概 要 |
朝来市山東町にある楽音寺やヒメハナ公園を取り巻くように続く八十八ヶ所の石仏巡りをします。
楽音寺を起終点とし、南側の尾根から北側の尾根へ続く道程1.8kmほどの歩道を時計回りにひと巡りするコースを歩きます。
緩やかな尾根に続く歩道に、1番から88番までの双体の石仏が点々と佇んでいます。
|
起 点 |
朝来市山東町 楽音寺地区
|
終 点 |
朝来市山東町 楽音寺地区
|
|
楽音寺地区…楽音寺…手形の家…広場…楽音寺天満宮…楽音寺…楽音寺地区
|
所要時間 |
1時間10分
|
歩いて... |
石仏巡りコースに案内板や標識類は見掛けませんが、よく整備されて歩き易い歩道が続いています。
息切れするような急傾斜の所はなくて、快調に歩いていけます。
分岐もありますが、石仏が見える方の道を進んでいきます。
|
関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
|
|
楽音寺地区
朝来市山東町を通る国道9号の滝田交差点から南へ続く道に入っていきます。
真っ直ぐ進んで信号がある二つ目のまで来ると、「ヒメハナ公園」の標識が出ています。
右側には「ヒメハナ公園」のと「楽音寺」の石碑があります。
右折していくと、すぐの所に駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
(この先にも駐車場が二つ隣接しているので、いずれでも良さそうです)
脇には「」と題した案内板がありますが、今回のルートとは関係なさそうです。
「」の解説板もあって、「整備場所」の図に今回のルートと思われる道が破線で載っています。
(途中で途切れていますが、実際には道が続いています)
災害に強い森づくり(野生動物育成林整備)
〜県民緑税の活用〜
豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、
県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、「災害に強い森づくり」を進めています。
●整備内容
野生動物による人間や農作物への被害を防止するため、不要木の伐採を主体とした森林の整備を行い、
農山村の安全で安心な環境をつくります。
○見通しの良い地帯の整備(バッファーゾーン整備)
民家裏等の山裾を帯状に抜き入りし、明るく見通しの効く森林として管理することによって、
人と野生動物との棲み分けゾーンを設けます。
○奥地広葉樹林の整備
植生保護柵を設置し、不要木の伐採を行って森林内の環境を改善することで、
野生動物の食害を受けずに植生回復できる箇所を設け、多様な植物が生育できる環境をつくります。
兵庫県・朝来市・(社)兵庫みどり公社
|
|
楽音寺
楽音寺天満宮へ続く石段の前を過ぎて、立派なが続く道を登っていきます。
中ほどまで進んだ所にあるから楽音寺に入っていきます。
大きな鐘が吊された山門を抜けて境内に入ると、正面に住房があります。
左側にはなどが並んでいます。
護摩堂の前にある出入口の脇に「」の石仏があります。
傍には番号・寺院・ご本尊・ご真言・ご詠歌を記した小札がありますが、文字は消えていて判読出来ません。
ここから八十八ヶ所の石仏巡りを始めます。
高野山 真言宗 正覚山 楽音寺
朝来市山東町楽音寺579番地
楽音寺の開基は大同2年(807)。明賢上人によって開かれた。
寺伝によると、大同2年5月、明賢上人が紀州那智山に遊び、被曝を拝して念誦していると深淵中に五色の光明が見え、
怪しんで近くに見ると、すなわち薬師仏金像が輝いていた。
そのそばに迦葉仏もあった。
上人歓喜して、これをいただき、小堂を建て安置した。
しばらくして上人は薬師如来のおつげをうけ、人々に但州楽音寺の里は、わが有縁の地であることをつげ、当地にこられた。
病者を治し、貧困を救い、業を富ましめ、霊験顕著であったため、人々は競って信仰した。
そのため、伽藍、寺僧多く、院は六寺をかぞえ繁昌した。
しかし、後日大火に遭い、仏殿、僧房ことごとく焼滅したが、薬師仏は幸いに難を逃れ、小堂に安置された。
天正のはじめ、野盗がこの尊像(胎内仏)を盗み、家に持ちかえった。
ところが、夜中「楽音寺に還えらん還えらん」と声があがり、
おそれて竹田の鍛冶屋でこれを溶解せんとするが「がくおんじ」「がくおんじ」の声がしたという。
秀伝住職が、ある夜、夢に童子の導きで池に至り、その池中に光りを見、尊像を見つけ、
池中より迎い上げ尊像を本堂に安置し、今日に至っている。
