| 概 要 |
丹波市春日町の野村地区と棚原地区の境にある193.0m峰(点名:棚原)へ登ります。
春日神社の傍を起終点として、北側にある惣山城跡へ登り、
麓へ降りて古池と新池の傍を進み、稲荷神社を経て193.0m峰へ登ります。
193.0m峰からは東へ延びる尾根を降り、途中から南側にある金比羅神社へ降るルートを周回します。
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| 起 点 |
丹波市春日町 野村地区
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| 終 点 |
丹波市春日町 野村地区
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野村地区…春日神社…惣山城跡…稲荷神社…193.0m峰…金比羅神社…野村地区
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| 所要時間 |
1時間40分
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| 歩いて... |
春日神社から惣山城跡までは明瞭な踏み跡が続いています。
新池から稲荷神社までは広い参道が続いています。
稲荷神社から193.0m峰までに明瞭な道はありません。
藪漕ぎすることはありませんが、山頂まで大小の岩が剥き出す岩尾根になっています。
山頂から東の尾根には膝丈以上のシダ類が茂っていますが、
境界杭の場所を示す桃テープが点々と続いています。
最後の金比羅神社へ降るルートに明瞭な道はなく、防護網に沿って急斜面を降ります。
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| 関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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野村地区
北近畿豊岡自動車道を春日ICで降りて、国道175号の下野村交差点から県道69号を南下していきます。
春日中学校前交差点を直進して、
「氷上特別支援学校」と「春日学園 春日育成苑」の標識が出るを右折していきます。
春日育成苑と氷上特別支援学校の間を過ぎて山際を進んでいくと、新池の土手の下が広くなっています。
地面がロープで区画されていて駐車場のようになっているので、ここに車を停めさせて頂きます。
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春日神社
駐車地の先へ進んでいくと、すぐの所にがあります。
分岐の右側にはがあります。
「春日神社」の扁額が掲げられたをくぐって境内に入っていきます。
玉垣で囲まれた一段高い所に春日神社の社殿があります。
駐車地から2分ほどの所になります。
屋根には7本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えています。
県指定文化財 春日神社本殿
指定年月日 昭和52年3月29日
所有者・管理者 春日神社
神社の創立沿革は不詳であるが、この地方は古くから大和春日大社の荘園の地であり、総社春日大明神と呼ばれ、
春日四座並びに天押雲根命、豊受姫神、菅原道真、誉田別命を祭祀する。
天正3年(1575)〜7年(1579)、明智光秀の丹波攻めの際に、兵火にあって消失し、その後再建されたと伝えられている。
建物の木割や絵様、繰形などの細部手法をみると、江戸時代初期を下らない頃の手法を示している。
五間社流造の社殿は全国的にも類例が少なく、兵庫県下では唯一のもので、神社形式の変遷を知る上で貴重である。
平成元年10月 兵庫県教育委員会
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解説板のから境内を出ていきます。
沿いに登っていきます。
この道は地形図に破線で描かれていて、明瞭に続いています。
の社殿を右側に眺めながら登っていきます。
程なくして、両側になどが茂るようになります。
傾斜が緩やかになると、浅い鞍部になった峠に出ます。
破線の道は峠を越えて正面へ降っていきますが、明瞭な踏み跡があるを登っていきます。
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惣山城跡
それほど傾斜が急ではないを少し曲がりながら登っていきます。
しばらく登っていくと、緩やかで広いの端に着きます。
情報によると、かつて惣山城があった所のようですが、平坦地が続くばかりで、その旨の解説板などは見かけません。
程なくしてがありますが、名前などを記したものは見かけません。
すぐ先にはが立っています。
山頂部の端までいくと神社がありますが、ここも名前などを記したものは見かけません。
春日神社から5分ほどの所になります。
左脇にがあって文字が刻まれていますが、よく読めませんでした。
周囲にはトイレや建物跡のようなものが幾つか見られます。
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手前にあるをくぐって、急な石段を降っていきます。
は段差が高く、間が少し凹んでいて歩き難くなっています。
滑って転ばないよう注意しながら慎重に降っていくと、小川に架かるを渡って道路に出ます。
左へ続くを小川沿いに進んでいきます。
少し曲がりながら進んでいくとに出ます。
左の小橋を渡った所に奥野村公民館があり、手前に土地改良の記念碑があります。
