大師山
概 要 大師山は豊岡市城崎町にある標高230mほどの山です。 山頂からは城崎温泉の街並みや日本海へ流れ込む円山川などを一望できる景色が広がっています。 麓からロープウェイで登ることも出来ますが、 今回は近畿自然歩道にもなっている石仏88ヶ所めぐりの愛宕山歩道から大師山へ登り、 温泉寺歩道を降るルートを歩きます。
起 点 豊岡市城崎町 愛宕橋
終 点 豊岡市城崎町 薬師橋
愛宕橋…[愛宕山歩道]…愛宕神社…143.2m峰…和合の樹…大師山…[温泉寺歩道]…温泉寺本堂…城崎美術館…薬師堂…薬師源泉…薬師橋
所要時間 2時間50分
歩いて... 愛宕山歩道には沢山の石仏が佇んでいました。 道は広くてとても歩き易く、迷うような所はありませんでした。 周囲には樹木が茂っていて展望はあまり良くありませんが、眺めが広がる所も少しありました。 城崎小学校や極楽寺駅への道も分かれています。 城崎温泉の奥地から大師山の山頂まで道路が続いていて、小型車でも登ることが出来ます。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
愛宕橋
城崎温泉の街中を流れる大谿川に架かる愛宕橋の南側に続く路地を進んでいきます。
今回歩くルートは、日本全国に設定されている「長距離自然歩道」のひとつで、 「近畿自然歩道」の中の「城崎周辺 円山川眺望のみち」の一部になります。 また、三つの歩道から成る「自然歩道大師山ハイキングコース」の一部である 「愛宕山歩道」と「温泉寺歩道」にもなっています。
愛宕山歩道
突き当たりの食堂「ふくとみ」まで来ると、少しずれた十字路があります。 左角には城崎文芸館があって、「」の看板が設置されています。 正面に続く道に入っていくと、すぐの所から右へ登っていく石段があります。 脇には「近畿自然歩道」の銘板が埋め込まれていました。 ここが愛宕山歩道の入口になります。 入口の祠に並んでいるに挨拶をして、その先に続く石段を登っていきます。
右へ折れ曲がって続く石段を登っていくとがあります。 その昔には塾などにも使われていましたが、もう使われなくなって荒れ果てた状態になっていました。 緩やかになった道は、家の前を過ぎてその先の森の中へと続いています。 道端にある岩を過ぎた先で、尾根の背に続く幅の広い石段を登るようになります。 段差はあまり高くはなくて歩き易くなっていました。 登り始めた所にが佇んでいました。 この愛宕山歩道では石仏や石碑などが沢山見られます。 「八十八番」からの番号が振られているようですが、今回は番号のすべては確認出来ませんでした。
愛宕神社
右・左と曲がりながら石段を登っていくと、石製のが立っています。 袂には石柱が倒れていましたが、以前の鳥居に使われていたものでしょうか。 鳥居を過ぎて石段を更に4分ほど登って小広くなった所に出ると、正面に神社がありました。 近畿自然歩道の入口から11分ほど登った所になります。 神社の扁額や由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 内側に掲げられた社殿屋根改築寄進奉名を記した板によると愛宕神社というようです。 手前にはベンチがひとつ設置されていました。 振り返ると、梢の向こうには円山川日本海に注ぎ込む所に架かるが見えていました。 脇には近畿自然歩道の道標が立っていて、右へ曲がっていく道は「和合の木1.2km・大師山山頂1.5km」、 今登ってきた道は「城崎町文芸館0.2km」となっています。
道標に従って、緩やかになった尾根道を右へ進んでいくと、すぐの所に祠があって、 中には台座に乗った石仏が安置されていました。 台座には文字が刻まれていて、 この尾根道にある88ヶ所の石仏の由来などが記されているようでしたが、良くは読めませんでした。 祠の脇には石碑もありました。
奉・・ 八十八箇所霊場造 立諸尊之趣意者 伏願 国家安全五穀豊穣 福寿延長菩提圓満 旦作山道助力當郷 今津郷桃島郷造立 ・・・
尾根の背に続く広めの道を進んでいきます。 傾斜は緩やかで歩きやすい道が続きますが、左右には樹木などが茂っていて展望は得られません。 路傍の石仏などを過ぎていくとになってきます。 少し登り坂になってくると、道端に「スギ−ベニシダ群落」の解説板が設置されていました。
スギ−ベニシダ群落
このあたりはスギの植林地となっていますが、モウソウチク林に接しているため、モウソウチクの侵入が見られます。 スギの他には祭事によく使われるヒサカキが見られます。 スギはまっすぐな木という意味の「直木(すき)」が語源で、日本では有用樹種として最も多く植林されています。
