総持寺石仏巡り
概 要 豊岡市出石町にある総持寺の背後の山に続く四国八十八ヶ所の石仏巡りをします。 総持寺の観音堂を起終点として、採番された双体の石仏が点々と佇む曼荼羅の道を時計回りに周回します。
起 点 豊岡市出石町 宮内地区
終 点 豊岡市出石町 宮内地区
宮内地区…観音堂…東屋…不動の滝…観音堂…徳利塚…鐘楼門…宮内地区
所要時間 0時間40分
歩いて... 標識は少なめながら、擬木の階段が続いていて分かり易くなっています。 単体の石仏も同じ道に多く佇んでいます。 苔生したり風化したりして判読が難しくて前後の石仏から番号を類推するものも含め、 1番から88番までのすべての番号の石仏に出会えました。 道沿いの木々が色付き始めていて良い眺めでした。
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コース紹介
宮内地区
豊岡市出石町を通る国道426号の鳥居橋東詰交差点から東へ延びる道を進んでいきます。 県道706号を横切っていくと、程なくしてがあります。 角にある近畿自然歩道の標識や「総持寺1.0km」などのに従って、右側の道を進んでいきます。 すぐ先にまたがありますが、 「総持寺0.9km」などの標識に従って右側の道を進んでいきます。 道なりに進んでいくと、入佐川にが架かっています。 橋を渡った先のイ字路を右折していくと総持寺の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
お城にあるような立派なの袂には「」があって、 今回歩く道が載っています。 石垣に沿って軽く登っていくと、すぐに道がに分かれています。 脇には「応峯山 総持寺」と題したがあり、 「南無千手観世音菩薩」の石柱と、 「兵庫県指定文化財(木造千手観音立像及び胎内収納品)」や「出石町指定文化財中世文書山名誠豊公書状他八点」の標柱も立っています。 右側にある石段の上にはが見えますが、 正面の石段を登っていきます。
応峯山 総持寺
當寺は但馬の古都入佐の里を菩提の聖地と定めてより、千二百幾十年の歳華を遂げる行基菩薩の開創寺であります。 平安末の頃、現在の地に移り七院十坊の塔頭を構え一山を調え、霊光六方に輝く但馬国の大寺でありました。 正平年間、山名時義が但馬を領し此隅山を本拠とし、貞治三年総本城此隅城を築き以来歴代城主は、この寺を祈願寺として保護、安堵されました。 時義より九代の国主祐豊は天文四年に金堂の本尊十一面千手観世音菩薩を造仏寄進し、 霊地の尊厳を昴め以て国内の安穏を祈念されました。 応仁の乱、六分一殿で知られる山名氏より代々黄金秘仏聖観音を鎧の袖に奉持して陣中に戦運の加護を念じ、 共に戦難の万霊と草木国土悉皆の成仏を祈念されました。 現在は本尊十一面千手観音菩薩の胎内に安置されております。
のちの世を 思い出石の 夕暮に 心を燈す 総持寺の鐘
出石町観光協会
(一部が消えかかっていて、誤読しているかも知れません)
観音堂
石段を登って広い境内に出ると、正面に「應峯山」の扁額が掲げられた観音堂があります。 右手前には「萬躰観音のすすめ」と題した解説板があり、 傍にはと思われる像があります。 左右にある硝子戸のには小さな観音像がびっしりと並んでいますが、 解説板にある「萬躰観音」でしょうか。 左側にはがあって、中には二体の石仏と頭部だけの石仏が安置されています。 右側にはがあります。
萬躰観音のすすめ
衆生に仏心あり 仏への合掌は永遠の宝なり
私達は仏の子であり、生まれながらにして仏の心を授けられております。 私達は生きる姿の中で仏、菩薩に近づく事の努力を願うものであります。 それは決して制約された人生ではなく、仏心を授けられている私達に求められる真の道をのびのびと生きる事の願いであります。 私達は生きる姿の中で仏心の開顕こそ悟りの人生であり、自己をまた自己を知りそして自己を生かすことが私達の道であります。 仏の心を知り仏の心を我が心とする悟りは無量なる厳正利益の蔵を見いだす宝であります。 仏心の開顕はこの蔵の扉を開くちからであり、現世利益は仏の心を知った我々におしみなく与えられるのであります。 激動する現世においては多くの迷い悩み苦しみが私達人間社会の宿因であり、それは痛々しく悲しい嘆きの姿であります。 仏、菩薩は私達の一途な希いを待っておられます。 仏の子である私達は唯今ゆおり一心に仏、菩薩におすがりし、 疲れた魂の安らぎを得、身心共に健やかに、はつらつとして仏恩に依り、人生の平和と幸福な家庭を築き、 安住の世界となること願う気持でいっぱいであります。
