青葉城山
概 要 青葉城山は豊岡市竹野町にある標高162mの山です。 かつて青葉城(轟城)があったという山頂には、今は秋葉神社が建っています。 轟橋の近くから登る道もありますが、今回は東大谷地区から谷筋を詰めて北西にある尾根へ登り、そこから山頂へ向かいます。 山頂からは、南東に延びる尾根を大谷川へ降っていきます。
起 点 豊岡市竹野町 東大谷地区
終 点 豊岡市竹野町 東大谷地区
東大谷地区…砂防ダム…V字谷…鞍部…堀切…曲輪跡…曲輪跡…青葉城山…木橋…東大谷中橋…東大谷地区
所要時間 1時間30分
歩いて... 砂防ダムを過ぎると踏み跡程度の道になりました。 V字谷を登るようになると、その踏み跡も消えましたが、 それほど苦労することもなく尾根へ登って行けました。 山頂へ向かう尾根には下草が茂っておらず、問題なく歩けました。 降りに選んだ南東へ延びる尾根には、「裏参道」とも思える明瞭な道が続いていました。
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コース紹介
東大谷地区
竹野駅(JR山陰本線)から県道1号を南下していきます。 竹野川に架かる轟橋を渡っていくと、 支流の大谷川に架かる大谷橋を渡った所にがあります。 脇には「たけのこ村・ホタルの里1km」のが立っていて、右へ分かれていく道路を指しています。 標識に従って、大谷川の右岸に続く道路を進んでいきます。 左からの道路を合わせた先の橋を渡って左岸を進んでいくと、 「たけのこ村」のを過ぎた所に広い駐車場があります。 ここに車を止めさせてもらいました。
車で来た大谷川の左岸に続く道路を引き返していきます。 9分ほど歩いて民家が現れる所まで来ると、が架かっています。 橋を見送った先にはがあり、脇には「平和弥栄之郷」と刻まれた石碑がありました。 橋と会館の間から左へ分かれていく路地があります。 ここから青葉城山へ登っていきます。
平和弥栄之郷 富田保治 書
私達は常に郷土の発展に思いを寄せ、中でも精神文化の高揚はその基礎をなすものとして、 従来から研讚の場を求めていた。 たまたま辺地対策事業の指定を受けることになり、その悲願は研修センターの施設であった。 然し社会情勢は極めて厳しく、着工は容易にきまらず難航した。 加えて総事業費壹阡八百万円に対する地元負担金の捻出は幾夜を徹し協議するも空しく、 思い余って苛なむ思を制しながら京都市在住の富田保治氏に懇請し御寄付を賜ることとなった。 深く感謝と欣びに燃え着工す。 氏は本町河内垣田市三氏家に生まれられ大志を抱いて京都に学び、 富士興業株式会社を創立されるなど京都屈指の大実業家として大成された郷土輩出の偉人である。 氏は夙に文化の精神を尊ばれ郷関の念篤く、本町の名誉町民に推載されている。 この様にして多年の願望であった殿堂が地区中央に建設された。 氏は愛郷の情熱に燃え碑銘の揮毫戴いた。 この美徳を敬仰しその欣びと感謝の念を永く後世に伝承するために建立するものである。
昭和五十八年三月吉日 東大谷区民一同
砂防ダム
小屋と民家の間を進んでいくとになりますが、幅は広めになっています。 小さな谷筋の植林地を進んでいくと、墓地を見送った先に砂防ダムが現れます。 広めの道はここで終わっていますが、ダムの左肩を越えていく踏み跡を登っていきます。
土砂流出防備保安林
所在場所:豊岡市竹野町東大谷字才谷119ほか
この付近一帯の山林は、保安林に指定されています。 次の行為をしようとするときは、豊岡農林振興事務所へ相談して下さい。
1.立木竹の伐採及び損傷
2.下草、落葉、落枝の採取
3.樹根、土石の採掘、その他土地の形質の変更
山火事に注意しましょう。
平成20年度設置 兵庫県
