概 要 |
小原山は京丹後市弥栄町にある標高371.8mの山です。
興法寺がある中腹は小原山自然公園になっていて、山並みを見渡せる眺めが広がります。
興法寺までは狭いながらも舗装路が続いています。
今回は小原地区を通る車道から興法寺へ登り、林道を通って東側へ廻って小原山へ登ります。
山頂からは西へ延びる尾根を興法寺へ降っていきます。
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起 点 |
京丹後市弥栄町 小原地区
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終 点 |
京丹後市弥栄町 小原地区
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小原地区…興法寺…小原山自然公園…尾根取付…小原山…峠…歴代住職墓地…峠…興法寺…小原山自然公園…小原地区
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所要時間 |
1時間50分
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歩いて... |
興法寺までの道はそれほど荒れていないので軽四駆なら登れそうでしたが、対向車があると難儀しそうでした。
林道は少し荒れ気味ながらも歩くのに支障はありませんでした。
山頂の前後の尾根は熊笹がびっしりと茂っていて、藪漕ぎになりました。
明瞭な道はなく、ルートを探しながら歩きました。
何とか辿り着いた三角点からの展望は得られませでした。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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小原地区
京丹後市峰山町の峰山踏切の傍にある桜内交差点から国道482号を北東へ進み、左への曲がり角から府道656号へ入っていきます。
竹野川に架かるを渡り、すぐ先の十字路を直進していきます。
丘を越えて降っていくと、左側にが見えてきます。
登り坂になった所にあるを右折して狭くなった車道を登っていくと、
「小原山自然公園・興法寺」のが立っています。
その道路向かいの路肩が広がって車数台分の駐車スペースになっているので、ここに車を止めました。
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看板の所から戻るようにして左へ登っていくを進んでいきます。
植林地になった曲がり角を道なりに右へ曲がっていきます
植林地を抜けると、樹木が減ってに出ます。
右側を振り返ると、が広がっています。
左へ曲がっていくと植林地へ入っていきます。
右へ曲がってを抜けると、左側に小広い所があります。
その先へ出てみると、少し山並みを眺められました。
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道に戻って、少し先のへ入ると、右へ曲がっていきます。
植林地を抜けると、左へ曲がっていきます。
また植林地へ入って道なりに右へ曲がっていくと、僅かなのような所を過ぎていきます。
明るくなった先の植林地を抜けていくと開けた所に出ます。
右側にはが広がります。
少し登っていくと、が変化してきます。
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が何体も佇む所を左へ曲がっていきます。
「落石注意」のを過ぎていきます。
崖沿いに登っていくと、再び開けた所に出ます。
右側には先ほどよりも少し開けたが広がります。
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曲がりながら進んでいきます。
少し進んでまた左へ曲がり、の脇を過ぎていきます。
樹木の袂に佇むを過ぎていきます。
正面に興法寺の石段やお堂が見えてくると、手前から未舗装の林道が左へ分かれていきます。
駐車スペースのある車道から続いてきた舗装路はここで終わりになります。
道はそれほど荒れておらず軽四駆なら登れそうな様子ですが、道幅が狭いので、対向車があると難儀しそうでした。
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左の林道を見送って、正面の石段を登っていきます。
左には「真言宗 小原山興法寺」と題した解説板があります。
右には手水鉢として使用されているがありますが、解説板に記されている「鉄製湯船」でしょうか。
傍には絵が彫られたもありました。
真言宗 小原山興法寺
聖観音菩薩を本尊とし、高野山真言宗に属する寺院。
和銅元年(708)草創と伝える古い由緒をもち、智恩寺にある正応三年(1290)在銘の鉄製湯船(国指定重要文化財)は、当寺に寄進されたものである。
七堂伽藍整い隆盛を極めたが、数度の火災により焼失した。
古くから眼病に効があるとされ、毎月十七日を縁日としてかつては近郷から信者の長い列がつづき、
なかには数日定籠りとして参籠するものもあったといわれている。
【文化財】 興法寺本堂 京都府登録文化財 江戸時代
京丹後市教育委員会
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興法寺
石灯籠や石柱が並ぶ石段を真っ直ぐ登っていくと興法寺に着きます。
駐車スペースから20分ほどで登って来られました。
正面には本堂があり、「興法寺 本堂 一棟」と題した解説板があります。
右にはがあります。