少し左へ曲がっていく道を軽く登っていくと、僅かな高みに着きました。 愛宕神社から12分ほどの所になります。 地形図によると、二つ並んだ標高120mほどの高みの中の北東側の高みになるようです。 ベンチがひとつ設置されていて、石仏も佇んでいました。 脇には近畿自然歩道の道標が立っていて、右へ降っていく道は「和合の木0.9km・大師山山頂1.2km」、 今来た道は「城崎町文芸館0.5km」となっています。 梢からはの山頂付近が少し見えていましたが、 周囲に樹木が茂っていて、総じて展望は良くありません。 左の方には「」と書かれた手製の白塗りの道標がありました。 矢印などは見かけませんでしたが、板の方向を伺ってみると、 細木などが茂って分かり難くなってはいるものの、僅かな山道(*)が降っているようでした。 城崎小学校のグラウンドに降りて行かれる道のようですが、今回は右へ続く尾根道を降って行きました。
(2005年の合併によって豊岡市になる前は、JRの城崎温泉駅城崎駅という名称でした)
*後日に左の山道を歩きました。 不明瞭な所も少しありますが、20分ほどで城崎小学校のグラウンドまで降りられました。 最初は心細い道ですが、程なくして明瞭な道になります。 途中にある「城崎駅」の標識を過ぎて左へ曲がると、右・左と小さく曲がりながら降るようになります。 若上揶荷まで来ると、城崎小学校のグラウンドまでは舗装された階段状の参道になります。 (ルート図に緑色で表示)
広い尾根道を降り始めると、方面を望む眺めが左側に広がってきます。 右側の樹間からは城崎中学校方面を眺めながら進んでいくと、馬の背のような僅かな鞍部に着きます。 少し登り坂になってくると、これから向かう大師山にある城崎温泉ロープウェイが見えてきます。 まだ結構距離があるようだと思いながら、石仏群を過ぎて広い尾根道を進んでいきます。
路傍に佇む石仏群を眺めながら尾根道を登っていくと、先ほどの高みから6分ほどで僅かな高みに着きます。 二つ並んだ標高120mほどの高みの中の南西側の高みになります。 ここにも石仏がありました。 正面にある枯れた樹木の先にはからにかけての山並みが広がっていました。
土が剥き出した坂道を降っていきます。 一応は横木の階段も設置されていますが、かなり古くなっていました。 石仏を過ぎて岩盤が剥き出した坂道を更に降っていきます。 高みから3分ほど降っていくと、馬の背のようなに着きます。 鞍部を進んでいくと、僅かな登り坂になってきます。 横木の階段も設置されていて、歩き易くなっていました。 各所に佇むなどを眺めながら登っていきます。 『地形図によると北側から登ってくる道がこの辺りにあるはずだが』と注意を払いながら進んでいきますが、 それらしい道は見かけませんでした。
やがて現れる横木の階段を登っていくと、「」と刻まれた岩がありました。 脇には「出征記念」と刻まれていました。 その岩を過ぎていくと右側が開けてきて、方面を望む眺めが広がってきます。 更に登っていくと、石仏を過ぎた所に分岐があります。 角には近畿自然歩道の道標が立っていて、正面に降っていく道は「極楽寺0.6km」、 左へ曲がっていく道は「和合の木0.5km・大師山山頂0.8km」、今来た道は「城崎町文芸館0.9km」となっています。 袂には「極楽寺」と書かれた手製の白塗りの道標も倒れていました。 どうやら地形図に載っている北側からの道は正面の道になるようですが、 地形図と実際とではかなり離れた所にあります。 以前には鞍部に通じていたのが付け替えられたのでしょうか。 正面の道(*)もしっかりとしていますが、大師山へ向かって左へ曲がっていきます。
正面の道は、近畿自然歩道では「極楽寺コース」、 自然歩道大師山ハイキングコースでは「西山公園歩道」という名前になっています。
*後日に正面の道を歩きました。 麓にある城崎こども園の奥にある墓地から道が続いています。 あまり歩かれていない様子で、かなり荒れた道になっていますが、かつての名残を留める石段が続いています。 途中にある西山公園への分岐を見送って曲がりながら登っていくと、城崎こども園から20分ほどでここに出られます。 (ルート図に緑色で表示)
143.2m峰
広い尾根道を軽く登っていくと、すぐに開けた所に着きました。 手前にあった来日岳大師山を望む高みから14分ほどで着きました。 夏草が茂る中には建物のなどが残っていました。 この先で見かけた「自然歩道大師山ハイキングコース」の案内板によると、 以前には大師堂があった所のようで、その建材と思われるものも沢山残っていました。 草むらの中にはがあるので、 地形図に載っている標高143.2mの高みになるようです。
三角点 基本測量 大切にしましょう三角点 国土地理院
四等三角点
この測量標はすべての測量の基準です。 三角点を大切にしましょう。
 (国土地理院)
