蓮華寺石仏巡り
概 要 豊岡市竹野町にある蓮華寺の背後の緩やかな山に続く新西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所の石仏巡りをします。 新西国三十三ヶ所には単体の石仏、四国八十八ヶ所には双体の石仏が点々と佇んでいます。 蓮華寺は但馬七花寺霊場にもなっていて、花の季節には綺麗に彩られるようです。
起 点 豊岡市竹野町 轟地区
終 点 豊岡市竹野町 轟地区
轟地区…蓮華寺…本堂…(新西国三十三ヶ所石仏巡り)…本堂…(四国八十八ヶ所石仏巡り)…本堂…蓮華寺…森神社…轟地区
所要時間 1時間10分
歩いて... 標識類は見掛けませんが、採番された石仏が点々と佇んでいます。 新西国三十三ヶ所では30番の石仏を見つけられませんでした。 四国八十八ヶ所では、前後の石仏から番号を類推するのも含め、 88番から1番までのすべての番号の石仏に出会えました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
轟地区
竹野駅(JR山陰本線)から県道1号を南下していきます。 竹野川に架かる轟橋の手前まで来ると、左へ道が分かれる所が広くなっているので、ここに車を止めさせて頂きました。 右には「蓮華寺0.1km」の標識、左には「但馬七花寺霊場 蓮華寺」の標識があって、いずれも左の道を指しています。
以前には駐車地の脇に大きな樹木が生えていて、袂に「蓮華寺」の石碑や「蓮華寺専用駐車場」の看板があったのですが、 この時にはすべて無くなっていました。
蓮華寺
駐車地の手前からへ入っていきます。 軽く降って登り坂になると、竹野町文化芸能伝承館の手前にがあります。 脇には「式内社 阿古谷神社 森神社」の石碑が立っていて、裏面に由来が刻まれています。 正面の坂を登り始めると、すぐにに分かれています。 左側の石段を登っていくと、すぐに蓮華寺の境内に出ます。 駐車地から3分ほどの所になります。
式内社 阿古谷神社由来記
 神社名の由来は土師部(阿古氏)の居住地たりしにより
起れるものにして地名も阿古谷となる。創立年代は不詳な
るも律令期以前より氏族信仰が行なわれ、祭神は土師連祖
吾筒命といわれ延喜式の制小社に列し特選神名帳、神祇志
料にも書き上げらる。創建時は湯の森(轟)阿古谷の丘に
鎮座、その地古木鬱蒼として荘厳を極めしかば村人は森の
宮と尊称、いつしか森神社、森大明神と敬い祀る。俊大山
祇命、春日大明神を合祀延宝七年字森脇に本殿を再建、明
治書面本殿烏賊を焼失、ために蓮華寺鎮守社に移転、神佛
分離令により八幡大神と共に明治五年現在地に遷座、同六
年村社に列せらる。創建より千数百年を・し今日尚村人の
崇敬篤く秋の例祭には神楽を奉納す。
昭和六十三年十月建之 氏子中
正面にはがあって、右側に「高野山 真言宗 峰山 蓮華寺」、左側に「但馬七花寺霊場」「但馬西国第三十一番霊場・但馬七福開運弁財天霊場」の表札が掲げられています。 山門をくぐっていくと、右側に立派ながあります。 左側に「大門坊跡」のや「三界萬霊」の石碑があります。 その隣にはなどが並んでいます。 正面には「轟の太鼓踊り」「木造十一面観音立像」「木造聖観音立像」の標柱があり、 その奥に「護持之碑」があります。
護持之碑
峰山蓮華寺は聖武天皇慶雲四年の開創に
して中興四明光賀律師七堂伽藍を整備す
更に鎌倉時代東密教学の大成者杲賽僧正
再中興の祖となり総門を門谷に置き塔頭
七坊を建て輪奐の美整ふ 山外数十全の
末寺佐津谷に亘りて法幢を高く振り碩学
雲出し山陰随一の名刹たり
然れども星移り時変りて堂塔幾多の災厄