左には「小原山」のがありますが、旧字体で書かれていたり掠れている所もあって、上手く読めませんでした。
その背後には大きななどが並んでいました。
解説板によると七堂伽藍が整って隆盛を極めたとのことですが、今では本堂が残るだけで無住のようでした。
興法寺 本堂 一棟
2000年3月17日 京都府登録文化財
江戸時代 天保元年(1830) 本堂再建棟札
桁行三間、梁間四間、入母屋造、妻入、鉄板仮葺
現在の本堂は、天保元年(1830)に火災で焼失したのち、峰山の寺田惣右衛門・同嘉兵衛らの発願によって再建されたものである。
三方に縁がまわり、正面三間には開き戸が建てられていた(現在は引き戸)。
内部は二間通で内陣・外陣に二分され、その境は蔀度で区画されている。
外陣は柱のない広い一室を畳敷きとし、上部空間には大虹梁が横たわる。
内陣天井は折り上げ格天井とし、外陣と変化をつけている。
須弥壇を構え、千鳥破風、軒唐破風をつけた宮殿をのせ、本尊を内部に安置する。
小規模ながらも内陣と外陣とを明確に分け、内部空間の構成に変化を付ける点などは、密教本堂の流れを受け継ぐものである。
また、堂内には本堂・宮殿などに関する江戸時代中期からの棟札を多数残し、
享保十二年(1727)の本堂造立には但馬国出石の大工が関与していたことがわかる。
現在の堂は地元小原の大工吉岡嘉兵衛によるもので、近世丹後地方で有力な大工集団であった冨田一族の出入は見られない。
このように、近世における丹後地方の建築や寺院の地域性を理解する上で、極めて重要な建築といえる。
京丹後市教育委員会
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小原山自然公園
興法寺の左側には広場があり、縁には石仏が列を成して佇んでいます。
先の方にはが建っていてベンチも設置されています。
手前で分かれてきた林道が左から登ってきていて、「小原山自然公園」のも立っています。
両脇の樹木が少し邪魔をしていますが、目の前にはなどを見渡せる眺めが広がります。
霞んでいてはっきりとしませんが、右の奥にはの水平線が見えました。
小原山自然公園
この施設は平成10年度宝くじの助成を受けて整備したものです。
この施設のきまり
1.ゴミは各自でもち帰りましょう。
2.たき火等はしないようにしましょう。
3.施設は大切に使用しましょう。
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公園の左側に並ぶ石仏に見送られて、その先へ続くを進んでいきます。
すぐにが散乱する所を過ぎていきます。
には傾斜が急な所はなく、等高線に沿うように緩やかに続いています。
少し荒れ気味ながらも歩くのに支障はありませんでしたが、青葉が茂る季節になると草木が鬱陶しくなりそうな様子でした。
時折開けるを眺めながら進んでいきます。
公園から2分ほど進んでいくと、文字が刻まれた岩壁があります。
風化が進んで文字は分かり難くなっていますが、情報によるとお経が刻まれているのだそうです。
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道端に茂る熊笹が目立つようになるを進んでいきます。
少し間隔をおいて右・左・右と曲がりながら、緩やかなを進んでいきます。
地形図に実線で載っている道が実際の曲がり具合をうまく表しているので、『この曲がり角はここだな』と確認しながら進んでいきます。
公園から8分ほど進んでいくと、左へ曲がっていくがあります。
倒木を少し過ぎていくと、歩き易い道になります。
と緩やかに曲がりながら進んでいくと、
次の右への曲がり角がまた切通になっています。
公園から12分ほどの所になります。
先ほどの切通よりも長く続いています。
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降り気味に続く切通を抜けていくと、細い木が茂る所を道なりに曲がっていきます。
少し先を僅かに曲がりながら進んでいきます。
が茂る所を過ぎていきます。
歩き易くなったを進んでいくと、
左側が開けて眺めが広がる所が暫く続ききます。
奥に見える特徴的な姿をした山はでしょうか。
水平線も見えるようですが、霞んでいてはっきりとはしません。
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尾根取付
右・左と緩やかに曲がりながら続くを進んでいきます。
振り返って僅かにを眺めたりしながら進んでいきます。
右へのを過ぎると、そろそろ小原山の東側になります。
どこか登れそうな所はないかと探しながら進んでいくと、小さな谷筋が右側に現れます。
公園から22分ほどの所になります。
熊笹が茂るばかりで明瞭な道はありませんが何とか登れそうなので、ここから尾根に取り付くことにしました。
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が茂る雑木林を登っていきます。
程なくして熊笹がなくなるとの斜面に出ます。
笹がないのは良いのですが、かなり傾斜が急になっています。
真っ直ぐ上へ向かって登っていくと、左前方へ続く僅かな踏み跡が現れました。
正面には一面に茂るが見えているので、踏み跡を辿っていくことにしました。
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小原山 (標高371.8m)
斜面を横切るように続くを進んでいきます。
少し右へ曲がりながら1分ほど進んでいくと、次第に不明瞭になってきます。
遂には生い茂るの前に出ますが、
傾斜が緩んできて山頂が近そうな雰囲気なので、思い切って熊笹の中に突入していきました。
