東山1047m峰
概 要 養父市八鹿町と香美町村岡区の境にある1047.1m峰(点名:東山)へ登ります。 森林基幹道「妙見・蘇武線」の名草神社駅を起終点とし、 名草神社から石仏が佇む参詣道を登って妙見峠に出て1047.1m峰へ向かい、 北へ延びる尾根から森林基幹道に降りて、名草神社駅まで戻るルートを周回します。
起 点 養父市八鹿町 妙見地区
終 点 養父市八鹿町 妙見地区
妙見地区…登山口…妙見峠…1051m峰…1047.1m峰…金山峠分岐…下山地…地籍図根三角点…妙見地区
所要時間 2時間50分
歩いて... 名草神社から妙見峠へ至る参詣道は明瞭ですが、思いのほか傾斜が急で、 何度も立ち止まって汗を拭きながらの遅い登りとなりました。 妙見峠からの尾根に明瞭な道はありませんが、藪漕ぎする必要はありません。 金山峠分岐まではテープが続き、要所に標識もあって安心です。 金山峠分岐から先には標識を見かけませんが、歩くのに問題はありません。
関連メモ 妙見山, 妙見山, 名草神社, 妙見795m峰
コース紹介
妙見地区
養父市八鹿町の市街地から県道267号を西進し、 がある日畑地区への分岐を直進していきます。 石原バス停の先へ続く森林基幹道「妙見・蘇武線」を登っていくとがあるので、ちょいと立ち寄っていきます。 由緒書きによると、この先の名草神社と深い関連があるようです。 起点から4.2km地点にある加瀬尾分岐駅を過ぎて6.8km地点まで来ると(*)があります。 幾つかある案内板の中に「」があって、 今回歩く名草神社から妙見峠までの道が載っています。 普通林道「大ナル線」を左に分けて森林基幹道を更に進み、8.0km地点まで来るとに着きます。 右側が小広くなっているので、ここに車を止めさせて頂きます。
駐車地の傍にはの群落があって、花が咲き始めています。 妙見自然の家の傍には「社人之碑」や「但州(但馬)妙見山の変遷」のがあり、 周囲には色とりどりのジギタリスが咲いています。
妙見山登山口駅から妙見山へ登るルートは「妙見山」を参照。
但馬妙見 日光院 ご案内
当院は、飛鳥時代(人皇30代敏達天皇・西暦572年)日光慶重がここ石原に一寺を築いた事に始まります。 霊符縁起によりますと、但馬国・石原妙見は、肥後国・八代妙見、下総国・相馬妙見と共に日本三妙見の一つとされます。 ご本尊は妙見大菩薩で、非常に霊験あらたかな仏樣です。 そして、北斗七星と同体とされるが故に寺紋は「七曜紋」となっています。 太古より万物の運勢と天体の動きとの間には、密接な関係があると考えられてきました。 北の空で、一年を通じて観ることの出来る北斗七星、つまり妙見大菩薩は星宿の中の帝王とされ、 万物の運勢を司る仏樣として信仰されてきました。 農業にあっては五穀豊穣、商売にあっては商売繁盛と、あらゆる事に対して「開運厄除」のご利益がある仏樣です。 戦国時代には、特に部門将士の信仰をあつめ、山名宗全も、ここ日光院で戦勝祈願をしました。 それらの古文書は「日光院文書」と呼ばれ、中世の歴史を伝える貴重な史料として、県指定重要文化財となっています。 天正年間、羽柴秀長の山陰攻めの兵火にあい、寺紋一時衰微しましたが、 寛永9年には、ここから西方50丁の妙見中腹に移転復興し、三代将軍家光公より、30石の御朱印地を賜りました。 また、寛文5年には、出雲大社の御造営に際し、本殿の御用材に日光院の妙見杉をお譲りしたお礼に、 出雲大社より日光院に三重塔を譲り受けました。 そして、妙見全山を伽藍としる壮大な妙見信仰の一大霊場として繁栄を極めました。 明治になり、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、妙見信仰の弾圧が始まりました。 明治9年7月8日、遂に「寺号を廃して、不動産のみ名草神社とせよ」という布達にて、 再びこの値の末寺成就院と合流し、今日に至っています。 つまり寛永9年から明治9年まで(245年間)の日光院の建物に、新たに名草神社が入り、お寺の建物がそのまま神社とされたのです。 そこが日光院であったが故に、仏教の象徴である三重塔が名草神社の境内に存在しているのです。 幾多の困難な時代の乗り越え、妙見大菩薩のご加護ご、壇信徒の信心により妙見信仰の法灯を護持し、 今なお宗教、宗派をこえて開運厄除のお寺として、多くの信仰を集めているのです。
妙見大菩薩の御真言 オン マカ シリエイ ジリベイ ソワカ
