白山
概 要 白山は豊岡市気比にある標高190mほどの山です。 白山神社がある山頂の北西側が少し開けていて、 津居山から盛上山にかけての山並みや、円山川の河口付近を見渡すことが出来ます。 今回は北東側にある白山神社参道登り口から山頂までを往復した後、 気比川の右岸にある銅鐸出土地や気比神社を訪ねます。
起 点 豊岡市気比 白山神社参道登り口
終 点 豊岡市気比 白山神社参道登り口
白山神社参道登り口…白山神社…白山神社参道登り口…銅鐸出土地…気比神社…観正寺…白山神社参道登り口
所要時間 1時間50分
歩いて... 白山の山頂までは「白山神社参道」が続いていますが、かなり傾斜の急な山道になります。 U字形に窪んだ道には落ち葉などが積もり、岩が剥き出している所もあって、かなり滑り易くなっていました。 降ってくる時には足元に十分気をつける必要がありそうでした。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
白山神社参道登り口
城崎温泉から円山川の左岸を北上して港大橋を渡り、道なりに左へ曲がって気比地区に入っていきます。 気比交差点から右前方の気比トンネルを抜けていくと、 右側の山際に「白山神社」の扁額が掛かるが立っています。 今回はここから白山へ登っていきます。 手前には金網柵が設置されていますが、扉を開けて入っていきます。 よく見かけるのより少し寸詰まりな様子の鳥居の脇にある小屋の傍には「」の標識が立っています。 また「霊峰 白山」の標柱も立っていて、簡単な説明文が書かれていました。
(入口付近の路肩が広がっていて、車2・3台ほどなら止めておくことが出来ます)
白山神社参道登り口
豊岡市指定津波避難場所 この地点の海抜は4.2m
霊峰 白山
白山神社・愛宕神社を祀る 標高189米
伝承によると、頂上近くにある宝篋印塔は、平家の侍大将・越中次郎兵衛盛継公を供養したものであると云う。 延享年中、香川秀菴「白山秋月」と題しその名勝を詠んでいる。 古来からの城崎八景を一望する景観は正に絶景である。
 (昭和五十七年 気比区、気比公民館、気比ノ浜観光協会)
城崎八景
江戸時代の旅のガイドブック「但州湯島道中独案内」に城崎八景が紹介されています。 温泉晩鐘松崎晴嵐桃島夜雨戸島秋月畑上暮雪絹巻落雁気比夕照津居山帰帆になりますが、 旧城崎町の近隣地区も含まれているようです。 山頂に茂る樹木がなければ、今回登る白山からそれらが眺められるように思えます。
寸詰まりの鳥居を過ぎていくと、小さな谷筋にはが続いていました。 山頂まで続いているのかと思っていると、「献燈」と刻まれたを過ぎた所で途切れてしまいました。 先に続く谷筋の10mほど先には「豊岡市指定津波避難場所 海抜10m」の標識が立っていました。 谷筋には明瞭な道がないし、どうしたものかと思案していると、 左側の尾根に戻るようにして登っていく踏み跡がありました。 そう云えばが左側にずれて置かれていて、その方向を促しているように思えました。 最初は不明瞭でしたが、すぐに明瞭な道になってきました。 程なくして「豊岡市指定津波避難場所 海抜20m」のが立っていて、 この道で良かったと安心したのでした。 標柱を過ぎて右へ曲がると、雑木林の尾根の背に続く急坂の登りが始まります。
鳥居
尾根には岩盤が剥き出している所が多くありました。 苔生して滑りやすい所には、が張られていました。 足元に注意しながら登っていくと、半壊した鳥居がありました。 上部がなくなって何だか変な形になっていましたが、手前にはそれらの部位の石材が落ちていました。
石灯籠
鳥居を過ぎて、岩盤が剥き出した急坂を更に登っていくと、「御神燈」と刻まれた石灯籠がありました。 石灯籠は左右にありましたが、右側のは壊れていました。
尾根を更に登っていきます。 U字形にには落ち葉や枯れ枝などがあって、歩き難くなっていました。 その上、かなり傾斜があるので滑りやすく、常に足元に気を払いながら登っていきました。 石灯籠を過ぎて1分半ほど登っていくと、右側の樹木が低くなった所から、岩盤が露出した尾根が見えました。 方角からすると、白山から北へ延びる尾根のようです。 眺めが良さそうな所ですが、山頂まで道は続いているのでしょうか。 その先へ30秒ほど登っていくと、日本海に突き出すが見える所がありました。
