朝来537m峰
概 要 朝来市和田山町の岡地区と養父市の上野地区の市境にある537.7m峰(点名:上野)へ登ります。 かつて石禾城があった所です。 法道寺から法道寺城跡を経て山頂へ至り、少し引き返して北側にある尾根を降ります。
起 点 朝来市和田山町 法道寺地区
終 点 朝来市和田山町 法道寺地区
法道寺地区…法道寺…出丸…法道寺城跡…小峰…桜台…537.7m峰…桜台…小峰…220.3m峰…小峰…谷筋…茶臼山城跡…丸山古墳…寺内大師堂…法道寺地区
所要時間 5時間10分
歩いて... 法道寺から法道寺城跡までは採番された石仏が点々と佇んでいます。 山頂からの眺めは良くありませんが、尾根の所々からは山並みを眺められました。 途中には木や根などに掴まりながら登る急坂があって、かなり疲れました。 降りに歩いた北側の尾根には倒木があって、少し歩き難くなっていました。
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コース紹介
法道寺地区
朝来市を通る国道9号の法道寺交差点から南西に続く県道527号を進んでいくと、石和川にが架かっています。 橋を渡ったすぐの所に「法道寺城跡500m」の(*)が出ていて、右に分かれていく道を指しています。 「法道寺城」の解説文も掲げられています。 右折して集落を進み、寺内大師堂がある突き当たりを左折していくと道幅が広がった所があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
*「500m」は、登城口までの距離のように思われます。
法道寺城
法道寺城(中山城)は、城山の頂上が標高230mに位置し、大きな堀切を挟んで土塁囲みの二郭からなっている。 天正8年(1580)〜13年(1585)頃の改築と推定される。 元は、鎌倉時代から宮内に拠点を置いた藤原氏の城(中山城)と伝承されている。 法道寺城は幅4〜4.5m、高さ1.6m〜4mという但馬内の山城では例をみない大きな土塁で囲まれている。 法成寺城と岡城は、土塁の作り方が酷似しており織豊系の山城(法道寺城)と居館(岡城)というセット関係が考えられる。 織豊期の竹田城の支城として機能していたものであろう。
平成24年3月 大蔵地域自治協議会
法道寺
左へ分かれていく道を見送って山際を進んでいくと「法道密寺参道」のが出ています。 標識の先から右へ登っていく坂道に入っていきます。 「法道寺八十八ヵ所のぼり遍路」の幟が並ぶ急な坂道を登っていくと法道寺に着きます。 左にあるの間へ入っていきます。 「八十八番」の石仏を過ぎた先の石段を登ってなだらかな所に出るとがあります。 左側には「大手登城路」のが立っています。 ここが法道寺城跡への登城口になります。 駐車地から5分ほどの所になります。
石造宝篋印塔
「宝篋印陀羅尼経」を納めた塔である。 台石側面に享保8年(1723)の建立銘がある。 基礎の各面には種子を大きく、深く刻んでいる。 特に、北面の深さは6cmに及ぶ。 軸石の四方には月輪を約5mmの厚さに彫り出し、その中に金剛界四方仏種子を表している梵字を配している。 笠の四方の隅飾りは、45度外側に大きく開いており、江戸時代建立の典型的な姿を見ることができる。
安山岩製。総高2.05m。
和田山町教育委員会
「八十六番」の石仏が佇む所からを登っていきます。 登り始めてすぐの所にがあります。 括られた針金を解くのに手間取りながらも、何とか扉を開けて通過していきます。 防護柵沿いに登って「八十四番」の石仏まで来ると、道が分岐しています。 登城口から3分ほどの所になります。 右側には「大師みち」のがあって、今来た道を指しています。 正面の防護柵沿いにも道が続いているようですが、を登っていきます。
イノシシのかきです。 自由に開いて巡拝して下さい。 必ずしめておいて下さい。
法道寺霊場 奉賛会
出丸
点々と佇む石仏を眺めながら、広くてしっかりとしたを曲がりながら登っていきます。 「六十五番」の石仏まで来ると道がしていますが、すぐ先で合流します。 分かれてきた道を合わせて登っていくと、緩やかな尾根の肩に建つ東屋に着きます。 登城口から15分ほどの所になります。 切り株の椅子には「御休処しろやま」のが取り付けられていて、先には「出丸」の標識が立っています。 東屋の先には山並みを見渡せる眺めが広がります。
