山1号墳…入佐山2号墳…入佐山3号墳…分岐路…東入口…茶臼山古墳…東入口…分岐路…東屋…広場…四叉路…入佐山1号墳…四叉路…西入口…東條地区
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所要時間 |
1時間20分
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歩いて... |
散策路には落ち葉などが積もっていますが、荒れた所はありません。
入口には案内図があって、今回歩くルートが載っています。
東屋がある入佐山1号墳からは出石の街並みを見渡せます。
茶臼山古墳の頭頂部まで登る道は見かけません。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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東條地区
豊岡市出石町を通る国道426号の長砂橋東詰交差点から出石川の東側に続く道路を南下していきます。
川原交差点を直進した先の分岐を左折して東進し、突き当たりのT字路を右折していきます。
「宗鏡寺」の標識が立つを左折していくと宗鏡寺(沢庵寺)の観光客駐車場があるので、
ここに車を止めさせて頂きました。
入口には「」があります。
すぐ近くにあると(沢庵寺)を少し訪ねましたが、詳細は省略します。
(所要時間に含めず)
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「宗鏡寺」の標識が立つまで引き返して左折していきます。
立派なの下を過ぎていきます。
T字路まで来ると、があります。
傍には「」の案内板があります。
今回歩く入佐山公園の名前も見られますが、詳細なルートは載っていません。
T字路を直進するとすぐにがあります。
入口には「入佐山(弘法山)公園入口」と「高野山真言宗光明院」の標柱が立っています。
左の道へ入っていくと、山際に「入佐山公園登り口」の標柱が立っています。
駐車場から5分ほどの所になります。
ここが入佐山公園の入口になりますが、すぐ先にある光明院に立ち寄っていきます。
出石町指定文化財 『旧出石郡役所』
この建物は当町における唯一の明治年間の洋風建築物です。
維新後の郡制で明治12年(1879)には出石気多(日高地区)両郡を併せた『出石気多郡役所』が出石の設置されました。
その後明治29年(1896)には気多郡を分離して『出石郡役所』となり当町内町(旧出石町役場)にあった建物を現在地に移築したものです。
玄関のコリント式の柱頭などに見られるように数少なくなった明治期特有の木造洋風建築の貴重な遺構であります。
当町における重要な文化財として後世に伝えるため昭和58年度に保存整備したものです。
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坂道を軽く登っていくと、に分かれています。
左の坂道を登っていくと、すぐに光明院の境内に出ます。
お寺の謂れなどを記したものは見かけません。
本堂の左前には「波切不動明王」の扁額が掲げられた、
右前には「弘法」の扁額が掲げられたがあります。
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西入口
をくぐって境内を出ていきます。
石段の先の坂道を降っていくと、先ほどの「入佐山公園登り口」の標柱が立つ入口があります。
往復4分ほどで戻って来られました。
脇には「入佐山(弘法山)由緒」と題した解説板があります。
「入佐山公園登り口」の標柱の所から続くを登っていきます。
解説板の裏面には「」があって、今回歩くルートが載っています。
入佐山1号墳・入佐山2号墳・入佐山3号墳と進み、茶臼山古墳まで往復してから、
休憩所や広場を経て別の道から再び入佐山1号墳に登り、ここに戻ってくることにします。
擬木の階段混じりの散策路にはが点々と佇んでいます。
入佐山(弘法山)由緒
遠く古代、中世の歌集に月の歌枕として著名な『入佐山』は出石神社のある宮内の山嶺を称した。
天正3年(1674)有子山に城が移り、沢庵和尚が宗鏡寺を再興し、投渕軒に山居して入佐山僧と号したことなどから、
入佐の地名はここに移って世に知られ、江戸時代には湯島(城崎)温泉・生野銀山とならぶ但馬の三名所となった。
沢庵の詠に” 身も月も もとより出ぬ ものからに 入佐の山の 名にも立つかな”とある。
また展望台のある山頂部は家型埴輪なども出土した前方後円墳(入佐山一号)で、
前方部には復号して造られた鎌倉時代初期の経塚があって、大正年間に三十余の経塚が出土したことでも知られる。
なお江戸時代から巡路を設けて石佛を祭り八十八ヶ所巡りの行事も盛んだったことから別名を”弘法山”とも親しまれました。