開山当時は南部六宗であったが、堀河天皇の寛治年間(1087〜1093)頃、真言宗になったといわれる。
当時は七堂伽藍、僧房七院をそなえ、寺域は与布土川を越え東側にも及んだといわれている。
楽音寺には「金剛界曼荼羅図」を始めとする県指定文化財が四点所蔵されており、また、
県指定天然記念物の「ウツギノヒメハナバチ」の群生地としても知られる。
平成29年2月
兵庫県指定文化財(楽音寺所有)
1.名称 経瓦 64片 <考古資料>
…略…
2.名称 ウツギノヒメハナバチ群生地 600u <天然記念物>
指定年月日 昭和59年3月28日
ウツギ(ウノハナ)やホタルブクロの花咲く5月末から6月にかけて土中から出て、
境内いっぱいに(約20万匹)飛び交います。
主としてウツギの花に群がることからウツギノヒメハナバチと名付けられています。
他にも生息地が確認されていますが、これだけの群生地は全国的にもめずらしいものです。
3.名称 絹本着色楽音寺両界曼荼羅図 2幅 <絵画>
…略…
4.名称 絹本着色唐筆楽音寺仏涅槃図 1幅 <絵画>
…略…
|
|
護摩堂の前にあるから楽音寺を出ていきます。
道路に出ると、正面の池にがあります。
左にある石橋を渡って、を進んでいきます。
山際まで行くと「」の石仏があります。
左折して山際を進んでいくと、左の駐車場から登ってくる石段と出合う所に「三番」の石仏があります。
但馬七福弁財天霊場 福寿弁財天
本堂 薬師如来
楽音寺のお薬師さんと弁天さん
当山は、明賢上人の開創により、本尊薬師仏は、上人が紀州那智山に参籠し、瀑下に座して念誦する時、
滝底より瑞光あり、上人驚ろきて伺うに、薬師仏なり然る処仏声あり。
但州朝来の里楽音寺に移すべしと…
上人感得せられ大同2年(806)6月8日、奉持してこの地に祀る。
それより「秘仏」として有縁道俗有徳の衆人の懇念により崇拝せられ、
時期(50年毎)を定め秘仏の開扉を以って衆人に普拝せしめ、拡益を垂れたまう開扉法要を厳修し感応を偲ぶを典例とする。
また天正年中(1580年ごろ)盗賊来たりて薬師仏を盗み出し隣村の川原にて溶解せんとし時
「ガクオンジガクオンジ」とお叫びになられた。
盗賊恐ろしくなり、本堂前の泥池に投げ込み去った後、
時の住職秀伝、池の中より七色の光を放たれる仏を伺うに寺仏薬師仏なり、謹み奉還し祀る。
その池に愛嬌・増賢・盗賊除けを懇願して弁天さんを祭り、福寿弁財天と名づく。
去る昭和61年が400年に当る故、4月6日記念大法会を執行し今日に至る。
正覚山 楽音寺
|
|
右へ曲がりながら登っていくと、車を止めてきたが見えてきます。
石仏巡りのは、南側の尾根から北側の尾根へ道程1.8kmほど続いていて、
多少のバラツキはありますが平均すると20mほどの間隔で石仏が佇んでいます。
には登り坂や降り坂もありますが長くは続かず、よく整備されて歩き易くなっています。
採番された石仏を確認しながら進んでいくと、一際大きな「」の石仏があります。
この先にかけて、10番毎と区切りになりそうな石仏は、他の石仏よりも大きくなっています。
多少の登り降りもある緩やかな歩道を快調に進んでいきます。
|
|
曲がりながら続く歩道を進んでいくと「」の石仏を過ぎていきます。
前にに石が並べられた石仏も見掛けます。
「廿四番」の石仏の傍にはが立っています。
山歩きの雰囲気も味わえるを進んでいきます。
少し降り始める所にある「三十番」の石仏を過ぎていきます。
|
|
少し降って、のような所を過ぎていきます。
程なくしてが見えてきます。
「三十三番」の石仏まで来ると、右へ戻るようにして階段道が分かれています。
「壹番」の石仏から22分ほどの所になります。
も歩き易そうですが、ヒメハナ公園へ降りて行けるのでしょうか。
ここは先の方に石仏が見えるを進んでいきます。
|
|
歩道を更に進んでいくと、台座から落ちたがあります。
尾根の背を外れてを斜めに降るようになると「四十番」の石仏を過ぎていきます。
右・左と小刻みに曲がりながら降っていくと、ヒメハナ公園の上部に出ます。
「壹番」の石仏から28分ほどの所になります。
脇には「」の石仏があります。
標識類は見掛けませんが、左へ続くを登っていきます。
|
|
手形の家
水路に沿って階段道を登っていくと、小さなが架かっています。
石仏巡りのは石橋を渡ってすぐに右へ曲がっていくのですが、正面に建物があるので、ちょいと立ち寄っていきます。
左から回り込むように登っていくと、すぐに建物に着きます。