振り返ると見えるを眺めたりしながら、ひと息入れていきます。
落ち着いたところで、軽いの尾根を進んでいきます。 程なくして緩やかな所を過ぎるとになります。 正面に近づいてくるへ向かって、曲がりながら登っていきます。 左への曲がり角まで来ると分岐があります。 正面の道には少し草が茂って歩き難そうに思えたので、 「法道寺城跡」の白い標柱が立つを登っていきます。
法道寺城跡
尾根の左肩を登って尾根の背に出ると、「大手虎口」のが立っています。 傍には「大師みち」の標識と「四十九番」の石仏があります。 緩やかなには石仏が並んでいるのが見えるので、 先ほどの分岐から登ってくる道でしょうか。 左にある「堀切+堅堀」の標識が立つを過ぎていきます。 右へ回り込むように進んでいくと、「帯曲輪」のが立っています。 その右側にある坂道を登っていくと、なだらかで広い所に出ます。 右の方には「法道寺城 本丸跡」の白い標柱が立っています。 出丸から5分ほど、登城口から23分ほどの所になります。 今では雑木が茂っていますが、本丸があった雰囲気は感じられます。
左へ進んでいくと「本丸」のが立っています。 標識のの右側には「搦手虎口」、左側には「正面虎口」の標識が立っています。 左側の盛り上がった所を進んでいくと、「大土塁」のが見えてきます。 大橋の所にあった解説文に載っていた「但馬内の山城では例をみない大きな土塁」とはこのことでしょうか。 その手前から左へ降っていくと、「堀切+堅堀」のが立っています。 緩やかになった尾根を進んでいくと、右から来て正面へ続く防護柵が現れます。 法道寺城跡から6分ほどの所になります。 ここでも括られた針金を解くのに手間取りながらも、何とか扉を開けて向こう側へ出ます。
に沿って尾根を進んでいきます。 尾根には「図根多角」や「国土調査」の短杭が点々と続いています。 少し登っていくとになります。 で続く尾根を進んでいきます。 軽い登り坂になると、標高230mほどの僅かな高みを過ぎていきます。
僅かな起伏で続くを快調に進んでいきます。 軽い降り坂が続くようになると、幅が狭くなったに着きます。 正面に見えるへ向かって尾根を登り返していきます。 傾斜が緩やかになった尾根の肩のような所に着くと、続いてきた防護柵は左へ曲がって離れていきます。 法道寺城跡から18分ほどの所になります。 傍にはコンクリート製の「国土調査」のがあります。
を快調に進んでいきます。 僅かなになる所もあります。 振り返ってを眺めながら進んでいきます。 『快適な尾根が続けばいいが』と思いながら進んでいくと、次第にが増してきます。 登るに連れて益々傾斜が増してきます。 写真では良く分かりませんがかなり急なので、脇の木などに掴まりながら登っていきます。
小峰
次第に痛くなってくる脹ら脛を庇いながらを登っていきます。 我慢しながら登っていくと、少しずつ傾斜がになってきます。 左右の樹間に山並みを眺めながら登っていくと、樹木が伐採されて明るくなった標高340mほどの小峰に着きます。 法道寺城跡から36分ほどの所になります。 中ほどには「」があります。 急坂を登ってきて着かれたので、左側に広がるを眺めながらひと休みしていきます。
情報によると、ここに比丘尼城という山城があったようですが、現地にその旨の標識類は見掛けませんでした。
南側を通る県道527号にある峠に「」と題した解説板があって、 この城跡の名前が載っています。
地形図には南北に横切る破線の道が描かれていますが、よく確認出来ませんでした。
地籍図根三角点 C7.2
平成24年度朝来市地籍調査事業
小広い山頂部を前方へ進んでいくとになります。 程なくして、樹木が茂り気味のに着きます。 鞍部から登り返していくと、尾根の中ほどに少しが現れます。 窪みがなくなって緩やかになった尾根を進んでいきます。 小峰から10分ほどの所になります。
引き続き設置されている「図根多角」や「国土調査」のを辿りながら、 次第に登り傾斜が増してくる尾根を進んでいきます。 登るに連れて益々になってくるので、脇の木や張り出す根などに掴まりながら登っていきます。 振り返ってを眺めたりしがら、ゆっくり登っていきます。 写真では良く分かりませんが、先ほどの小峰の手前よりもになっています。 ここが今回のコースの中で一番の頑張り所です。 『次は何処に手を掛けようか』と目標とする所を探しながら、カメラをしまって四輪駆動で登っていきます。 傾斜が少し緩やかになって木に掴まらなくても登れるようになると、「曲輪」の標識が立っています。 小峰から42分ほどの所になります。
