伊賀谷
概 要 伊賀谷は豊岡市にある集落で、かつては平家一門の隠れ里だったとされる所です。 今回は伊賀谷地区の集落を抜けて、その奥にある258.6m峰(点名:上山)に登ります。 山頂の周囲一帯は密生した竹林になっていますが、傍の尾根からは山並みを見渡せる眺めが広がります。 山頂からは南側の開墾地へ降りていくルートを歩きます。
起 点 豊岡市 江野地区
終 点 豊岡市 江野地区
江野地区…小江神社…徳養寺…伊賀谷入口…石祠…伊賀谷地区…三柱神社…林道分岐…広場…258.6m峰…萱場…林道分岐…伊賀谷地区…伊賀谷入口…江野地区
所要時間 3時間10分
歩いて... 山頂を取り巻く竹林の前後にはススキや笹などが茂っていて、道が分かり難くなっていました。 ススキなどが枯れ切ってしまう春には、もう少し分かり易くなるのではないかと思われます。 近くには伊賀谷城跡や伊賀谷ランドなどもあるようですが、今回は訪ねるのを省略しました。

2022年9月30日に、伊賀谷地区から上山地区へ続く道を歩きました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
江野地区
豊岡の市街地から国道178号を西北西へ進んでいきます。 伊賀谷橋を過ぎて江野地区へ入っていくと、 山照橋を過ぎた所に「」の看板が出る店があります。 その隣が駐車場になっているので、ここに車を止めさせてもらいました。 伊賀谷へは手前にあった伊賀谷橋まで引き返すのですが、 この近くに江野岩清水などがあるようなので、立ち寄っていくことにしました。
(写真の右側が霞んでいるのは朝霧によるものです)
国道を進んでいくと、すぐの所から北へ分かれていく道があります。 角にはがあります。 バス停の壁には「徳養寺」の標識が取り付けられていて、右側の道を指しています。 中を覗いてみると、千羽鶴がお供えされたが祀られていました。 右側の道の入口の生け垣には「徳養寺」「小江神社の大ケヤキ」「江野岩清水」のが立っていて、右側の道を指しています。
標識に従って右の道へ入っていくと、「式内社」の石碑の先にが立っています。 その左側に、柱に支えられた大ケヤキがありました。 その袂にはがあり、傍には「名水 江野岩清水」の看板が立っていて、 小さなもありました。 飲料水水質検査成績書も貼り出されていて、「成績記載の水質項目については水質基準に適合する」となっていますが、 「ただし、消毒はしていません」とマジックで書きこまれていました。
兵庫県指定 小江神社の大ケヤキ
天然記念物管理者 江野地区
 (昭和43年3月29日指定 豊岡市教育委員会)
ふるさとの巨樹保存事業
この巨樹の治療は、緑の募金を活用して実施したものです。
 (平成18年11月吉日 (社)兵庫県緑化推進協会)
江野岩清水は矢次山(568m)中腹の岩場(舟ヶ谷)から湧き出しています。 遠い昔から村人は「おいしい水」として誇りにしてきました。 岩場から小江神社池までの約2kmを江野区民んで引き入れましたので、どうぞご利用下さい。 尚、この岩清水は消毒していません。
 (豊岡市江野区、舟ヶ谷の水と小江神社の大keyakiを守り育てる会)
小江神社
鳥居の先の石段を登っていくとに出ます。 左側にある一段高い所に「式内 小江神社」の扁額が掲げられた社殿がありました。 妻入形式の社殿の屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 この時には周囲を半透明の波板で囲まれていましたが、雪囲いでしょうか。 由緒などを記したものは見かけませんでした。
江野地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で土地の形状変更をする場合は知事の許可が必要ですから豊岡土木事務所管理課にご相談下さい。
徳養寺
小江神社のすぐ隣に徳養寺があります。 手前のを登ってをくぐると、本堂や庫裡などがありました。