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四叉路
すぐに右へ折れ曲がって、擬竹の手摺りが設置されたを登っていきます。
左へ折れ曲がってを登るようになると、擬竹の手摺りは終ります。
広い擬木の階段を登っていくとがあります。
階段が終ってベンチを過ぎていくと、少しズレた四叉路に着きます。
西入口から3分ほどの所になります。
脇にはが立っていて、
右前方へ降る道(*)は「出石高校」、正面の道は「展望台」となっています。
少し先から左前方へ降る道(*)もありますが、標識には何も示されていません。
傍には歌碑があります。
先ずは展望台を目指して、正面の道を進んでいきます。
*左右の道は後ほど歩きます。
恋侘びて 思ひ入佐の 山の端に 出石月日の つもりぬるかな
梓弓 はるの気色に なりにけり 入佐の山に 霞たなびく
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入佐山1号墳
馬の背のような狭いを進んでいきます。
程なくして、擬竹の手摺りが設置されたを登っていきます。
階段が途切れると、を過ぎていきます。
また現れる擬木の階段を登っていくと東屋に着きます。
西入口から7分ほどの所になります。
案内図で「展望台」となっている所になります。
手前には半壊した「1号古墳」のがあります。
左側には「」と題した案内板があって、
ここから見える景色の名前が書かれた写真が載っています。
脇には「入佐恋歌」の歌碑もあります。
の西側には、案内板に載っている眺めが広がります。
あづさ弓 はるかに見ゆる 白雲は 入佐の山の 桜なりけり
出石の町並み
出石町は、「古事記」「日本書紀」にもその名が見える歴史の古い町です。
主な名所に、古代は「茶臼山古墳」、室町時代は山名一族の居城「此隅山城」、江戸時代の出石城・宗鏡寺・家老屋敷、
明治時代の桂小五郎潜居跡、辰鼓楼、明治館などがあり、古代から今に至るまでの歴史が濃密に感じられる町です。
2008年3月 NPO法人出石まちづくり会議
入佐恋歌
作詞 田村潤一郎
作曲 藤沢荘一 佐一
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谷山川原の水面に写す
出石乙女の黒髪の
ロマンを秘めた入佐の山で
誰を待つやら山肌に
隠れて咲いた春の蘭
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入佐山2号墳
を過ぎていきます。
すぐの所にがあります。
正面には半壊した標識が立っていて、
右の道は「2号古墳」、今来た道は「公園入口」となっています。
左前方へ降る道(*)もありますが、標識には何も示されていません。
背の低い擬木の手摺りが設置された緩やかなを進んでいきます。
道の中ほどに立つを過ぎていきます。
軽い登り坂になると、小広い所に「2号古墳」の標識が立っています。
西入口から11分ほどの所になります。
解説板の類いは見かけません。
*左前方の道は後ほど歩きます。
夕月夜 入佐の山の 木がくれに ほのかに名乗る ほとゝぎすかな
山をいでて うき世をめぐり また山に 入佐の月や 身の類なる 沢庵
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入佐山3号墳
程なくしてあるを過ぎていきます。
脇に落ちている「3号古墳」のを過ぎていきます。
登り坂になると、こんもりとした高みの手前に「3号古墳」の標識が立っていて、
傍には「入佐山3号墳」と題した解説板があります。
西入口から13分ほどの所になります。
散策路は高みの左側を巻いていきますが、ちょいとに登ってみるとアンテナがあります。
高みの先にはが見えますが、散策路まで引き返します。
鹿はなき 月は入佐の 山かつら かゝる木すへの 秋ぞさびしき 沢庵
入佐山3号墳
−中国製銅鏡の出土と日本最古の砂鉄副葬−
入佐山3号墳は、4世紀後半(古墳時代前期)尾根の最も高い場所に位置した山を削り出して作られている。
36m×23mの大型の方墳で、3.5mの高さ。
副葬品として方銘四獣鏡、四獣鏡、直刀2本(35cm、34cm)、槍(20cm)、鉄鏃16点、鉄斧、ガラス小玉、砂鉄などが出土。
とりわけ、「君宜高官」銘のある後漢(中国)の銅鏡「方名四獣鏡」は全国でも同様の出土例はない。
それ以上に、全国的に注目されている砂鉄は埋葬者の頭部近くで約150g採集され、砂鉄の古墳への副葬品は全国でも例がない。
現在、入佐山3号墳の砂鉄は浜砂鉄の可能性が高く、産出場所は日本海沿岸だろうと考えられている。
※出石古代学習館(袴狭)に一部出土品が展示。
【アメノヒボコ】の墓か?
特徴的な副葬品から、但馬の開祖「アメノヒボコ」の墓と結びつけられないだろうか?
