三開山
概 要 三開山は豊岡市の市街地の近くにある標高200mほどの低山です。 かつては三開山城があった山頂からは豊岡の街並みや山並みなどを一望できる眺めが広がります。 「みひらきの森」として整備され、どんぐりの小径・石仏の小径・古墳の小径・わんぱくの小径の4つの散策路が設定されています。 今回はこれらの4ルートを順に巡っていきます。
起 点 豊岡市駄坂 駄坂バス停
終 点 豊岡市三宅 神美小学校バス停
駄坂バス停…観音堂…古社…三開山…瑞宝寺跡…古墳…古社…全勝寺…瑞峰寺…千畳敷…瑞宝寺跡…展望地…27番鉄塔…神美小学校バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... この時は天候に恵まれて、三開山の山頂からは山並みなどを見渡せる素晴らしい眺めが広がっていました。 観音堂から古社へ向かう道や、大篠岡地区への分岐から全勝寺へ向かう道など、少し分かり難くなっている部分もありましたが、 要所には道標が設置されていて、総じて明瞭で歩き易い道が続いていました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
駄坂バス停
駄坂バス停から南南東の方向へ2分ほど進んでいくと、カーブミラーの立つがあります。 角には「みひらきの森」のが立っていて、 左へ分かれていく道は「三開山登山口入り口」となっています。 道標に従って、左側の民家の間に続くへ入っていきます。
観音堂
少し登り坂になってくるとコンクリート製の崖が現れます。 崖と民家の間の道を奥へ進んで谷筋になるとがあります。 その手前には荒神社頭王明神早尾明神の小社が安置された祠があり、 山際にはお地蔵さんが安置された祠もありました。 観音堂のすぐ先に「」が設置されています。 三開山の山頂までには4ルートがあるようです、 ここはドングリの小径(駄坂ルート)の駄坂入口で、山頂までは約700m・30分とのことです。 この付近を拡大した「」も載っていました。
観音堂の手前に「」の看板があって、 この付近の地図が載っていました。 赤く塗られている所がコンクリート製の崖になります。 中ほのど上部にある白抜きの縦の長四角の印が看板で、その上の囲われた所が観音堂になります。
駄坂地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で、土地の形状変更をする場合は、知事の許可が必要ですから、 豊岡土木事務所管理課にご相談下さい。
みひらきの森案内図
ドングリの小径 (駄坂ルート) 山頂まで約700m、徒歩30分
石仏の小径 (全勝寺ルート) 山頂まで約1,000m、徒歩40分
古墳の小径 (瑞峰寺ルート) 山頂まで約1,200m、徒歩50分
わんぱくの小径 (神美ルート) 山頂まで約1,000m、徒歩40分
■「新ひょうごの森づくり」に基づく里山林再生事業
みひらきの森では地域の皆様のご協力のもと、森林整備や案内板・解説板などの設置を行いました。 環境学習や歴史学習・健康づくりなど、皆様のスタイルに合わせて利用してください。
散策のときの注意
◎山火事防止のため、たき火はやめましょう。
◎たばこの吸いがらやゴミの投げ捨てはやめましょう。
◎樹木や草花は大切にしましょう。
 (平成17年3月 兵庫県、豊岡市、兵庫みどり公社)
古社
案内板の左側へ進んでいき、山際から右へ続く横木の階段を登り始めるとがあります。 上下のレバーを回して扉を開けて、谷筋に続くに沿って奥へ進んでいきます。 程なくして竹林が終わると植林地になります。 Z字形に左へ折れ曲がって左側の斜面を登っていきます。 谷筋とのがなくなってくると、正面から右にかけて稜線が見えてきます。 落ち葉などが積もって次第に不明瞭になってくる小径を辿りながら、谷筋の左側を登っていきました。 右に見えてくる社へ向かって曲がっていくと古社の裏側に出ました。 案内板から9分ほど、駄坂バス停から16分ほどで着きました。 屋根は瓦葺きのようですが、杉の葉などが積もっていて檜皮葺きのようになっていました。 かなり荒れた様子で、今では使われていないようでした。 中を覗ってみても何も安置されていないようでした。 社殿の右や裏側には小祠もありましたが、いずれも名前は分かりませんでした。
古社へ向かって右へ曲がり始めると、谷筋の中ほどから登ってくる小径があるようでした。 山頂で見かけた案内板に載っている破線の枝道でしょうか。 実線の道を辿ったつもりでしたが、落ち葉が積もっていて踏み跡は不明瞭だし、正規の道から少し外れたのかも知れません。
古社の前に続く道を登って尾根に出ると「みひらきの森」のが立っていて、 左の道は「三開山山頂へ」、今来た道は「駄坂集落へ」となっています。 右にも踏み跡が続いているようでしたが、道標に従って、左に続くを登っていきます。