山名 邀福山(福を迎える)
寺名 徳養寺(徳を養う)
宗名 曹洞宗(禅宗)
大本山 永平寺 福井県(開山 高祖道元禅師)
総持寺 横浜市(開山 太祖瑩山禅師)
ご本尊 胎内仏 聖観世音菩薩 胎内は「釈迦如来」
本尊唱名 南無釈迦牟尼仏
【奉安の古仏】
○胎内仏聖観世音菩薩
京都の大仏師職、法橋左京作の胎内仏。 約六百年(室町時代)以前の作といわれ貴重な文化財でもあります。 円満なご面相と蓮華台座の精巧さ、更に胎内仏釈迦座像の尊厳さは県下でも珍しく、荘厳でとても美しい仏さまです。 古来より、子授かり観音、安産観音、厄除け開運、福慧増長など三十三化して衆生を救済する観音様として大切に守護されています。 ☆御開帳大祭は三十三年毎。
○宝篋印塔、五輪塔 鎌倉時代
○唐戸の祠、「妙見菩薩」 鎌倉時代
○山寺地蔵石仏 鎌倉時代
○伝教大師像「杣作、比叡山中堂建立ノ時」の銘
【略沿革】
徳養寺の前身は、この谷の奥、平氏落人集落跡と言われる通称「山寺」の地に在り、 平安時代創建の天台宗「寶光寺」と言いました。 文禄年間に至って寶光寺は、見る影もなく荒れ果て、 その時の住職覚道老は、養源寺南洲存浦大和、および実堂白英和尚に帰依し、 慶長二年(1597)、現在地に移築して草庵を結び、「徳養寺」と寺名を改め、曹洞宗となりました。 慶長十一年南洲存浦大和を拝請して開山とし、慶長十七年より元和元年(1615)に本堂、庫裡が建立されました。 以来、今日に至るまで、正伝の仏法への信仰と先祖報恩、家道興隆、地域社会の発展を願い、 寺檀一致協力して、護持に努めています。
国道まで引き返して「江野そば」を過ぎていくと、 逆方向のの先で道が二手に分かれています。 国道から分かれて、左側の道に架かるを渡っていきます。 今の国道が出来る前の旧道のようで、往時を思わせる雰囲気がありました。 山際には墓地があり、その手前にはが並び、 隣には祠に納められたもありました。
伊賀谷入口
旧道は程なくして終わって、国道に出て道なりに進んでいくと、 伊賀谷川に架かるを渡った先にがあります。 その脇から分かれていく道が伊賀谷地区への入口になります。
山際に続く緩やかな登り坂になったを進んでいきます。 田んぼが終わって、狭い谷筋に続く道を進んでいくと、山際に設けられた管から流れ出るがありました。 伊賀谷入口から5分ほどの所になります。 暑い夏場には重宝しそうに思えましたが、飲んでみるのは止めておきました。 すぐ左側を流れるに沿って進んでいくと、次第に人の気配がなくなってきます。 今でこそ舗装路が出来て電柱も続いているので、この先に集落があることが分かりますが、 「隠れ里」だった往時はどのような様子だったのでしょうか。 岩壁の傍を過ぎた先で小橋を渡り、右側を流れるようになった川沿いに奥へと進んでいきます。
幅員が狭いため、2t車以上の通行はご遠慮下さい。
 (伊賀谷区長)
お願い
このあたりの山中には多数の猟罠を設置してあります。 猟犬の飼主の方は特に注意して下さい。 一切の責任は負いません。
石祠
山際に佇むを過ぎていくと、 先の尖ったが目立つようになってきます。 曲がり角まで来ると、道端にが並んでいました。 伊賀谷入口から12分ほどの所になります。 に刻まれた文字によると供養塔のようです。 には、頭のとれた石仏が何体も安置されていました。 ここが往時の里の境界だったのでしょうか。
奉 四國西國 神社佛閣須禮供養塔
明治八年十亥月吉日
信者 當村 谷田滝三郎
(供養塔の「養」の字は、「羊」偏に「良」と書きます)
伊賀谷地区
石祠を過ぎていくと数軒のが見えてきました。 この辺りから伊賀谷地区の集落になるようです。 その民家へ登っていく道を分けて、正面の緩やかな道を進んでいくとがあります。 そこを過ぎてトタン張りの小屋を過ぎていくと、谷筋が広がってきます。 を見送っていくと分岐があります。 右へ道が分かれていく道の先には大きなが見えていました。 右の道を見送って、再び現れた沿いに進んでいくと、民家が点在するようになります。
