概 要 |
愛宕山は京丹後市峰山町にある標高114.2mの山です。
愛宕神社がある山頂からは、山並みなどを眺められます。
峰山総合公園の野球場を取り巻く尾根に、よく整備された広い遊歩道が設置されています。
麓へ降りていく枝道も幾つかあるので、それらも合わせて歩きます。
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起 点 |
京丹後市峰山町 峰山総合公園
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終 点 |
京丹後市峰山町 峰山総合公園
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峰山総合公園…園路入口…愛宕山…(枝道)…金刀比羅神社…展望台…(枝道)…やすらぎ遊歩道出口…峰山総合公園
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所要時間 |
1時間50分
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歩いて... |
遊歩道は傾斜がそれほど急ではなくて歩き易くなっていました。
分岐には道標が設置されて分かり易くなっていました。
遊歩道のメインルートは45分ほどで歩けますが、今回は枝道もかなり歩いたので、倍以上の時間がかかりました。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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峰山総合公園
京都丹後鉄道の峰山駅から国道482号を南下した所にある峰中前交差点を西へ曲がり、踏切を渡った先のX字路を直進していきます。
登り坂になると、道路沿いの崖壁に「天女の里」の伝説が書かれた板が並んでいました。
そこから西へが分かれていきます。
入口には「峰山総合公園」の標識が出ていて、「峰山総合公園」と題したもあります。
今回は、この図に描かれている野球場を取り巻く園路からやすらぎ遊歩道を歩きます。
左側に大きながありますが、やり過ごして坂道を登っていきます。
テニスコート「WEST COURT」の所から右前方へ分かれていくに入って、
芝生広場とサブグラウンドの間を登っていくと駐車場があるので、ここに車を止めました。
天女の里
峰山町は天女伝説の町として知られています。
奈良時代に書かれた「丹後国風土記」に、日本最古の天女伝説が書かれており、
この風土記に伝わる「比治の里伝説」と、もう一つ五箇地区の末裔に伝わる「七夕伝説」のふたつの伝説が残っています。
この地図の左側は「比治の里伝説」、右側は「七夕伝説」です。
壁の端から中央の地図に向かってそれぞれのお話が進んでいきます。
また、伝説にまつわる地域の名所旧跡なども合わせて地図に紹介していますのでお訪ねください。
伝説にまつわる地域の名所旧跡
・比治山 | 現在のいさなご山 |
・真井 | 現在の女池 |
・比治の里 | 現在の五箇地区から荒山のあたり |
・荒塩の村 | 現在の荒山のあたり |
・哭木の村 | 現在の内記のあたり |
・奈具の村 | 現在の弥栄町船木のあたり |
・三右衛門の家 | 現在の五箇地区大路の七夕の家 |
七夕伝説
むかし、むかし、比治の山の頂き近くに大きな美しい池がありました。
その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。
それを見た三右衛門という狩人が、天女のひとりの羽衣を隠してしまいました。
天に帰れなくなった天女は、三右衛門と一緒に暮らして三人の美しい女児をもうけました。
天女が農業、養蚕、機織りの業をひろめたおかげで里は豊かになりました。
そのうち、天女は天が恋しくなって、隠しであった羽衣を見つけて天に帰りました。
その時、三右衛門に七日七日に会う約束をしましたが、「あまのじゃく」は七月七日と偽って伝えました。
一年に一度しか会えないと思った三右衛門は天女を慕うあまり、夕顔の蔓を登って天にあがり、天女に会うことができました。
天女と暮らしたい三右衛門は、天の川の架橋づくりを請け負います。
橋が完成するまで天女を思い出してはいけないという約束を破ったとたん、
天の川は洪水になって、三右衛門は下界に追い返されてしまいました。
そして、七月七日の夜には天女が天の川のきらめく星となって三右衛門と三人の娘に会いにやってくると言うことです。
比治の里伝説
むかし、むかし、比治の山の頂きに真井という大きな澄んだ池がありました。
その池に八一の天女が舞い降りて水浴びをしていました。
それを見た里人の和奈佐という老夫婦が、一人の天女の羽衣を隠してしまいました。
天に帰れなくなった天女は、しぶしぶ老夫婦と暮らすことになりました。
天女は酒づくりが上手で、この一杯の酒は万病にききました。
この酒は高い値で売れ、たちまちこの老夫婦も比治の里も豊かになりました。