植林地になった尾根の背を登っていきます。 程なくして途切れながら続く横木の階段が現れますが、段差はそれほど高くはないので歩き難くはありません。 少し窪んだ所に続くようになったには落ち葉が沢山積もっていましたが、道を見失うことはありませんでした。 次第に尾根の左側へ曲がっていく道を登っていくと、傾斜が緩やかになった所に分岐があります。 古社から7分ほどの所になります。 角には「みひらきの森」のが立っていて、右の道は「三開山山頂へ」、 正面の道は「瑞峰寺・全勝寺へ 散策コース」、今来た道は「駄坂集落へ」となっています。 正面の道は瑞峰寺へ降っていく古墳の小径になりますが、 ここは三開山を目指して右の道を登っていきます。
横木の階段を登って小さな切通しを過ぎると、小広くなった緩やかな尾根に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、10番の曲輪があった所でしょうか。 周囲には採番された大小のが点在していました。 左側に佇む三十八番のの後ろに続く幅の広い横木の階段を登っていきます。
横木の階段をひと登りすると、再び小広くなった緩やかな尾根に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、9番の曲輪があった所でしょうか。 ここにもが幾つかありました。 奥にある石仏の脇から続くを登っていきます。
右へ曲がりながら階段を登っていくと、程なくして小広くなった緩やかな尾根に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、8番の曲輪があった所でしょうか。 ここにもが幾つかありました。 奥の石仏を過ぎた所に「焼米にまつわる話」と題した解説板がありました。 その前を過ぎて、尾根の左側に続くを進んでいきます。
焼米にまつわる話
三開山城は、織田信長の家臣羽柴(豊臣)秀吉の但馬征伐の際に兵糧攻めにあいました。 三開山城の兵士たちは、水不足をさとられないように、馬の背中に米をかけて洗うふりをしたり、 石垣から米を流して水に見せかけていました。 しかし、このような仕業が老女の密告によってばれてしまったため、 秀吉軍に強襲されて攻め落とされたと伝えられています。 城の攻防戦では火が放たれて、それらの米が炭化した「焼米」となり、 今でも時々掘り出されると言われています。
斜面を横切るようにして続く道を緩やかに登っていきます。 の脇を過ぎて常緑樹の間を抜けていくと、小広くなった所に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、5番の曲輪があった所でしょうか。 正面は行き止まりのようなので、右側に佇む石仏の脇から続くを登っていきます。
曲がりながら続く横木の階段を登っていくと、小広くなった所に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、4番の曲輪があった所でしょうか。 正面へ少し登っていくと、にある緩やかな所に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、主郭を取り巻くような形になった3番の曲輪があった所でしょうか。
三開山 (標高201.5m)
高みの右側に続く横木の階段を登っていくと、かつて三開山城があったという三開山の山頂に着きました。 道標のあった分岐から8分ほど、駄坂入口から27分ほどで登って来られました。 のあるには「史跡 三開山城址」と題した解説板があり、 も載っていました。 石仏なども沢山並んでいました。
豊岡市指定文化財 史跡 三開山城址
指定面積 約151,145平方メートル
管理者 木内区、香住区、大篠岡区ほか
平成12年8月29日指定 豊岡市教育委員会
豊岡市指定文化財 史跡 三開山城址
(城史)
三開山城の築城は定かではないが、康永3年(1344)1月、丹波守護となった山名時氏は、 前の丹波守護代荻野朝忠を追って但馬に入り、三開山城を攻略したあと、この城に拠り、自ら但馬守護を称したという。 伊達朝綱軍忠状によると、延文3年(1358)11月には 朝綱らが山麓に展開した篠岡(大篠岡)合戦により山名時氏軍は敗退したと伝えられ、 中腹には「千畳敷」等に見られる石垣や18本の堅掘など戦国末期における城の遺構が残る。
(縄張)
山頂部には打鍵系に530uの曲輪があり、その4m下を半円状に北側に第2の曲輪があって、その広さ250u。 西側尾根には梯郭式に4つの曲輪、南側にもいくつかの曲輪が残る。 東側尾根には大・小2つの堀切がみられる。 北側に60m下った台地には千畳敷と呼ばれる屋敷跡があって、一部に野づら積みの布石垣がみられるほか、 少なくとも5つの曲輪があって、その面積およそ3,500uに及ぶ。