山際にある小規模なを過ぎていきます。 道の両側にが広がる道を進んで白い車庫が建つ所まで来ると、道は左へ曲がっていきます。 伊賀谷入口から20分ほどの所になります。 車庫の壁には郵便ポストが取り付けられていました。 「〒668-0001」となっていて、「豊岡市伊賀谷」のポストになります。 側面を確認してみると、取集は1日に1回のようでした。 道の右側が少し広がっていました。 車2・3台分の駐車スペースのようになっていましたが、郵便車が折り返すのに使うのでしょうか。
道なりに左へ曲がって、小さなせせらぎ沿いに進んでいきます。 民家が多く建つ辺りまで来ると、山際に屋根付きのがありました。 その隣にはがありました。 その先で、道は大きく右へ曲がっていきます。 から左へ分かれていく道を見送って右へ曲がっていくと、ロケットが2本立つ庭がありました。 手前の白いロケットには「JAXA IHI EPSILON」と書かれていました。 奥の橙色のロケットには「JAXA H-UB NIPPON SRB-A IHI エアロスペース」と書かれていて、 「H-Uロケット こうのとり HTV搭載 国際宇宙ステーション補給機」の札も添えられていました。 「こうのとり」はこの豊岡市が野生復帰を進めている鳥ですが、 JAXAに関連のある方の庭なのか、ロケット好きの方の庭なのかは分かりませんでした。
三柱神社
庭を過ぎて石垣沿いに進んでいくと、すぐの所から左へ登っていくがあります。 石祠から12分ほどの所になります。 入口には瓦屋根の祠に納められたが並んでいました。 鳥居も見えていて上に神社がありそうだったので、ちょいと立ち寄っていきました。 六地蔵の左側に続く石段を登り始めると、背の低いがありました。 普通のはもう少し背が高いように思いますが、ここの鳥居は横に渡された柱に容易に手が届きました。 鳥居を過ぎて石段を更に登っていくと、小広くなった境内に社殿がありました。 名前や由緒などを記したものは見かけませんでしたが三柱神社というようです。 神様が三柱祀られているということでしょうか。 右側には小祠があり、左側には小屋がありました。 社殿の左右から裏山へ続く踏み跡があるようでした。 この上の尾根にはかつて伊賀谷城があったようですが、探ってみるのは止めておきました。
神社から引き返してその先へ進んでいくと、右へ曲がり始める手前にがあります。 地形図によると、左へ分かれていく道(*)はこの先に続く谷筋を詰めていく道のようです。 城崎町上山地区へ続いているのか興味のあるところですが、道なりに右へ曲がっていきます。 道は大きく曲がって谷筋を横切り、戻るようにして山際を登っていきます。 脇にあるを過ぎて登っていくと、 竹林が現れて左へ曲がっていく角に大きながありました。 伊賀谷地区へ入った辺りから川向こうに見えていたダムになるようです。 手前に立つ「砂防指定地」の看板によると上野川緊急砂防堰というようです。
*後日に左の道を歩きました。(地形図に緑色で表示)
砂防指定地
上野川緊急砂防堰
砂防ダムに立入ったり、貯水池で遊んではいけません。
危 あぶない 険
 (兵庫県)
砂防ダムを過ぎて1分半ほど進んでいくと、谷筋を横切っていく所にがあります。 山側にはを裂くようにして水が勢いよく流れ、 道の下に設置されたコンクリート製のを通って、谷側へ流れ落ちていました。
小橋を過ぎてその先へ進んでいくと、左へ曲がっていくがあります。 道なりに左へ曲がって杉林を抜けていくと、右上にはがありました。 の傍を進んでいくと、電線が左側からやってきます。 壁を過ぎて右へ曲がっていくと、小さな沢を渡っていきます。 右側の大木の袂には、勢いよく水が流れるが見えました。
路面がを緩やかに登っていくと、電線が二方向に分かれていました。 その分岐点に立つ電柱には「クマシロ10」「伊賀谷33R16」の標識が取り付けられていました。