日本三妙見 但馬妙見 高野山真言宗 妙見山 日光院 第52世 山主 敬白
但馬妙見山 社人之碑
この地は江戸時代に妙見町と呼ばれた。 五十数戸の家々が並び但馬妙見社の門前町として栄えた。 妙見の人々は「妙見社御牛玉」と書いた御札を 但馬や因幡などに配札し社人や御師として活躍した。 多くの人々が妙見参りに訪れた。 人々はこの地を妙見山または妙見と呼んで尊崇する。
平成二十五年五月 水原寛 之建
但州(但馬)妙見山の変遷
名草神社
  古代 神道 主神 名草彦命 六座の諸神 紀川名草より招聘
妙見社
  平安〜室町時代 神道 天御中主命 星の神(北辰・北斗)
  江戸時代 真言宗 祖 初代 神仏習合
名草神社
  明治六年二月 復称 神道 祖 九代
名草神社は農業神として敬われた。 中世、妙見社は公家・武家の信仰篤く、妙見信仰の場となり栄えた。 江戸時代、神仏習合した。 社殿の改築には社人30数名は御師として勧化帳を持って諸国を廻り、 信者の方達から多額の再建費用を集めた。 風雪に耐え草木を育み見守った妙見町の古人を敬う。 慶応4年、政府は神仏分離を命じた。 明治6年、名草神社に復称した。
平成二十五年五月 十二代 水原寛 之建
駐車地の道路向かいには、「但馬妙見 名草神社」のがあります。 傍には「」の解説板があって、付近の地図が載っています。 石碑の左側にあるを登っていきます。 砂利道の所もある坂道を登って緩やかな広い所に出ると、 「妙見の大スギ」の展示館と三重塔があります。 展示館の中にはが保存されています。 脇には倒れたが横たえられています。
保健 水源かん養 保安林
この保安林は、妙見地域の保健休養の場として役立っています。
森林は、きれいな水や空気の大切な供給源となり、私達に安らぎと潤いを与えてくれます。 この保安林は、景観を保持し、自然とふれあう憩いの場として、保健やレクリェーションに活用するため、特に指定されました。 保安林内においては、次の行為は知事の許可を受けなければなりません。
 一、立木竹の伐採及び立木の損傷
 二、土石の採取及び樹根の採掘
 三、その他土地の形質を変更する行為
森林は国の宝です。保護育成に努め、後世に引き継いでいきましょう。
名草神社周辺のスギは、妙見スギと呼ばれ、大杉(夫婦杉)は国の天然記念物です。大切にしましょう。
平成元年度設置 兵庫県
水源かん養保安林
養父郡八鹿町石原字妙見ほか
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する行為をしてはなりません。
=山火事注意= 兵庫県
妙見の大スギ
国指定…大正13年12月9日
樹高…48m 樹齢…1500年
目通り…11m10cm(周囲の長さ)
樹齢1500年といわれた妙見の大スギの根株を保存しています。 平成3年9月、最大瞬間風速40m以上という台風19号によって根本から倒壊しました。 この時に約40本の大杉が倒れたり、ヒビ割れの被害を受けました。 大杉は地上7.2mのところから幹が2本に分かれ、並立していたことから夫婦杉と呼ばれ、 三重塔とともに八鹿町のシンボルとして親しまれてきました。 昔から妙見には樹齢400年前後の杉の古木が自生しており、 江戸時代には出雲大社本殿の心柱に提供された由緒もあります。 妙見杉は妙見の山岳地帯に育成する杉で、寒冷地に強い兵庫県を代表する品種です。 多くの人に夫婦杉の姿を思い出していただければ幸いです。
この展示館は夫婦杉の根株を保存するためのもので、三重塔との景観を考えて切妻造の神社建築としました。
平成6年 名草神社
国指定重要文化財 名草神社三重塔
明治37年2月18日指定
<三間三重塔婆>
この三重塔は、島根県出雲大社に出雲国主尼子経久が願主となって大永7年(1527)6月15日に建立したものと伝えます。 出雲大社の本殿の柱に妙見杉を提供した縁で、塔は日本海を船で運ばれ、 寛文五年(1655)九月に標高800mのこの地に移築されました。 高さは24.1m、一重の一辺の柱間は4.7mあります。 屋根はこけら葺で、各重には高闌付縁があります。 心柱は二重から塔の先端まで伸びています。 大永七年の材料は松・けやきが主体で、寛文5年に移築されたとき、妙見杉で補っています。 彫刻では一重の軒隅で力士が屋根を支えています。 蟇股には凡字のほかに蓮、牡丹、琵琶、雲の透かし彫りがあります。 また三重の軒隅には「見ざる・言わざる・聞かざる・思わざる」を表した四猿の彫刻があります。 昭和62年10月に解体修理が完成し、丹塗りも鮮やかな、三重塔が460年ぶりによみがえりました。