 (平成12年8月 豊岡市教育委員会)
山頂からは豊岡の街並みや山並みなどを一望できる眺めが広がっていました。 北へ流れる円山川の先にはが聳え、 西側には雪が残るから妙見山にかけての山並みや 方面の山並みなどが続いていました。 「」と題した案内板があって、 ここから見える眺めや散策路が図示されていました。 「」と題した解説板もありましたが、上半分がなくなっていました。 周囲の樹木には可愛らしいが幾つか掛けられていました。 テーブル・ベンチも設置されているので、眺めを楽しみながらひと休みしていきました。
みひらきの森の大パノラマ
ドングリの小径・駄坂ルート (約700m:下り25分)
石仏の小径・全勝寺ルート (約1,000m:下り35分)
古墳の小径・瑞峰寺ルート (約1,200m:下り40分)
わんぱくの小径・神美ルート (約1,000m:下り35分)
三開山城略史
豊岡盆地を一望に見わたす三開山城は往昔より戦畧要衝の地であり、 又周辺の山中到る所に大小の古墳が点在し、 この地方が古代から開けていた土地であることがうかがえる。 建武四年(1337)、但馬の南朝勢は、援けを新田義貞に乞うて、子義宗をこの城に迎え北朝勢に挑戦するが、 足利尊氏に攻められて落城する。 康永三年(1344)二月、足利方の山名時氏は、再び南朝方の拠点となったこの城を降し、 ここを居城として但馬守護と自称した。 後、南朝方に組した山名時氏は、延元三年(1358)四月、今川頼貞の武将養父郡小佐郷の伊達朝綱に攻められ、 時に洪水を利して舟戦さをくりひろげるなど、篠岡の田圃で半年間の激戦に及んだが、時氏軍は同年十一月に敗退した。 しかし、山名氏は、その後但馬国内で勢力を伸ばし、時義のとき但馬守護となる。 下って天正八年(1580)、羽柴秀吉の但馬平定にも攻められて落城したと伝える。 三開山城は、東西に走る稜線を主軸に構築された梯郭式の山城で、 中腹部には瑞宝寺屋敷、千畳敷屋敷、武家屋敷と言われる地も残って、中世の山城遺構を今に伝えている。
但馬なる 富士とやいはん 三開の かすみ棚びく 篠岡の里 (沢庵禅師の歌)
三開山からの眺めを楽しんだら、東側へ続くわんぱくの小径を進んでいきます。 幅の広い横木の階段を降っていくと、鳥居の立つ緩やかな所に出ました。 山頂で見かけた往時の地図によると、2番の曲輪があった所でしょうか。 鳥居の先には石灯籠や石仏もありました。 振り返ると、のこんもりとした山頂が丸く見えていました。 石灯籠の袂には「」と題した小さな解説板が落ちていました。 上部をめくると答えが出てくる仕組みになっていました。 この先の神美小学校入口にかけて、同様の解説板が幾つか設置されていましたが、 壊れているのもあって、本来の場所から少し離れていたり、裏返しになっているものもありました。 見落としたのもあろうかと思いますが、この先にかけて見かけたものを載せておきます。
これ何の木?
(ヒント)
1 明治初年に東京染井村で売り出された桜です。
2 今や桜の代表的な種になっています。
3 エドヒガンとオオシマザクラの交雑種です。
これ何の木?
(ヒント)
1 山地に生える落葉高木で若い枝葉は有毛です。
2 樹皮のタテジマ模様が特徴です。
3 アカシデに対し、シロシデの名前があります。
これ何の木?
(ヒント)
1 伐採跡に生える落葉高木です。
2 鋭いトゲが幹や枝にあります。
3 名は黒い実をカラスが食べることから。
これ何の木?
(ヒント)
1 クスノキ科の常緑高木で海岸近くに生えます。
2 葉は光沢があって、赤見の新芽が目立ちます。
3 材質が劣るのでイヌグスの別名があります。
これ何の木?
(ヒント)
1 山地に生えるモクレン科の落葉高木です。
2 この木の特徴は葉と花が大きいことです。
3 葉に包んだ植物を頬ばったことからの名です。
これ何の木?
(ヒント)
1 海岸近くの山野に生える常緑の小高木です。
2 早春に赤い花を開き、果実から油を採ります。
3 昔光沢のある葉はツヤバキといわれました。
これ何の木?
(ヒント)
1 山野に多くみられるマツ科の常緑高木です。
2 葉がやわらかいので女松とも呼ばれます。
3 幹の色が赤っぽいのでこの名がつきました。
これ何の木?
(ヒント)
1 ブナ科の落葉高木で昔から食用としています。
2 材は腐りにくく線路の枕木に利用されました。
3 果実は鋭いイガに包まれています。
これ何の木?
(ヒント)
1 山地に多いカエデ科の落葉小高木です。
2 葉はカエデらしくなく幹は緑色をしています。
3 幹の肌がウリに似ているのでこう呼ばれます。
これ何の木?
(ヒント)
1 暖地に生えるモチノキ科の常緑小高木です。
2 6月頃白い小花をつけ秋果実を赤熟します。
3 別名フクラシバ、ソヨギなどと呼ばれます。
これ何の木?
