大屋富士
概 要 大屋富士は養父市大屋町にある標高598.2mの山です。 明瞭な登山道は設けられていませんが、途中までは林道が続いています。 山頂は樹木に囲まれていますが、林道からは山並みなどを見渡せる眺めが広がります。 今回は東川橋の傍から尾根に取り付いて山頂まで登り、林道を降るルートを歩きます。
起 点 養父市大屋町 あゆ公園
終 点 養父市大屋町 あゆ公園
あゆ公園…登山口…林道出合…大屋富士…伐採地…林道終点…林道分岐…林道起点…あゆ公園
所要時間 3時間30分
歩いて... 林道出合から続く尾根はかなりの傾斜がありました。 何度も立ち止まって足を労り、呼吸を整えながら登っていきました。 倒木などが塞いでいる所もかなりありましたが、夏草は生えていなくて助かりました。 林道終点と山頂を結ぶ歩道があったようですが、設置されてから年月が経ってほとんど消滅し、 急斜面を滑り落ちるように降ることになりました。
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コース紹介
あゆ公園
国道312号の広谷大橋の北側から県道6号に入り、北近畿豊岡自動車道の下を過ぎて西進していきます。 加保口バス停まで来ると、右に流れる大屋川が架かっています。 山際には「あゆ公園」「おおや農村公園」のが出ていて、その橋を指しています。 橋を渡った先のを右折していくとあゆ公園に着きます。 の奥には「あゆ公園・おおや農村公園」のやログトイレがあります。 駐車場の手前には「藤堂高虎ゆかりの郷」のや動物たちのがありました。
藤堂高虎と大屋郷
藤堂高虎(与右衛門)は羽柴秀吉に仕え、第一次但馬征伐では羽柴秀長に従って出陣し、手勢を率いて七味郡小代谷に攻め入り、 緒戦は有利に戦ったが毛利方の小代一揆勢の猛反撃にあって敗走し、 天滝を越えて大屋谷の栃尾加賀守祐善と源左衛門親子に匿われた。 小代谷の小代大膳らが天滝を越えて攻め込み、横行に砦を構えて栃尾勢と攻防がくりかえされ激戦の末、蔵垣野の決戦で小代勢は全滅した。 この戦功によって、秀吉より三千石を加増され、高虎の出世する糸口になったといわれる。 高虎はしばらく加保村栃尾館に滞留し、この間に祐善の媒酌により、美含郡中野村の豪族一色修理太夫の息女・久芳夫人を娶った。 高虎にとって大屋郷は、戦功をあげて出世の糸口となり、新婚の土地となったと伝わっている。
藤堂高虎と加保・蔵垣野の戦
藤堂高虎は弘治2年(1556)近江国犬上郡藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町)に生まれた。 長じて羽柴秀吉に仕え、その後秀吉の弟・羽柴秀長の家臣となり、数々の勲功を挙げた。 戦国末期、秀吉の但馬征伐には、秀長に従って出陣し戦功を挙げた。 なかでも小代一揆との戦いは、高虎の出世の糸口になったといわれ、後世ませ語りつがれてきた。 この戦いは、天正5年(1577)第一次但馬征伐において、毛利方の一揆との間にくりひろげられた戦闘で、 高虎は手勢を率いて七味郡・小代谷(美方郡小代町)に攻め入った。 緒戦は圧倒的有利に展開したものの、小代一揆の猛反撃に遭って敗走し、 わずかな手勢をひきいて、辛うじて天瀧越えで大屋谷に逃げ込んだ。 このとき加保村の土豪・栃尾加賀守祐善とその子源左衛門が高虎をかくまった。 これを知った小代谷の土豪・小代大膳(通称小代がんどう)らが天瀧越え大挙して攻め込み、 栃尾加賀守の館を取り囲んで攻防をくり返し、数日におよぶ激戦の果て、蔵垣野の決戦で高虎勢は、 ついに一揆の大将・小代大膳を討ち取り勝利したと伝えている。 いまに古戦場・蔵垣野には「がんどう塚」という慰霊碑が建ち、激戦の跡を残している。 藤堂家文書には、この戦功によって高虎は、秀吉より三千石加増され、合わせて三千三百石の知行取りになったと記録されている。 これより高虎は、しばらく加保村栃尾方に滞在した。 この間、祐善の媒酌により、美含郡中野村の豪族・一色修理太夫の息女を娶ったという。 秀吉亡きあと高虎は、徳川家康に仕え、忠勤と巧みな処世術により、津藩祖として藩制の基礎を築いた。 晩年には伊勢三十二万石余りの大名に封ぜられた。
寛永7年10月没、享年75歳。
 (大屋町、大屋町商工会・大屋支部、大屋町観光協会)
鎮魂碑
山々に囲まれた大屋の里では、すみかを越えたいきものたちの被害に耐えかね、犠牲にすることがあります。 私たちは、その魂の安らかなことと、すべてのいきものが共生し、喜び合えることを願っています。 また、清流大屋川の鮎は「大屋次郎」の名声高く、多くの釣人が訪れます。 私たちは、鮎を育む豊かな自然の恵みにも感謝し、この碑を建立します。