昭和63年11月 八鹿町教育委員会
登山口
広い所の奥にはが設置されています。 以前に来た時には妙見研修所があったのですが、解体されて小さな建物になっています。 右側にはがあって、名草神社(*1)へ続いていますが、今回は立ち寄るのを省略します。 正面には(*2)が続いていますが、 手前に車止めのようなものが設置されています。 「立入禁止」となっていますが、車が対象だと判断して通らせて頂きます。 左斜めに登って右への曲がり角まで来ると、地道が左前方へ分れていきます。 ここが今回の登山口になります。 駐車地から9分ほどの所になります。 入口には標識が倒れていますが、破損していて文字は確認出来ません。 右へ曲がっていくコンクリート道には「一丁」のがあって、その先に名草神社が見えています。
*1 名草神社は「妙見山」, 「名草神社」を参照。
*2 以前は地道だったように記憶していますが、名草神社の修復工事の資材等の運搬のために舗装されたように思われます。 「立入禁止」はその時の名残でしょうか。
植林地を斜めに登っていくと、「二丁」のが佇んでいます。 この道は作山地区から名草神社へ詣でる参詣道になっていたようで、 今でも丁石地蔵が点々と設置されています。 半壊した「妙見峠・名草神社」のを過ぎていきます。 少し曲がりながら登っていくとがあります。 両方とも同じような道で迷いますが、ここは左側の道を登っていきます。 少し曲がりながら登って右への曲がり角まで来ると、標識が二つあります。 登山口から6分ほどの所になります。 手前にあるのは「妙見峠・名草神社」となっています。 奥にあるのは「妙見山登山コース」ので、この先の道は「妙見峠まで0.7km」、今来た道は「三重塔まで0.3km」となっています。
道なりに右・左・右と曲がりながら登っていくと、「四丁」のがあります。 どうやら「三丁」の石仏は見落としたようです。 左へ曲がって登っていくと、右から道がしてきます。 確かめた訳ではありませんが、手前にあった分岐から分れてきた道でしょうか。 程なくして、頭部の代わりに小石が乗せられたがあります。 番号の部分も欠けていて確認できませんが、前後関係からすると「五丁」の石仏のようです。 思いのほか傾斜が急で次第に汗が噴き出してくるので、何度も立ち止まって汗を拭きながら登っていくと分岐があります。 登山口から14分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、どちらの道でもすぐ先で合流します。 右側の道を登っていくと、道が合流する所に「六丁」のがあります。
少し先を左・右と曲がりながら登っていくと、樹木の袂に「妙見峠・名草神社」のがあります。 道なりに左へ曲がっていくと「八丁」のがあるので、「七丁」の石仏は見落としたようです。 少し先を右へ曲がりながら登っていくと「九丁」のを過ぎていきます。 しばらく登った所を左へ曲がって、に続く急な窪んだ道を登っていきます。 頑張って登っていくと、少し右へ曲がってを横切るように進んでいきます。 左への曲がり角まで来ると「十一丁」の石仏が佇んでいるので、「十丁」の石仏は見落としたようです。
妙見峠
左へ曲がって、を跨いだりしながら登っていきます。 「十二丁」のを過ぎると、右へ曲がっていきます。 次第に傾斜が弛んでくる道を登っていくと、左右に延びる尾根にある浅い鞍部に着きます。 何度も立ち止まって汗を拭きながらスローペースで登ってきたので、登山口から40分ほどかかりました。 手前には「妙見峠」のが立っていて、 左の道は「妙見山へ」、右の道は「北村台経由金山峠へ」、正面の道は「作山へ」となっています。 傍には「作業道・名草神社」の標識もあります。 左には「妙見山登山コース」のが落ちていて、 「三重塔まで1.0km」となっています。
かなり汗を掻いて疲れたので、周囲の様子を確認しながら休憩していきます。 右側には石仏が二つ並んでいて、右側のは「十三丁」となっています。 (*1)は妙見山へ続いています。 (*2)は作山地区へ続いています。 以前にはなかったと思いますが、尾根のすぐ傍を並行するようにが通っています。
*1 左の道は「妙見山」,「妙見山」を参照。
*2 正面の道は「妙見山」を参照。