(ヒント)
1 本州の西半部に多いブナ科の落葉高木です。
2 厚いコルク質の樹皮で、クヌギに似ています。
3 戦前は樹皮からコルク栓を作りました。
緩やかな尾根の先へ進んでいくと、急な横木の階段を降るようになります。 曲がりながら降っていくと堀切がありました。 山頂で見かけた往時の地図によると、堀切Bがあった所のようです。 堀切を渡った所に「堀切をたずねて」と題した解説板があり、対面には石仏も佇んでいました。 「三開山城を中心とした「堀」の分布状況」と題した図も載っていましたが、 山頂で見かけた往時の地図とほぼ同じだったので載せるのは省略します。
堀切をたずねて
三開山城には、敵の攻撃を防ぐために「堅掘」が多数造られています。 「堅掘」は、斜面方向や曲輪に垂直に掘を造る方法で、 敵兵の移動を妨げたり大石を落としたりするのに使いました。 「堀切」は、尾根を垂直に断ちきる掘り方で、尾根からの攻撃に備えて造られました。 千畳敷上部にある畝状堅掘は、安土桃山(戦国)時代後期の特徴を示しています。
植林地を掠めて、冬枯れの樹間からなどを眺めながら、 所々に石仏が佇むの尾根道を快適に降っていきます。 やがて植林地の丸い尾根の背を降るようになりますが、いずれも広くて良く踏まれた道が続きます。 山頂から8分ほど降っていくと、が並んでいる分岐があります。 手前にはベンチがひとつ設置されていました。 角には「みひらきの森」の道標が立っていて、正面の道は「神美小学校へ」、 左の道は「瑞宝寺跡地・全勝寺へ」、今来た道は「三開山山頂へ」となっています。 脇に設置された「石仏をたずねて」と題した解説板によると、 1番目の石仏は全勝寺に、88番目の石仏は瑞峰寺にあるようでした。 正面の道はわんぱくの小径神美小学校入口へ降っていけますが、 先ずはここから左へ分かれていく石仏の小径を進んでいきました。
石仏をたずねて
みひらきの森を歩くと、たくさんの石仏に出会いますが、その数は全部で88箇所あります。 1番目は全勝寺から始まり、瑞峰寺にある88番目の石仏が終点になります。 これらの石仏は、江戸時代の文政8年(1825)に設置され、その後、大正13年に再興されました。 石仏を拝観するには、「石仏の小径」から三開山山頂を経て「古墳の小径」にかけて歩いてみて下さい。
瑞宝寺跡
植林地を左へ緩やかに降っていくと、道が不明瞭になってきました。 何処が道なのかと探しながら進んでいると、少し左の辺りに生える大きな樹木の横に が見えたのでそちらへ向かっていきました。 窪んだ所を過ぎて明瞭になってきた道を緩やかに降っていくと分岐がありました。 角には「みひらきの森」の道標が立っていて、正面の道は「全勝寺へ」、 左の道は「千畳敷を経て三開山山頂へ」、今来た道は「三開山山頂へ」となっています。 傍には「瑞宝寺跡地をたずねて」と題した解説板が設置されていました。 左側のなだらかなに、かつて瑞宝寺があったようです。 左の道は古墳の小道へ続いていますが、先ずは正面の石仏の小径を降っていきました。
瑞宝寺跡地をたずねて
この辺りは、瑞宝寺があった場所と伝えられています。 瑞宝寺は南北朝時代の城主新田四郎義直公が開基で、この土地の田園の守り本尊として弁財天を祭ったと伝えられています。 三開山の麓にある瑞峰寺はこの瑞宝寺が移転したものと言われています。
林間広場で遊ぼう
林間広場は、自然に触れあうことのできる楽しい場所です。 落ち葉を集めて、形や大きさを比べ楽しんで下さい。 ドングリを集めて、いろいろな工作物を作ってみましょう。 この他にも、森の中でかくれんぼや鬼ごっこが楽しめます。
程なくして現れる横木の階段を降っていくと、浅く水が溜まった平らな所に降り立ちました。 先ほどの分岐から1分ほど降った所になります。 前日に雨が降った訳ではありませんが、常に水があるのか、降雨後の暫くの間だけあるのかは分かりませんでした。 単なる水溜りにしては広かったので、常に水を湛えているのだとしたら、往時は貴重な水場だったのだろうと思えました。 ここで踏み跡が不明瞭になったので左右を覗っていると、右側の辺りから水辺を渡って正面へと続いていました。
植林地を過ぎて竹林の前まで来ると、「」と刻まれた石碑や、 石仏や五輪塔などが幾つか並んでいました。 少し荒れた感じのを1分ほど降っていくと植林地になってきます。 常緑樹も混じる林を降っていくと、「スギ・ヒノキ林」と題した解説板がありました。 水場から3分ほど降った所になります。
スギ・ヒノキ林
スギ・ヒノキ林の多くは、人々が木材を利用するために苗木を植えて育てているものです。 これらの植栽木が大きくなっても手入れをせずに放置しておくと過密状態になって林の中に光が入らなくなり、 日陰でも育つヒサカキなどの常緑樹が茂ってきて暗い不健全な林になってしまいます。 間伐や枝打ちなど定期的な保育作業が必要です。
古墳