林道分岐
を施された斜面を右に眺めながら進んでいくと、道は大きく右へ曲がっていきます。 曲がり始める角まで来るとがあります。 三柱神社から20分ほど、伊賀谷入口から49分ほどの所になります。 手前に立つ電柱には「クマシロ10N4」の標識が取り付けられていました。 地形図には、右へ曲がっていく舗装道は広めの二重線で、左へ分かれていく未舗装路は狭めの二重線で載っています。 左の道が258.6m峰へ続いているように思えたので、 今回は左へ分かれていくを進んでいきました。
まだ夏草が枯れ切っていなくて煩わしい道を北へ進んでいきます。 ほぼ真っ直ぐに3分ほど進んでいくと、ヘアピン状のがあります。 少し広くなった曲がり角の端には、が円状に並べて置かれていましたが、 何なのかは分かりませんでした。 道なりに右へ曲がって南へ2分ほど進んで明るくなってくると、ヘアピン状のを曲がっていきます。 左へ曲がりながら、の傍を過ぎていきます。 削られてのようになった尾根に沿って進んでいきます。
広場
程なくして正面にが見えてくると、広くなった谷筋の奥地に着きました。 林道分岐から9分ほどの所になります。 少し笹や草などが茂っていますが、それらを刈り払うとかなり広い場所になるようです。 左の山際には小屋や建設機械がありました。 夏草が残っていたものの明瞭になっていた林道はここで終わって、この先は不明瞭になります。 どうしたものかと辺りを覗っていると、何とか道らしい所にが取り付けられていました。 結果的にこの赤テープは258.6m峰まで続いていましたが、ハイキング会でもあったのでしょうか。
背の高い細い木や草などを掻き分けながら、少し左へ曲がるように進んでいきます。 山際まで来て右へ曲がり、赤テープを探しながら背丈が少し低くなったを掻き分けながら進んでいくと、 左右に続く尾根に突き当たりました。 尾根は太い竹が林立する竹林になっていました。 ここで地形図に載っている二重線の道と思われるが現れ、尾根に沿って右へ続いていました。 地形図では二重線の道は南西に進んだ所から折り返して尾根を登ってくるように描かれています。 以前にはよく使用されていた林道でしょうが、手前の広場の先は使われることがなくなったのでしょうか。 正面の竹林の斜面には赤テープが点々と取り付けられていて、すぐ上にはが見えていました。 ショートカットになっているのだろうと判断し、今回はかなり傾斜がある正面の斜面を登っていくことにしました。
明瞭な道は付いていないものの、下草などは生えていないので歩くのに難はありませんでしたが、 かなり傾斜があるので、竹に掴りながら、滑り落ちないようにして登っていきました。 そんな斜面も1分ほどで登り切ると、左右に通るに出ました。 右側を迂回してきた道のようでしたが、この辺りで明瞭な道は途切れているようでした。 しかし、かなり密生している竹林には点々と赤テープが巻かれていて、ルートを示していました。 赤テープを辿りながら竹林が続く尾根を緩やかに登っていくと、程なくして正面が明るくなってきました。
次第に切り倒された竹が置かれていて歩き難くなってきました。 何処を歩こうかと考えながら越えていくと開けた所に出ました。 急斜面を登って竹林の尾根の広めの道に出た所から7分ほどの所になります。 正面には雑木林が広がり、その境界を示すかのように、左右に続くネットが設置されていました。 樹木に邪魔されながらも、正面には山並みが広がっていました。 手前の稜線の奥に聳えているのは来日岳でしょうか。 ここが山頂なのかと思って、三角点はないかと辺りを少し探ってみましたがありませんでした。 地形図と睨めっこしていると、三角点はもっと右側の方にあるようなので、 竹林の縁に沿って右へ続くの傍を進んでいきました。
258.6m峰