平成7年3月建立 大屋町、大屋町猟友会
登山口
来た道を引き返して東川橋を渡っていきます。 左折して県道6号を北進していくと、右へ曲がっていく角に広いがあります。 この辺りから尾根に取り付こうとしますが、道路の傍はになっていて登れそうにありません。 空き地の奥の資材置き場から谷筋へ入っていくと、ひとつ東側の尾根へ続くがありました。 ここが今回の登山口になります。 小さな沢に架かるを渡るとの裏手に出ます。
後日に来てみると、空き地は材木置き場になっていて、周囲は柵で閉ざされていました。 墓地へは、少し広谷寄りにあるから行くことができます。 角にはカーブミラーが立ち、脇の電柱には「27」「28」のシールが貼られています。 すぐにある十字路を直進して、赤い「ホース格納箱」があるの手前から右の畑地へ続く小径を進んでいくと墓地に出られます。 (ルート図に緑色で表示)
墓地の裏手のシダ類が茂る所を進んでいくと、すぐに夏草のないに出ました。 明瞭な道はありませんが、歩くのに問題はありません。 などもありますが、乗り越えたり回り込んだりしながら進んでいきました。 樹木が少なくなった明るい所から振り返るとが見えました。
次第にはっきりしてくるを登っていきます。 傾斜が緩やかな所を進んでいくと、右からが近づいてきます。 幅が少し広がって登り傾斜が増してきたを上へ向かって真っ直ぐ登っていきます。 尾根に登り着くと防護柵が現れます。 正面は伐採地になっていて、その先には山並みなどが広がっていました。 ここから左へ曲がって、に沿って尾根を登っていきます。
防護柵沿いに登り始めると、が柵を倒している所がありました。 柵は尾根の左側へ曲がっていきますが、そこから柵の右側へ出て登っていきました。 少し登っていくとなどが茂ってきました。 その中を進んでいくと、丸太を組んだのようなものがありましたが、小屋の跡なのかも知れません。 程なくしてシダ類が終わると、歩きやすい尾根に出ました。 左を振り返ると、尾根沿いにが登ってきていました。 先ほどの倒木を見送って柵沿いに登ってくると、シダ類の中を歩かなくても済みそうに思えました。
右側に伐採地が広がるを登っていきます。 少しずつ見える範囲が変わってくるを振り返って眺めながら、 次第に傾斜が増してくるを登っていきます。 伐採地の上まで登ると、が鋭角に右へ曲がって、行く手を阻んでいました。 尾根は正面へ続いているし、どうしたものかと思案しましたが、 左側の網の裾が簡単に持ち上がったので、くぐって向こう側へ出ました。
林道出合
防護柵を過ぎると、傾斜が緩んでになります。 少し登ってから緩やかになったを進んでいくと、が明るくなってきます。 そこへ向かって進んでいくと、林道がヘアピン状に曲がっている角に出ました。 登山口から30分ほどの所になります。 林道は右前方から登ってきて、鋭角に折れ曲がって右前方へ登っていきます。 以前に林道を登っていきましたが、終点から先の道が分からなかった経験があるので、 今回は、曲がり角から正面に続く尾根を登っていくことにしました。
林道の左側に僅かに残ったを登っていきます。 歩き始めの所には枯れた草がまだ残っていましたが、少し登って森へ入る手前まで来るとなくなりました。 振り返ると、登り着いた林道の曲がり角の奥にはが広がっていました。 森へ入っていくと、次第にが増してきます。 明瞭な道は付いていませんが夏草は茂っておらず、上を目指して登っていけば迷うことはありません。 呼吸を整えながらゆっくりと登っていきました。 少しから回り込むようにして登っていくと尾根の背に出ました。 林道出合から13分ほど登った所になります。 ここで尾根は少し右へ曲がって続いていますが、何はともあれ歩みを止めて、ひと休みしていきました。
落ち着いたところで、明瞭になってきた尾根の背を登っていきます。 すぐに倒木が目立つようになります。 乗り越えたりくぐったり迂回したりしながら登っていきました。 かなり倒れている所もありましたが、強行突破して登っていきました。 傾斜が急な上に倒木を避けながらの登りのためか、次第に足の踝が痛くなってきました。 振り返ると、樹間からが見える所もありましたが、眺めを愛でている余裕はありませんでした。 何度も立ち止まって足を休め、呼吸を整えながらゆっくりと登っていきました。