石仏などを眺めながら緩やかな尾根道を進んでいきます。 3分ほど進んだ所にある石段を登ってその先へ進んでいきます。 僅かな鞍部を過ぎて登り坂になってくると、大きな岩の間を過ぎていきます。 岩にはが佇んでいました。 ふたたび現れる石段を登って緩やかな道になると、正面に青空が見える所に出ました。 引き続き広めで歩き易い尾根道が続いています。 また現れる石段を登ってその先へ進んでいくと、 路傍の双体の石仏の脇に「」と刻まれた石柱が倒れていました。 周囲を四角く刳り貫いたような跡もあるので、以前には祠でも建っていたのでしょうか。
和合の樹
緩やかになった尾根道を進んでいくと、右側の梢からの河口付近が見える所がありました。 大木の袂に佇む石仏を過ぎていきます。 僅かに登り坂になってくると、ボードウォークが現れます。 傍にはアカマツコジイに抱かれるように一体化したがありました。 143.2m峰から16分ほどの所になります。 根が傷付くのを防ぐためなのか、ボードウォークはその周りに沿って設置されていました。 脇には解説板や石仏がありました。
郷土記念物・和合の樹
指定物件 アカマツ1本・コジイ1本
指定年月日 昭和63年3月25日
アカマツとコジイが根元から1本の樹木のように合体し、"和合の樹"と名づけられ地域のシンボルとなっている。
 (兵庫県)
和合の樹を過ぎて2分ほど進んでいくと石段が現れます。 石段を登って、その先に続く横木の階段を登っていくと、 道端に「スダジイ−トキワイカリソウ群落」の解説板が倒れていました。 その先へ登っていくと、柵で囲まれたがありました。 和合の樹から5分ほどの所になります。 設備の傍にスダジイの大木が生えていて、袂には石仏も佇んでいました。
スダジイ−トキワイカリソウ群落
このあたりは主にスダジイが見られ、植物社会学的には日本海側に分布するスダジイ−トキワイカリソウ群落に区分されます。 スダジイの他にはツツジ類などが見られます。 スダジイは葉の裏が灰褐色の常緑の高木で、秋にはドングリをつけます。 またトキワイカリソウは春になると、その名の由来にもなっている船のイカリに似た紅紫色のかわいらしい花を咲かせます。
大師山 (標高231m)
電波設備を過ぎて緩やかになった広い道を進んでいくと、程なくして遊具設備などがある広場に着きました。 ここが大師山の山頂部にある子供遊園地になります。 和合の木から6分ほど、愛宕山歩道の入口から1時間24分ほどで登って来られました。 広場の入口には近畿自然歩道の道標が立っていて、広場の先に続く道は「大師山山頂0.1km」、 今来た道は「和合の木0.2km・極楽寺1.3km」となっています。 脇には「自然歩道大師山ハイキングコース案内図」と題した案内板があって、今回歩くコースが紹介されていました。
自然歩道大師山ハイキングコース案内図
この森は、郷土記念物の「和合の樹」(アカマツとコジイ)に代表されるように、 そのほとんどが常緑樹のシイ(おもにスダジイ)の木です。 また、大師堂、温泉寺といった寺院や、江戸時代に整えたとされる石仏八十八ヶ所参りの石仏が歩道のいたる所に置かれてあり、 この地域の信仰の歴史を伺い知ることができます。
−みんなでこの森を守りましょう−
・たき火、タバコの吸いがらやゴミの投げ捨てはやめましょう。
・樹木・施設などを大切にしましょう。
【ひょうご豊かな森づくり構想に基づく夢を育む森整備事業】
この区域は、地域の皆様方の御協力のもと、森林の景観や多様な動植物を保全し、森林学習や憩いの場に活用するため、 県内の林地を開発した方々の協力金により、森林や歩道の整備が行われました。
 (兵庫県、城崎町、(社)兵庫県森と緑の公社)
東屋や石段を経て広場の一段高い所に行くと、 周囲にはジャンプステップ・ローリングステップ・背のばしベンチ・スプリングバー・前屈台などの運動器具が設置されていて、 傍には使い方の解説板もありました。 城崎温泉ロープウェイ大師山上駅の手前まで来ると右側が開けていて、 城崎温泉の街並みやの河口付近を見下ろすことが出来ました。 ベンチや双眼鏡も設置されていて、景色を眺めながらひと休みするのに良さそうな所です。
和合の樹
ここから歩いて約5分のところに「和合の樹」があります。 「和合の樹」は、兵庫県の郷土記念物で、赤松とコジイ(シイの一種)が、根元から1本の樹木のように合体し、 「和合の樹」と名づけられ、地域のシンボルとなっています。 子授けの湯として名高い柳湯を基点とする七湯巡りと、「和合の樹」のお参りを繰り返すと子宝に恵まれるとも言われています。 また、厄よけ祈願で参拝される方もいます。 「和合の樹」までのコースは、「自然歩道大師山ハイキングコース」になっており、森林浴が楽しめます。 文豪志賀直哉先生も好んで散策されたそうです。 なお、雨後は滑りやすいので、足元には十分注意して歩いてください。 特に、カップルにはお勧めです!