新羅(韓国)から但馬に渡ってきたアメノヒボコは鉄の技術をもってきた集団として、
「瀬戸の岩引き」で泥海だった豊岡周辺を作物が育つ耕地に替えた「土木の神様」として崇められている。
砂鉄を木棺の埋葬者頭部近くに置く行為は、鉄器集団の「長」の証と考えられ、
砂鉄以外にも多くの鉄製品が副葬されていることから、アメノヒボコと何らかの関連があると考えられる。
2016年11月19日 弘道コミュニティ協議会
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分岐路
往復2分ほどでまで戻って、散策路を進んでいきます。
高みを回り込むように進んでいくとがあります。
降り坂になると分岐があります。
西入口から16分ほどの所になります。
角にはが立っていて、
正面の道は「茶臼山古墳」、右の道は「休憩所」となっています。
先ずは茶臼山古墳まで往復すべく、正面の道を降っていきます。
狩人の 夏の夜ふかく いるさ山 ともしのかけの みへみゝへすみ
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東入口
落ち葉に埋もれた擬木の階段を降っていくと、またがあります。
次第に傾斜が緩やかになると、馬の背のようなになります。
突き当たりを右へ曲がって、落ち葉に埋もれたを降っていきます。
正面が明るくなってくると、生い茂るの脇を進んでいきます。
笹竹が終って舗装路の終点に出ると、「入佐山公園登り口」の標柱が立っています。
西入口から20分ほどの所になります。
時鳥 鳴いて入佐の 山の端は 月ゆへよりも 恨めしきかな
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茶臼山古墳
防護柵に沿って続く舗装路を降っていくと、
こんもりとしたが見えてきます。
建物の脇を過ぎていくと、楊枝谷川にが架かっています。
橋を渡った所には「入佐山公園登り口」のが立っていて、今来た道を指しています。
左へ曲がって進んでいくと、先ほど見えていた茶臼山古墳に着きます。
東入口から4分ほどの所になります。
道端には「出石町指定文化財(史跡)茶臼山古墳」のが立っています。
少し先から古墳の北側に入るがありますが、
少し進んだ所で行き止りになっていて、古墳の上までは続いていません。
(ルート図に緑色で表示)
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東入口
茶臼山古墳から引き返してきて、を渡っていきます。
建物の脇を過ぎて、山際に続くを登っていきます。
山裾に点在するの下を過ぎていきます。
防護柵に沿って軽く登っていくと、舗装路の終点に戻ってきます。
茶臼山古墳から4分ほどの所になります。
「入佐山公園登り口」のの所から、脇に笹竹が茂る道を進んでいきます。
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分岐路
植林地の斜面に入って、落ち葉に埋もれたを登っていきます。
馬の背のようなに出て、左へ曲がっていきます。
程なくして現れる擬木の階段を登っていくと、の脇を過ぎていきます。
擬木の階段を更に登っていくと、「茶臼山古墳」「休憩所」の標識が立つ分岐に着きます。
東入口から4分ほどの所になります。
来た道は正面へ続いていますが、「休憩所」の標識が指すを進んでいきます。
時鳥 鳴いて入佐の 山の端は 月ゆへよりも 恨めしきかな
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東屋
高みを巻くように続く狭いを進んでいきます。
少し右へ曲がりながら進んでいくと、緩やかでに出ます。
正面にはがあり、
右側にはの高みがあります。
左へ曲がっていくと東屋があります。
東入口から6分ほどの所になります。
案内図で「休憩所」となっている所になります。
めぐりきて 入佐の山の 月も日も はるやむかしに 我身ひとつは 沢庵
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右へ曲がって、落ち葉に埋もれたを降っていきます。
すぐに左へ曲がって、擬木の手摺りが設置されたを降っていきます。
擬木の手摺りが途切れる所まで来るとがあります。
すぐに現れる擬木の手摺りに沿って右へ曲がって降っていくと分岐があります。
東入口から9分ほどの所になります。
正面から左前方へ続く道(*)はこの先にある広場を過ぎた所で合流しますが、
左へ折れ曲がってを降っていきます。
*ルート図に緑色で表示。
婦と我と 入佐の山の 山あらしぎ 手な取り触れそや 顔まさるがにや 速くまさるがにや
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広場
道なりに左へ曲がりながら降っていくとがあります。
左の道は行き止りになっているのでを進んでいきます。
になってくると、正面が明るくなってきます。
程なくして小広い所に出ます。
ここが案内図で「広場」となっている所のようです。
東入口から13分ほどの所になります。
左側すぐの所にはがありますが、出石高校の施設でしょうか。
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広場を横切っていくと、再びが現れます。
に沿って進むようになると緩やかな道になります。
擬木の手摺りが終ると、正面にがあります。
道なりに右へ曲がって、を登っていきます。
