上鴨阪256m峰
概 要 丹波市市島町の上鴨阪地区にある256.0m峰(点名:上鴨阪)へ登ります。 宗福寺を起終点とし、尾根に出て東にある誉田城跡を訪ね、 峠まで引き返して西にある誉田西城跡を経て山頂へ登り、 峠まで引き返して宗福寺に戻るルートを歩きます。
起 点 丹波市市島町 上鴨阪地区
終 点 丹波市市島町 上鴨阪地区
上鴨阪地区…126番鉄塔…誉田城跡…126番鉄塔…峠…誉田西城跡…256.0m峰…誉田西城跡…峠…上鴨阪地区
所要時間 2時間10分
歩いて... 誉田城跡や誉田西城跡には、曲輪跡と思われる平坦地や堀切・切岸などの地形が見られます。 誉田城跡の尾根は歩き易くなっています。 峠から誉田西城跡へ向かう尾根は急坂が続きます。 誉田西城跡から256.0m峰にかけては倒木が煩わしくなります。 尾根からはほとんど眺めが広がりませんが、126番鉄塔がある所は開けています。
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コース紹介
上鴨阪地区
丹波市を通る国道175号を南下し、八日市交差点から県道282号に入って西進していきます。 余田橋を過ぎた所に徳尾地区へのがありますが、直進していきます。 上鴨阪の集落を進んでいくと、へ続く道が分かれていきます。 入口には「萬松山宗福禅寺」と「郡内霊場四十四番」のが立っています。 右折して坂道を登っていくと宗福寺があります。 山門の下の左右に駐車場があるので、ここに車を停めさせて頂きます。
脇には「」の解説板があって、誉田城跡の地図が掲載されています。
市指定文化財 誉田城跡(余田城跡)
指定年月日 平成元年8月24日
所有者 個人
この地を治めた余田為綱は、元歴元年(1184)に関東よりこの地に来住したと伝わる。 誉田城がいつ築城されたかは伝わっていないが、これ以降に築城されたと思われる。 元弘3年(1333)4月に足利尊氏が丹波篠村で兵を挙げたとき、久下氏・芦田氏らと共に余田氏も馳せ参じたと太平記に記述があり、 全盛期には今の市島地域の美和谷を除く大部分を治めていたと考えられている。 天正2年(1574)6月に黒井城主荻野直正に攻められ落城し、その軍門に下る。 次いで天正7年(1579)明智光春に攻められ、城主余田為家が防戦したものの落城した。 その後、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦で徳川方に呼応した荻野直正の末弟時直が誉田城に立て籠もったのを最後に誉田城の歴史は幕を閉じている。 誉田城は「余田谷」の最奥部に位置しており、山麓にある宗福寺の背後の東西に並ぶ4段の曲輪が主郭部と考えられている。 西端の堀切を越えて斜面を登った先に別の曲輪群もあるが、これが誉田城の一部なのか、分城なのか、 全く別の城として築城されたのかは記録が残されていないため不明である。 全体的に、曲輪・切岸・堀切・土塁が良好に残されている。
令和7年3月 丹波市教育委員会
ここでは、「西端の堀切を越えて斜面を登った先にある別の曲輪群」を誉田西城跡と表記しています。
駐車場の左にあるに続く小径を登っていきます。 入口には退色した「火の用心」の標識があります。 まで来て、道なりに左へ曲がっていきます。 最奥の墓を過ぎるとへ入っていきます。 すぐの所に防護扉があります。 駐車場から2分ほどの所になります。 上下に設けられた小レバーを回し、緩く括られた針金を解くとを開けられます。 扉のすぐ先に「火の用心」の標識が立っていて、送電線の巡視路になっているようです。
防護柵に沿って続くを登っていきます。 右へ曲がっていく防護柵を見送って伐採地のを登っていくと、送電線の鉄塔が見えてきます。 少し登っていくとへ入っていきます。 程なくして、左右に延びる標高160mほどの尾根に出ます。 正面には「火の用心」の標識が立っています。 他に標識類は見かけませんが、西にあるの辺りから東にある熊野三社大権現堂の辺りまでの400mほどの範囲が誉田城跡になるようです。 整備が進められているのか、少し起伏はあるものの歩き易い尾根が続いています。
126番鉄塔
右へ続くを進んでいきます。 伐採地に出ると、送電線の鉄塔「北摂長田野線一二六」が立っています。 駐車場から8分ほどの所になります。 には山並みが広がります。 にも眺めが広がります。
鉄塔の先へ進み始めると、「新No126」と書かれたがあります。 軽く降っていくとになります。 少し先を軽く登っていくと、標高160mほどのに着きます。 樹木が茂り気味ながら小広くなっていて、曲輪跡のような雰囲気です。 のような急な所を降っていきます。 程なくして、標高150mほどの緩やかな尾根になります。