気を取り直して、を登っていきます。 大きなが見られる尾根を登っていきます。 尾根に明瞭な道はありませんが、下草は茂っておらず藪漕ぎも必要ありません。 しばらく登っていくと、が弛んできます。 歩き易くなった尾根を軽く登っていくと、「やまもり村岡 村岡山岳縦走ルート」のが切り株に刺してあります。 少し左へ曲がって降っていくと、標高1040mほどの浅い鞍部に出ます。
1051m峰
鞍部を過ぎて、になる尾根を進んでいきます。 曲がりながら登っていくと、次第に傾斜が弛んできます。 程なくして、また「やまもり村岡 村岡山岳縦走ルート」のがあります。 一番高そうな所を探しながら進んでいくと、ピーク感のない高みに着きます。 妙見峠から12分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、この辺りが地形図に載っている1051m峰だと思われます。 脇には古びた大きながあります。
1047.1m峰
僅かなになる尾根を進んでいきます。 歩き易いを軽く降っていきます。 程なくして、樹木が減った明るい所に出ます。 茂り始めたシダ類の中に「東山」があるので、 降り坂の途中にあってピークではありませんが、地形図に載っている1047.1m峰のようです。 妙見峠から15分ほどの所になります。 周囲には樹木が茂っていて、残念ながら眺めは広がりません。
四等三角点
基本 No.110575
この測量標はすべての測量の基準です。三角点を大切にしましょう。
国土地理院
三角点
基本
大切にしましょう
国土地理院
周囲の様子を確認したら、先へ続くを軽く降っていきます。 少し降っていくとになります。 程なくして、右側がなってきます。 眺めが広がりそうなので、ちょいと右側に出てみます。 手前の樹木が気になりますが、山並みを眺められるになっています。 眺めの広がる所が少ない今回の尾根にあって、貴重な所です。
尾根の背に復帰して、が茂り始めた尾根を降っていきます。 大きなの傍を過ぎていきます。 傾斜が増してくるを降っていきます。 しばらく降って傾斜が緩やかになると、標高1020mほどの鞍部に着きます。 妙見峠から20分ほどの所になります。 中ほどには両面に板が取り付けられたが立っていて、 この先の道は「北村台経由 金山峠へ」、今来た道は「妙見峠経由 妙見山へ」となっています。 左側のすぐ下にはが通っていますが、妙見峠で見かけた作業道の続きでしょうか。
先へ続くを登り返していきます。 しばらく登っていくと、傾斜が歩き易くなります。 程なくして、またが増してきます。 も見られる尾根を登っていきます。 次第に傾斜が弛んできて、歩き易い尾根になります。
金山峠分岐
になった尾根を進んでいきます。 程なくして、ピーク感のない標高1070mほどのに着きます。 広がってくる尾根を進んでいくと、中ほどに「金山峠へ」の標識が立っています。 妙見峠から35分ほどの所になります。 ここで尾根が二手に分れています。 桃テープが見られる金山峠へ続いているようですが、 駐車地に戻るには遠回りになりそうなので見送っていきます。 ここはを軽く降っていきます。
少し降っていくとになります。 程なくして、軽いになります。 広い尾根を進んでいくと、標高1080mほどのに着きます。 妙見峠から40分ほどの所になります。 高みを過ぎて、軽いになる尾根を進んでいきます。 半枯れの細い木が目立つ所もある尾根を降っていきます。
正面に植林地が見えてくると、尾根の背を外れてを降っていきます。 伐採木が目立つを右へ曲りながら進んでいきます。 岩を抱えたの前を右へ曲っていきます。 緩やかな尾根の背に復帰すると、更に大きな岩を抱えたがあります。 妙見峠から47分ほどの所になります。 岩の手前を左へ曲がって、尾根の背を降っていきます。
歩き易いを降っていきます。 左の樹間に僅かにを眺めながら進んでいきます。 標高1010m辺りまで降りてくるとになります。 軽く登るようになると、標高1000mほどの僅かなを越えていきます。 少し左へ曲がりながら降っていきます。
下山地
少し先を曲りながら降っていきます。 を軽く降っていきます。 正面が明るくなってくると、左右にが見えてきます。 の近くまで来ると左右に降りて行けますが、少しでも駐車地に近い右側へ降りていきます。 緩やかな斜面を降っていくと、すぐに森林基幹道「妙見・蘇武線」に降り立ちます。 妙見峠から59分ほどで降りて来られました。 道の脇が広くなっていて、車を待機させておけそうな場所です。 少し先には「11.0km」のが立っていて、その先は地道が続いています。