奉賛会は、衆生に仏心あり、仏への合掌は永遠の宝なりを本旨とし、 南無観世音菩薩に帰依し、御先祖様の冥福を祈り合掌することを本願といたします。 仏への合掌は仏心の開顕であり、それは永遠に輝いて子孫へと伝えられる平和な安住の世界であります。 萬躰観音建立は、世界の平和と万民の幸福を願い、観音さまの御慈悲による救済、 偉大な仏土、御先祖の冥福を祈る永遠の浄土、一新なる信仰道場を欲せんが為発願した次第であります。 希くば、皆さまの御参道を仰ぎ心のこもった浄財寄進を賜りたく伏して懇願いたします。 萬躰観音建立寄進に御協賛賜りました貴家各位の御先祖様を過去帳に宝記、 永大供養をなし共に尊宅のご安穏現世利益を日々祈願いたします。
茲に慎みまして勧請の御挨拶言上いたします。 合掌
萬躰観音建立事業内容
観音像 三萬三千躰
寄進額 一躰壱萬円
寄進金内訳 萬躰観音造仏費 萬躰観音堂建築費
総持寺萬躰観音建立奉賛会事務局
観音堂の左側に続くを降っていきます。 すぐの所にある大きな聖観世音の前に「曼荼羅の道」のが立っています。 舗装路の曲がり角から、双体の石仏が点々と佇む曼荼羅の道が始まります。 最初のが「壹番」になります。 (*)も同程度の数が見られますが、 四国八十八ヶ所巡りの石仏とは別のようです。
*単体の石仏には、採番されているものと番号がないものがあります。
双体や単体の石仏が並ぶ地道を進んでいくと、程なくして沢に架かるを渡っていきます。 軽く降っていくと、道を横切るを跨いでいきます。 右への曲がり角には「十番」の石仏が佇んでいます。 沢向かいの笹藪の中には「災害に強い森づくり」の看板があります。 「」が描かれていますが、総持寺曼荼羅の道は載っていません。
災害に強い森づくり(緊急防災林整備)
〜県民緑税の活用〜 豊岡市出石町宮内地内
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、 県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、 県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、 防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を早期・確実に進めています。
整備内容と効果調査
急傾斜地などのスギ・ヒノキ林を対象に、表面土砂の流出を防ぎ、林内の植生を早期に回復させるため、 現場の間伐木を利用した土留工の設置などの森林整備を進めています。
平成24年度 豊岡市
へ入っていくと、擬木の階段が現れます。 右へ曲がって、を登っていきます。 採番された石仏を確認しながら登っていくと、が並んでいます。 苔生したり風化したりしてはっきりしませんが、両方とも「十九番」と書かれているようです。 左へ曲がったすぐ先に「二十番」の石仏があるので「十九番」のように思えますが、 88個ある中でこの石仏だけが他とは異なる様子です。 「二十番」の石仏を過ぎて右へ曲がって更に登っていくと、右側がに出ます。 右下には先ほどの観音堂が良く見えます。 観音堂から8分ほどの所になります。
左・右と曲がりながらを登っていきます。 すぐに、先ほどと同様のが右側に広がってきます。 「二十九番」と「三十番」のの間を過ぎていきます。 色付き始めた樹木を眺めながら、更に続く擬木の階段を登っていきます。
東屋
小さく曲がりながら続くを登っていきます。 尾根の左肩を回り込むように登っていくとが見えてきます。 東屋の手前まで来ると「四十番」のが佇んでいます。 階段の左側に東屋が建っています。 観音堂から12分ほどの所になります。 は小綺麗になっていて、ひと休みしていくのに良さそうな所です。
擬木の階段が終って緩やかになった道を進んでいくと、軽いになります。 降り傾斜が増してくると、再びが現れます。 右へ曲がりながら降っていくと、左へ曲がり始める所に「五十番」のが佇んでいます。 谷筋へ向って降っていくと、少し崩落してトラロープが張られている所を回り込んでいきます。 観音堂から15分ほどの所になります。
トラロープが終った道を進んでいくと、道を横切るを跨いでいきます。 が始まった樹木を眺めながら進んでいきます。 少し左へ曲がりながら降っていくと分岐があります。 観音堂から17分ほどの所になります。 左側には「五十七番」の石仏が佇んでいます。 角にはが立っていて、 正面の道は「曼荼羅の道」、右へ戻るように降っていく擬木の階段は「四季の里」となっています。 右の階段は観音堂へ続いているようですが、正面の道を進んでいきます。
不動の滝