誉田城跡
軽い登り坂になる尾根を進んでいくと、のような急坂があります。 急坂を登っていくと、標高150mほどのに出ます。 樹木が茂り気味ですが、ここも小広くなっていて曲輪跡のような雰囲気です。 解説板に載っている誉田城跡の「主郭部W」でしょうか。 僅かな降り坂で続く尾根を進んで緩やかになると、のような所があります。 急坂を登っていくと、標高150mほどのに出ます。 ここも小広くなっていて曲輪跡のような雰囲気です。 解説板に載っている「主郭部V」でしょうか。 程なくして、またのような所があります。 急坂を登っていくと、また標高150mほどの平坦地Tに出ます。 ここも小広くなっていて曲輪跡のような雰囲気です。 解説板に載っている「主郭部T」でしょうか。 126番鉄塔から9分ほどの所になります。
先へ続くを降っていきます。 右へ曲がりながら降っていくと、に出ます。 主郭部Tを取り巻くように続いていて、解説板に載っている「主郭部U」でしょうか。 平坦地を横切って降り始めると、下の方にが見えます。 緩やかな所にある祠まで降りて正面に回り込むと「熊野三社大権現堂」の扁額が掲げられています。 周囲は小広くなっていて、曲輪跡のような雰囲気もします。 正面にはが降っていきます。 里まで降りていけるのか気になりますが、確かめるのは省略します。
祠の背後にある尾根を登って、主郭部Uと思われるに戻ってきます。 少し左側から左へ曲がるように登っていくと、主郭部Tと思われるに出ます。 のような所の左側を降っていきます。 主郭部Vと思われる広いを進んでいきます。 が続く所を降っていきます。 主郭部Wと思われる緩やかな尾根の平坦地Wを進んでいきます。
のような急な所を降っていきます。 標高150mほどのを進んでいきます。 しばらく進んでいくと、のような急坂になります。 急坂を登っていくと、曲輪跡のような標高160mほどの平坦地に着きます。
126番鉄塔
軽いになる尾根を進んでいきます。 少し降って緩やかになると、に出ます。 軽く登り返して「新No126」と書かれた木杭を過ぎて伐採地に出ると、送電線の鉄塔「北摂長田野線一二六」が立っています。 往復25分ほどで戻って来られました。 に広がる山並みを再度眺めていきます。 にも広がる景色を眺めながらひと息入れていきます。
先へ続く尾根を軽く登っていくと、宗福寺の墓地の奥から登ってきた所にあったに出ます。 登ってきた左の道は見送って正面の尾根を降っていくと、 二重になったがあります。 右から左へ少し曲がりながら降っていくと、深い堀切のようになった標高150mほどのに降り立ちます。 126番鉄塔から4分ほどの所になります。 中ほどには「火の用心」の標識が立っています。 地形図に破線で載っているが横切っていて、南側の上鴨阪地区と北側の徳尾地区を結んでいるようです。
明瞭な道はありませんが、を登っていきます。 次第にが増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 息を弾ませ小汗をかきながらしばらく登っていくと少しが緩んできて、樹木に手を掛けなくても登れるようになります。 「界」のを見かける尾根を登っていきます。 樹木が茂り気味の尾根を更に登っていくと、標高210mほどのに出ます。 少し進んでいくと、土塁のような標高220mほどの高みに着きます。
誉田西城跡
軽く降っていくとになります。 しばらくが続きますが、これまでより傾斜が緩やかで歩き易い尾根になります。 この辺りから先400mほどの範囲が誉田西城跡になるようですが、その旨の標識類は見かけません。 尾根には樹木が茂り気味で眺めの広がる所はなく、樹間から僅かにが見える程度です。 所々にある「界」のを確認しながら登っていきます。 やがて標高230mほどの平坦地に出ます。 から17分ほどの所になります。 小広い尾根がしばらく続いていて、曲輪跡のような雰囲気です。
僅かなのような所を過ぎていきます。 軽く降っていくとになります。 曲がりながら登っていきます。 少し右へ曲がりながら登っていくと、倒木などが煩わしい高みに着きます。
軽く降っていくと、広くてになります。 程なくしてになります。 思いのほかが急なので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 頑張って登っていくと、標高240mほどの高みに着きます。
になる尾根を進んでいきます。 煩わしい樹木を避けながら降っていくとになります。 程なくしてになると、少し左へ曲っていきます。 僅かにを過ぎて登っていきます。 少し登っていくと、土塁のような所を越えていきます。 この辺りまでが誉田西城跡の範囲でしょうか。