ネット沿いに3分ほど進んでいくと、ネットは左へ曲がっていきます。 の辺りは竹が少なくなっていたので山頂かと思いましたが、そこにも三角点はありませんでした。 ネット越しに見えるを確認してから、再び右に広がるへ入っていきました。 赤テープを見つけてホッとしながら進んでいくと、1分ほど入った所に開けた所があって、 「上山」があるので、 ここが地形図に載っている258.6m峰になるようです。 小屋のあった広場から22分ほどで登って来られました。 周囲は竹林になっていて展望は得られません。
三角点
基本測量
三角点を確認したら下山していきます。 来た道を引き返すのは面白くないので、この先に続く竹林の尾根を進んでいくことにしました。 これまで続いていた赤テープはこの先では見かけなくなりました。 地形図と磁石で方角を確認しながら、尾根の背を外れないように降っていきました。 少し右へ曲がりながら降っていくと、馬の背状になったを過ぎていきます。 その先へ軽く登り返していくと、緩やかな高みに着きました。 258.6m峰の南300m辺りにある標高250mほどの高みになるようです。 何か目印になるものはないかと探っていると、降り始めた所にがありました。 258.6m峰から7分ほどの所になります。
萱場
磁石で方角を確認しながら、少し右へ曲がりながら続くの尾根を降っていきます。 傾斜が緩やかになって雑木が混じるようになると、左下の方が明るくなってきました。 程なくしてが明るくなってきて、もうすぐ竹林から出られそうに思えてきました。 竹林を抜けると、背丈を越える高さのススキなどが茂る広いに出ました。 それらを掻き分けながら進んでいくと、中ほどにある樹木が生える開けた所に出ました。 手前の樹木には赤テープが巻かれていました。 258.6m峰から15分ほどで降りて来られました。
左の方には、ススキや笹越しに山並みが広がっていました。 ここに来て、何処が道なのか分からなくなりました。 四方のススキの中に踏み跡のようなものがありますが、どれもすぐ先で不明瞭になります。 途方にくれながらも、しばらく試行錯誤していました。
意を決して左の方へ分け入っていくと、左右に通るに出ました。 も明瞭でしたが、 の先に自動車が見えたので左へ進んでいきました。 右へ曲がりながら降っていくと自動車が2台ある小広くなった所に出ました。 ここを右へ曲がって、明瞭で歩き易いを降っていきます。
道なりに左へ曲がって緩やかに降っていくと、や車がありました。 その脇を通りなどを過ぎていくと民家が建っていました。 これまで一抹の不安を抱きながら歩いてきましたが、これでやっと安心できました。
民家の横を過ぎて、を快適に降っていきます。 円筒形の大きながある民家の前を過ぎていきます。 この高台にはが続いています。 開墾された時代にはよく耕作されていたのでしょうが、今ではあまり必要がなくなったのか、 少し荒れ気味な様子に思えました。 最初の民家を過ぎて3分ほど進んでいくと、左側に小さながありました。 そこを過ぎていくと、道は曲がっていきます。 その曲がり角に大きな溜め池がありました。 最初の民家から5分ほどの所になります。 この高台の開墾地の水を賄っている池でしょうか。
僅かに登り坂になってきた道を進んでいくとが見えてきます。 傍までくると道が右へ分かれていて、戻るようにしてへと続いていました。 その道を見送って降り坂が始まる所から舗装路に変わります。 更に快適になった道を降っていくと、左へ登っていくが分かれていきます。 モトクロスコースの「伊賀谷ランド」へ続く道とのことで、 先の方には建物も見えていましたが、訪ねるのは省略しました。
林道分岐
伊賀谷ランドへの道を見送って舗装路を降っていくと、谷筋に続くが見えてきます。 道なりに右から左へ曲がりながら降っていくと、258.6m峰へ向かっていった未舗装路が分かれる林道分岐に着きました。 萱場から17分ほどで降りて来られました。 ここからは元来た道を降っていきます。