解説板を過ぎて1分ほど降って正面に青空が見えてくると、小さながありました。 瑞宝寺跡から8分ほどの所になります。 何だろうと思って左側へ続く道を進んでいくと、「古墳群をたずねて」と題した解説板が設置されていました。 かなり崩れた様子でしたが、振り返ってみるとそれらしい大きな石が重なったようになっていました。 傍にはが佇み、ベンチも設置されていました。
古墳群をたずねて
みひらきの森には、たくさんの古墳があり、三開山全域に点在しています。 特に山頂から北西に延びる尾根(古墳の小径)には多くの古墳を見ることができます。 古墳には、石室を持つものとないものの2種類があります。 この古墳は7世紀ごろのもので、石室が地上部に露出しており、珍しい形態の古墳とされています。
(因みに、今歩いている道は「石仏の小径」です)
左側に広がる伐採地にはススキや細木などが茂っていて、その奥にはが見えました。 雑木林になった尾根を降っていくと、再びが現れます。 竹林へ入っていくと、すぐの所から左へ踏み跡が分かれています。 角にはが佇み、標識の柱らしいものも立っていましたが、 正面に続く窪み気味の道を降っていきます。 左側の竹林の谷筋が次第にはっきりしてくると、大きな砂防ダムがありました。 道端には石の上にが並んでいました。
砂防ダムを左に見ながら降り始めると、踏み跡がに分かれています。 正面に続く窪み気味の道は竹などが散乱しているので、左側のなだらかな道の方を降っていきます。 尾根を1分ほど降っていくと、壊れかけた小祠がありました。 古墳から7分ほど降った所になります。 傍には「みひらきの森」の道標が立っていて、右の道は「大篠岡集落へ」、 左の道は「全勝寺へ」、今来た道は「三開山山頂へ」となっています。 ここが、案内図に載っている実線の道と破線の道の分岐点になるようです。 実線の道は左へ曲がっていくようですが、道標「全勝寺へ」の指す方向にはそれらしい明瞭な道がありません。 それでも意を決して尾根を引き返すようにして左へ曲がり、 を斜めに降って谷筋の上流へ向かっていきました。
右の道は、案内図に載っている破線の道になるようです。 すぐに手前の二股を直進してきた道と合流して、その先へ2分ほど降っていくと大篠岡地区の民家の脇に降り立ちます。 民家の間を更に2分ほど進んでいくと車道に出られます。
本当にここが正しいルートなのかと不安に思いながら砂防ダムの左側を過ぎて更に上流へ進んでいくと、 先ほど見えていた砂防ダムの手前にが架かっていました。 橋を渡った先を覗ってみると横木の階段が見えていたので、どうやら正しいルートのように思えて安心しました。
古社
石仏を過ぎて横木の階段を登ってに着くと、樹木の袂にが佇んでいました。 左右に通る尾根には踏み跡が続いていますが、道標類がなくて迷う所です。 尾根を越えて正面へ降っていく道は不明瞭ですが、すぐに下の方に祠が見えてきます。 それに向かって降っていくと、二つ並んだ小振りの古社の前に降り立ちました。 名前を記した札などは見かけませんでした。
全勝寺
降り立った所から右へ続く道を降っていきます。 道端に佇む石仏を過ぎていくと、手摺付きのが架かっていました。 橋を渡って登っていくとがあります。 角には「みはらしの森」の道標が立っていて、右の道は「全勝寺へ」、 今来た道は「三開山山頂へ」となっています。 正面の横木の階段には何も示されていませんが墓地へ通じています。 道標に従って右のをひと降りすると全勝寺に着きました。 大篠岡地区への分岐から6分ほど、三開山の山頂から34分ほどで降りて来られました。 入口の脇には大きな地蔵を挟んで六地蔵が並んでいました。 正面の本堂には「白龍山」の扁額が掲げられていましたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。 本堂の右側には庫裡と思われる建物があり、左側には小社や錫杖を持った大きな仏像がありました。
全勝寺から出てその先へ坂道を降っていくと、 石垣が途切れた所に滑り台などの遊具が少し設置された広場があります。 その入口に建つ小屋には赤い「ホース格納箱」が取り付けられていて、 その脇に「」がありました。 案内図は駄坂入口で見かけたのと同様で、 この付近を拡大した「」も載っていました。 ここが石仏の小径(全勝寺ルート)の全勝寺入口になります。
民家の間に続く坂道を降っていくと、左右に通る車道に出ました。 左側には「大篠岡集會所」の看板が掲げられた建物がありました。 角に生えるシュロの木の袂には「史跡 三開山城址」や「三開山ハイキングコース全勝寺側登山口」の標識が立っていました。
豊岡市指定文化財 史跡 三開山城址
指定面積 約151,145平方メートル
管理者 大篠岡区、木内区、香住区ほか
平成12年8月29日指定 豊岡市教育委員会
車道を左へ進んでいくと、六方川の手前に大篠岡交差点があります。 そこを左折していくと、大篠原バス停の先から左へ分かれていく道があります。 入口には「瑞峰寺」「見発山」と刻まれたや大きな石灯籠が立っています。 また、高い所に「見発山 曹洞宗 瑞峰寺」の看板もあって左の道を指しています。 角に立つ電柱の袂には「三開山ハイキングコース瑞峯寺側登山口」の標識も立っていました。 ここから瑞峰寺へ向かっていきます。