大師山上駅にはみはらしカフェ「茶屋」が併設されていますが、 屋上が展望台になっているので、先ずは入口の前から続く階段を登っていきました。 平らになったにはベンチや双眼鏡が設置されていて、 ここから眺められる場所の名前を書き入れたもありました。 眼下には城崎温泉の街並みが広がり、 その先の方には、円山川が流れ込む日本海丹後半島が見えていました。 振り返ると、城崎町最高峰のが良く見えてました。
来日岳(くるひだけ)は来日山(くるひざん)とも言って、地元の学校の遠足で登ったりもします。
展望台からの眺めを確認してから、階下のみはらしカフェ「茶屋」に入ってみました。 店内には赤い大きな傘が幾つも立てられ、長椅子には赤い布も敷かれていました。 何やら上品な雰囲気が漂っていて、控えめな私は気後れしそうでした。 正面の窓からはの街並みを見下ろすことが出来ます。 山頂名物だという玄米ソフトクリームを食べながらひと休みしていきました。 直営農場で作る無農薬の発芽玄米入りでデトックス(解毒)効果が高いとのことですが、 普通のソフトクリームとの味の違いはよく分かりませんでした。
(「茶屋」の中に入った所に、城崎温泉ロープウェイ乗り場への入口があります)
みはらしカフェ「茶屋」からその先の広場へ出ると、建物の角に近畿自然歩道の道標が立っていて、 この先の道は「温泉寺本堂0.6km・来日岳山頂4.6km」、今来た道は「和合の木0.3km・極楽寺1.4km」となっています。 広場の左側にはかに塚があり、その横には金色に輝くが立っていました。 右側には吉田兼好のがありました。
慈母観音建立の辞
慈母観音建立の功徳主 牛山綾野女史は、当湯島の地に父 安田信二 母、みね夫妻の長女としてご出生。 大正十四年五月二十三日午前十一時十一分 等地方を襲っ 北但大震災にて 母みねさま二十四歳にて横死。 綾野女史二歳の時なり。 この震災の横死者は城崎町だけで二百七十二名もの尊き生 命が奪われました。 女史長じて実業家牛山馨六氏とご結婚 二男二女の子宝に 恵まれる。子女もそれぞれ各分野にてご活躍。幸福な生活を 楽しんでおられますが、二歳の時に亡くなった実母の事を忘 れがたく、慈母観音を建立し亡母の追善並びに震災で亡くな られた多くの方々の供養のため、また災害の無い平和な世の 中にために建立されしものなり。 願わくばこの善行を納受し慈眼を垂れ給わんことを。
南無大慈大悲観世音菩薩
観音妙智力 慈眼慈衆生 福聚海無量
温泉寺 住職 僧正 祐泉識
吉田兼好(1283〜135*)
南北朝時代の歌人、文人。本名は卜部兼子。 「 つれづれなるままに 日ぐらし 硯にむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ 」 の序文ではじまる徒然草の作者として有名は兼好は、京都吉田神社の神主の子として生まれ、 三十才を過ぎた頃に出家して仏堂に励み、諸国を遍歴した。 晩年は、京都の西方、仁和寺付近で草庵生活を送った。 わ歌にすぐれ、湯治の和歌四天王の一人に称せられた。
花のさかり但馬の湯より帰る道にて雨にあいて
しほらしよ 山わけ衣春雨に 雫くも花も 匂ふたもとは 兼好
広場には「」の案内板が設置されていました。 石仏が並んだ傍には、少し谷に迫り出した「」があります。 谷間に立てられた円印の的に当たると、ご利益が増すのだそうです。
近畿自然歩道 城崎周辺 円山川眺望のみち(JR城崎駅〜JR城崎駅)9.8km
近畿自然歩道は、私達の生活が近代化する中で、自然の残っている地域や名所・旧跡を帯状に結び、 身近に歴史や自然とふれあえるよう整備したものです。 コースには道しるべがありますのでそれにしたがってお歩きください。
極楽寺  応永年間(十五世紀初頭)の創建で、本尊は、阿弥陀如来と観世音菩薩です。 境内には白と黒のコントラストが美しい枯山水の石庭「精閑庭」があります。
温泉寺  大師山の中腹にある本堂は、和洋・唐様・天竺様がみごとに調和した但馬地方最古の木造建築物で 国の重要文化財にしていされています。 十一面観音像をはじめとする数多くの文化財を拝観することができます。
城崎町文芸館  文芸館では、小説「城崎にて」で有名な志賀直哉をはじめ、 城崎にゆかりのある文人墨客の貴重な筆跡・文芸作品を展示しています。 また、城崎温泉の歴史の展示や麦わら細工の製作体験コーナーがあります。
来日岳  来日岳は標高566.7mの独立峰で、山頂からは360度の眺望が楽しめます。 特に晩秋の早朝には霧の海が日本海へと流れる幻想的な雲海を見ることができます。
コースの見どころ 城崎温泉の町並みと外湯
城崎温泉の町並みは、大谿川沿いに植えられた柳と桜の木々や玄武岩の護岸と石造りの橋が、 木造の風情ある家並と相まって独特の情緒をかもし出しています。 また、1400年前にコウノトリが湯あみしたことで発見されたと伝えられる城崎温泉は、 道智上人によって開かれ世に広められて以来、「但馬の湯」として古今和歌集、増鏡にも語り伝えられ、 湯治の湯、くつろぎの湯として親しまれています。 現在では、7つの外湯(さとの湯・地蔵湯・柳湯・一の湯・御所湯・まんだら湯・鴻の湯)があり、 その名もそれぞれの由来と歴史に基づいて付けられています。 外湯はコース沿いにありますので、ウォーキングで疲れた体を休められてはいかがでしょうか?