緩やかになった所を過ぎて、再び傾斜が増してきた尾根を登っていくと、 右側が膨らんでのようになった所がありました。 やがて植林地になってくると、道は尾根の背から外れてに続きますが、 すぐに尾根の背に戻ってきます。 直登する尾根が土砂崩れで通れなくなっている訳でもなさそうな様子だったので、当初からのルートでしょうか。 引き続きU字形にを登っていくと、再び雑木林になってきます。 道を塞ぐ倒木をくぐっていくと、左側の樹木が低くなっていて山並みなどを眺められました。
引き続き、落ち葉や枯れ枝などが散乱する尾根の急坂を登っていきます。 を過ぎていくと、尾根の背からへ外れますが、 すぐに左へ曲がって尾根の背に戻ってきます。 尾根の左肩を進むようになると、老大木が生えていました。
宝篋印塔
植林地になった尾根を登っていくと、次第に傾斜が緩やかになってきました。 先の方にが見えてくると、右側に石塔がありました。 麓の標柱に書かれていた平家の侍大将を供養したという宝篋印塔のようでした。
白山神社 (標高194m)
石塔を過ぎて、緩やかで広くなったを進んでいくと、白山神社の社殿が建っていました。 ここが白山の山頂になります。 三角点の標石は見かけませんでしたが、地形図に載っている194m峰になるようです。 麓の白山神社参道登り口から20分ほどで登って来られました。 ここには由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 中を覗ってみると、様式の異なるが二つ並んで安置されていました。 良くは知らないのですが、神明造と大社造というのでしょうか。 麓の標識では「白山神社・愛宕神社を祀る」となっていたので、それらの社のようには思えました。
社殿の裏側の一段高い所に出てみると、中ほどにはが幾つも積まれていましたが、 何の意味があるのかは分かりませんでした。 手前には礎石のようなものもあったので、以前には祠のようなものが建っていたのでしょうか。 右側(北西方面)が少し開けていて、津居山から盛上山にかけての山並みを見渡すことが出来ました。 眼下には円山川に架かるもよく見えていました。 急坂を登ってきて息が切れ脹脛も痛くなったので、景色を眺めながらひと休みしていきました。
白山神社参道登り口
落ち着いたら来た道を引き返していきます。 登ってきた時以上に傾斜を急に感じながら降っていくと、25分ほどで白山神社参道登り口に降りて来られました。 落ち葉などで滑らないよう、脇に手をついたりしながら慎重に降ってきたので、登る時よりも時間がかかってしまいました。 まだまだ時間に余裕があったので、以前から気になっていた銅鐸出土地を訪ねていくことにしました。 金網柵の扉を開けて車道に出て、正面右手にある小山の裾の墓地に沿って続くを進んでいきました。
作業小屋を過ぎた所の水路沿いのを直進していきます。 左右にあるビニールハウスを過ぎて民家の間を抜けて左右に通る道路に出ると、 正面には気比公民館がありました。 玄関の前に生える樹木の傍には「」がありました。
表彰記念碑
城崎郡港村 第五部消防組 大正十四年五月二十三日北但地方大震火災ノ際各員ハ自己ノ災厄危険険ヲ顧ミズ 協力克ク統制ヲ保チ村内各所将ニ火災起コラントスルヤ勇敢機敏之内警防ニ努メ 人心安定ヲ圖ル等克ク其本来ノ職務ヲ完フシセルハ功労授群ニ付金壹封賞興ス
大正十五年五月一日 兵庫縣知事従四位勲三等山縣次郎
右折して集落の中を進んでいくと、広がる畑の奥には、先ほど登ってきたが聳えていました。 こうしてみると、かなり急峻な山のようです。 左側には場違いなほど広いや空き地があり、傍には港デイサービスセンター港公民館がありました。 舗装路と未舗装路のに出て左折していくと、 「大日如来」と刻まれた石碑の先で、左右に通る集落の道路に出ました。 正面には気比消防団の車庫がありました。 右側にある大きな樹木の傍には「土地改良碑」が立っていました。 この辺りの広い谷筋には綺麗に整備された田圃が広がっていますが、その耕地整理の記念碑のようでした。
気比畑上土地改良区概録
1 工事期間自昭和46年 至昭和48年 3ヶ年間