杉の幼木が植えられた所を過ぎて、 シャガが咲き始めた狭い谷筋の植林地に続くへ入っていきます。 ほとんど水が流れていない沢沿いに出て、 谷のに続くかなり傾斜がある踏み跡を登っていきます。 傾斜が緩んでくると、谷筋が二股に分かれています。 砂防ダムから5分ほど登った所になります。 踏み跡は正面の谷を横切るようにして曲がって右側の谷へ続いています。 正面の谷には倒れたが見えていて歩けそうな様子でしたが、 右へ曲がっていく踏み跡を進んでいきます。
V字谷
に着くと、踏み跡はほとんど消えてしまいました。 V字谷の上の方が明るくなっていて、尾根に出られそうに思えるので、そこへ向かって谷を登っていきました。 時折踏み跡らしきものが現れますが、すぐに消えてしまいます。 それでも上に見えているへ向かって谷を真っ直ぐ登っていくだけなので、迷うことはありません。
鞍部
次第に尾根が近づいてくるのを感じながらを登っていくと、左右に通る尾根に着きました。 地形図によると、ここは青葉城山の北西250m辺りにある標高110mほどの浅い鞍部になるようです。 砂防ダムから14分ほどで登って来られました。 左側は軽い登り坂で、右側は緩やかな尾根が続いていました。 ひと息入れてから、右へ続く緩やかなを進んでいきました。
堀切
には明瞭な道はありませんが、この時には下草などは生えておらず藪漕ぎの必要もなく、 スギの葉が落ちて細い木も多少生えていますが、歩くのに支障はありませんでした。 雑木が混じる植林地の尾根を4分ほど進んでいくと、落差2mほどのがありました。 斜面をよじ登って段差の上に出て、緩やかな尾根を更に進んでいきます。 僅かなを過ぎていくと、尾根が削り取られた堀切のような所がありました。 谷筋から登り着いた鞍部から6分ほどの所になります。
曲輪跡
堀切に降りてみると、正面にはが聳えていて、とても登れそうにはありません。 どうしたものかと思案していると、尾根の左肩に僅かな踏み跡があったので、そこから登っていきました。 を横切るようにして登っていくと、平らで小広い尾根に出ました。 今でこそ樹木が少し生えていますが、往時には曲輪があった所のように思えました。
曲輪跡
正面の高みに続く緩やかな道を進んでいきます。 次第に広がってくる道を軽く登っていくと、先ほどよりも広い所に出ました。 ここも平らになっていて、素人目にも曲輪があった所のように思えます。 中ほどから右の高みへしっかりとしたが続いています。
青葉城山 (標高162m)
広い道を登っていくと、すぐに青葉城山の山頂に着きます。 谷筋から登り着いた鞍部から16分ほどで登って来られました。 三角点などは見かけませんでしたが、地形図に載っている162m峰になるようです。 山頂の中ほどには神社が建っています。 中を覗ってみると、が二つ並んでいました。 立て掛けられた木簡によると秋葉神社というようでした。 「秋葉大権現」のもありましたが、鳥居か神社に掲げられていたものでしょうか。 その昔には青葉城(轟城)があった所のようですが、平らになっている他に、遺構のようなものは見かけませんでした。
山頂の周囲には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、神社の後ろ側(南南西)の樹間から僅かに山並みが見えました。 神社の左の方(東)へ進んでいくと、樹木に邪魔されながらも山頂に電波塔が幾つか立つ山が見えましたが、 方角からするとでしょうか。 の脇から明瞭な道が降っていました。 先ほどの一段下の平らな所から登ってくる広い道の対面にも明瞭な道(*)がありましたが、 今回は山頂の左側から続く道を降ることにしました。