少し登っていくと分岐があります。
東入口から15分ほどの所になります。
正面の道は先ほどの広場の手前にあった分岐へ続いていますが、左へ曲がって登っていきます。
白まゆみ 入さの山の ときはなる 命かあやな 恋ひてやあらん
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少し登っていくとになります。
軽い降り坂を過ぎていくとになります。
右の尾根の上には、入佐山1号墳にあるが見えてきます。
緩やかになった道を進んでいくとがあります。
右の尾根が次第に低くなって、登っていける所を過ぎていきます。
梓弓 入佐の山の 秋霧の あたることにや いろまさるらん
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四叉路
笹が少し茂る所を過ぎていくとがあります。
急なは出石高校のグラウンドへ降りていけますが、今回は見送っていきます。
右のを登っていきます。
階段をひと登りすると、「出石高校」「展望台」の標識と歌碑がある四叉路に戻ってきます。
東入口から20分ほどの所になります。
右へ曲がったすぐの所から尾根のに続く道を降っていきます。
梓弓 はるの気色に なりにけり 入佐の山に 霞たなびく
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が点々と佇む道を進んでいきます。
僅かな起伏で続くを進んでいきます。
左下に墓地が見えてくると、擬竹の手摺りが設置されたを登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくと、次第に傾斜がになります。
右へ曲がりながら進んで擬竹の手摺りが終ると、小広い尾根に出ます。
脇にはベンチが設置され、歌碑もあります。
春深く 尋ね入佐の 山の端に ほの見し雲の 色ぞ残れる
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右へ曲がって、石仏が続くを登っていきます。
少し登っていくとに出ます。
また現れるを登っていきます。
有子山の山頂にあるが正面に見えてきます。
擬木の階段を登り切ると、「2号古墳」「公園入口」の標識が立つ分岐に戻ってきます。
四叉路から8分ほどの所になります。
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入佐山1号墳
手前からに踏み跡が続いていて石仏なども見られますが、
入口には「立入らないで下さい」の標識が取り付けられています。
右前方へ続くを進んでいきます。
左にある大師像と歌碑を過ぎていくと、入佐山1号墳にある東屋に戻ってきます。
四叉路から9分ほどの所になります。
右に広がる出石のを再度眺めていきます。
にある「入佐恋歌」はどのようなメロディなのか気になります。
夕月夜 入佐の山の 木がくれに ほのかに名乗る ほとゝぎすかな
出石の町並み
出石町は、「古事記」「日本書紀」にもその名が見える歴史の古い町です。
主な名所に、古代は「茶臼山古墳」、室町時代は山名一族の居城「此隅山城」、江戸時代の出石城・宗鏡寺・家老屋敷、
明治時代の桂小五郎潜居跡、辰鼓楼、明治館などがあり、古代から今に至るまでの歴史が濃密に感じられる町です。
2008年3月 NPO法人出石まちづくり会議
入佐恋歌
作詞 田村潤一郎
作曲 藤沢荘一 佐一
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谷山川原の水面に写す
出石乙女の黒髪の
ロマンを秘めた入佐の山で
誰を待つやら山肌に
隠れて咲いた春の蘭
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四叉路
歌碑の脇からを降っていきます。
途中にあるを過ぎていきます。
が設置された擬木の階段を降っていきます。
階段が終って緩やかになると、馬の背のようなになります。
程なくして、また「出石高校」「展望台」の標識と歌碑がある四叉路に出ます。
入佐山1号墳を経て、一周15分ほどで戻って来られました。
あづさ弓 はるかに見ゆる 白雲は 入佐の山の 桜なりけり
梓弓 はるの気色に なりにけり 入佐の山に 霞たなびく
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西入口
を過ぎて、尾根を降っていきます。
を過ぎて降っていきます。
擬竹の手摺りが設置されたを曲がりながら降っていきます。
右へ曲がって、を降っていきます。
左へ曲がって、落ち葉に埋もれた擬木の階段を降っていくと、
「入佐山公園登り口」の標識が立つ西入口に戻ってきます。
四叉路から3分ほどの所になります。
恋侘びて 思ひ入佐の 山の端に 出石月日の つもりぬるかな
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東條地区
左へ続く道を降っていくと、「入佐山(弘法山)公園入口」と「高野山真言宗光明院」の標柱が立つに出ます。
右へ曲がって、出石明治館があるを直進していきます。
立派なの下を過ぎていきます。
「宗鏡寺」の標識が立つまで来て、右折していきます。
軽い登り坂の道を進んでいくと、車を止めておいた宗鏡寺(沢庵寺)の観光客駐車場があります。
西入口から5分ほどで到着しました。
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