そのうち十年ばかりたち、豊かになった老夫婦は、心変わりして天女を家から追い出してしまいました。
嘆き悲しんだ天女は
「 天の原 ふりさけ見れば霞立ち 家路まどいて 行方知らずも」
と天を仰ぎながら歌を詠みました。
天女は泣く泣く荒塩の村にたどり着き、その後哭木の村から奈具の里に落ち着きました。
この天女は奈具の社におまつりしている豊受大神で、五穀、養蚕、酒づくりの神様といわれ、
その後、豊受大神は、伊勢神宮の外宮として祀られています。
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園路入口
芝生広場に続くを降りていきます。
トイレと野球場の間を進んでいくと、左側に調整池や一番谷池のあるが広がってきます。
野球場の左側を進んでいくと、右へ曲がり始める角に三角状のがあります。
その手前から左へ戻るようにして登っていく道があります。
入口には「愛宕山」の道標が立っていて、その道を指しています。
ここが、先ほどの案内図に載っていた園路の入口になります。
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間隔の広い擬木の階段が設置されたには、細かい砕石が敷き詰められていました。
少し右へ曲がりながら登っていくと、尾根の背に出ます。
道なりに右へ曲がって、を登っていきます。
階段が終わって緩やかな尾根道になると、道端にベンチが設置されていました。
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引き続き、細かい砕石が敷き詰められたが続きます。
少しでも登りや降りになる所には、段差の低い擬木の階段が設置されていて、よく整備されて歩き易くなっていました。
軽く登って階段が終わると、先ほどと同様のが設置されていました。
右側には野球場が見えました。
その奥の山には、今回立ち寄るも見えました。
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僅かに登ったり降ったしながら緩やかに続くを進んでいきます。
やがて、をしばらく登るようになります。
振り返るとなどが見えるようになります。
更に続く階段を登り切ると、標高100mほどの高みに着きます。
園路入口から6分ほどの所になります。
脇にはこれまでと同様のベンチがありました。
振り返ると、これまでよりも開けたが広がっていました。
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軽く登ったり降ったりを繰り返しながら、よく整備されたを進んでいきます。
やがて少しになってきます。
愛宕山の東150m辺りにある標高100mほどのの肩を越えていきます。
軽く降って登り返していくと、愛宕山の東北東100m辺りにある標高110mほどの高みに着きます。
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愛宕山 (標高114.2m)
軽く降って登り返していくと、正面にが見えてきます。
そこへ向かって間隔の広い擬木の階段を登っていくと、神社の裏手に着きました。
登り着いた所には「峰山総合公園」のが立っていて、今登って来た道を指していました。
神社の脇には「峰山」があるので、
地形図に載っている114.2m峰になるようです。
標識などは見かけませんでしたが、園路入口にあった道標が指す愛宕山になるようです。
園路入口から13分ほどで登って来られました。
振り返ると、少し樹木に邪魔されながらもなどの山並みを眺めることができました。
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
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神社には扁額などは掲げられていませんでしたが、公園の入口で見かけた案内図によると愛宕神社というようです。
神社の正面には短いが降っていて、
その先にはなどがありました。
写真などを撮っていくと、向こう側から登って来られた方が鐘をひとつ鳴らして参拝されていきました。
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手水鉢のすぐ先に分岐があります。
角にはが立っていて、
は「峰山総合公園・金刀平羅神社」、今来た道は「愛宕山」となっていますが、
には何も示されていません。
地形図によると、114.2m峰の西50m辺りにある実線の道が分岐している所になるようです。
案内図のやすらぎ遊歩道は右の道になるようですが、その道を歩く前に、左の道を歩いてみることにしました。
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広い道を進み始めると、すぐに傾斜の急なを降るようになります。
石段が終わるとになります。
再び石段が始まる所まで来ると、正面にが広がってきます。
途切れながら続く急な石段が終わって緩やかになった道を進んでいくと鳥居が見えてきます。