倒木は途切れながらも7分間ほど続いていました。 過日の台風の爪痕でしょうか。 倒木群を抜けてもはまだまだ続きます。 次第にが目立つようになると益々傾斜が急になってきて、 木の幹や根などに掴まらないと登れなくなってきました。 次は何処へ掴まろうかと短い目標を定めて、そこへ向かって足を踏み出すという超スローペースで登っていきました。 そんな急斜面を時間をかけて登っていくと、赤テープが巻かれている樹木がありました。 林道出合から48分ほど登った所になります。 右側の植林地から登ってくる微かな踏み跡のようなものがあるようでしたが、ほとんど消えていて無いに等しい状況でした。
下山後に見かけた案内板によると、平成19年度(2007)に林道の終点から山頂へ向かう歩道が設置されたようですが、 7年を経た今回に見かけた微かな踏み跡はその名残のように思えました。
しばらくは赤テープやが巻かれた樹木が続いていましたが、 微かな踏み跡はすぐに消えてしまいました。 次第に尾根が拡がって背がはっきりしなくなります。 傾斜も緩やかになって木などに掴まらなくても歩けるようになり、やっと人心地つきました。 の斜面を登っていくと、植林地と雑木林の境にあるなだらかな尾根に着きました。 地形図によると、大屋富士の西北西200m辺りにある標高580mほどの尾根になるようです。 林道出合から1時間ほどで着きました。 ひと息ついてから、右から回り込むようにして曲がっていく緩やかで広い尾根を進んでいきます。
大屋富士 (標高598.2m)
少し前までの悪夢のような急登に比べると、極楽のように広くて緩やかなを進んでいきます。 右から左へ曲がりながら進んでいくと、軽いになってきます。 に着くと、尾根が更に広がって進行方向が定まりませんが、 正面に向かって軽く登り返していくと、山頂らしき所に着きました。 ここが大屋富士の山頂だろうと思いながら辺りを見回していると、 少し進んだ所に上山」がありました。 地形図に載っている598.2m峰になるようです。 林道出合から1時間10分ほどで登って来られました。 三角点の傍の樹木には「大屋富士598m」のが取り付けられていました。
大屋富士の山頂の周囲には樹木が茂っていて、残念ながら展望は得られません。 尾根伝いに東へ進んでいくと御祓山へ続いているようです。 ここから500mほど進んだ辺りに展望の開ける所があるとのことで、当初はそこまで行く予定にしていましたが、 予想外の急坂で時間が掛かり過ぎて、気力も萎え気味だったので、今回は訪ねるのは省略して、来た道を引き返すことにしました。
軽く降ってに着いて、その先に続く雑木林の尾根を登っていきます。 広くて緩やかな尾根を右へ曲がりながら進んでいくと、左側に植林地が広がってきます。 植林地がに変わる辺りから左へ曲がって、 雑木林からあまり離れないよう注意しながら、少し傾斜が増したを降っていきます。 が巻かれた樹木を過ぎて更に降り傾斜が増してくると、 黄テープが巻かれた木がありました。 山頂から14分ほどの所になります。 登ってきた時に見かけたことを思い出しました。 この辺りの西側の下まで林道が来ていることは分かっていたので、 登ってきたルートとは違いますが、西に広がる植林地の急斜面を降っていくことにしました。
大きな石が目立つようになった植林地のを降っていきます。 赤テープや白テープが巻かれていて、微かな踏み跡も一瞬現れたりしますが、すぐに消えてしまいました。 かなり傾斜があって、斜面を真っ直ぐには降っていけません。 全体として西へ向かっていることをコンパスで確認しながら、ジグザグにルートを取りながら降っていきました。 それでも滑り落ちるようにして降っていくと、下の方が明るくなってきました。 目を凝らして見るに、どうやら林道が通る伐採地のように思えました。
明るくなった所へ向かって、急斜面を更に降っていくと、明るい所ははやりのようでした。 右側の樹間からはが僅かに見えましたが、降りていけそうにもないので、 左側に見えている伐採地へ向かっていきました。 次第に伐採地が近づいてくると、右側のもはっきりと見えてきました。
伐採地
急斜面の植林地を抜けるとに出ました。 黄テープの巻かれた木から24分ほどの所になります。 正面には山並みを見渡せる眺めが広がっていました。 これまで展望の得られない所を歩いてきたので、しばらく眺めを楽しんでいきました。
伐採地には細い木が茂っていたので、植林地の端の辺りに現れた微かな踏み跡を辿って、 斜面を横切るように左へ進んでいきました。
林道終点
に着いて右へ曲がり、の急斜面を降っていきます。 次第に近づいてくるを右下に眺めながら、滑り落ちるようにして降っていきます。 の脇まで降りると、右側には林道が来てきました。 ここが林道の終点になります。 伐採地に出た所から6分ほど、山頂から47分ほどで降りて来られました。 振り返って見上げると、はなかりの急斜面になっていました。