*後日に一段下の平らな所から続く道を降ってみました。 かなり傾斜のある道が植林地に曲がりながら続いていました。 竹林になってくるとが立っていましたが、扁額は掲げられていませんでした。 「寶暦八戊寅年三月吉日」などと刻まれていたので、江戸時代中期(1758)に建てられたようでした。 鳥居を過ぎてU字形に窪んだ道を降っていくと、 山頂から16分ほどでの敷地に降り立ちました。 敷地の入口から振り返ると、正面の山際に立つ2本の電柱の辺りになります。 今回の降りで歩いた道と同程度の道になっていました。 鳥居が立つこちらの道を「表参道」とすると、今回降った道は「裏参道」というところでしょうか。 (ルート図には緑色の線で示しています)
植林地の斜面にが続いています。 植林地から雑木林に変わり、かなり傾斜のある道を曲がりながら降っていきます。 の脇を過ぎていくと、緩やかな尾根になってきます。 椿が咲く広いを快適に降っていきます。 尾根の中ほどに大きな木が生える所までくると、先が歩き難そうな様子になります。 周囲を覗っていると、道は左へ鋭角に曲がって、尾根のに続いていました。 山頂から5分ほど降った所になります。
再び傾斜が増してきた斜面を降っていくと、植林地とを分ける尾根になってきます。 傾斜が緩んでが明瞭になってきた道を降っていきます。 坂を降り切って登りに転じる所から、右のへと鋭角に曲がっていきます。 山頂から9分ほど降った所になります。
竹林を曲がりながら降っていくと、次第にがはっきりしてきます。 枯れた竹などが散乱している所もありますが、そう歩き難くはありませんでした。 次第に下の方が明るくなってくる谷筋を降っていくと、小規模の墓地に出ました。 右には立派ながありますが、上にある墓地へ続いているようでした。 ここは正面の墓地の脇を降っていきます。
木橋
墓地を過ぎていくと、すぐにトタン屋根のがあります。 その裏手を左へ曲がりながら進んでいくと、僅かなに出ます。 その縁を道なりに右へ曲がっていくと、大谷橋に架かる木橋に出ました。 山頂から16分ほどで降りて来られました。 木橋を渡って振り返ってを確認してから、 車を止めておいたたけのこ村駐車場へ向かって、川沿いに続くを歩いて行きます。
東大谷中橋
建ち並ぶ民家を過ぎて、左から来る道路を併せていくと、 「たけのこ村 あと800m」のが立っています。 標識を過ぎていくと、大谷川が架かっています。 車でたけのこ村へ向かっていった時には橋を渡りましたが、今回はそのまま右岸を進んでいきました。 対岸にあるなどを眺めながら進んでいくと東大谷中橋が架かっています。 橋を渡って、左岸に続く道路を進んでいきます。
東大谷地区
集落を過ぎて道なりに右へ曲がっていくと、 「たけのこ村 あと400m」のが立っています。 青いトタン屋根のや「たけのこ村」の標識を過ぎていくと、 車を止めておいた駐車場があります。 木橋を渡って道路に出た所から16分ほどで到着しました。
家路に着く前に、たけのこ村を少し歩いてみました。 駐車場の脇にあるトイレには「東大谷野外活動施設ご案内」と題したがありますが、 今回登った青葉城山は載っていません。 「ふるさと創生植樹」として植えられたが綺麗な花を咲かせる道路を進んでいくと管理棟がありました。 研修室・コテージ・キャンプ用品などを借りられるようでした。 その手前にはがあって、大きな鯉が沢山泳いでいました。 対岸にはが並んでいました。
たけのこ村のいわれ
たけのこ村一帯は、大谷谷と言われ、大谷川沿いの三集落(金原・東大谷・下塚)からなり立っています。 その昔、金原鉱山や虫谷鉱山などがあり、「金の谷」とも呼ばれていました。 この金の谷で竹の子のようにすくすくと育ってくれることを願って「たけのこ村」と名付けられました。