桜台
少し登っていくと、再び「曲輪」のが立っています。 になってくる尾根を進んでいきます。 程なくして「主郭」のが立っています。 右の樹間には少しが見えます。 標識の先へ登っていくと、程なくして標高520mほどの高みに着きます。 小峰から46分ほどで登って来られました。 中ほどに「桜台」の標識が立っていて、傍に「兵公」のや「国土調査」の短杭もあります。 手前に「曲輪」や「主郭」の標識があったことを考えると、この高みにもかつて山城(*)があったようです。
*情報によると、ここにあった山城は石禾古城(北城)というようですが、 現地にその旨の標識類は見掛けませんでした。
南側を通る県道527号にある峠に「」と題した解説板があって、 この城跡の名前が載っています。
ひと息入れてから、を降っていきます。 少し降っていくとになります。 登り坂になってくると、「堅堀」のが前後して立っています。 傾斜が緩やかになると、「虎口」のが立っています。 僅かな高みの手前には「帯曲輪」の標識が立ってます。
537.7m峰
僅かに残雪が見られる所を登っていくと、また「帯曲輪」のが立っています。 少し先には「主郭」のが立っています。 標識を過ぎると、アセビが茂る明るい伐採地に出ます。 中ほどの切り株の傍には「上野」があるので、 地形図に載っている537.7m峰になるようです。 桜台から8分ほど、法道寺にある登城口から2時間ほどで登って来られました。 三角点の標石は倒れたの傍にあります。 周囲には樹木が茂っていて、残念ながら展望は良くありません。 手前に「主郭」などの標識があったので、この高みにもかつて山城(*)があったようです。
*情報によると、ここにあった山城は石禾城南城)というようですが、 現地にその旨の標識類は見掛けませんでした。
南側を通る県道527号にある峠に「」と題した解説板があって、 この城跡の名前が載っています。
桜台
山頂の様子を確認したら、を引き返していきます。 幾つか立っているの脇を降っていきます。 傾斜がを進んでいきます。 近づいてくる高みへ向かって、を登り返していきます。 「桜台」の標識が見えてくると、尾根が分岐している標高520mほどの高みに着きます。 537.7m峰から8分ほどの所になります。
登ってきた右の尾根は見送って、を進んでいきます。 少し降っていくとになります。 右の樹間にを眺めながら、緩やかな尾根を進んでいきます。 近づいてくるへ向かって軽く登っていきます。 傾斜が緩やかになると、標高480mほどの僅かな高みに着きます。 桜台から9分ほどの所になります。
高みを過ぎていくとが増してくるので、 脇の木などに掴まりながら降っていきます。 急な尾根を降っていくと、右側にが見えてきます。 緩やかになってくるを進んでいきます。 地形図にはこの辺りを東西に横切る破線の道が描かれていますが、確認は出来ませんでした。 降り坂になる尾根を進んでいくと、標高450mほどの浅い鞍部に着きます。 桜台から20分ほどの所になります。 右にはらしきものがありますが、傾斜があまりにも急で、歩けそうには思えませんでした。
小峰
鞍部を過ぎて、が幾つも剥き出す尾根を登っていきます。 右に見えるを眺めながら登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになってくるを登っていきます。 程なくして、明るい伐採地跡にアセビが茂る標高480mほどの小峰に着きます。 桜台から27分ほどの所になります。 中ほどには「」があります。 丁度昼時になったので、具合の良い切り株に腰を降ろし、 右側に少し見えるを眺めたりしながら昼食タイムにしました。
情報によると、この高みにかつて石禾古々城という山城があったようですが、 現地にその旨の標識類は見掛けませんでした。
南側を通る県道527号にある峠に「」と題した解説板があって、 この城跡の名前が載っています。
地籍図根三角点 C6.2
平成24年度朝来市地籍調査事業
地籍図根三角点
地籍調査
大切にしましょう三角点