瑞峰寺
山へ向かって真っすぐに進んでいくと、に分かれています。 坂道は駐車場や庫裡へ続いているので、正面の石段を登っていきます。 駐車場から登ってくる石段の途中に出ると、 左へ登った所に「見発山」の扁額が掛かる立派ながあります。 山門をくぐっていくと正面に瑞峰寺の本堂があり、右側には庫裡と思われる建物がありました。 左側にはや、黒い牛の像などがありましたが、 お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでした。
瑞峰寺御詠歌
金水の 泉を汲みて 御佛の 見発山に 霞たなびく
瑞峰寺の山門を出て石段を降って駐車場に降り立つと、 端の方に「」がありました。 案内図はこれまでに見かけたのと同様で、 この付近を拡大した「」も載っていました。 ここが古墳の小径(瑞峰寺ルート)の瑞峰寺入口で、山頂までは約1200m・50分とのことです。 正面から左へ続く坂道を登っていくと、庫裡の手前から右へ登っていくがあります。 道標類は見かけませんが、その石段を登っていきます。 墓地に続く手摺付きの石段を曲がりながら1分半ほどで登り切るとが始まります。 登り着いた所には「みひらきの森」の道標が立っていて、正面の道は「三開山山頂へ」となっています。
緩やかになった道を進んでいくと、程なくして途切れながら続く横木の階段を登るようになります。 伐採されたが続く小さな谷筋の左側を登っていきます。 次第に谷筋が狭まって雑木が混じる植林地になってくると、 尾根に向かって続く急なを真っ直ぐ登るようになります。 息を切らせながら階段を登り切り、その先へ進んで尾根に着くと分岐があります。 石段を登り始めて10分ほどの所になります。 正面には石仏が佇み、脇にはベンチもありました。 角には「みひらきの森」の道標が立っていて、右の道は「三開山山頂へ」、 左の道は「尾根を通って瑞峰寺へ」、今来た道は「谷を通って瑞峰寺へ」となっています。 左の道は案内図に載っている破線の道で、9分ほどで瑞峰山の墓地に出て、更に1分ほどで本堂の脇に降り立ちますが、 ここは右の尾根に続く道を進んでいきます。
今回登ってきた道の右側からもが登ってきていました。 道標の板がどちらの道を指しているのかよく分からなかったので、 逆方向から来て谷を通って瑞峰寺へ降る場合には、どちらを歩けば良いのか迷いそうに思えました。
緩やかな尾根道を進んでいくと、程なくしてが現れます。 分岐から1分ほど進んでいくと、石仏が佇む分岐があります。 角には「みひらきの森」の道標が立っていて、正面に登っていく道は「三開山山頂へ ショートコース」、 左の緩やかな道は「三開山山頂へ 散策コース」、今来た道は「瑞峰寺へ」となっています。 手前には「竹林ってどんな林」と題した解説板がありました。 正面の道は案内図に載っている破線の道のようですが、今回は左の道を進んでいきました。
竹林ってどんな林
みひらきの森に広がる竹林は、孟宗竹(モウソウチク)と言う種類の竹です。 長年放置しておくと、過密状態になって枯竹も多くなり不健全な林になるため、適度に間伐することが必要です。 竹は、食用になるタケノコをはじめ竹細工や竹炭などに利用できます。 皆さんも竹を有効に利活用してみましょう。
竹林が終わって植林地と雑木林の間を進んでいくと、 道端に「シデ林ってどんな林」と題したがありました。 向こう側を向いたを過ぎて植林地へ入っていくと、少し広くなった所があります。 ショートコースとの分岐から3分ほどの所になります。 道は林に広がりながら先へ続いているようですが、落ち葉などが積もって分かり難くなっていました。 右側の一段高い所にもがあって石仏が点々と佇んでいますが、 このまま正面へ進んでいきます。
(右側の踏み跡は、この先の分岐から三開山の山頂へ向かう道の途中に出られます)
シデ林ってどんな林
シデ林は、この付近のようにやや急傾斜な場所に分布しています。 イヌシデやアカシデなどシデの仲間の木は、夏から秋にかけて「みの虫」がたくさんぶら下がっているように見えますが、 これは、種が集まっているものです。 これらの種は、熟すと風に吹かれて遠くまで飛んでいき、新しい地に落ちて新たな命を芽生えさせるのです。
ここで良いのかと思いながら広くてなだらかな植林地の奥へ進んでいくと、幅が狭まって明瞭な道になってきます。 この道で良かったのだと安心しながら進んでいくと、すぐの所に分岐があります。 角には「みひらきの森」の道標が立っていて、右の道は「三開山山頂へ」、 正面の道は「瑞宝寺跡地を経て三開山山頂へ」、今来た道は「瑞峰寺へ」となっています。 正面や右の道から来ると明瞭なのですが、 こちら側から来ると大きな樹木が並んで生えていて、道標があることが分かり難くなっているので、 うっかりしていると分岐を見落として通り過ぎてしまいます。 古墳の小径はここを右へ曲がっていきますが、今回は瑞宝寺跡へ向かって正面の道を進んでいきます。