その手前から左前方へ分かれていく道があります。
地形図に実線で載っている道のようですが、あまり歩かれていない様子だったので、鳥居が立つ正面の道を進んでいきました。
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鳥居をくぐると、一段と傾斜が急なが現れます。
下の方に見えてくる舗装路へ向かって石段を降っていくと、切通になったを越えていく舗装路に降り立ちました。
山頂近くの分岐から7分ほどで降りて来られました。
ここには石灯籠や石碑などを見かけませんでしたが、途中に鳥居があったことから、
今降ってきた道が愛宕神社の参道になるように思えました。
左の少し先には「文政四辛巳四月」と刻まれたが佇んでいました。
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往復19分ほどで山頂近くのまで引き返してきて、
道標「峰山総合公園・金刀平羅神社」が指す左に続くを降っていきます。
案内図によると、公園の周囲を巡る遊歩道は、愛宕神社を境にして園路とやすらぎ遊歩道とに分かれていますが、
なぜ名前が違うのかはよく分かりませんでした。
道に敷き詰められている砕石やからすると、
こちらの道の方が年月が経っているように思えましたが、整備された年度が違うのでしょうか。
階段が終わって、を緩やかに降っていきます。
再び階段が現れる所まで来ると、左側が開けてきました。
少し脇へ出てみると、手前の樹木に邪魔されながらも山並みを見渡せました。
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道に戻って、軽く登ったり降ったりを繰り返しながら続くを進んでいきます。
やがて、少し傾斜が増してきたを登っるようになります。
僅かな高みに着くと分岐になっていました。
山頂近くの分岐から6分ほどの所になります。
地形図では、実線の道が分岐している所になるようです。
読めなくなった標識の他には道標類を見かけず、どちらへ進めば良いのか迷う所です。
左の道は降っていくので、先ずは緩やかなを進んでみました。
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道の両側に笹などが茂るを進んでいきます。
笹が茂る所を抜けると、テーブル・ベンチが設置されていました。
展望が開けるのかと期待しましたが、樹木に遮られて、僅かにが見える程度でした。
この先の尾根にもが続いているようでしたが、
探るのは省略して、手前の分岐まで引き返すことにしました。
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往復2分ほどで手前のまで引き返してきて、
右へ続くを降っていきます。
階段が終わって、緩やかなを進んでいきます。
尾根の背を巻くように進んでいくと、曲がり角にある分岐に着きます。
山頂近くの分岐から10分ほどの所になります。
角にはが立っていて、
右の道は「峰山総合公園」、左の道は「金刀比羅神社」、今来た道は「愛宕山」となっています。
右の道がやすらぎ遊歩道になります。
左の道は地形図に載っていませんが、金刀比羅神社を訪ねていくことにしました。
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金刀比羅神社
浅くU字型に窪んだ所に続くを降っていきます。
少し曲がりながら続く階段を3分ほど降っていくとに降り立ちます。
右へ戻るようにして道が分かれていきます。
角にはが立っていて、今降ってきた階段は「総合公園520m・愛宕山480m」となっています。
正面にはがあります。
その左側を進んで正面に回ると、雪囲いをされた金刀比羅神社の社殿でした。
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境内には立派ながありました。
正面の石段を降りていくと、一段低い所に出ます。
境内のには猿田彦神社と木島神社を祀る祠がありました。
両脇に控えるのは日本で唯一とされる狛猫で、左が阿形、右が吽形をしていました。
境内のには佐々木神社と八坂神社を祀る祠がありました。
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更に石段を降って右へ曲がると、その先の曲がり角にがありました。
道なりに左へ曲がって建物の脇を過ぎていくと、がありました。
をくぐってその先へ降っていくと、広い境内に降り立ちました。
金刀比羅神社
御祭神
大物主大神
御由緒
旧峰山藩主京極家六代高久公は讃州京極家の出身であり、日頃深く金毘羅宮を崇敬され、
七代高備公は亡父の遺志を継ぎ、親書を以て丸亀京極家に御分霊勧請を懇望し、遂に一國一社の前例を廃して御分霊を迎え、
文化八年現在の地に藩費を以て社殿を造営奉斎した。
大正八年府社に列格、御社頭益々殷賑を極めたが、昭和二年三月当地大地震により殿宇悉く倒壊し了った。