標高の高い方へ向かって熊笹を掻き分けながら登っていくと、緩やかになったの縁に出ました。
この辺りが山頂だろうと思って左右を覗いながら進んでいくと、生い茂る熊笹の中に二等三角点「吉沢」がありました。
ここが地形図に載っている371.8m峰の小原山になるようです。
尾根取付から8分ほどで登って来られました。
周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
傍には登山道でよく見かける赤テープも取り付けられているので、登ってくる人がいるようです。
「小原山372m」の手製のも立っていますが、消えかかって読めない文字がかなりありました。
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三角点の先へ続く熊笹が生い茂る緩やかなを進んでいきます。
熊笹を掻き分けながら3分ほど進んでいくと、またが取り付けられていました。
尾根の背の左側の植林地の方が熊笹が少ないので、尾根の背から離れないよう注意しながらを進んでいきました。
尾根の背に戻って藪漕ぎしたりしながら更に進んでいくと、次第にが増してきます。
山頂から9分ほどの所になります。
左へ曲がりながら植林地の斜面を降っていくと、熊笹が減って歩き易くなります。
樹木に桃テープがまとまって取り付けられている所を降っていきます。
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快適になった植林地を降っていくと、正面にが現れます。
谷筋には熊笹が生い茂っていて、左右に小尾根が続いています。
谷筋を降ると藪漕ぎが大変そうなので、の小尾根を降っていきました。
また生い茂ってくる熊笹を掻き分けながら小尾根を降っていきます。
熊笹が少なくなると、またが取り付けられていました。
赤テープを過ぎていくと、緩やかな植林地になります。
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峠
少し傾斜が増してきた植林地を降っていくと、また樹木にがまとまって取り付けられています。
少し傾斜が緩んで快適になったを降っていくと、正面にが現れます。
アセビが少し茂る所を過ぎて、広くてを真っ直ぐ降っていくと、堀切のような所に着きます。
山頂から22分ほどの所になります。
手前にある倒木を越えていくと、左右に道が通る峠のようになっています。
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歴代住職墓地
は雑木林の中へ続いていて、
は竹林へ入っていきます。
興法寺へは右の道を降るのですが、のすぐ先に墓地が見えているので往復してきます。
広い道を進んでいくと、すぐに墓地に着きます。
墓石には「阿闍梨道雄法印」などと刻まれているので、興法寺の歴代住職墓地のようでした。
広い道は墓地で行き止まりになっています。
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興法寺
往復2分ほどでまで引き返してきて、
左のに続く道を降っていきます。
斜面を横切るように少し左へ曲がりながら降っていきます。
がある所を抜けていくと興法寺の境内に降り立ちます。
峠から3分ほど、小原山の山頂から28分ほどで降りて来られました。
降り立った脇にボックス形の装置がありますが、気象庁ののようです。
気象庁津波地震検知網 弥栄観測局
注意
この施設は、わたしたちの生命、財産を地震津波被害から守るため、地震の観測を行う大切なものです。
正しい観測ができなくなりますので、施設にふれたりしないで下さい。
もし、施設にいたずらしたり、こわしたりしますと、法律によって罰せられることがあります。
気象庁
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小原山自然公園
興法寺のを横切って、小原山自然公園に立ち寄っていきます。
東屋の傍のが咲き始めていました。
目の前に広がるを再度眺めてから、
左へ続くを降っていきます。
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興法寺へ続くに出て、右へ続く舗装路を降っていきます。
樹木の袂に佇むを過ぎていきます。
道なりに右へ曲がっていくとが開けてきます。
「落石注意」の看板を過ぎて、が何体も佇む所を右へ曲がっていきます。
再び広がってくる景色を眺めながら降っていきます。
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植林地に入って、僅かなのような所を左へ曲がっていきます。
右・左と曲がりながら続くを道なりに降っていきます。
明るくなってきた道を降っていくと、右側にある小広い所に着きます。
再度先へ出てを眺めていきました。
霞んでいてはっきりとしませんが、ここからもの水平線が見えるようです。
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小原地区
に入って、左・右と曲がりながら降っていきます。
植林地を抜けるとが広がってきます。
植林地になったを道なりに左へ曲がっていきます。
少し左へ曲がりながらを降っていきます。
「小原山自然公園・興法寺」の看板が立つ車道に出ると、車を止めておいた駐車スペースが道路向かいにあります。
小原山自然公園から20分ほどで降りて来られました。
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