森林基幹道には、起点からの距離を示す白い標柱が100m毎に、 起点と終点からの距離を示す緑の標識が1km毎に設定されていますが、 設置されてから年月が経って、破損しているものが散見されます。
ひと息入れてから、車を止めてきた名草神社駅へ向かって、「妙見・蘇武線」をひたすら歩いていきます。 名草神社駅が「8.0km」となっていたので、ここから3kmの道程ですが、 軽い降り基調の舗装路が続いているので、時間はかかるものの歩くのは楽です。 起点からの距離を示すを確認しながら進んでいきます。 所々で広がるを眺めながら進んでいきます。 僅かなのような所を過ぎていきます。 が広くなっていて、車を置いておけそうな所を過ぎていきます。 曲がりながら続く道を進んでいくと、「10.0km」の標識を過ぎていきます。 下山地から16分ほどの所になります。
地籍図根三角点
のような所を過ぎていきます。 まで来ると、 脇に「造林用作業道 大栃谷線」の標柱が立っています。 左に分れていく作業道(*)を見送っていくと、のような所を過ぎていきます。 脇には「日高町」の標識が倒れています。 左側が開けた所まで来ると、左のマウンドの上に「地籍図根三角点」があります。 下山地から30分ほどの所になります。 マウンドに登って左に広がるを眺めていきますが、手前の樹木が少し邪魔をしています。
*左の作業道は「妙見795m峰」を参照。
左側にを眺めながら進んでいきます。 程なくして僅かなのような所があります。 切通を過ぎていくと、「9.0km」のが立っています。 谷筋を回り込んでいくと「待避所」のがあります。 少しずつ見える範囲が変わってくる山並みを眺めながら進んでいきます。
を回り込んでいきます。 「8.4」のを過ぎていきます。 程なくして、「8.3km」の標識などが立っています。 下山地から47分ほどの所になります。 振り返ると、「森林基幹道 妙見・蘇武線 県管理起点」のがあります。 傍には「」や 「」の解説板があります。 少し先には「お知らせ」のがあります。
森林基幹道 妙見・蘇武線 (全長24.7km)
この道は林道です。 林道は木材を運び出したり、森林を守り育てるために設置された道路です。 以下のことを承諾・厳守されたうえで利用願います。
一般道(公共交通に寄与することを目的とする国道等)に比べ次のことが異なります。 注意して走行して下さい。
・道幅が狭く、急カーブが多い
・未舗装で悪路が多い
・落石・倒木の危険が多い
・ガードレール・カーブミラーが少ない
・急勾配が多い
次の期間は通行しないで下さい。
・豪雨・強風時 → 土砂崩れ・倒木の恐れがあります
・降雪・凍結時 → 除雪は行いません
・夜間・霧がかかった時 → 該当は無く、見通しが悪いです
次のことは行わないで下さい。
・暴走行為・通行の妨げになる行為
・林道施設・周辺の自然を損傷・汚染する行為
・火気の取扱い
構造上、次の車両は通行できません。
・積載時重量制限 20トンを超える車両
・積載時制限長 12メートルを超える車両
走行速度は20km/h以下を心がけましょう。
ゴミ等の不法投棄は法律で罰せられます。絶対に捨てないでください。
許可なく林道を占用することは禁止しています。
兵庫県朝来農林振興事務所
お知らせ
一. この道は林道です。林業関係者以外の車の通行を禁止します。 ただし、地元の方が農耕或いは日常生活のために通行するのは差しつかえありません。
二. 急勾配、急カーブ、落石等の危険箇所にご注意下さい。
三. 道路上での駐車は禁止します。
四. 自然を守るため、植物をとらないで下さい。
五. 車載時重量制限 20トン 積載時制限長 12メートル
六. その他、この道路についてのお問い合せは、兵庫県朝来農林振興事務所にして下さい。
兵庫県朝来農林振興事務所
妙見地区
左にある壊れたを過ぎていきます。 が広くなっていて、車を止めておけそうな所を過ぎていきます。 程なくして、車を止めておいた名草神社駅に着きます。 下山地から51分ほどで到着しました。
駐車地の東側(*)には、名草神社の門前町だった妙見地区があります。 往時は50数戸の家があって栄えたようですが、今では定住者はおられないようです。
*東へ続く道は「名草神社」を参照。