お腹が満ちたところで、延びる尾根を降っていきます。 降り口には伐採木などが散乱していますが、そこを過ぎると傾斜が急ながらになります。 この尾根にも「国土調査」の短杭が点々と設置されています。 左の樹間にを眺めながら降っていきます。 北の方角に電波塔が立つ山が見えますが、方角からするとでしょうか。 小峰から5分ほどの所になります。
になった尾根を進んでいきます。 尾根にはビニール紐の残骸が括り付けられた樹木を多く見掛けますが、防護網の名残でしょうか。 傾斜が増してくるを降っていきます。 登ってきた尾根に比べて倒木が目立ちますが、行く手を遮るほどでなく、急傾斜の所がないのも助かります。 傾斜が緩んでくるを淡々と降っていきます。 右側の樹木越しにを眺めながら進んでいきます。 奥の方には電波塔が立つ山が見えますが、方角からすると粟鹿山でしょうか。 小峰から16分ほどの所になります。
緩やかな所を過ぎて軽く登っていくと、僅かなを越えていきます。 になる尾根を進んでいきます。 軽い登り坂になる所まで来ると道がしていますが、左側の尾根を登っていきます。 左へ曲がりながら登っていくと軽いになります。 左を振り返ると雪を頂いた山が見えますが、方角からすると蘇武岳でしょうか。 小峰から25分ほどの所になります。
を淡々と降っていきます。 少し曲がりながら降っていきます。 尾根を塞ぐ倒木を過ぎていくと、尾根が二手に分かれています。 小峰から35分ほどの所になります。 も歩けそうで気になりますが、 市境になっているを降っていきます。
220.3m峰
少し左へ曲がりながらを降っていきます。 程なくして緩やかな尾根になると、が何本か見られます。 少し左へ曲がりながら、を軽く降っていきます。 やがて、樹木が伐採された明るい所に出ます。 中ほどには「宮内」があるので、地形図に載っている220.3m峰になるようです。 小峰から45分ほどの所になります。 周囲には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、水分補給などをしながらひと休みしていきます。
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
落ち着いたところで、先へ続くを降っていきます。 すぐの所から北東へ降る急ながありますが、見送っていきます。 の樹間から山並みを眺めながら降っていきます。 雑木林を過ぎて植林地になってくると緩やかな尾根になります。
右へ曲がりながら降っていくと尾根が分岐してますが、 を降っていきます。 脇の樹木に手を添えたりしながら急な尾根を降っていくと、傾斜が次第にになってきます。 軽い登り坂になった尾根を進んで僅かなに着くと、尾根が分岐しています。 右の尾根を軽く降っていくと、また尾根が分岐しています。 220.3m峰から14分ほどの所になります。 も歩けそうで気になりますが、 北へ続くを降っていきます。
小峰
軽く降って緩やかな尾根になると、尾根の中ほどにがあります。 木が生えていた跡ではないように思えますが、人工的に掘った穴でしょうか。 を更に降っていきます。 次第に緩やかになると浅いに着きます。 鞍部の先へ登り返していくと、緩やかな小峰に着きます。 220.3m峰から22分ほどの所になります。 ここは標高130mほどの細長い尾根の西端になるようです。
右へ続くを進んでいきます。 少しを過ぎていきます。 を、少し右へ曲がりながら進んでいきます。 程なくして、明るくなった伐採地に出ます。 220.3m峰から28分ほどの所になります。 右前方の樹間に山並みが見えますが、方角からするとでしょうか。 右下すぐの所にはが見えていて、里に近づいてきたことが分かります。
谷筋
少し左へ曲がって、を降っていきます。 程なくして、正面の樹間にが見えてきます。 右側を見ると、緩やかな斜面の先に浅いが見えます。 容易に降りていけそうに思えるので、右へ曲がって降っていきます。 僅かな溝を跨いでいくと、谷筋に通る農道に出ます。 220.3m峰から35分ほどで降りて来られました。
左へ進み始めると、は農地の周囲に設置された防護網に沿って右へ曲がっていきます。 地形図に実線で載っている道は正面へ続くように描かれていますが、それらしい明瞭な道は見掛けません。 それでも歩けそうな草地になっているので低い段差を降りて進んでいくと、先ほど見えていたが近づいてきます。 僅かな沢に架かる木橋を渡っていくと、椅子などが置かれたに出ます。 左の建物の右側から舗装路が続いていて国道9号へ出られますが、 右側の小高い所へ続く舗装路があるので登っていきます。