現在の本殿・拝殿・祝詞舎・儀式殿・社務所等の諸建造物は、震災後の改築によるもので、用材は総て台湾産檜材を用いている。
御祭日
春季大祭 | 四月十日 |
夏季大祭 | 七月十日 |
例 祭 | 十月十日 |
境内神社
秋葉社 | 迦具土命 | 火防守護神 |
佐々木社 | 定省命 | 京極家祖神 |
八坂社 | 素戔嗚命 | 疫病厄除守護神 |
猿田彦社 | 猿田彦命 | 導の神 |
木島社 | 保食命 | 養蚕機織の守護神 |
稲荷社 | 倉稲魂命 | 五穀豊穣・商売繁盛の守護神 |
粟島社 | 少彦名命 | 医薬の神・女人守護神 |
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参道の傍にはがあり、
右側には儀式殿・会館・斎館・社務所などのが並んでいました。
正面のを出ると車道になります。
引き返してくると、参道脇の亀の池には、多くの亀が石の上に出て日向ぼっこをしていました。
正面の石段の上には朱塗りのが見えていますが、
右側にがあったので、そちらを登っていくことにしました。
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石垣沿いに続く石段を登っていくとがあります。
左の道の先には朱塗りの神門が見えますが、正面に続く石段を登っていきます。
石段の曲がり角まで来ると再びがあります。
脇には標識が立っていて、左の道は「狛猫」、正面の道は「遊歩道順路」となっています。
左の石段の先には佐々木神社と八坂神社を祀る祠が見えていましたが、緩やかになった正面の道を進んでいきます。
すぐの所にまた分岐があります。
角には標識が立っていて、右の道は「遊歩道順路」となっています。
右の道は街に降りてしまいそうに思えたので、左前方に続く道を登っていきました。
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登り坂になった道を進み始めるとがあります。
角には標識が立ってて、両方の道は「御本殿」となっています。
どちらの道でも良さそうに思えましたが、今回は右側の緩やかな道を進んでいきました。
に続く道を進んでいくと、次第に登り坂になってきます。
左側の尾根が次第に低くなってくるのを感じながら登っていくとが現れます。
左へ曲がっていく石段を登っていくと、金刀比羅神社の本殿の裏側の広場に出ました。
右側にあるに立つ道標「総合公園520m・愛宕山480m」に従って、
先ほど降ってきた擬木の階段を、やすらぎ遊歩道へ向かって登っていきます。
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往復26分ほどでやすらぎ遊歩道のまで引き返してきて、
道標「峰山総合公園」が指すを進んでいきます。
すぐに僅かなを越えて軽く降っていきます。
緩やかになった広い道を快適に進んでいくとになってきます。
向こう側を向いた「火の用心」の看板を過ぎていくと、標高80mほどの高みに着きました。
金刀比羅神社への分岐から2分ほどの所になります。
ここから右へ尾根が降っていて、細い木などが茂る踏み跡(*)も続いていますが、左へ曲がって降っていきます。
*右の尾根を降っていくと開けた斜面に出ます。
横切るように左へ進んで擬木の階段を降っていくと、野球場の脇にある倉庫の傍へ降り立ちます。
(ルート図に緑色の線で表示)
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を降って、その先の緩やかになった道を進んでいきます。
登り坂になると、が現れます。
間隔の広い階段を登っていくとが立っていて、
今来た道は「金刀比羅神社・愛宕山」となっていました。
道標を過ぎて少し降り始める所に分岐があります。
角にはが立っていて、
右の道は「展望台」、今来た道は「金刀比羅神社・峰山球場園路」となっています。
公園の入口にあった案内図によると、やすらぎ遊歩道が分岐している所になるようです。
先ずは右の道の先にある展望台を訪ねていくことにしました。
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展望台
先の方に見えている東屋へ向かって、間隔の広いを降っていきます。
尾根の肩まで出ると、擬木の柵で囲まれた東屋が建っていました。
ここが先ほどの標柱にあった展望台になるようです。
金刀比羅神社への分岐から6分ほどの所になります。
東屋の中と外にはテーブル・ベンチが設置されていました。
東屋の前には、峰山総合公園やその奥の山並みなどを見渡せる眺めが広がっていて、
景色を眺めながらひと休みするのに良い場所です。
東屋の横から戻るようにしてが斜面を降っています。
また、細い電柱の脇からが尾根の背を降っています。
いずれも野球場の脇にある倉庫の傍へ降りていけますが、広めの道の方が歩き易くなっています。
(ルート図に緑色の線で表示)
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眺めを楽しんだら、手前のまで引き返してきて、