惣山城跡から7分ほどの所になります。
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この事業は農村総合整備モデル事業の一環として昭
和五十五年末より其の推進に取組み併せて地区周辺の
環境整備も含め昭和五十六年八月奥野村土地改良区の
発足を見従来の狭隘な段差の多い田を整備すべく地区
を挙げ有史以来の_事業に着手した又関連事業として
部落広場揚水機の造設等幾多の困難も町当局の適切な
指導と伝統の強固な連帯感により克服し昭和五十八年
五月完了したこの間多くの人々の御指導と御協力に感
謝してこゝに記念碑を建てる
昭和五十九年七月二十一日 奥野村土地改良区
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事業概要
| 総面積 | 802ha |
| 整備面積 | 6.5ha |
| 部落広場 | 1,100u |
| 揚水機 | 1基 |
| 参加農家 | 32戸 |
| 事業前筆数 | 220筆 |
| 事業後筆数 | 55筆 |
| 工事期間 | 自 昭56.8 至 昭58.5 |
| 総工事費 | 7,520万円 |
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左に広がるの脇を進んでいきます。
右へ道を分けた先から振り返ると、が水面に映って綺麗な眺めです。
少し降って山際を進んでいくと、切り立ったがあります。
解説板によると野村断層というようです。
傍には石仏などが並んでいます。
新池の縁を進んでいくとがあります。
左の道を降ると車を止めてきた駐車地に戻れますが、193.0m峰に登るべく右の土手の上の道を進んでいきます。
右側にや野村断層がある山を眺めながら土手の上を進んでいきます。
新池からの放水路まで来ると防護扉があります。
奥野村公民館から7分ほどの所になります。
横に渡された鉄棒を持ち上げ、小レバーを回せば扉を開けられます。
市指定文化財 野村断層
指定年月日 昭和44年8月31日
所有者 野村自治会
この野村断層は左横ズレの断層であり、垂直成分はなかったことが断層面に残された条痕からわかる。
断層面はチャートからなり、走向は南北線より26度西に向き、傾斜は65度東へ傾いている。
破砕帯の幅は20m以上で美しい鏡肌をもち断層面の南西側につづいている。
その部分は著しく破砕されているが粘板岩・砂岩からなる。
この部分はもろくなっていて、激しく侵食されたために断層面があらわれたものである。
約30mある崖の高さは断層の運動とは関係なく浸食によるものである。
断層の運動量は不明だが、破砕帯の幅からみるとかなり大きいと推定される。
この断層は、地殻の力が作用して生じた地層のくい違いを見ることができ、
この地域の地形形成についての示唆を与えている。
平成26年2月 丹波市教育委員会
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稲荷神社
防護扉を過ぎて小橋を渡るとがあります。
地形図に載っている分岐のようですが、ここは朱塗りの鳥居が立ち並ぶ正面の参道を登っていきます。
すぐにある「稲荷大明神」の扁額が掲げられた鳥居をくぐって、間隔の広いを登っていきます。
程なくして、切り立ったが左側にありますが、先ほどの野村断層の続きでしょうか。
傾斜が緩やかになって最後の鳥居をくぐると、広かったは終わりになります。
左の石段を登った所に祠があります。
扁額などは見かけませんが、これがになるようです。
防護扉から4分ほどの所になります。
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参道の先には程度の道が続いていますが、地形図に破線で載っている道のようです。
200mほど先にある鞍部の辺りから193.0m峰へ登れないかとも思いますが、傾斜が急そうな雰囲気なので止めておきます。
ここは左に続くシダ類が茂るを横切るように登っていきます。
踏み跡も見かけない斜面を斜めに登っていくと、浅い鞍部のようになったに出ます。
ここから193.0m峰へ向かって右へ続く尾根を登っていくのですが、すぐの所に大岩が尾根を塞いでいます。
『どうしたものか』と思って左右を窺っていると、が歩けそうなので進んでいきます。
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左へ曲がりながら登って尾根の背に出ると、すぐ先にまたがあります。
ここもを迂回するように登っていきます。
左へ曲がりながら登って尾根の背に出ると、またがあります。
ここもを回り込むように登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくと、歩き易い尾根の背に出ます。
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岩が少なくなって喜んでいると、またすぐにが尾根を塞いでいます。
迂回するようにを登っていきます。
尾根の背に復帰するとが剥き出しているので、ここも右側を迂回していきます。
尾根の背に復帰すると、最後のの脇に出ます。
右へ曲がって、シダ類が茂る尾根を登っていくと、樹間に電波塔が見えてきます。
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193.0m峰
緑色の防護網が途切れた所から中へ入っていくと、の袂に出ます。
『銘板などはないか』と探してみますが、見つけられませんでした。
電波塔を囲む金網柵に沿ってへ進んでいきます。