 (環境省、兵庫県)
かわらけ投げ処
かわらけはロープウェイ茶屋にて販売しております。 一人ずつ気をつけてお投げ下さい。 けが等されぬようお気をつけ下さい。
かわらけ投げの由縁
かわらけ投げは、お大師さまともゆかりの深い京都・高雄山神護寺が発祥と言われ、 往古より霊山聖地や景勝地で行われる民間習俗です。 素焼きの土器(かわらけ)を谷間に投げる事により、厄などのよくない縁を断じ去るといわれます。 また願いを込めて霊山の頂から投げる事によって、願いを叶えるとも言われています。 さらに谷間にある的に当たれば、厄を砕破し、願いを成就するご利益が増すと言われています。 城崎温泉を一望に見渡す大師山の頂きに祀られ、 霊験あらたかな奥の院大師堂のお大師さまにお参りして願いを込めてお投げ下さい。
また、当山のかわらけ投げには、厄除、吉祥、甘露の3種類のかわらけがあります。
・厄除は、先述の通り厄などのよくない縁を断じ去って、清らかな身となるように。
・吉祥は、清らかとなった身に良い縁が生じるように(願いが叶うように)。
・甘露は、この奥の院がある大師山は、古来、甘露峰と呼ばれこれが正式名所です。
また、甘露とは仏さまの慈悲のお力を象徴する言葉です。 この霊山聖地のエネルギーを受けていただけるように、また仏様のご加護がありますようにと願いを込めてお投げください。
広場の先には「列仙閣」の扁額の掛かるお堂がありました。 賽銭箱には「温泉寺奥之院」と書かれているし、横にある「記念碑」の記載内容などから、 これが温泉寺奥の院になるようです。 この時には開帳されていて、中に安置されている仏像などを拝観することが出来ました。
記念碑
此ノ大師堂ハ温泉寺奥院ニシテ古ヘヨリ存セシカ霜 月ト共ニ破損ス然ルニ参詣者ハ年ト共ニ増加シ甚タ 不便ヲ感スルニ至レリ此ニ於テ信者相集リ大師講中ヲ 組織シ此カ復興ヲ念トシ呑海節詠歌ヲ習得シ當町並ニ 近村ヲ巡禮シ喜捨シ受ケ其浄財ヲ以テ堂ハ増築修 繕ヲ成セリ尓来保存管理一切ヲ引受ケ今日ニ至ル 依テ永久ニ紀念スヘク之ノ碑ヲ建ツ
昭和九年九月二十日 大師講中
温泉寺参道
合わせて30分ほど居た大師山から下山していきます。 奥の院の先に続く舗装された坂道を降っていくと、 緩やかになった所から右へ分かれていくがあります。 入口には先ほどの子供遊園地で見かけたのと同様の「」の案内板がありました。 その横には近畿自然歩道の道標が立っていて、右の山道は「温泉寺本道(温泉寺コース)0.5km」、 正面の道は「桑の木3.5km・来日岳山頂4.5km」、今来た道は「大師山山頂0.1km」となっています。 「温泉寺参道」と書かれた標識もあって、右の山道を指していました。 左へ曲がっていく道路は来日岳城崎温泉の奥地へ続いていますが、 今回は右の山道から温泉寺へ降っていきます。
山火事注意
山林内でのたき火やたばこの投げすては山火事のもとです。 お互いに注意しましょう。
 (近畿自然歩道)
これまでの広い道から一転して、ここからは普通の山道になります。 背丈の低い笹が茂る斜面に続く横木の階段を、右・左と曲がりながら降っていきます。 程なくして階段が終わって、道端に佇む石仏などを眺めながら降っていくと、 温泉寺参道の入口から7分ほどで城崎温泉ロープウェイ鉄塔の脇に出ました。 その袂に出てみると、左下にはの街並みが広がっていました。 道は鉄塔の手前を左へ曲がっていきます。
石仏などを眺めながら更に降っていくと、やがて石段を降るようになります。 石段が終わって僅かな沢筋に着くと、鉄製の欄干が付いたが架かっています。 温泉寺参道の入口から12分ほど降った所になります。 左上には取水設備のようなものがありました。 小橋を渡ってその先の横木の階段をひと登りすると、再び城崎温泉ロープウェイ鉄塔の袂に出ます。 右側に広がるの街並みを眺めながら、緩やかになった道を進んでいきます。
長さ1m強の木橋を渡っていくと森の中に入っていきます。 次第に幅が広がってくる道を降っていくと、なだらかな所にある墓地に出ました。 温泉寺参道の入口から15分ほど降った所になります。 脇には近畿自然歩道の標柱が立っていて、今降ってきた道もその一部であることを示していました。 並んだ墓石に沿って進んでいくと、道が二股に分かれています。 左の階段の上にも墓石が並んでいました。 刻まれた文字を確認すると、温泉寺の歴代の住職の墓のようでした。 道標類は見かけませんでしたが、右の道を降っていきます。
広くなった道を降っていくと、塔の建つなだらかな所に降り立ちました。 脇には近畿自然歩道の標柱が立っていて、この先の道は「温泉寺駅0.1km」、 今降ってきた道は「大師山山頂0.5km」となっていました。 左側に建っている塔には「」の表札が掲げられていて、 本尊の金界大日如来が安置されているようでした。 その横にも祠があって、「」と刻まれた石碑が安置されていました。
温泉寺本堂