右へ続くを降っていきます。
植林地の尾根を降っていくと、展望台から2分ほどの所に分岐があります。
右側にはが立っていて、
右の道は「峰山総合公園」、今来た道は「展望台」となっています。
左側にも標識が立っていて、左の道は「峰山保育所」となっています。
やすらぎ遊歩道は右の道になりますが、地形図に実線で載っている左の道が気になったので、
行く末を確かめるべく、を進んでいきました。
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すぐの所の僅かな高みを越えて、幅の広いを降っていきます。
道なりに鋭角に左へ曲がっていきます。
谷筋に降り立って道なりに右へ曲がり、僅かなに降っていきます。
植林地に続くを降っていきます。
植林地を抜けると住宅地の脇に出ました。
分岐から4分半ほどで降りて来られました。
11月頃までは、「蜂(はち)」に気をつけて散策ください。
(京丹後市公園緑化__団)
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住宅地を少し歩いてみました。
正面にあるを右から巻くように進んでいくと分岐に出ます。
角には「カジヤ古墳」と題した解説板があって、「」が載っていました。
左向かいには京丹後簡易裁判所と京丹後区検察庁が並んでいました。
左手前にはの入口がありました。
道標にあった「峰山保育所」とは、このゆうかり子ども園のことでしょうか。
カジヤ古墳
カジヤ古墳は峰山町杉谷小字カジヤに所在した古墳で、長径約73m、短径約55m、高さ約9mの楕円形の墳丘を持つ円墳であった。
昭和47年2月に土木工事に伴って石室が現れ、また鏡・車輪石等の遺物が発見されたことからその存在が明らかになった。
そのため峰山町教育委員会によって発掘調査が行われた結果、竪穴式石室1、木簡直葬3の合計4つの主体部と多くの副葬品が発見された。
副葬品は第一、三、四主体部から検出されたが、このうち第一、四主体部が主要な被葬者だったと考えられ、類似したものを副葬している。
特に第一主体部の副葬品は質、量ともに群を抜いており、この古墳を築く上での中心的人物と思われる。
副葬品は銅鏡・鉄器類・玉類・石製腕飾等からなるが、
特に注目されるのは、石製腕飾類が一括して出土したことで、丹後地方では初めての例である。
近畿地方でも鍬形石・車輪石・石釧がセットで出土した例は少なく、また腕飾類は精巧な筒型銅器を伴出した例は当時二例目であった。
腕飾類は精巧な造りで工芸品としても優れている。
また銅鏡もほう製鏡としては優品に属する。
このようにカジヤ古墳の副葬品は畿内色がきわめて濃く、被葬者が畿内と密接な関係があったことを示している。
畿内との交流を深めつつあった古墳時代前期における当地方の有力者の遺品としてその資料的価値は極めて高い。
(京丹後市教育委員会)
(「ほう製鏡」の「ほう」は、「イ」偏に「方」と書きます)
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やすらぎ遊歩道出口
往復16分ほどでやすらぎ遊歩道のまで引き返してきて、
道標「峰山総合公園」の指すを降っていきます。
少し降り傾斜が増し始める所から左へ(*)が分かれていきますが、見送っていきます。
植林地を抜けて幅の広いを降っていくと、
サブグラウンドの脇に降り立ちます。
「峰山保育所」への分岐から5分ほどで降りて来られました。
出口にはが立っていて、
今降ってきた階段は「愛宕神社680m・金刀比羅神社520m・峰山保育所400m」となっていました。
*入口付近はしっかりとした道になっていたので、試しに歩いてみました。
尾根に緩やかな道が続いていました。
所々から峰山総合公園などを眺められました。
次第に道が不明瞭になってきて、送電線の鉄塔「丹後木津線八」を過ぎた先で分からなくなりました。
鉄塔の手前から北側へ降る傾斜の急な踏み跡もありましたが、確かめるのは省略しました。
(所要時間に含めず)
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峰山総合公園
に沿って真っ直ぐ進んでいきます。
振り返ってを確認したりしながら進んでいくと、
車を止めておいた駐車場に着きます。
寄り道をせずに園路とやすらぎ遊歩道のメインルートだけを歩いた場合は、45分ほどで戻って来られた計算になります。
野球場の傍の倉庫の背後にある道が気になったので、家路につく前に探っていきました。
の擬木の階段は、斜面を横切ってから尾根筋を登ると展望台の手前の標高80mほどの高みへ出ました。
の広い道は、右へ曲がりながら展望台へ続いていました。
の擬木の階段は、次第に狭くなりながら展望台の細い電柱の脇へ出ました。
真ん中の広い道は歩き易くなっていましたが、その他の道には細い木や枯れ草などが茂っていて、あまりお勧めできない状態でした。
(これらに要した時間は所要時間に含めず)
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