に遭ひ数宇を残して烏有に帰し後西院天
皇寶鏡寺宮の外護を得て漸く法輪を転ず
るも江戸末期本坊大聖院を全焼す。
傳燈大阿闍梨耶朝照法印止住するや潅頂
道場として今の方丈庫裡を再建せり
先師俊碩和尚その萱葺を改造せんと希ふ
も天齢を籍さず 弟子俊昇先徳の意を保
し現当二堂の祖願を全ふし一には除災招
福を祈り且は追福菩提の本誓を増進せん
が為に佛殿の修復銅板萱屋根替を発願併
せて大東亜戦争に供出空位となりし浩鐘
の妙響を慕い抜苦与楽の梵音に浴せんが
為佛鐘の再鋳安置を発願す
檀信徒が帰依の浄心凝りて物心の浄施は
須更に此の大業を成さしめ茲に寺門の形
態整ひて佛徳愈々光輝を倍増す 據て落
慶供養の法莚を奉修するに当り後日のた
め縁由を識す
昭和三十八年四月十三日 現住 俊登撰
本堂
正面に続くを登っていきます。 「藤本坊跡」の標柱を過ぎていくとになります。 石段を登り終えると、立派なお堂がある境内に出ます。 駐車地から8分ほどの所になります。 扁額などは見掛けませんが、ここでは本堂としておきます。 右側の石段の上にはがあります。 左側には石仏や石碑が並び、その奥に続く石段には「奥の院参道」のが立っています。
本堂の左側にがあります。 建物の左前に生える樹木の袂に「」の石仏があります。 建物の右側にはがあって、 特徴的なが多く見られます。 建物と賽の河原の間から奥へ続く道の入口には「新西国参道」の標柱が立っています。 ここから新西国三十三ヶ所の石仏巡りを始めます。
すぐの所にある「第二番」と「第三番」の石仏を過ぎていくとがあります。 正面の道は墓地へ続いているので、「第四番」の石仏が佇む右の道を進んでいきます。 右へ曲がって、を進んでいきます。 広場を横切って左へ曲がると、石橋を渡っていくのコースと接します。 すぐに右へ曲がっていくと、池の畔に「第十番」の石仏があります。
松尾坊跡」の標柱を過ぎて、左・右と曲がりながらを登っていきます。 少し登っていくとになります。 「第二十番」の石仏を過ぎてになると、谷筋に分岐が見えてきます。 奥に見えている道は四国八十八ヶ所のコースになります。 四国八十八ヶ所のコースへ続く道を見送って、右へ曲がって谷筋を軽く降っていきます。
本堂
石仏の番号を確認しながら進んでいくと、右側の池にがあります。 「第廿九番」の石仏まで来ると、がある境内に戻ってきます。 境内の左側を進んでいくと、鐘楼へ続く石段の手前に「」の石仏があります。 ここで新西国三十三ヶ所の石仏巡りは終わりになります。 「第一番」の石仏から10分ほどで歩いて来られました。
「第廿九番」の石仏の次は「第卅一番」となっていて、30番の石仏は見つけられませんでした。
少し引き返して来ると、「第廿九番」と「第卅一番」の石仏の間からが続いています。 階段の入口に双体の「」の石仏があります。 ここから四国八十八ヶ所の石仏巡りを逆ルートで歩いていきます。 僅かな沢に架かる木橋を過ぎていくと「開山堂跡」のが立っています。 左・右と何度か曲がりながらを登っていきます。 「第八十二番」の石仏を過ぎていくと緩やかな道になります。
斜面を横切るように進んでいくと「」の石仏を過ぎていきます。 少し進んだ所を左・右と曲がりながら登って「第七十五番」の石仏を過ぎるとになります。 左へ曲がって「第七十一番」の石仏まで来ると、右側からが近づいてきます。 軽く降って「第七十番」の石仏を過ぎると、緩やかな道になります。
になる道を金網柵沿いに進んでいきます。 少し登っていくとが近づいてきます。 傾斜が緩やかになって「第六十五番」の石仏まで来ると小屋が建っています。 「第八十八番」の石仏から9分ほどの所になります。 施錠されていない扉を開けてをちょいと覗ってみると、雑然とした様子です。