右へ曲がっていく金網柵を見送って僅かな高みへ登ると、小広くなった山頂に着きます。
稲荷神社から17分ほどで登って来られました。
中ほどには「棚原」があるので、地形図に載っている193.0m峰になるようです。
周囲には樹木が茂っていて残念ながら眺めは広がりませんが、振り返ると、先ほどのが聳えています。
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先にあるシダ類が茂るへ向かっていきます。
松の幼木が茂る明るい所に出るとが広がってきます。
左側にあるの脇を右へ曲がって降っていきます。
が膝丈以上に茂る尾根を降っていきます。
シダ類の背丈が少し低くなって踏み跡のようになった所が続いていますが、あまり明瞭ではありません。
所々に桃テープが巻かれていますが、傍にある「地籍調査」の赤頭短杭の場所を示しているようです。
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しばらく降っていくと、が減ってきます。
緩やかになった尾根を進んでいくと、剥き出すの手前に、
「棚原」の文字が見られる石杭と「地籍調査」の赤頭短杭が並んでいます。
降り傾斜が増してくると、またが茂るようになります。
シダ類が減った所まで来ると、少し右側にがあります。
193.0m峰から11分ほどの所になります。
地図に載っている神社と思われる所へ降りていくべく、小岩の先を右へ曲がっていきます。
シダ類が茂る斜面を降り始めると、左側から防護網が近づいてきます。
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植林地の急斜面に続くは既に役目を終えているようで、地面を這っている所が多くなっています。
を跨いだりして歩き易い所を探しながら、
明瞭な道のない急斜面を防護網に沿って降っていきます。
今回のルートの中では一番の頑張り所になります。
樹木に掴まったりしながら降っていくと、左下にが見えてきますが、まだ防護網に沿って降っていきます。
やがてまで降ってきます。
道路には降りずに左へ曲がり、先ほどから見えている建物へ向かっていきます。
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金比羅神社
を進んでいきます。
正面に出て振り返ると、社殿かと思っていたは社務所のようでした。
先へ進んでいくと、すぐにが立っています。
左側の岩の上に神社があります。
脇にある解説板によると金比羅神社というようです。
193.0m峰から23分ほどで降りて来られました。
金比羅神社
祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」
五穀豊穣や産業・文化などの繁栄と国や人々の平安の神として信仰されている。
1827年(文政10)に讃岐の国松山講から勧請されたと言われている。
ご神体は1829年(文政12)にこの地に祠をつくり安置された。
1835年(天保6)本殿前の石段、1844年(弘化元)社前の石垣が完成。
1930年(昭和5)道路からの石段が完成。
参道入口の石の鳥居は1943年(昭和18)に奉献された。
現在の本殿と舞殿は1954年(昭和29)に新築再建された。
平成17年秋 棚原区 パワーアップ事業推進委員会
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道路と並行するようにが延びていますが、今回は見送っていきます。
社殿の正面にあるを降っていきます。
道路脇まで降りるとがあります。
横に渡された鉄棒を持ち上げると扉を開けられますが、
右側に小さな扉があるので、小レバーを回して開けて通過します。
左へ続くを進んでいきます。
右からの道を併せていくと、道路と並行してきた金比羅神社の参道の出入口があります。
ここのも先ほどのと似た構造になっています。
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すぐ先の山際にはが並んでいて、「松源さん」の解説板が立っています。
右に分かれていく道を見送って山際を進んでいくと、山際から離れていく辺りにがあります。
横に渡された鉄棒を持ち上げれば開けられそうですが、尾根の途中で金比羅神社へ向かわずにそのまま降りてくると、ここに出られるのでしょうか。
の脇を進んでいきます。
真っ直ぐ進んでいくと、車で来た時に通ったY字路に出ます。
左の角の金網柵には氷上特別支援学校のがあります。
松源さん
棚原天満神社が1686年(貞享3)に社寺「霊威山神徳寺」となった初代社僧「松源院実證」(1751年歿)及び
二代目社僧「実彗」他「実円」「実道」等 歴代和尚の墓。
左端の「地蔵菩薩」は1759年(宝暦9)に二代目の「実彗和尚」が初代の「実證和尚」の供養のために建立した。
平成17年秋 棚原区 パワーアップ事業推進委員会
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野村地区
左へ曲がって車で来た道を進んでいくと、193.0m峰の傍にあったの頂部が見えてきます。
程なくしてを進むようになります。
右側にはが立っています。
どの神社のものかは分かりませんでしたが、春日神社の方角を向いているように思えます。
右に分かれていく道を見送ってを進んでいくと、春日神社などが見えてきます。
新池の土手の下まで来ると、車を止めておいた駐車地があります。
金比羅神社から18分ほどで到着しました。
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