中へ入っていくと、氏名や年齢が書き添えられたのタイルが壁一面に貼り付けられています。
風通しの良いですが、何やら独特な雰囲気があります。
ひと文字ずつになった「山東町商工会青年部創立20周年記念事業」のも見掛けます。
|
|
往復2分ほどで元のに戻って、石仏巡りを続けます。
すぐにあるベンチを過ぎて、を斜めに登っていきます。
『この道で合っているのか』と心配しながら登っていくと、少しになります。
左へ曲がりながら登っていくと、「」の石仏を見掛けて安心します。
尾根の背に出て右へ曲がり、軽く降っていきます。
|
|
点々と佇む採番されたを確認しながら進んでいきます。
少し右へ曲がる所まで来ると、「」の石仏を過ぎていきます。
「五十四番」を石仏を過ぎると、曲がりながら降るようになります。
緩やかになったを進んでいきます。
また右・左と曲がりながら降るようになると「六十番」の石仏があります。
「壹番」の石仏から40分ほどの所になります。
|
|
少し脇にある「」の石仏を過ぎていきます。
曲がりながら続くを降っていきます。
程なくして、下の方にが見えてきます。
左へ曲がりながら降って浅い鞍部に着くと、道が分岐しています。
「壹番」の石仏から45分ほどの所になります。
標識類は見掛けませんが、先の方に石仏が見えるを登っていきます。
|
|
軽く登っていくと「」の石仏を過ぎていきます。
「七十二番」の石仏を過ぎると、右側にが続くようになります。
「」の石仏の手前まで来ると、鉄線柵は見掛けなくなります。
少し起伏のあるを曲がりながら進んでいきます。
緩やかになった道を進んでいくと、降り坂になる手前に「八十番」の石仏があります。
|
|
広場
少し降って「」の石仏が見えてくると、正面が明るくなってきます。
石仏を過ぎると、縁にベンチが設置された広場に出ます。
「壹番」の石仏から51分ほどの所になります。
右側にはがあります。
正面に出ると、などを眺められます。
右側の樹木に隠れるようにして「八十三番」の石仏が佇んでいて、
その右側に続くを降っていきます。
|
|
楽音寺天満宮
すぐにを降るようになります。
曲がりながら続く階段を降っていくと、が見えてきます。
横木の階段を降り終えて緩やかな所に出ると「」の石仏が佇んでいます。
右へ曲がって緩やかな所を進んでいくと、「八十六番」の石仏の所にがあります。
左前方へ降っていく横木の階段は見送って、正面に見える神社へ向っていきます。
小祠を二つ過ぎていくと、「天満宮」の扁額が掲げられた社殿があります。
これが楽音寺天満宮になるようです。
「壹番」の石仏から55分ほどの所になります。
左側にも小祠があります。
楽音寺天満宮
当楽音寺天満宮の本殿ご神体は、「学問・勉学の神様」として信仰を集めています菅原道真[天神さま]をお祀りしております。
ご神体は木造坐像で金弊と共に祀られ、束帯の梅鉢紋は着彩あざやかです。
創建は鎌倉時代・文永年間(1262〜1274)で途中、江戸時代・安永8年(1779)に改築され、
現代の御社は大正12年(1923)に名古屋の宮大工・浅草屋源蔵の手により改築されたものです。
また、この境内には、寿賀大明神社・三宝荒神社・市原大明神社・稲荷神社を合祀しています。
■年中行事■ 新年祭・節分祭・秋祭り大祭・晦日祭など
|
|
楽音寺
社殿の正面にある広い石段を降っていくと、一段低い所にあるに出ます。
正面の鳥居の右側にあるを降っていきます。
道路向かいの石段を左へ登っていくと、白壁の脇に「」の石仏があります。
右へ曲がって、沿いに進んでいきます。
短い石段を登って車庫の裏を過ぎていくと、楽音寺の境内に出ます。
大きな鐘が吊された山門の傍に「」の石仏があります。
これで八十八ヶ所の石仏巡りは終わりになります。
「壹番」の石仏を出発してから58分ほどでひと巡り出来ました。
番号が判読出来ない石仏や半壊した石仏もありましたが、
前後にある石仏の番号から推定して補間することも含めて、1番から88番まですべての石仏に出会うことが出来ました。
番号・寺院・ご本尊・ご真言・ご詠歌を記した小札は、壊れていたり文字が消えて判読出ないものがほとんどでした。
小札自体が見当たらない石仏もあって、八十八ヶ所の石仏巡りの歩道が整備されてからかなり年月が経つようです。
|
|
楽音寺地区
大きな鐘が吊されたから楽音寺を出ていきます。
道路に出て左へ曲がり、沿いに降っていきます。
楽音寺への道と楽音寺天満宮へのまで来ると、
車を止めておいた駐車場が右側にあります。
|
|