小屋を過ぎて左への曲がり角まで来ると、これまで続いてきたから離れていきます。 降り傾斜が増してくると曲がっていきます。 点々と佇むを確認しながら降っていきます。 低くなった谷筋の奥まで来ると、道が分岐しています。 「第八十八番」の石仏から13分ほどの所になります。 左下に見える道は、先ほど歩いたのコースになりますが、正面の道を登っていきます。
また続くようになるに沿って軽く登っていきます。 に出て降っていきます。 右側が竹林になった尾根を少し降っていくとになります。 「第五十一番」の石仏を過ぎるとになります。 「第五十番」の石仏まで来ると右へ曲がっていきます。
少し先を左へ曲がって、を降っていきます。 を過ぎると登り坂になります。 坂をひと登りするとになります。 中ほどには、石祠に納められた「第四十二番」の石仏があります。 「第八十八番」の石仏から19分ほどの所になります。
明るい所に出て「第四十番」の石仏まで来ると、は右へ遠退いていきます。 右下にはが見えます。 傾斜が増したを降っていきます。 程なくしてヘアピン状に左へ折れ曲がると、が続く登り坂になります。 右下にある砂防ダムを眺めながら登っていきます。
少し夏草が茂るの脇を登っていきます。 「第卅四番」の石仏を過ぎるとになります。 程なくして降り坂になる道を進んでいくとになります。 「第卅一番」の石仏を過ぎて右へ曲がると、先ほど歩いたのコースと接します。 「第八十八番」の石仏から24分ほどの所になります。 正面へ進んでいくと本堂がある境内に出られますが、右に架かる石橋を渡っていきます。
軽く登っていくと「」の石仏を過ぎていきます。 右側には、砂防ダムの先にが見えます。 少し曲がりながら進んでいきます。 「第廿六番」の石仏を過ぎるとになります。 登り坂になると、鉄柵が続くようになります。
先ほどのを右下に眺めながら登っていきます。 少し夏草が茂るの脇を登っていきます。 鉄柵が終ると、トラロープの先に「第廿番」のがあります。 道なりに左へ曲がって、を進んでいきます。 右側が竹林になる道を進んでいきます。
「第十一番」の石仏を過ぎていくとになります。 傾斜が緩やかになると、「」の石仏が納められた石祠があります。 「第八番」の石仏を過ぎていくと曲がっていきます。 正面のすぐ先にある建物は森神社になります。 「第七番」の石仏を過ぎて降っていくと、「愛染堂跡」のが立っています。 左側には墓地が続いていますが見送っていきます。
本堂
「第六番」の石仏を過ぎて、を降っていきます。 階段が終るとへ続く道が左に分かれていきますが、見送っていきます。 すぐに現れるを降っていきます。 石段を降り終えると、本堂がある境内に戻ってきます。 「第八十八番」の石仏から35分ほどの所になります。 脇には「奥の院参道」の標柱が立っています。
蓮華寺
右へ曲がって、樹木の袂に佇む「第五番」の石仏の先に続くを降っていきます。 「第四番」の石仏を過ぎていくと「山吹」のが立っています。 「第三番」「第二番」と確認しながら降っていくと「」の石仏があります。 更に降っていくと、蓮花寺の境内に出ます。 これで四国八十八ヶ所の石仏巡りは終わりになります。 「第八十八番」の石仏から37分ほどで歩いて来られました。 車止めの鎖を過ぎてに出ると、右側に「蓮華寺の文化財」と題した解説板があります。
蓮華寺の文化財
兵庫県指定重要有形文化財 絹本著色大日如来像 平成6年3月25日指定