256.0m峰
曲がりながら降っていきます。 緩やかな所を過ぎると、曲がりながら登るようになります。 程なくしてが増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになると高みに着きます。 中ほどには「上鴨阪」があるので、地形図に載っている256.0m峰になるようです。 から37分ほどで到着しました。 周囲には樹木が茂っていて残念ながら眺めは広がりませんが、 樹間に僅かにを眺めながら休憩していきます。
歩けそうな尾根は先へ続いていますが、を引き返していきます。 次第にが増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。 少し左へ曲がりながら降っていくとになります。 程なくして、曲がりながら登るようになります。 土塁のような所を越えて軽く降っていきます。
少し降っていくと、僅かにを過ぎて登っていきます。 軽く登った先を少し右へ曲がりながら降っていくとになります。 登り坂になる尾根を進んでいくと、標高240mほどのに着きます。 高みを越えて、思いのほか傾斜がを、脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。 少し降っていくと、広くてになります。 軽く降っていくと、倒木などが煩わしい高みに着きます。
誉田西城跡
高みを過ぎて、降っていきます。 歩き易い尾根を曲がりながら降っていきます。 傾斜が緩やかになるとになります。 軽く登っていくと、があります。 土塁を越えていくと、標高230mほどの平坦地に出ます。 256.0m峰から17分ほどの所になります。 緩やかで小広い尾根がしばらく続いていて、誉田西城跡の曲輪跡のような雰囲気がする所です。
緩やかな尾根をしばらく進んでいくとになります。 程なくして、曲がりながら降るようになります。 所々にある「界」の赤プラ杭を眺めたりしながら降っていくとになります。 左の樹間に僅かにを眺めながら進んでいきます。 軽く登るようになると、土塁のような標高220mほどの高みに着きます。
しばらく続くを降っていきます。 やがてが増してきます。 息を弾ませ小汗をかきながら登ってきたも降る時には楽勝ですが、 滑って転ばないよう脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。 足元に注意しながら慎重に降っていくと傾斜がきて、樹木に手を掛けなくても良くなります。 「火の用心」の標識が見えてくると、深い堀切のようになった標高150mほどのに着きます。 256.0m峰から33分ほどで戻って来られました。
右へ続く明瞭なを進んでいきます。 程なくしてになります。 窪んだ峠道を降っていくと、先の方にが見えてきます。 程なくしてが道を塞いでいますが、 上下に設けられた小レバーを回せば扉を開けられます。 防護柵を通過すると、すぐの所に祠があります。 祠の中や脇には石仏が幾つかあって、地蔵堂のようです。
に沿って降っていきます。 右へ曲がっていく防護柵を見送っていくとになります。 道なりに右へ曲がりながら降っていくとから出ます。 曲がって、竹林の脇を更に降っていきます。 真っ直ぐ降っていくと、上鴨阪の集落に出ます。 から6分ほどで降りて来られました。
上鴨阪地区
少し降って路地に出て、へ進んでいきます。 畑地や民家の間に続く路地を降っていくと、左右に通るに出ます。 振り返ってを確認していきます。 左へ続く県道282号を進んでいくと、程なくして送電線の鉄塔「」が立っています。 すぐ先にある「萬松山宗福禅寺」と「郡内霊場四十四番」の石柱が立つ所から分かれていくを登っていきます。 真っ直ぐ登っていくと、車を止めておいた宗福寺の駐車場に着きます。 から13分ほどで到着しました。
宗福寺
家路につく前に、宗福寺に立ち寄っていきます。 謂れなどを記したものは見かけませんが、情報によると曹洞宗のお寺で、本尊は釈迦牟尼佛とのことです。 山門をくぐっていくと、正面にがあります。 右側にはなどが並んでいます。 もあります。 左側にはなどが幾つか見られます。 本堂の裏手には「」として樹木や宿根草が植栽されているようですが、 花の季節ではないので訪ねるのは省略しました。 (所要時間に含めず)
県民まちなみ緑化事業 宗福寺境内・裏山緑化事業
この緑地は県民緑税を活用して整備しました 平成29年2月
 高木 イロハモミジ…13本
 低木 サツキ…252本
 宿根草 タイムロンギカウリス…252本
 緑化面積 209u
この樹木は私たちが育てています。
宗福寺の杜を守る会