伊賀谷地区
を過ぎ、岩壁を裂くように流れる沢に架かるを渡っていきます。 の横を過ぎ、墓地を過ぎて降っていくと、伊賀谷地区の集落が見えてきます。
三柱神社へのを過ぎて、道なりに左へ曲がっていきます。 伊賀谷川に突き当たって右へ曲がって、郵便ポストが設置されたの前を過ぎていきます。 を過ぎて更に降っていくと、正面が開けて山並みや田んぼが広がってきます。
伊賀谷入口
景色を眺めながら降っていくと国道178号に出ます。 林道分岐から36分ほどで着きました。 角にある伊賀谷バス停の所を右折して国道を進んでいきます。
江野地区
伊賀谷川に架かる伊賀谷橋を渡っていきます。 「豊岡市江野」のを過ぎていきます。 を右に分け、下坂川に架かるを渡っていくと、 車を止めておいた「江野そば」の隣にある駐車場に戻ってきました。
丁度昼時になったのですが、この時には江野そばは定休日で閉まっていました。
再訪(上山地区へ続く道) (2022年09月30日)
三柱神社から道路に戻って奥へ進み始めると、すぐの所にがあります。 ここから左前方へ続く地道を歩いていきます。 緩やかになった道を進んで谷筋を回り込む所まで来ると、小橋を渡った所にがあります。 角には石仏が納められたがあります。 「左… 右…」と刻まれた石標もありますが、文字は判読出来ませんでした。 左の道は見送って、曲がっていく道を進んでいきます。 程なくして、電柱と電線が並行するようになります。
右の谷筋にはが続きます。 道の両側にはが茂っていますが、刈り入れが行われているのか、歩く部分には生えていません。 左側にが現れると、コンクリートで囲まれた所があります。 その奥には別荘のような建物があります。 地道の入口から13分ほどの所になります。
休耕田が続く谷筋の左側に続く地道には、次第にが茂るようになります。 僅かなを跨いでいきます。 軽いになる道を進んでいきます。 植林地の脇を進むようになると軽トラックが置いてあります。 地道の入口から20分ほどの所になります。 ナンバープレートは外されているので、廃車のようです。
廃車を過ぎていくと、休耕田に水が溜まったのかも知れませんが、広いのようなものがあります。 次第にが目立つようになります。 程なくしてになってきます。 右側にはまだが続いています。 倒竹が道を塞いでいる所もありますが、くぐったり跨いだりしながら進んでいきます。
竹林を過ぎていくと、休耕田が続いた谷筋が終ってになります。 少し左へ曲がって、が茂る所を過ぎていきます。 登り傾斜が少し増してくると、太い竹が見られる狭いのようになります。 倒木や倒竹が見られる道を進んでいくと、鞍部になったに着きます。 地道の入口から31分ほどの所になります。 左側にはが佇んでいます。
を過ぎて降り始めると、が道を塞いでいます。 道は確認出来るので、以前には歩けたのでしょうが、倒竹の密度が高くて通行困難な状況です。 それでもくぐったり跨いだり迂回したりしながら何とか通過していきます。 倒竹と悪戦苦闘しながら通過していくと、やっとになります。 距離にして200mほどですが、倒竹を抜けるのに33分ほども要しました。 程なくして、折れ曲がっていきます。 少し降っていくと、小径が通る谷筋に出ます。 から36分ほどの所になります。 は何処まで続いているのか気になりますが、見送っていきます。 これまでよりも狭くなったを進んでいきます。
植林地のを降っていきます。 程なくして小径が消滅するので、右を流れるを跨いでいきます。 右へ曲がって降り坂になると、U字工の水路の向こう側にが見えてきます。 水路を跨いで斜面を登っていくと、左右に通る林道に出ます。 から44分ほどの所になります。
舗装されたを降っていきます。 程なくしてを過ぎていきます。 次第にが広がってきます。 サイロを過ぎていくとに出ます。 右の道を進んでいくと、左右に通る車道に出ます。 林道に出た所から13分ほどの所になります。