多寶塔の正面に続く石段を降っていくと温泉寺の境内に降り立ちます。 大師山から26分ほどで降りて来られました。 脇には手製の道標が立っていて、今降ってきた道は「来日山・大師山登り口」となっていました。 正面には江戸時代初期の万治元年(1658)に造られた鐘楼があります。 その右の一段低い所に降りると近畿自然歩道の道標が立っていて、左の道は「温泉寺薬師堂0.4km」、 今来た道は「大師山山頂0.6km」となってます。 右側には「大悲殿」の扁額が掲げられた本堂があります。
別格本山温泉寺 本堂再建記念碑
昭和の大修営
温泉寺は道智上人の開創、本尊十一面観世音菩薩を奉安し、 天武天皇の勅により末代山温泉寺の号を賜って以来壱千二百有餘年、 寺勢隆昌の一途をたどり、法燈連綿として宏彩を放つといえども、 伽藍の建立、修営後幾百星霜を閲し、近時全体的に損傷甚だしく、挙町その修復を願望す。 文化庁またその要を認めて解体修理を敢行され、鎌倉室町債権の古調に復せられるに至る。 時に昭和四十三年八月一日、爾来二年有ヶ月綿密周到なる調査解体がなされて復元、 昭和四十五年十二月十五日完工す。 総工費五阡萬円、重厚なる輪奥の美、古調の雅、甘露峰の翠巒に映え、 仰ぎ見るもの等しく賛嘆の色を浮べ法燈に頭を垂る。 ここに昭和の大修営を施工せられた文化庁、これに協賛された兵庫県城崎町並に壇信徒に対し敬意を表し 大慈の恵みの遍からんことを。
昭和四十六年四月二十五日 高野山官庁を迎えて落慶法要。
右にある本堂の前を進んでいくと本坊があります。 松の老大木の傍で鳴くコウノトリを描いた絵や、「摩訶般若波羅蜜多心経」を書いた板が掲げられていました。 十二支の土鈴も販売されているようでした。 本坊の前には城崎温泉ロープウェイがあります。
高野山真言宗 別格本山 末代山温泉寺
当山は、城崎温泉の開祖道智上人の開創なり。 道智上人養老年間(717〜723)に当所に巡錫され、当所鎮守四所神社の神託を得て温泉を開発し、 のち天平年間(729〜748)十一面観世音菩薩の霊像を感得して当山を創め本尊となす。 この霊像は大和長谷寺の観音と同木同作なり。 末代山温泉寺の称号は聖武天皇より賜わる。 開山以来千二百余年の名刹にして数多くの古文化財を有す。 当山の国指定、県指定文化財は左の通り。
重要文化財本堂大悲殿一棟 南北朝時代
重要文化財木造十一面観世音菩薩像一躯 天平時代
重要文化財木造千手観世音菩薩立像一躯 平安時代
重要文化財絹本著色十六善神像一幅 室町時代
重要文化財石造宝筺印塔一基 南北朝時代
県指定文化財木造四天王立像四駆 平安時代
県指定文化財木造仁王像ニ駆 鎌倉時代
この他多くの仏像・仏画・古文書等は本堂横の城崎町美術館に展示されている。 参詣の各位火気には格別の御留意下さいませ。 尚山麓薬師堂は西国薬師二十九番札所です。
昭和四十九年春 以上
高野山真言宗 21世紀 心の伝道
がんばっても しかたがない時がある
あせっても しかたがない時がある
降りだした雨は やむのを待つしかない
 (高野山真言宗 総本山金剛峯寺)
城崎美術館
手前にあった鐘楼まで引き返して、その先に続く緩やかな舗装路を進んでいきます。 整備された植え込みの間を進んでいくと、程なくして城崎美術館があります。 この時には開館していましたが、入るのは省略しました。 右側にはベンチが幾つか設置されたがあって、 の街並みを見下ろすことが出来ました。 美術館の奥からは舗装された急坂が続いていて、麓から自動車で登ってくることが出来ます。
城崎美術館
観覧料 300円
特別観覧料 500円(模写・撮影される方)
美術館・温泉寺観覧共通券 400円
美術館・温泉寺観覧共通券をお持ちの方はお申し出ください。
開館時間 午前9:00〜午後4:30
休館日 第2・4木曜日(ただし、祝祭日は開館しております)
館内での喫煙、飲食はご遠慮下さい。
先ほどの道標「温泉寺薬師堂0.4km」まで引き返して、その先へ続く石段を降っていきます。 これまでの山道から一転して、温泉寺の参道になっている石段は、広くて歩き易くなっています。 時折佇んでいる石仏に挨拶しながら1分ほど降っていくと、僅かなが左へ分かれて登っていきます。 その入口には石仏がありましたが、道標類は見かけませんでした。 その山道を見送って石段を更に2分ほど降っていくと、道端に幅の広い石垣のようなものがありました。 脇には「加茂季鷹」の解説板がありました。 良くは読めませんでしたが、和歌らしいものが刻まれていたので歌碑でしょうか。 その先にはベンチがひとつ設置されていました。
加茂季鷹(1751〜1842)
江戸後期の歌人、京都上賀茂の祠官となり居を「雲錦亭」と号し 花、紅葉の折々に友を招いて歌会を催しなどした。 初め有栖川職仁親王の門に入り歌を学び、致仕して江戸に下り 加藤千陰をはじめ多くの歌人、文人と交わり歌会大いにあがり、人争ってその染筆を求めた。 また、狂歌もよくした。