2 組合員気比112名 畑上34名 田結6名
3 地積旧耕地432,324u 新耕地391,234u
4 工費95,330,399円(内補助金63,179,000円)
5 施工者川嶋工務店
6 関連工事気比川改修工事 バイパス開通工事
7 役員理事長、副理事長、庶務理事、会計理事、評価委員長、換地委員長、工事係理事、理事、以上19名
集落が終わって車道へ向かっていくと、左に分かれていく道があります。 角には「」の標柱が立っていて、左の道は「銅鐸 橋を渡ってすぐ」「花ミョウガ」となっていました。 このまま車道に出て真っ直ぐ進んでいくと畑上地区へ続いていますが、 左側の水路に架かるを渡っていきます。
豊岡市指定史跡 銅鐸(国重要文化財)出土地
弥生期(前三世紀〜三世紀の頃)の銅製品。
出土した4個は、現在東京国立博物館に収蔵されている。
昭和四十八年六月十五日指定
 (豊岡市教育委員会、管理者 気比区長)
銅鐸出土地
田圃が広がる道を真っ直ぐ進んでいくと、気比川が架かっています。 を眺めながら橋を渡っていくとが設置されていましたが、 簡単に開くようになっていました。 扉を開けていくと川沿いに続く道が左右に続いています。 道標類は見かけませんが右へ進んでいくと、1分もしない所に銅鐸出土地がありました。 切通しのようになった所で、大きな岩の傍に解説文を刻んだ石碑がありました。 傍には銅鐸の形を刻んだ「」と題した石碑もありました。 浮彫文字で説明文が書かれていましたが、はっきりとは読めませんでした。 岩の周囲を巡ってみると、「」と刻まれた石碑もありました。 大きな岩を過ぎた所に標識が立っていて、「気比神社まで300m」とのことなので、訪ねていくことにしました。
史跡 銅鐸出土地
この地 兵庫県豊岡市「当時城崎郡港村」気比字鷲崎の突端において、 大正元年「一九一二年」九月十五日港東小学校改築用の石材採取作業中に、 東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸四個は、わが国の重要文化財として指定され、東京国立博物館に所蔵されている。 豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため、 昭和四十八年六月十五日豊岡市文化財史跡に指定した。 今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し、気比地区とともに環境を整備したものである。
昭和五十年(1975)十一月 豊岡市教育委員会
銅鐸発掘之地
大正元年九月廿日
文化財を大切にしましょう
市指定天然記念物 ハナミョウガ
これより気比神社まで300m
簡易舗装された道を進んでいくと、左側にが広がってきました。 その奥へ続く未舗装路が分かれていましたが、地形図に載っている破線の道(*)のようでした。 入口には前掛けをしたが佇んでいました。 その谷筋を見送って沿いに進んでいきます。 川向こうには先ほどのなどの山が続いていました。 山際を過ぎて鳥居や大きな石灯籠が見えてくると、道が二手に分かれていますが、左側の山沿いに進んでいきます。
*後日に破線の道を歩いてみました。 田結地区から南へ延びる谷筋を進んでいきました。 集落が終わって未舗装路になっても、軽自動車なら通って行かれる幅がありましたが、 落石などがあって車では通れない状況でした。 地形図の破線の道が分岐している所から、小川を渡ってを登っていきました。 それまでの道から一転して僅かな踏み跡程度になりましたが、 小さな谷筋を真っ直ぐに登っていけば迷うことはありませんでした。 やがてV字谷植林地になってくると、次第に道が明瞭になってきました。 傾斜が緩やかになってくると、正面にが現れました。 50cm以上の水深がありそうだったので、単なる雨後の水溜りではなく、一年中水を湛えているように思えました。 池の右側の小径を進んで植林地の浅い谷を登っていくとに着きました。 快適になった道を少し右へ曲がりながら降っていくと、になった鞍部に着きました。 地形図では185m峰の南南西250mほどの所にある破線の道が分岐している所になります。 南へ延びる道は三原地区へ続いているようですが、北西へ続く道を進んでいきました。 僅かな峠を越えて植林地になった谷筋を降っていくと、道は次第に不明瞭になります。 谷の右側の斜面に広めの道が続いていたかと思うと、谷筋に続いていたりして、分かり難い状態になっていました。 倒木などもあって歩き難い思いをしながらも降っていくと、やがて谷筋の農地を経てここに出られました。 今ではかなり荒れているものの、その昔には広めの緩やかな道が続いていて、 気比地区三原地区を結ぶ峠越えの道だったように思えました。