鎌倉時代後期の作。 円相を背景に、蓮の花を模した台の上に座る大日如来が描かれている。 端正な顔の表情やひきしまった姿には威厳を感じさせる。 金粉を用いた絵具や緊迫によって描かれた宝冠や着衣には高度な工芸技術が見られ、 さらに網目模様や亀甲文などの装飾効果によって華麗な印象を与える優品である。
兵庫県指定重要有形文化財 絹本著色愛染明王像 平成6年3月25日指定
鎌倉時代末期の作。 蓮の花を模した台の上に、怒りの表情で座る愛染明王が描かれている。 愛欲を表現するため全身が真紅に彩られ、背にも真っ赤な日輪が描かれている。 着衣の文様には金箔を、持ち物には金粉を用いた絵具が使われており、 先の大日如来像と同様に高度な技法が用いられる貴重な作品である。
兵庫県指定重要無形民俗文化財 轟の太鼓踊り 平成12年5月2日指定
盆の施餓鬼供養として毎年8月14日に奉納される。 使用されている太鼓に文化3年(1806)の年号があり、江戸時代後期には踊られていたことがわかる。 他の同様の踊りが疫病除けや雨乞いにも演じられ、芸能豊かに派手さを増していくのに対して、 盆の諸仏供養のためにのみ踊られ、その衣装も白で統一されている様子は、 太鼓踊り本来の古い形態を保持していると考えられる。
豊岡市指定文化財 木造聖観音菩薩立像 昭和55年3月26日指定
平安時代中期から後期の作。 高さ約70センチメートル。 一本のヒノキを削り出して造られている。 観音菩薩は民衆の苦悩を自在に救う仏で、日本では盛んに信仰されるため、 後に変化した姿の観音像も造られるようになったが、本来の姿のものを聖観音と呼ぶ。 奥の院に安置されているこの仏像は、円満で豊かな容姿と、柔和な表情に洗練された感覚がみられる作品である。
豊岡市指定文化財 木造十一面観音菩薩立像 昭和55年3月26日指定
平安時代後期の作。 高さ約2メートル。 一本のヒノキを削り出して造られている。 柔和な表情と力強く堂々とした作風は、平安時代後期の特徴をもつ。 また、着衣の褶の彫り方などには野趣が感じられ、地方仏師の手によるものと考えられる。 両肘や両足は、江戸時代から明治時代にかけての補修である。
豊岡市指定文化財 石造十界曼荼羅 昭和55年3月26日指定
江戸時代末期の弘化4年(1847)に造られた。 約60平方センチメートルの囲いの中に石仏を配し、中央には地蔵菩薩がある。 その周囲には、親に先立って死んだ子がその親不孝の報いで苦を受ける場として「賽の河原」がある。 一般に、十界曼荼羅とは10ある人間の心の境地を、仏教の価値観で描いたものであり、 この曼荼羅は迷いと悟りの世界を石で表現したものである。
豊岡市教育委員会
森神社
広い所の右側にが並んでいて、その間から石段が続いているので、ちょいと登っていきます。 真ん中に手摺りが設置された広い石段を登っていくと、曲がっていきます。 鳥居を二つ過ぎていくと、に「八幡宮」の扁額が掲げられています。 石段を登り切ると、正面に「森大明神」の扁額が掲げられた社殿があります。 竹野町文化芸能伝承館の前にあった石碑によると、ここが阿古谷神社とも称される森神社になるようです。 左側にはがあります。
境内の様子を確認したら、を引き返していきます。 鳥居を三つくぐっていくと、曲がっていきます。 石段を降り終えると蓮華寺の境内に出ます。 往復7分ほどで戻って来られました。 最初に登ってきた石段は右側にありますが、に続く道へ入っていきます。
轟地区
広くなった所に出て、ヘアピン状に曲がって降っていきます。 石段への道と合流する所まで来ると、右側にがあります。 の横を過ぎていきます。 少し降っていくとになります。 県道1号に出ると、車を止めておいた駐車地が左側にあります。 蓮華寺から3分ほどで到着しました。