少し左へ曲がりながら進んでいくと、「不動の滝」のが立っています。 傍には「生木地蔵」と刻まれた石仏と「六十番」のが並んでいます。 擬木の階段を軽く登っていくと、谷筋を回り込む所に出ます。 観音堂から18分ほどの所になります。 正面にあるのがのようですが、この時は水が流れ落ちていませんでした。 岩壁にはが彫られていますが、様子からすると不動明王でしょうか。
谷筋を回り込んで、ベンチの先に続くを登っていきます。 緩やかな所を過ぎて擬木の階段を降り始めると、右前方にが広がってきます。 も設置されていて、景色を眺めながらひと休み出来そうな所です。 苔生した擬木の階段を降っていくと、「七十番」のを過ぎていきます。 が設置された所まで来ると、左側に墓地が広がってきます。
墓地の脇に続くを降っていきます。 右前方にはの屋根が見えてきます。 墓地へ続く道の分岐まで来ると、「八十番」のが佇んでいます。 段差の高い擬木の階段を降っていくと舗装路に出ます。 観音堂から27分ほどの所になります。 脇には「八十八番」などのが並んでいます。 これで四国八十八ヶ所の石仏巡りは終わりになります。
観音堂
右へ曲がっていくと、すぐの所に「曼荼羅の道」のが立っています。 標識を過ぎると、すぐに観音堂に着きます。 観音堂道を出発してから29分ほどでひと巡り出来ました。
徳利塚
左側のこんもりとした所へ続くを登っていきます。 すぐに徳利と小祠と杯が並ぶ所に出ます。 真ん中の小祠には「毘沙門天」の扁額が掲げられています。 右側にはの境内や本堂が見えます。 右側の石段を降った所に、「徳利・杯(盃)塚」の解説板があります。
徳利・杯(盃)塚
日本人の人生において般若湯(酒)には、大きな役割がかせられていると言っても過言ではないと思います。 日常、晩酌であるいは人生の中に多くの祝事、幾度かの不孝事があり、 その度ごと祝事を盛り上げ喜びを倍増させ、悲しい時には傷む心を和らげ、人生を感知させております。 また徳利・杯により人と人とのふれあいをかもしだし、人生を産みだす功徳と福徳があります。 僧家ではお酒を般若湯と言い、仏教では般若を知恵のことを意味します。 仏教によると功徳とは善行を言い、福徳は幸福・財宝を言います。 ここに”徳利”を功徳利益と名づけ”杯”を福徳受杯と命名いたします。 信心する人々の人生に功徳(善行)をつんでいただき、福徳護法神毘沙門天を仰ぎ、 幸福・財宝を得ていただくことを念ずるとともに般若湯・徳利・杯に対し感謝の気持ちをそそぎ供養をいたし、 人々の円満をご祈願する意であります。 よって毘沙門天をまつり徳利・杯両塚の建立を大願発心した次第です。
昭和五十五年令月令日 応峯山 総持寺 山主 智忍
鐘楼門
境内の右側にがあって、 猿田彦大神・天照大神・豊受大神が祀られています。 左側には歴史を感じられる総持寺があります。 本堂の前には鐘楼門があります。 二階を見上げると大きなが下げられています。 柱には「應峯山東光院総持寺梵鐘 記」と題した解説板が掲げられています。
應峯山東光院総持寺梵鐘 記
是邑は古くは宇馬橋の郷と呼びしが何時の代か改めて宮内村と云いなす聖地なり
邑の東方を合掌すれば應峰の霊山へ聳て此に一精舎あり
東光院総持寺と號し施無畏佛在はして普く衆生を度し給う當山門に一鐘の備へありて
朝に生覚の大音十方に響流し夕には諸行無常寂滅為楽の真理をつたへ
諸人永く法楽の世を讃へ来れり古へ詠人定かならざるも
後の世をおもひ出豆志の夕暮れに心を澄ます総持寺のかね
然るに悲哉世は阿修羅の来世と化し時の政所この聖鐘を召すところとなり
昭和十七年初霜月三日悲音一撞を名残として應召遂に貪婪充慾の資に供せられたり
実に痛恨の極なりき爾来鐘音打断て響なし為に郷邑は宛ら佛滅の世を哀愁を想はしめたり
光陰流るると雖も昔日の法音を心耳に刻む檀信徒は追慕の念耐難く
相寄り相図り昭和二十四年師走十五日梵鐘再鋳の大業を発願せり
此の時世の創痍未だ癒へざるも有難や諸佛諸菩薩の御加護と有縁無縁の霊徳を得一念発起せる
善男善女の浄財喜捨により工匠の普請も恙なく今日茲に悲願成就せり
希くは此の鐘音永遠に断ることなく現世浄土の顕現を祈念し奉る
昭和二十五年庚寅年 四月四日 壇信徒敬白
宮内地区
鐘楼門をくぐってを降っていくと、 「応峯山 総持寺」と題した解説板などがある石段の下に出ます。 左へ曲がって、立派なに沿って降っていきます。 石垣の角まで来ると近畿自然歩道のが立っていて、 この先の道は「出石町立資料館3.1km(200m先左折)・出石神社0.9km直進」、今来た道は「総持寺」となっています。 左へ入っていくと、車を止めておいた駐車場に着きます。