の傍まで来ると「」の標柱が立っていました。 植林地の奥には気比神社の社殿が見えていました。 山際まで進んでいくと、金網柵の向こう側に「豊岡市指定文化財」の解説板が設置されていましたが、 まだ花の季節ではなくて、どれがハナミョウガなのかは分かりませんでした。
豊岡市指定天然記念物 花ミョウガの群落
暖地性の植物で花ミョウガの北限といわれる。 六月中旬ピンク色の花を咲かせ、晩秋には真紅の実を結ぶ。 土壌の嗜好性が強く当区でもこの地より育たない。 株を取らないで鑑賞して下さい。 大切に育てましょう。
昭和四十四年六月一日指定 豊岡市教育委員会、管理者 気比区長
豊岡市指定文化財
和名 ハナミョウガ(科名 ショウガ科)
科名 Alpinia Japonica Mia.
茎や葉がミョウガに似ていて、美しい花が咲くのでハナミョウガという。 暖帯から亜熱帯に生える植物で、日本では本州の千葉県以西・四国・九州などに分布する。 県内では、淡路島を中心に、但馬地方では海岸沿いに見られる。 シイやカシなどの常緑樹林の林床に形成される常緑多年草木の群落。 この地のハナミョウガが、兵庫県の北限のもので、群落規模も大きいので昭和44年6月1日に豊岡市の天然杵物に指定された。 根茎は太くて、茎は高さ20〜50cm、長さ20〜35cmの葉を3〜5枚つける。 花はピンク色で5月から6月頃、穂状につける。 果実は広い楕円形で、晩秋から冬にかけて赤く熟し、果実の中には数個の種子を保有し、種はコショウのような芳香がする。
 (平成7年3月 豊岡市教育委員会)
気比神社
大きな石灯籠の前に立つ「気比神社」の扁額が掛かるの横には、 「式内 氣比神社」と刻まれた石碑がありました。 鳥居をくぐっていくと、真ん中が通路になったがあり、手前には手水舎もありました。 建物を抜けていくと、石灯籠の先の5段の石段を登った正面に気比神社の社殿がありました。 中を覗ってみると、大振りの内宮が納められていました。 両側にはが控え「御神燈」が立っていました。 境内には稲荷社と思われるもありました。 神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。
気比神社から元来た道を引き返してくると、川端に植えられたが開花していました。 宇上橋を渡り土地改良碑のあるT字路を曲がっていきます。 未舗装路との十字路まで来ると、正面の車道に石碑が見えました。 正面に白山を眺めながら傍まで行くと、 「臨済宗 観正寺」と刻まれたや「観正寺の庭園」の標柱などがありました。 どんな処なのかと思って、立ち寄っていくことにしました。
市指定文化財 観正寺の庭園
名勝(庭園) 江戸時代
昭和六十三年四月二十七日指定 所有者 観正寺
 (豊岡市教育委員会)
観正寺
畑などを過ぎていくと、がありました。 そのすぐ先に観正寺の山門がありました。 手前には石仏などを沢山納めた祠がありました。 山門から中へ入っていくと、生憎と建替工事中でした。 鐘楼やと思われる建物はまだ残っていましたが、本堂はすっかりなくなっていました。 大きな桜の木が花を咲かせていましたが、名勝とされる庭園は見られませんでした。 工事中であることを示す看板に境内のが載っていました。
(後日に訪ねてみるとが完成していました)
白山神社参道登り口
観正寺から引き返して、 「タカラ ホーロー システムキッチン」の看板が出るの横から、 水路沿いに続くへ入っていきます。 両側に広がる畑を眺めながら、真っ直ぐに進んでいきます。 道端の草も育ち始めていて、春が来たのを感じながら歩いていきました。 十字路を二つ直進していくと車道に出ます。 その先へ少し進んでいくと、最初の白山神社参道登り口に戻ってきました。