朝な夕な末の世かけて世の夢もうちおどろかす鐘の声かも
(注)原文は温泉寺に所蔵
水源かん養保安林
城崎郡城崎町湯島字四国山ほか1字
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する等の行為をしてはなりません。
=山火事注意= 兵庫県
歌碑を過ぎて更に1分ほど石段を降っていくと、右から左へと登っていく坂道と交差します。 簡易舗装されてしっかりとした道で、小型車なら通って行かれる幅があります。 麓にある薬師堂の奥から先ほどの城崎美術館へ登っていく道になります。 道標類は見かけませんでしたが、ここは正面に続く石段を更に降っていきました。
洞のある老大木などを眺めながら石段を真っ直ぐ降っていきます。 1分半ほど降って傾斜が増し始める所に、石仏や石碑などが幾つか並んでいました。 「法華塚」と刻まれた石碑もありました。 前にはベンチのようなものも設置されていました。 何か謂れがありそうな石碑群でしたが、解説板のようなものは見かけませんでした。
石龍明神
傾斜が増してきた石段を降っていくと、右へ曲がっていく角に小祠がありました。 名前を記したものは見かけませんでしたが、この下で見かけた案内板によると「石龍明神」というようです。
道なりに右へ曲がって石段を降っていくと、広い境内に降り立ちました。 温泉寺本堂から9分ほどで降りて来られました。 正面には立派ながあり、 左側には大聖歓喜天を祀ったや延暦9年に建立されたがありました。 十王堂の中には十王と思しき石仏などが幾つも並んでいました。 「阿弥陀堂」の扁額が掲げられていましたが、お堂の以前の名前でしょうか。 聖天堂の更に左手には、「高野山真言宗金比羅寺」の表札が掲げられた建物があり、 その奥の石段を登った一段高い所には「」の扁額が掛かるお堂もありました。
薬師堂
右側には文化年間に再建された薬師堂があり、「西国薬師第二十九番霊場」の札が掲げられていました。 脇には城崎特産「麦わら細工」の始祖のもありました。 薬師堂の先にはがあります。 裏手は墓地や駐車場になっていて、その奥の砂防ダムの脇から城崎美術館への坂道が続いています。 かなりの急坂になっていて、エンジンを唸らせながら登るようです。
温泉寺の文化財
温泉寺では国指定重要文官財五点、兵庫県指定文化財二点、豊岡市指定文化財八点の計一五点が指定されており、 後世に残すべき重要な文化財として、大切に保管されている。
重要文化財 建造物 温泉寺本堂
  桁行五間 梁間五間 一重 入母屋造 銅板葺
  至徳四年(1387)頃建立、正徳三年(1713)解体修理、昭和四十五年(1970)解体修理
重要文化財 建造物 温泉寺宝篋印塔
  石造宝篋印塔 室町時代建立
重要文化財 彫刻 木造十一面観音立像
  ヒノキ一本造 平安中期
重要文化財 彫刻 木造千手観音立像
  ヒノキ一本造 平安後ろ期
重要文化財 絵画 絹本著色十六善神像
兵庫県指定文化財 彫刻 木造四天王立像木造金剛力士立像
豊岡市指定文化財 建造物 温泉寺宝篋印塔温泉寺山門(仁王門)温泉寺多宝塔
豊岡市指定文化財 絵画 紙本温泉寺縁起図那智群山図滑川煙雨図紙本山水図
豊岡市指定文化財 天然記念物 温泉寺参道沿いの古木群
 (豊岡市教育委員会)
顕彰の碑
城崎特産麦わら細工の始祖半七師の徳を称えて富田仙助翁が明治二十四年に建立した。
薬師堂の前には薬師湯ゆのみばがありました。 お湯が流れ出て湯のみや柄杓も置かれていました。 ひと口飲んでみると、食塩泉ということで僅かにしょっぱい味がしました。 手前には「歌のポスト」があって、用紙も備え付けられていました。 右側には有島武郎の歌碑があり、左側にはがありました。
城崎温泉 薬師の湯
城崎温泉薬師公園飲泉場
泉質名 − ナトリウム・カルシウム塩化物・高温泉(Na・Ca−C高温泉)
◎飲用される場合は、下記のことにご注意下さい。
[飲用適応症] 慢性消火器病、慢性便秘
[飲用の禁忌症] 肝臓病、高血圧症、その他一般にむくみのある者
分析機関 兵庫県衛生研究所
自動操作のため、温泉が止まる事がありますが、しばらくお待ち下さい。
浜坂の遠き砂丘の中にして侘びしき我を見いでつるかな 武郎
この歌は、大正十二年四月下旬、有島武郎が山陰講演旅行の帰途当地に泊り、その時世話を受けた客室係に書き与えた。 温泉寺にも参詣し、龍照法印が指頭で六字の名号(南無阿弥陀佛)を書くことを聞きこれを求めた。 その後間もなく愛人と自殺を遂げたが、この書はそれを暗示させる彼の絶筆といってよいものであろう。
歌のポスト
俳句・短歌等、住所氏名を記入の上ご投函ください。
 (城崎温泉観光協会)
水子地蔵和讃
帰命頂礼地蔵尊 蓮の台にしずまりて
六道能化の内証を 忍辱慈悲と度し給う
親子のえにし薄くして この世の光仰ぎ見ず
乳房を求めるすべもなく 長き闇路の独り旅
賽の河原のたそがれに 水子の手には重からん