茶臼山城跡
左へ曲がりながら続く坂道を登っていくと、なだらかでに出ます。 左側には、 右側にはがあります。 左側へ続く参道に並ぶ石灯籠や狛犬の先には、本殿と拝殿から成る若宮神社があります。 谷筋に降り立った所から4分ほどの所になります。 社殿の右奥へ続く地道を進んでいくと、稲荷大明神があり、 脇から石段を登った一番高い所にはがあります。 その先へ続く石段を降った所には薬師堂仲山寺があって、国道9号へ降りていけます。 神社や寺院が建ち並ぶこの小高い所は、かつて茶臼山城があった所のようです。
若宮神社の正面に続くを降っていきます。 すぐに左へ曲がって、石段混じりのを降っていきます。 「八幡宮」の扁額が掛かるの前まで来ると、左側に「」の解説板があり、右側には顕彰碑があります。 石段を降りて鳥居をくぐっていくと、国道9号にある高田バス停の傍に出ます。 谷筋に降り立った所から15分ほどの所になります。 左側には「手打うどん」を商う店があります。
茶臼山城 登城口
茶臼山城
高田八幡神社の小丘を茶臼山といい、中世には養父神社領の領主、垣屋氏の居館があったと推定されている。 島津家久日記を根拠にしている。 江戸時代になって、旧館城跡に、八幡社が勧請されて現在の姿になった。 また、鳥居の左上には、円筒埴輪を持つ茶臼山古墳(円墳)が築かれていた。
大蔵地域自治協議会
右折して国道9号を進んで宮内バス停を過ぎていくと、「盈岡神社500m」の標識が出るがあります。 右折して「盈岡神社」の石柱が立つ所まで来るとがあります。 「丸山古墳150m」の標識が指す左の道を進んでいきます。 白壁の塀がある民家の前を過ぎていくと、正面にが見えてきます。 手前を右へ曲がっていくと、丘に登っていく道があります。 国道9号に出た所から8分ほどの所になります。 先ほどの標識の丸山古墳が丘の上にあるようなので、ちょいと立ち寄っていきます。
丸山古墳
左へ曲がりながら続くコンクリート道を登っていくと、程なくしてなだらかで小広い所に出ます。 右側にはのような建物があります。 左の一段高い所には大蔵地区の戦没者のがあります。 正面には「宮内古墳群」と題したがあって、この付近のが載っています。 ここが標識にあった丸山古墳(松ノ森古墳)になるようです。 周囲には山並みや街並みを見渡せる眺めが広がります。
西側の眺め, 東側の眺め
宮内古墳群
宮内周辺は古代石和郷の中心域であり、古墳分布の面からも「王家の谷」である。 最奥の「石和谷」を中心に、法道寺、高田地区にかけて約75基もの古墳が確認され、8つの古墳群で構成される。 中でも松の森(丸山)古墳は、全長55m近い前方後円墳であり遺物も発掘されている。 茶臼山古墳、御所森古墳からは円筒埴輪が、中山6号墳からは金銅製太刀や馬具が発見されている。 水田に美しい円墳形を見せるのは、塚の坪古墳である。 又、直径20mを越す中型墳が8基、いずれも尾根先端部に存在している。 大半の墳型は円墳であるが、多くは破壊され石材が持ち出されている。 石室の残るものは竪穴式石室、竪穴系横口石室、横穴式石室である。 時代としては、古墳時代中・後期(4〜6世紀)の本格的な横穴式石室墳の時代には、 川向こうの高田向山の南面する山腹に墓域を移動させたと考えられる。
寺内大師堂
往復8分ほどでまで引き返してきて、左へ続く道を進んでいきます。 少しズレたを直進していきます。 最初に渡ってきた大橋を眺めながら、に続く道を進んでいきます。 民家が建ち並ぶようになると寺内大師堂があります。 中にはが何体か安置されています。
朝来群和田山町 寺内大師堂
家内安全・交通安全・家相
病気平癒・安産祈願・墓相
地鎮祭・地神祭り・方位
入学祈願・結婚・その他の件
どなた様でもお気がるに御相談下さい。
節分護摩供養・お花祭ぜんざい供養・流水潅頂作法による塔婆供養
但馬金剛会根本道場
法道寺地区
程なくしてあるの右の道を進んでいきます。 法道寺へ登っていく石段の脇に佇むを過ぎていきます。 道幅が広がってくると、車を止めておいた駐車地があります。 丸山古墳への立ち寄りも含めて、国道9号に出た所から27分ほどで到着しました。