これまでの急斜面から解放されて、歩きやすくなった林道を降っていきます。 林道にはが少し残っていたものの、歩くのに支障はありません。 進むにつれて、左側にが広がってきます。 下の方には眺めが広がりそうな曲がり角も見えました。 などを眺めながら降っていくとヘアピンカーブに着きます。 登山口から登ってきた尾根が接する所です。 林道終点から8分ほどの所になります。 登ってきた尾根を降っても良いのですが、このまま林道を降ることにしました。
見える方角が変わってくるを眺めながら降っていきます。 ヘアピンカーブから2分半ほど降っていくと、路肩が広がったがあります。 先ほど下の方に見えていた曲がり角になります。 左には林道が先へと延びていました。
林道分岐
引き続き広がるを眺めながら林道を降っていきます。 左へのを過ぎていくと植林地に入っていきます。 小さな谷筋になると、山側のから水が流れ落ちていました。 谷筋を曲がっていくと簡易舗装路になります。 道なりにS字形に曲がりながら植林地に続く林道を降っていくと、 太いが埋設された谷筋に着きます。 谷筋を左へ曲がっていくと、未舗装の林道が右へ分かれていきます。 林道終点から21分ほどの所になります。
未舗装路の林道を見送って、その先へ降っていきます。 谷筋を曲がって少し進んでいくと、未舗装路になります。 この先は、舗装されたり未舗装になったりしながら道が続いていました。 になってくると、降り傾斜が少し増してきます。 これまでよりも曲がる間隔が短くなってきた林道を道なりに降っていきます。 右へ曲がって北西へしばらく降るようになると街並みが見えてきます。
林道起点
街並みへ向かって真っ直ぐ降っていくと、県道6号に降り立ちました。 林道終点から29分ほどで降りて来られました。 車道に出る手前には「通行止」の板が取り付けられたが張られていますが、自動車向けだと解釈しました。 正面には「八鹿土木事務所大屋雪寒基地」の看板の出る建物があり、 左側を流れる明延川には大石橋が架かっていました。 右脇には「災害に強い森づくり」と題した案内板が設置されていていました。 が載っていて、 今回降ってきたルートが「歩道」と「作業道」として描かれていましたが、 林道終点と山頂を結ぶ歩道は設置されてから年月が経ってほとんど消滅し、 残念ながら快適に歩ける状況ではありませんでした。 再整備されることを願わずにはいられません。 振り返ってを確認してから、 車を止めてきたあゆ公園へ向かっていきました。
災害に強い森づくり 〜県民緑税の活用〜(針葉樹林と広葉樹林の混交林整備)
平成16年度の台風被害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、 県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、県民総参加で取り組む仕組みとして 平成18年度から「県民緑税」を導入し、防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を早期・確実に進めています。
整備内容  スギ・ヒノキ等の高齢人工林の伐採を促進し、広葉樹等を植栽することにより、樹種・林齢が異なり、 水土保全が高く、公益的機能を発揮する森林に整備します。
平成19年度:作業道の開設
平成20年度:広葉樹の植栽・鹿防護柵の設置
 (養父市)
軽い登り坂になった県道6号を進んでいきます。 坂を越えて降り始めると、若杉峠を越えて宍粟市へ続く県道48号が左へ分かれていくがあります。 角には「大屋町観光案内」と題した大きながあって、今回登った大屋富士も描かれていました。 分岐を直進していくと、山際に「大鷹塚」と「南無妙法蓮華経」などのがありました。 右への曲がり角のは、コンクリートと金網による補強工事中でした。 道なりに右へ曲がっていくと、小さな谷筋の入口に、お地蔵さんを三つ納めたがありました。 そこを過ぎて加保口バス停まで来ると、最初に渡った東川橋があります。
あゆ公園
東川橋を渡り、少し先にある十字路を右折していくと、車を止めておいたあゆ公園駐車場に戻ってきました。 林道起点から15分ほどで着きました。
お昼を過ぎた時刻になったので、帰り道に竹野町椒にあるに立ち寄って食事をしていきました。 大きな古民家のままで営業していて、看板が出ていないと店舗だとは分からない佇まいでした。 大小二重になった「大戸」の小さな戸を開けて店内へ入り、 靴を脱いで「田の字様式」の広い畳部屋へ上がっていくと、囲炉裏や縁側などもあって昔懐かしく感じました。 を食べてみましたが、量は少なめで腹八分といったところでした。