右の道を8分ほど進んでいくと、最初に三開山へ登って行った時にあった分岐へ出られます。 途中には先ほどの「ショートコース」への分岐や「コナラ林ってどんな林」と題した解説板もあります。
コナラ林ってどんな林
可愛いドングリの実を付けるコナラやアベマキが生育しているコナラ林は、みひらきの森を代表する林です。 コナラは、かつては炭焼きの原料として使われていましたが、今では主にシイタケ栽培の原木に用いられています。 アベマキは、樹皮に厚いコルク層があり、コルク材として採取されてきました。 この辺りのアベマキにも樹皮を剥がした跡があり、人々がみひらきの森と関わりを持っていたことが伺えます。
千畳敷
少し左へ曲がりながら進んでいきます。 軽く登ってに着くと「みひらきの森」の道標が立っていて、 正面の道は「瑞宝寺跡地へ」、今来た道は「千畳敷へ」となっています。 手前の分岐から1分もしない所です。 『はて?ここまでに千畳敷らしき所はなかったようだが』と不思議に思いながらも右の方を見ると、 緩やかな所が広がっていて、踏み跡らしきものも続いているのです。 明瞭な道は道標の指す正面の坂に続く横木の階段を降っていくのですが、 右側が気になったので、ちょいとを確かめてみることにしました。 落ち葉を踏みしめながら植林地を1分半ほど進んでいくと、山際にがあって、 傍には「千畳敷をたずねて」と題した解説板がありました。 「」と題した地図も載っていました。 どうやらこの辺りの緩やかな所が千畳敷のようでした。 辺りには石垣に使われていたと思われる石が多く散乱していました。 植林地や踏み跡はこの先へと続いていて、三開山の山頂から東へ延びる尾根へ出られそうでしたが、 確かめるのは省略して引き返してきました。
千畳敷をたずねて
千畳敷は、三開山城主の居館跡と伝えられており、西側と東側には高さ1.5〜2.0mの石垣があります。 織豊期(安土桃山時代の織田・豊臣政権期)頃に築かれたと言われていますが、正確なことはわかっていません。
瑞宝寺跡
往復4分ほどで道標まで引き返してきて、その先に続く横木の階段を降っていきます。 階段を降り終えると、小さな水路に丸太を束ねたが架かっています。 橋を渡って、その先に続く左傾斜のを進んでいきます。 左側は一段低くなっていて、瑞宝寺跡から全勝寺へ降っていった時に見かけた水場へ続いているようでした。 倒木が横たわって少しぬかるんだ所を過ぎて軽く登っていくと、 「千畳敷」の道標から3分半ほどで、瑞宝寺跡のある分岐に着きました。 先ほど、全勝寺へ降っていった石仏の小径になります。
道標「三開山山頂へ」に従って植林地を軽く2分ほど登っていくと、石仏やベンチのある分岐に戻ってきました。 瑞峰寺の駐車場から30分ほどで登って来られました。 道標「神美小学校へ」が指す左へ続く緩やかなを進んでいきます。 三開山の山頂から神美小学校入口へ続くわんぱくの小径になります。
わんぱくの小径」と「石仏の小径」は、ここから三開山の山頂までの間は同じ道になっています。
広くて緩やかな尾根を1分ほど進んでいくと、道は右へ曲がって、急坂を降っていきます。 その降り口には「シラカシ林ってどんな林」と題した解説板がありました。 左側の尾根の10mほど先には壊れかけた石碑がありました。 一部が欠けていましたが「」と刻まれているように見えました。 ひとつしか見かけませんでしたが石灯籠でしょうか、それとも石祠なのでしょうか。
シラカシ林ってどんな林
みひらきの森のシラカシ林は、この付近のように急傾斜な場所に生育しています。 シラカシは、1年中緑の葉を付けている常緑広葉樹で、ドングリができます。 昔の人は食べましたが、渋いので最近はほとんど食べなくなりました。 ドングリを付ける樹木は数多くあり、スダジイの実はおいしいので今でも食べられています。 このほか、落葉広葉樹のコナラやアベマキのドングリも、リスやイノシシなど山野に生きる動物のえさになっています。
急坂を降り終えて、その先に続くを降っていきます。 三開山から降ってくる所でも見かけましたが、 この先にかけても「これ何の木?」と題した小さな解説板が点々と設置されていました。 再び現れる横木の階段を降っていくと、右側の樹間からを見渡せる所がありました。 よくは知らないのですが、奥の方に見えているのは、豊岡市出石町の黒岩辺りの山並みでしょうか。 広くて歩き易い尾根道を降っていくと、少し傾斜が増す所から幅の広い横木の階段が始まります。 その降り口にはが置かれていましたが、腰かけるのに具合が良さそうでした。 階段が終わって広くて快適な尾根道を降っていくと、小さな堀切のような所が二ヶ所連続していました。 解説板のあった所から5分ほど降った所になります。 どちらも階段を3段降って3段登る形になっていました。
展望地
堀切を二つ過ぎていくと、右側が開けて眺めが広がる展望地に出ました。 解説板のあった所から6分ほど降った所になります。 左側には植林地が続き、右側は伐採地になっていました。 眺めを楽しみながら、傾斜の増した坂道を降っていきます。 眺めが広がる所は2分ほど続きました。