小石をひろいて塔を組む 一重二重は父母のため
父親こいし母こいし わけて母こそ恋しけれ
日毎夜毎の夢枕 立ちてわが身を恋うるなり
みどり子捨てしこの親を ゆるしておくれこの母を
仏の慈悲にすがりつつ 輪廻転生信ずれば
来世は愛子と生まれきて 尊き生命守りぬかん
南無や大慈の地蔵尊 南無や能化の地蔵尊
から温泉寺を出て行きます。 仁王門とも言われるように、左右には木製の大きな仁王像が立っていました。 向かって右側が、左側がをしていて、 傍には大きな草鞋も吊り下げられていました。 「聖武天皇勅願 高野山真言宗 道智上人開創 別格本山 末代山温泉寺」と 「西國薬師霊場第二十九番 山門入る 薬師堂」の木札も掲げられていました。 「」と題した紙も張り出されていて、 「29番」としてこの温泉寺が載っていました。
西国薬師霊場地図
1 薬師寺 奈良
2 霊山寺 奈良
3 般若寺 奈良
4 興福寺 奈良
5 元興寺 奈良
6 新薬師寺 奈良
7 久米寺 奈良
8 室生寺 奈良
9 金剛寺 奈良
10 龍泉寺 和歌山
11 高室院 和歌山
12 禅林寺 和歌山
13 弘川寺 大阪
14 野中寺 大阪
15 家原寺 大阪
16 四天王寺 大阪
17 国分寺 大阪
18 久安寺 大阪
19 昆陽寺 兵庫
20 東光寺 兵庫
21 花山院 兵庫
22 鶴林寺 兵庫
23 斑鳩寺 兵庫
24 神積寺 兵庫
25 達身寺 兵庫
26 長安寺 京都
27 天寧寺 京都
28 大乗寺 兵庫
29 温泉寺 兵庫
30 多禰寺 京都
31 総持寺 滋賀
32 西明寺 滋賀
33 石薬師寺 三重
34 四天王寺 三重
35 神宮寺 三重
36 弥勒寺 三重
37 浄瑠璃寺 京都
38 法界寺 京都
39 醍醐寺 京都
40 雲龍院 京都
41 正法寺 京都
42 勝持寺 京都
43 神蔵寺 京都
44 神護寺 京都
45 三千院 京都
46 桑寶寺 滋賀
47 善水寺 滋賀
48 水観寺 滋賀
49 延暦寺 滋賀
薬師源泉
「南無薬師如来」の赤い幟が並ぶ参道を進んでいくと、 右側の広場の上にの乗り場があります。 左側には「」があり、 大きな「」も設置されていました。 その奥には城崎温泉薬師源泉があります。 小屋の中に設置されたポンプで地下から温泉を汲み上げているようです。 傍にはがあって、 天然素材「手作りアイス」の城崎ジェラートが美味しそうだったので、ちょいと食べていきました。
末代山温泉寺は城崎温泉を開いた道智上人により創建された。 道智上人は地蔵菩薩の化身といわれ、広く衆生済度の大願を発して諸国を巡り、 養老元年丁巳の年(717)この地に来て、当所鎮守四所神社に祈願をこめ、 明神の神託を得て翌養老二年から四年にかけて一千日の間八曼荼羅の修業をなし温泉を開いた。
多聞天 像高131.5cm、広目天 像高135.5cm、増長天 像高133.5cm、持国天 像高133cm
木造十一面観音菩薩立像 像高213.5cm、木造十一面千手観音菩薩立像 像高144.7cm
歴史と文学のいで湯の町〜城崎町 温泉寺附近案内図
温泉寺本堂、温泉寺多宝塔、宝篋印塔、城崎町立美術館へは、ロープウェイで約3分、 薬師道右の参道を登って行くとと約15分です。 薬師堂、温泉寺山門、金剛力士像へは現在位置横の歩道をまっすぐ行ったところにあります。
城崎温泉 薬師源泉
自然湧出量150L/毎分
揚湯量400L/毎分
湧出温度81.0℃
掘さく深度500メートル
この泉源は、鴻の湯裏の貯湯タンクの水位変化によって、 自動的に揚湯してタンクに送り込むようになっています。
足湯温泉分析表
1 原泉名 城崎郡城崎町湯島字湯の元642番地 No.28号泉
2 泉質名 ナトリウム・カルシウム一塩化物・高温泉
低張性、弱アルカリ性、高温泉
3 泉温 77.3℃(気温12.5℃)
4 温泉の成分 (1)性状 無色澄明、わずかに塩味を有す
(2)水素イオン濃度(PH) 7.64
(3)密度(20℃/4℃) 1.00078
(4)蒸発残留物 4.646g/Kg
5 分析年月日 平成7年1月26日
6 分析者 兵庫県衛生研究所
薬師橋
城崎ジェラートカフェ「Chaya」から出て、 綺麗な前掛けをしたが並ぶ祠を過ぎていくと、 大谿川には朱色の欄干が設置された薬師橋が架かっています。 手前には近畿自然歩道の道標が立っていて、 左の道は「桑の木(志賀直哉ゆかりの桑の木)1.7km」、右の道は「極楽寺0.2km」、 今来た道は「温泉寺本堂0.4km・城崎美術館0.5km」となっています。 大谿川に沿って城崎温泉の街並みが続いていますが、今回の散策はここで終わりにしました。
大谿川(おおたにがわ)
城崎町湯島地区の奥地に源を発し、 城崎温泉の街中を流れて一級河川円山川(まるやまがわ)へ注ぐ延長1.9kmほどの川です。 川沿いには桜や枝垂れ柳が並木を作っていて、季節になると綺麗に彩られます。