27番鉄塔
坂道を降り切ってその先に続く横木の階段を少し登っていきます。 に着いて少し左へ曲がり、 緩やかになった道を進んでいくと、送電線の鉄塔「豊岡線27」の袂に出ました。 石仏やベンチがあった石仏の小径との分岐から12分ほど降った所になります。 には先ほどの展望地からと同様の眺めが広がり、 には谷向かいの山へと送電線が延びていました。
鉄塔の下を過ぎていくと、道幅が狭くなった急坂を降るようになります。 左へ鋭角に折れ曲がっていくと、金網柵沿いに続く道に降り立ちました。 角には「みはらしの森」の道標が立っていて、金網柵沿いに右へ降っていく道は「神美小学校へ」、 今降ってきた道は「三開山山頂へ」となっています。 道標には何も示されてはいませんが、左の道は案内図に載っている破線の道になるようです。 ここは道標に従って、右へ続く道を降っていきます。
金網柵沿いに左へ進んでいくと程なくしてがあります。 針金で止められた扉を開くと道は不明瞭ながらも、正面の尾根と、左へ曲がっていく金網柵沿いに続いています。 金網柵沿いに進んでいくと、柵が左へ曲がっていく所で小尾根に出ます。 そのまま正面の斜面を降っていくと、作業場のような所の脇に降りて、三開山の北側を通る車道に出られます。 扉の正面の尾根を進んでいくと、52m峰の手前で右へ曲がって尾根を降り、 途中で更に右へ折れ曲がって浅い谷筋を横切っていきます。 谷の中ほどで道が分岐していて、そのまま正面へ登っていくと本コースに出ます。 左へ戻るようにして分岐する道を降っていくと神美小学校の敷地に降り立ちます。
金網柵沿いに右へ続く道を1分ちょっと降っていくと、ベンチが二つ設置された所があります。 道端にはが立っていて、今降ってきた道は「三開山山頂 900m 30分」、 この道は「ふれあいのこみち」となっています。 左側の金網柵には針金で止められた扉があって、その先へ降っていく道が続いていますが、 このまま金網柵沿いに続く道を降っていきます。
扉の向こうへ続く道は、先ほどの分岐を左へ進んだ枝道から谷筋へ降りて登ってきた道になります。 「これ何の木?」と題した小さな解説板も設置されているので、散策路として認知された道のように思えました。
金網柵沿いに降っていくと、道は左へZ字形に折れ曲がっていきます。 更に金網柵沿いに降っていくと、左下に神美小学校の建物が見えてきます。 前方にの建物が見えてくると、鎖付きの急な横木の階段を降るようになります。 階段を降り切ると、右側に「」が設置されていました。 これまでに見かけた案内図と同様でしたが、解説文が追加された形になっていました。 この付近を拡大した「」も載っていました。 ここがわんぱくの小径(神美ルート)の神美小学校入口になります。 27番鉄塔から5分ほどで降りて来られました。 案内板の前の金網柵にはがあるので、上下に取り付けられたレバーを回して開けて出ていきます。
みひらきの森案内図
みひらきの森を楽しみながら、皆さんのペースで自然観察や史跡巡りを楽しんでください。
みひらきの森は自然豊かで歴史の香りが漂う森です。 森の中にはいろいろな生き物や歴史の史跡を見ることができます。
みひらきの森は山頂の三開山城跡を中心に広がっています。 みひらきの森の西側はコナラやアベマキの林が群生しています。 アベマキの大木がたくさんあり、自然豊かなみひらきの森を楽しむことができます。 森の中で耳を澄ませばコガラ、ヤマガラ、ウグイスの鳴き声を聞くことができます。
みひらきの森の北側には史跡がたくさんあります。 登山道沿いに石仏が並んでおり、その数は全部で88体あります。 この他にも、古墳や三開山城に関する史跡がたくさんあります。
みひらきの森は、自然観察や史跡巡りを楽しむことができるのです。 登山道はなだらかな傾斜で、ハイキングコースとして健康づくりに適しています。 登山道にはベンチがありますので休憩をしながら、ハイキングを楽しんでください。
ドングリの小径 (駄坂ルート) ドングリの森があります。山頂まで約700m、徒歩30分
石仏の小径 (全勝寺ルート) 石仏がたくさんあります。山頂まで約1,000m、徒歩40分
古墳の小径 (瑞峰寺ルート) 古墳が点在しています。山頂まで約1,200m、徒歩50分
わんぱくの小径 (神美ルート) 木の名前を学ぶことができます。山頂まで約1,000m、徒歩40分
神美小学校バス停
左側にあるを過ぎて、 神美小学校神美基幹集落センターの駐車場の間を進んでいくと、 少しずれた十字路に出ます。 そこを左折してに沿って進んでいくと、三開山の東側を通る車道に出ます。 角には趣のあるがありました。 「みひらきの森」の道標もあって、今来た道は「三開山登山道入り口」となっていました。 「神美公民館(神美基幹集落センター)」の看板も出ていて、今来た道を指していました。 正面には豊岡神美郵便局があります。 車道を左へ進んでいくと、すぐの所に神美小学校バス停があります。